旅中毒 -38ページ目

旅中毒

バックパックと少しのお金とパスポートがあればいい。行けば行くほど行きたい場所が増え、人生狂って後悔なし!

2018/1/5

 

修道院の閉館が5時でしたので、のんびり街に戻ってきてちょっとウロウロしていたらすっかり夕暮れの景色になってしまいました。レプブリカ広場も街灯がきれい。頭に鳩を飾っていないグアルディン・パイスの像を撮りたいと思っていたけど、これでは真っ黒になるなと諦めました。

 

洗礼者サン・ジョアン教会の中を少し覗いてみました。夕方のミサが終ったところらしく、まだ少し人がいたので、さらっと見せてもらうだけで退散。

 

トマールでもそこそこ猫を見かけましたが、どの子も警戒心が強く、遊んでくれませんでしたわ。それにしても、この子ってば黒タキシードを着ているかのようだ。きれいな子。

 

とかしばらく歩いていておりましたが、とりあえず一旦宿に戻りました。昼の豪雨でブーツがぐっしょり濡れておりましてね。足が気持ち悪くて、とにかく裸足になりたい。一応は防水なんですが、あんな川の中を歩いているような雨の中じゃ、さすがに…。部屋でブーツを脱ぎ、紙を詰め込んで水分を吸わせ、エアコンの風が当たる辺りに紙を敷いてブーツを置いて乾燥を試みる。その間、ありがたいことにバスタブ付きなので、冷えた体をお湯でゆっくり温めました。

 

1時間くらいしても乾いたとは言えませんでいたが、諦めて食事に出かけることに。あんまりお腹は空いていないんですけどね、修道院でスープとパンを食べてるし。でももうポルトガル旅行も終盤ですし、色んなものを食べておきたい。どうもモンサントからこっち、汗や雨に濡れた後に冷えたせいで体が万全とは言えず、予定していたほどポルトガル料理を堪能できていないのでなおさら。ネットでトマールのレストラン情報を調べ、検討に検討を重ねて店を選びました。

 

で、ホテルを出て歩き出したら隣に食堂があったので入っちゃった。湿った靴で10分も歩くのめんどい…。

 

その食堂 Cervejaria A Casa da Vera はどちらかと言うと地元民向けのようでしたが、英語メニューもありました。その中で牛フィレ肉のコーヒーソースがけと言うのに激しく興味を引かれ、注文してみる。付け合せはお米にしました。

 

コーヒーソースは生クリームとコーヒーを併せている模様。日本人からするとコーヒー味のお肉ってあまりなじみがない組み合わせですけど、コクがあって悪くない。しかしやっぱり雨に濡れた上着をずっと着ていたせいか体調が今一つ優れず、なんとビールを飲むのがしんどく感じられると言う…。本当は夜の街歩きも楽しみにしていたのですけど、食事が済んだらすぐホテルに戻りました。早めに就寝。

 

で、翌日は5時起き。この日はトマールからオビドスに移動で、バスが午前7時発なのだ。地図上では遠くないけど、公共交通機関的にはこの2都市間の移動は想定されていないみたいで接続が悪いの。ホテルは元から朝食付きでしたが「朝食は8時からなんで無理」であっさり終わってしまいました。B&Bとかならサンドイッチくらい作ってくれたりしますけど、まあ、仕方ない。

 

昨夜できなかった街歩きを楽しみつつバスターミナルに向かう。早朝なのでまだ夜景です。

 

これはメインストリート。やはりこの通りは大きな建物が多い。朝6時ですでに営業しているカフェもありましたよ。そこで朝食を食べる誘惑に駆られましたが、街歩きを優先。

 

メインストリートから一本横道に入るとこんな小さな道になります。左の写真の手前左の建物は、教会の続きだったような気がする。この道を進んでいったら、パンが焼けるいい匂いがしていたっけ。どの国もパン屋さんは本当に朝早くから働いているねえ。

 

添てんさんのブログでトマールの旧市街が私好みだと知り、楽しみにしていたんだよね。期待を裏切らない素晴らしさだった。昼間にもっとたくさん歩いてみたかったなあ。けど、トマールに着いたのが昼だったし、とにかく修道院を見に行きたかったからどうしようもないのだ…。やっぱり2泊はするべきだったなあ。

 

これは劇場らしい。赤と黒のポスターは催し物の告知です。てゆかなんで建物の上んとこ見切れてるの。どこを入れようと思ってこうなったの私…。

 

メインストリートよりこれくらいの通りの方が好きだわ。小さな商店と住宅が並んでいるような通りがいい。ここで写真を撮っていたら、早朝から出勤していくらしき男性が「おはよう!」と声をかけてくれたよ。

 

ここはそろそろ旧市街が終る辺りなの。通りの突き当りはもう大きな道路です。

 

未練がましく振り返ってみたりして。ああ、シナゴーグも閉まっていたし、水道橋も見れなかった。お城のある丘の下あたりの住宅街が面白そうだから戻ってこようと思いながら戻れなかった。心残りすぎる…。なんで半日観光なんかにしちゃったんだろう…。

 

大きな道路の歩道。テンプル騎士団印のこの石畳は、昔からあるものなのかしら…。

 

駅の近くにあるサン・フランシスコ教会と修道院。ここも古くていい感じですねえ。

 

てな感じに楽しく歩きながらバスターミナルに到着しました。バスターミナルは鉄道駅に隣接しています。この時点で6時35分くらい。このバスを逃すと後がないので早めに着くようにしたの。バスターミナルにカフェでもあればそこで落ち着いてパンとコーヒーくらいいただけるかもと思っていたのもあり。

 

が、駅はもう開いていたけれど、バスターミナルは閉まっていました。ええ~? 出発時刻の25分前でまだ開いていないなんて、あり? てゆか、ホントにここでいいの? トマールはそこそこ大きな町だし、もしかして他にもバスターミナルがあるとか? 焦ってネットでバス会社のウェブサイトも調べてみたけど、トマールのバスターミナルとしか書いていないし、トマールにバスターミナルが他にもあるのかと検索してみたけど他にはないようだし、やっぱり場所はここで合ってるっぽい…。

 

駅前に泊まっていたタクシーの運転手さんに尋ねてみると、「そこから出るよ」とバスターミナル(の門)の前を指さされました。そこって。ターミナルって意味? あ、ターミナルの前にバスの停留所がある。そこのこと? 停留所にはいくつかのラインの時刻表と路線図が貼り出してあります。暗い中で頑張ってそれを読んでみる。けど、該当するものが見当たらない…。

 

本当にここでいいの!? いいんだよね!? タクシーの人がここだって言ってるんだから、ここでいいんだよね!? 不安で仕方ないけど、不安がったって何にもならないので、自分を宥めつつ待つ…。いざとなったらタクシーで行けばいいよね、ええ。1時間くらいですからね、山間部で3回もそういうのやったよね。

 

しかし無事にバスはやってまいりました! タクシーの人が言った通り、ホントにバスターミナルの門の前の道路に停まったわ。まだターミナルが開いていないので、こうなるんでしょう。バスの運転手さんに「レイリアに行きます」と言ってチケットを買おうとしたら、「ノー、チケットはファティマで買ってください」と言われました。バスの中では購入できないシステムなのか。長距離バスだから? ちなみにトマールのバスターミナルのチケット売り場は土日祝は閉まっているとトリップアドバイザーに書いてあります。

 

トマールは心残りで去りがたい町でしたが、去る時には別の意味で嬉しく思っておりましたよ…。

 

2018/1/5

 

南側の2つの回廊である主回廊とカラスの回廊の間に、この食堂があります。

 

真ん中にあるここは何? 教会の説教台みたいなもの? 食前のお祈りの時とかに使うの?

 

この説教台の裏側はこんな風になっています(写真左)。右の写真で、窓に近いとこに入り口がある。ここから壁裏に入れるのだ。さらに裏に部屋もあるよ。右の写真は説教台からの眺めです。

 

食堂の反対側の端は厨房に繋がっています。この窓からどんどん食事を出していったんだな。今も社員食堂とかによくあるシステムよね。

 

窓の奥にはお鍋を置くための台がある。お鍋を置くための上辺の丸穴の他、手前にも四角い穴がある。これは火を使うための穴だよね? ここで煮炊きしていたのかな? あるいは保温のため? 人数が多いからお鍋も大きいだろうし、冬なんてあっという間に冷めちゃうだろうから。

 

ええ、大所帯ですから、厨房もこの大きさ。

 

かまどは3つも並んでいたよ。それぞれに使い道が違っていたんだろうな。煙突は真ん中の一番大きなかまどの上だけについているんだ。両側のかまどの天井部分を真ん中のかまどに繋げて、煙を集約できるようにしてあるの。

 

ここは流しです。

 

これは厨房からは少し離れた、パンの回廊に面したパン焼き釜。貧しい人たちにここでパンを配っていたので、パンの回廊と呼ばれるようになったらしい。ここは北側の門に隣接しているので、北側から貧しい人たちが列を作って入ってきたんだろうな… と当時の光景が目に浮かぶ…。ガイドブックにはミシャの回廊と書いてあるんですが、ミシャってのがパンと言う意味なんだって。パンってポルトガル語だけど、ミシャは古語なのかしら。

 

ところで、トマールでは4年に一度タブレイロス祭という大きなお祭りが開かれます。タブレイロスとはお盆の意味。慈悲深いイサベル王妃様を記念するお祭り。イサベルはアラゴンからディニス1世に嫁いだ信心深い女性。常日頃から民に施しをしていました。しかし度が過ぎるとして王は気にしていて、ある日パンを詰めたかごを持って出かけようとする王妃を見咎めました。王妃は「このかごに入っているのはパンではありません。薔薇です」とごまかす。そして王がかごの中を改めると、そこには真紅の薔薇があったのです…。いや、パンのまま王を納得させる奇跡にしてあげてよ神様…。

 

ディニス1世は、解散を命じられたテンプル騎士団をキリスト教騎士団として存続させてくれた王様よ。 「我々は騎士であるとともに、領地の耕作者であることを名誉とすべきである」 と説き、農業王と呼ばれるほど農地の開拓・整備に力を注ぎ、漁業、商業・貿易、海運も大いに発展させ、文学の手厚く保護した有能な王様。その妻は慈悲深く民に慕われた聖女。最強カップルやん。

 

パン焼き釜の中をマグライトで照らす。去ろうとした時に小さな息子を連れたお父さんが来たので、「見ます?」と中を照らしてあげました。ブラジルから来ていると言ってましたわ。

 

ここはパンの回廊とカラスの回廊の間から突き出たとこにあるお手洗い。こんな開けっぴろげな!? 昔は仕切りか何かあったのかも。

 

この穴に大きい方を落としたとか、そういうこと…? もしそうなら、下は下水システムになってるの? そうでなかったら積み上がってはみ出てくるよね? (そういう状態のウズベキスタンで見たことある)

 

とかやってるうちに閉館時間になりました。一応お土産屋さんも覗いてみたけど、買いたいものが見つからなかった。テンプル騎士団やキリスト教騎士団についての資料はガチなのから絵本まで揃っておりましたし、騎士グッズもありましたが、あとはワインとか蜂蜜とかクッキーとか…(ある意味、伝統的ですが)。こういう施設だとよくTシャツとかマグネットとか模型とか売るのにね。

 

北側の城壁。お城部分の見学が全くできなかったなあ。お城は廃墟らしいけど、塔や城壁が残ってるんだから見ておきたかったわ。これだけの巨大修道院、たったの3時間半じゃ、一通り見て周るだけで精一杯でした。ここまで私好みだと思ってなかったのが誤算か。ざっと見て周る1周目、間取りを確認しながら回る2周目、好きなところを重点的に楽しむ3周目で、各3時間としても最低9時間は必要だわ…。

 

名残を惜しみつつ外門へ。

 

未練がましく振り返ったりして。てゆか、来た時に撮れば良かった… じゃない、来た時は雨が降っていたんだった。雨は機動力を奪うのよ。幸い、帰る時には上がっていました。

 

やっぱりお城の見学もしたかった! 修道院だって、屋上にも上っていないし、見習いの僧房も見ていないし、ここはまた来なくちゃいけないわ!

 

それにしても、こんなとんでもない観光資源があると言うのに、おまけにリスボンから電車で1時間半で来れるのに、あんまり人がいませんでした。真冬と言ってもさ…。別の人の旅行記にも「これだけの修道院が有名でないのはなぜか」と書いてありました。ポルトガルの観光名所としてはよく名前は上がるけど、ルートに必ず入っているって程でもないみたいだし、もっと広く周知されるべきだ。あ、でも、日本人の団体さんを見かけたよ。

 

あとね、トマールと、私がモンサントに行く途中で車窓から見たアルモウロル城は、車で30分くらいなんですよ。観光局もセットで薦めている。テンプル騎士団名所巡りとして、リスボンからトマールとアルモウロル城を見て戻る一日ツアーなんかもあるらしい。私は次に行ったらトマールで2泊して丸一日修道院とお城の見学に使うわ。旧市街ももっとじっくり見たい。それで次の日にタクシーでアルモウロル城に行く。1泊してもいいな。アルモウロルからはエントロンカメントが近いので、そこから電車でリスボンまで一本だ。逆ルートでもいい。

 

2018/1/5

https://pt.wikipedia.org/wiki/Convento_de_Cristo

 

 

宿泊所の回廊は主回廊に比べるとシンプルだと思いましたが、建設当時は主回廊と同じ装飾があったんだって。外部からの訪問客を泊める場所だったこともあって、優美に飾り立ててあったらしい。

 

でも北側(この↓写真の右側)にのっぺりした棟が付け加えられたり、南側1階の回廊が改築でぶっ壊されたりして、美しい調和が失われてしまったんだそうな。残念ね。

 

回廊のオリジナル部分はリブ・ヴォールトもコラムもこんなに優雅なのに。

 

これは3階の西側の床をぶち抜いた階段。これって後から作ったんだよね? 下りると2階の部屋の中に出る。2階の回廊は3階より部屋が手前に出てるから。

 

 

3階の手すりが見えてるトコ、そこが階段の入り口ね。

 

上の写真の2階の向かって右側の部分。従者が使っていた部屋だって。

 

同じ写真、同じく2階の左側のとこは登記簿保管室みたいな意味のことが書いてある… あれ、この写真、逆だったっけか? この修道院は巨大すぎて、色んなものがありすぎて、2階建てや3階建ての回廊が4つくっついてて… 見て周っているうちに混乱してくるんだよ! 最高でしょ!

 

んで、次に西側の2つの回廊を見る。図の左上のピンクがパン(ミシャ)の回廊、左下がカラスの回廊ね。

 

これはパン(ミシャ)の回廊。西側2つの回廊は見習い修道士や従者たちが使う回廊だったから、東側にある主回廊や宿の回廊に比べるとスペース的にも小さめで、装飾もシンプルなんだって。

 

シンプルっつっても充分に美しいわ… 

 

井戸かと思ったら地下室への入り口? 下りたかったなあ。柵がしてあるからやめておいたけど…。

 

カラスの回廊は修道僧の読書や祈りの場だったそうです。…が、撮るの忘れてたみたい…。ミシャの回廊とカラスの回廊は、1階しか見学できなかったし。なんか一時的に非公開の部分が多かったから、そのせいかな。

 

パン(ミシャ)の回廊とカラスの回廊は、3階は回廊になってないらしい。僧房があるから。Tの字の廊下に40室が並んでいて壮観です。

Por Manuelvbotelho - Obra do próprio, CC BY-SA 4.0, Hiperligação

 

遠近法の勉強に使えそうな…

 

部屋の中はこんな感じ。一部屋に4人とか6人とかで住んでたんでしょうね。

 

真冬だし雨に濡れた上着がなかなか乾かないしで、震えながら見学しておりましたが、当時のお坊さんたちはもっともっと寒かったでしょうね…。真ん中に暖房室があります。ここで火を焚いて、暖かい空気を他の部屋に送っていたんだって。セントラルヒーティングシステムだ。院長の部屋は端っこにあったそうだけど、暖かい空気が届かなくて寒かったんじゃないのかしら…?

 

この時、半袖で歩いている17歳くらいの少年を見かけ、仰天した私が思わず自分の両腕をこすって『寒くないの!?』とジェスチャーで聞きましたら、彼は照れ臭そうに笑って「No」と答え、彼の両親やお姉さんらしき方々(フツーにダウンジャケットとか着てた)は爆笑しておりました。

 

Tの字の真ん中にはチャペルがあります。

 

あまりにも冷えたので、カラスの回廊の1階にあるカフェに避難。でも昔の広い広い部屋を使っているので暖房なんか入っていなくて冷え冷えとしておりました。でも熱々のスープとバタートーストをお腹に入れて温まったよ。隣のテーブルの若い男性はアイスクリームを食べていました。

 

カップが修道院印だね。

 

 

2018/1/5

 

この壮大な建築群は、12世紀から18世紀まで増改築を繰り返しております。最初はお城(廃墟)と円堂だけだったのが、周りに回廊や施療院などを付け足して巨大化していったの。

 

円堂の西に教会が増築され、その教会に繋げて増築された4つの回廊(プラス1回廊)が、この修道院の一番大きな部分と言うことになるんですかね。下のピンクと緑のとこね。右上の、沐浴の回廊とか墓の回廊の北にある部分が、施療院や薬草ラボだったらしい。

Por Manuelvbotelho - Obra do próprio, CC BY-SA 4.0, Hiperligação

 

回廊を見て行こう。まずは「ジョアン3世の回廊」。上の図の緑の部分です。

 

質実剛健なロマネスクの城塞の塔を背景に、ルネッサンス建築の傑作と称えられる優雅な回廊を。

 

この回廊は「主回廊」とも書かれています。見た目も一番豪華だし、やっぱ一番重要なんでしょうね。「時間がなくて回廊4つも見てらんない」って人はせめてここだけでも…。

 

こっちから撮ると教会堂が見える。ところで、2階の角に斜めの線が入ってますでしょ。これはですね、

 

こんな優美な階段なの。対角線上にも同様の階段が見えている。この階段を上がると、あのドーム付きのトコに出られて、屋上に上がれるんだ。

 

 

階段は立ち入り禁止になってたけど、ネット上の写真には屋上に上がっている観光客たちが写っていましたので、たぶんハイシーズンなら解放されているんだと思う。冬はこれだから! とか思ってたんだけど、今この写真を見たら、立ち入り禁止の札、出てないよね。反対側の階段には2段目くらいに置いてあったから「上がれないんだ」と思い込んだけど。え、もしかしてこっちの階段は上って良かったとか!? あるいは写真に写らないような場所に何かサインが置いてあったのかな?

 

でもまあ他にも、見習い修道士が暮らしていた部屋とかチャペルとかその他いくつかの場所が「現在は公開しておりません」になっていたし、ローシーズンはそういうことが多いですよ。いいんだ、また行くから。

 

屋内にもマヌエル・ウィンドウがある。

 

主回廊の南からテラスに出ることができます。この写真の正面に見えております建物はチャプターハウスです。幹部クラスの騎士や修道士が使っていた会議場。

 

今はすっかり廃墟ですけど。

 

 

チャプターハウスの1階部分はこんな風。


主回廊から北に出たところ、教会の真後ろにあるのが、小さな「サンタ・バルバラの回廊」(写真手前)。サンタ・バルバラの回廊を挟んで更に北にあるのが「宿泊所の回廊」…?って言うの?日本語訳がわからない。この写真で言うと向かって左じゃなく、右の方(写ってない)に、旅行者や巡礼者を泊めていた。

 

サンタ・バルバラ回廊の2階(写真右側の通路)にマヌエル・ウィンドウがある。前記事に貼ったここ。

 

サンタ・バルバラの回廊の1階と2階を繋ぐ素敵な螺旋階段。

 

 

 

これがどこの回廊から降りる部分だったか忘れたけど、とりあえずここに貼っとくw

 

 

2018/1/6

 

城壁の門をくぐると、広い庭園とお城が目に入ります。雨のせいかなんかザラザラした画面だし、こんな写真なんかじゃ伝わらんと思いますが、ド迫力ですわ! 12世紀、ロマネスクの巨大な円堂。

 

巨大にして壮麗! ここを、この階段や通路を、戦う修道士テンプル騎士団員たちが歩き回っていた…。

 

テンプル騎士団は、第1回十字軍がエルサレムを手に入れた後、巡礼者を野盗などから保護するために、1119年にフランスで10人の騎士により結成されたのが始まり。フランス国王や教皇庁から厚い信頼を受けていた彼らの勇猛さは有名でした。私は十字軍にはちょっと否定的な目を向けてしまいますが、ここがあのテンプル騎士団の…と思うと興奮したわ~。

 

1187年にエルサレムがイスラム教徒に奪回され、1291年にはエルサレム王国も滅亡。軍事目的だけの騎士団は存亡の危機を迎えましたが、テンプル騎士団は宗教団体だから結成の意義を失わないし非課税収入も潤沢。更には、巡礼者の資産を管理する金融機関としても発展していたので、裕福でした。

 

左の写真に写っている16世紀の「南門」が元は正門だったみたいよ。今は閉じられているので、右の写真の通路を通って、反対側に回る。そっちは15世紀に増築された部分だからなのかな、通路が妙な形になってるよね。角に向けて幅が狭くなっていってる…。

 

13世紀の終わり、中央集権を進めるフランスのフィリップ4世がテンプル騎士団の財産を狙い、彼らを異端と告発し逮捕。フランスでは大勢が処刑されました。明らかな冤罪なので教皇庁が団を擁護したこともあり、他国では無事でしたが、後に教皇庁もフランスの圧力に屈して正式にテンプル騎士団の解散を命令。団員の多くはヨハネ騎士団に吸収されたそうです。

 

ポルトガルのテンプル騎士団も解散させられました。でも国王ディニス1世は、レコンキスタや国土復興にテンプル騎士団が貢献したことから、資産は跡を継ぐ騎士団が引き継げるよう教皇庁に掛け合ってくれたの。かくしてポルトガルのテンプル騎士団はキリスト騎士団と名前を変えて再出発しました。この修道院の名称がキリスト教修道院となっているのは、そこからなのかな?

 

で、いよいよ中に入っていきます。チケット売り場で、忘れずにパンフレットを購入しましょう。日本語のはないけど、修道院の見取り図が載っていますので見学に非常に役立ちます。

 

まずは2つの小さな回廊。下図の灰色の部分ね。エンリケ航海王子がこの修道院の主だった1420~1460年頃に増築された、ゴシック様式です。(チケット売り場はこの回廊の手前にある)

Por Manuelvbotelho - Obra do próprio, CC BY-SA 4.0, Hiperligação

 

こちらが上図の右側、「沐浴の回廊」。昔はここに貯水池があった。修道士たちが沐浴したとか、使用人たちが僧侶のガウンをお洗濯していたとか、ものによって色々書いてある…。両方かな。

 

沐浴の回廊のお隣にあるのが「墓の回廊」。幹部クラスの騎士や修道士が埋葬された場所です。アズレージョは17世紀に付け加えられました。

 

沐浴の回廊の反対側のお隣にはエンリケ航海王子が暮らした城館があり、沐浴の回廊は元々は城館と墓の回廊を結ぶために作られたんだって。城館は今は廃墟。

 

墓の回廊は円堂に隣接しています。上の墓の回廊の写真で、真ん中辺に入口がありますね。そこは聖具室で、円堂に抜けられる。この聖具室は音の反響がすごくて、皆が順番に声を出して楽しんでいました。合唱でもやったら聞き応えあるだろうな。左の写真が奥側で、右の写真が入り口側(墓の回廊)。

 

 

聖具室とセットになっている、小さなチャペルと宝物庫。

 

 

聖具室を抜けて廊下を進んでいくと、右手に折れる小さな廊下もありました。この奥は昔は「王の居室」があった。今はお土産屋さんになっているはず。開いてなかったけど。

 

この黄色い部分が教会。右側の円と左側の四角の真ん中辺が通路。図の上側の通路から入っていく。

Por Manuelvbotelho - Obra do próprio, CC BY-SA 4.0, Hiperligação

 

ここが円堂の中心にある騎士たちの祈祷室。回廊になっている。騎士修道会だけあり、すぐ出撃できるように騎馬で回廊を回ってミサを行っていたんですって。ま、様式美ってやつでしょうけど。


このロマネスクの円堂そのものは12世紀後半に建築が始まり、戦争で中断し、40年ほど後に再開されて完成したとか。だからロマネスク様式とゴシック様式が混じってるんだって。エルサレムの岩の教会をモデルにして作られているそうです。建築は12~13世紀だけど、内装は16世紀のもの。

 

こういう彫刻や壁画などの豪華絢爛な装飾は16世紀に付け加えられたそうですが、最近の調査で15世紀に描かれた壁画もあると判明したとか…。

 

 

円堂のお向かいにあるのが1510~1515年に建てられた教会堂。左の写真(二階部分)に聖歌隊席や祭壇がある。右は1階部分。円堂の豪華な装飾の方が写真が多くなりがちだけど、こっちの方が断然好み。


この教会堂はゴシック様式とマヌエル様式が融合しており、そこにルネッサンスの装飾が加えられている…のだそうな。マヌエル様式と言うのは、ポルトガル王マヌエル1世の治世(15世紀後半から16世紀前半)にポルトガルで流行した建築様式。大航海時代に莫大な利益を得たポルトガルの黄金期で、マヌエル1世は非常に装飾的な建築を多数残したんだそうです。

 

内側を見ていたら別にそんなに装飾的でもないやんと思いましたが、外側から見るとこういう風でして。

 

奥に見える12世紀の円堂はがっしりとシンプルなロマネスク。16世紀初期に建てられた手前の四角い部分はツンツン尖ってるゴシック。

 

そして外側には有名なマヌエル・ウィンドウがある。2つ上の写真通り、内側からはシンプルな窓だけど。

 

大航海時代の栄光を表し、船や海を象徴する彫刻が施されている。ロープやブイ、海藻、貝とかね。

 

この修道院で一番の見どころの一つなんだよ。しかし、苔を取った方が良くないかしら…。

 

2018/1/5

 

本降りだけどそのまま歩き出しました。傘は持ってきていないのだ実は…。と言うのは、多少の雨ならゴアテックスのフード付きジャケットで凌げるからと思って。しかし多少じゃないわこりゃ。歩いているうちに雨脚は強っていく…! こうなったら傘を買うしかないわ! と思うのに、こういう時に限って傘を置いている店を見かけないのよね!


駅から旧市街までは歩いて10分と、大した距離じゃない。でも宿に着く頃には、ジャケットの中は濡れていないものの、ジャケットが水浸し状態。脚も…。宿のご主人によると、この日は一日中雨だって。翌日は朝から晴れるそうで。ついてないなあ。まあ、トマールでの目当てはお城と修道院だからいいや。基本的に屋内ですからね。でもトマールには他にも古い教会や礼拝堂、水道橋など見所がありまして、割とコンパクトにまとまっていますので、宿のご主人曰く「全部徒歩で回れるよ。傘さえあればw」

 

本日のお宿ホテル・カバレイロス・デ・クリスト。旧市街の中にあります。バスルームの中(ドアの上)にヒーターが設置してあったのが面白かった。寒いと苦情でも出たのかしら。


さっそく修道院に向かう。半日しかないのでグズグズしていられん。傘を売っているお店も教えてもらった。…けど、外に出たら雨は上がってて… でもまた降るかもしれない… でも降らないとしたら… 降っても小雨だとしたら… とか迷いながら歩き出したら、「ま、いっか」になって、買いませんでした。

 

この写真は、ホテルが面している道から折れた路地。突き当りの道はセルパ・ピント通り。メインストリートであるレプブリカ通りの一本横の筋。レプブリカ通りには大きめの建物が並び、その中にお店がたくさん入っていて賑やか。同じ旧市街でも駅に近い方には小さな店舗が並ぶ通りがありました。

 

レプブリカ通りは避けてセルパ・ピント通りを行きます。丘の上にお城の塔が見えている…!

 

この通りに遭ったパン屋さんの陳列棚にお菓子があるのを見てフラフラと…。早く修道院に行かなきゃいけないのに! でもせっかく甘いもの天国ポルトガルに来たのに全然お菓子を食べていないんですもの! タイミングが合わなかったり、体調が悪かったりで。

 

ド定番、エッグタルトとエスプレッソ。後ろの席ではご近所のおかみさんたちがお喋りに花を咲かせていました。そして仕事中らしい兄さんが入ってきて立ったままエスプレッソを一杯ひっかけてすぐまた出て行く。こんな風に飲むんだね、エスプレッソ。日本にもそんな風にエスプレッソを飲める店があればいいのに。イタリアとかのドラマでも、職場で一口サイズのプラカップでコーヒーを飲む光景も見かける。

 

メインストリートの突き当りはレプブリカ広場。洗礼者サン・ジョアン(洗礼者聖ヨハネ)教会があります。現存する建物は16世紀のものだそうですが、教会の方は外壁がピカピカに修復されて、古さを残した塔とは際立った対照を見せておりますな。

 

修道院とトマールの町の創始者、グアルディン・パイス。鳩、どいてくれよぅ…。

 

あちこちの記事に「グアルディン・パイスは1157年にポルトガルのテンプル騎士団の第4代総長(グランド・マスター)に叙任された」と書いてあるんだけど、グランド・マスターって、各国にあるテンプル騎士団をまとめる総元締めじゃないの? ポルトガルのテンプル騎士団の元締めなら管区長(マスター)じゃないのかな? 思わず調べたら、テンプル騎士団の第4代総長はフランス人のベルナール・ド・トレムレだそうだし。フツーに「ポルトガルのテンプル騎士団長」でいいんじゃないの。

 

ともかく、グアルディン・パイスがまず1160年にトマールにお城と修道院を建てたんだって。当時はトマールの町=城塞で、住民はほとんどが広大な城塞の敷地内に住んでいたらしい。城下町ができたのはそのずっと後。今ある町は主に15世紀前半に整備された形で残っているそうです。

 

 

15世紀の終わりごろから隣国スペインでイサベル&フェルナンドのカトリック両王による異端審問が激化し、多くのユダヤ人がポルトガルに逃げたので、トマールにはユダヤ人街があり、シナゴーグも現存しています。でもその後結局ポルトガルでもユダヤ人は迫害されて、宗教裁判で何百人も焼き殺されてる。

 

 

 

テンプル騎士団は後にキリスト騎士団(私が泊まったホテルの名前はここから)と名前を変えて活動を続けていたけど、1834年、キリスト騎士団を含めた全ての騎士団がトマールから消滅したそうです。1834年と言うと、ポルトガル内戦が終結した年で(立憲君主主義者が絶対君主主義者に勝利)、反カトリックの勢力が強くなったそうだから、そのせいなのかな?

 

上の写真は広場に近い商業地区ですが、ここは住宅街。

 

修道院のある丘に上っていく中で見かけたクレーン。これ、稼働していないのよ。巨大な石を持ち上げたままで止めてあるよね? 危なくないの? 一日の仕事が終わったなら重たいものは下ろそうよ…。

 

丘の途中にある之、何だろ? 焼却炉か何か?

 

さあ着きましたよ、お城&修道院に。 この頃には再び雨が…。

 

2018/1/5

 

ピオダンに別れを告げる朝、タクシーは7時に頼んでありました。少し早いんだけど、コインブラから南下する電車に余裕を持って乗りたかったので。

 

朝食は7時からと聞いていたので、「では残念ですが、朝食は諦めます」と伝えてあったのですが、身づくろいを整えて部屋から出たら、オーナーが階下で待っていて、「もう朝食の用意ができているから食べていってね」と……! 感激です。

 

そして用意されている朝食ってのがこれですよーーー!!!

 

朝食と昼食とおやつをいっぺんに食べているみたいだ! いやあ、1時間くらいかけてゆっくり食べたかったなあ。こんなに朝食が豪華な宿は久しぶりだわ。この部屋で寛ぎたかったし…。

 

お支払いの際、初日が「No Show」になってしまっていたのでちゃんと2泊分払うと申し出たのですが、オーナーは「そんなのいいのよ。それより、また来てね。待っているわ」と言ってくれたのでした。初日、来ない私を0時まで起きて待っていたというオーナー。そんな迷惑をかけたド阿呆の私が更に早朝出発すると言えば、夜明け前から朝ごはんをすっかり整えてくれたオーナー。そんなオーナーのいるお宿は、Casa de Padariaです。Booking.comにも登録があるよ。

 

この日はピオダン村は朝から本降り。前日は晴れていて助かりましたよ。前日にこんなに降っていたらハイキングは諦めていたと思う。道は整備されているので危険なことはないと思いますが、本降りの中で山道を何時間も歩くのは相当な気力が要る。でも、雨が降るのは良いことだね。2017年の春から秋にかけてこの辺りで続いた山火事、日本でも報道されるくらいひどかったものね。乾燥が原因だったって。

 

待機してくれていたタクシーに乗り込んで西に向かいますが、晴れていたらこんな風にピオダン村に別れを告げることができたたはず。(グーグルのストリートビューです)

 

ところで、タクシーのドライバー氏はまだ若く、英語が堪能。地方のタクシードライバーにしては珍しいのではと思っておりましたら、彼はリスボン生まれのリスボン育ち。シャンス・デ・エーグア出身のご両親が住んでいた家があるので移住してきたんですと。ご両親は仕事を求めてリスボンに移住し、今もリスボンに住んでいるそうです。彼も最初はリスボンで働いていたそうですが、18年前にシャンス・デ・エーグアに移住。今は妻と2人の子供と暮らしているそうです。「変わった奴だとよく言われる」と笑っていましたわ。素晴らしい自然の中での暮らしには満足しているけれど、子供が学校に通うのに片道1時間かかるのが悩みだそうです。特に上の子はもうすぐ進学するし、と。

 

ここもすんごいヘアピンカーブ…。

 

彼は前年の山火事の事も話してくれました。ピオダン村も、挟まれる形で火が迫って来ていて、絶望的な状況だったんだって。しかしすんでのところで雨が降って鎮火したそうだ。皆、雨を降らせてくださいと聖ペテロに祈っていたそうだよ。確かに、タクシーで降りて行く際の山々は茶色と黒でした。ドライバー氏、「想像して。ここは全部緑だったんだよ」と悲しそうだった。火が迫った家々の人たちは、水が出なくなった後はワインをかけて消そうと必死だったなんて話も。「ここら辺の誰に聞いても、そんなクレイジーな逸話の2つ3つは出てくるよ」だって。生々しいな…。

 

このストリートビューは2009年だ。我が谷は緑なりき…。

 

ところで、私が周ってきたモンサント、イダーニャ・ア・ヴェリャ、ソルテーリャ、ピオダン、そして寄りたかったけど諦めたサブガルやベルモントを含めた12の村は、「ポルトガルの歴史村」として観光ルートになっています。

 

ポルトガル観光局のサイトにもページ

歴史村の公式サイト(英語) ← 画像がかなり重たい…

 

2とかの数字は、村が2つあるのを表しています。ズームアップすると出てくるんだけど、道路がずれて見えるのでこのサイズで…。一番下の「2」はモンサントとイダーニャ・ア・ヴェーリャ。真ん中の2つがソルテーリャとサブガルですわ。一番左にあるのがピオダン。

 

ドライバー氏と話をしていて、私が「公共交通機関が無理なら、ツーリストバスでも走らせることはできないかな。私は働いているからこうしてタクシーも使えるけど(痛い出費だけどな)、一人旅の学生には無理だもの。メキシコのユカタン半島には、遺跡を結ぶ周遊バスが走ってるよ。ここも、一日一往復でもいいから村と村を結ぶミニバスがあれば、若い外国人のバックパッカーだって訪れやすくなるよ」と言いましたら、なんと、ドライバー氏は歴史村を巡る現地ツアー会社を作ろうとしているんですって! もう最後の保険の手続きをしている段階だとか。ウェブサイトも構築中だって。この数日「あればいいのに」と思っていたものが、もうすぐできるのだな。2年後に来るべきだったかw ドライバーさんの会社が立ち上がったら、地球の歩き方とかにも売り込んでおくよと約束しました。


通っている時に分かったよ、ここが峠だって。土砂降りの雨と、白く煙る霧を通して、ものすごい光景が広がっているのがかすかに見えた。晴れていたら写真ストップをお願いしたと思うわ。

 

後は下っていくばかり。と言ってもまだまだ絶景は続く…。ああ、晴れていたらなあ…。そう言えば、その週末にはポルトガルに台風が来るとのことでした。ドライバーさんが台風の名前はカルメンだと言うので、「ねえ、なんで台風の名前っていつも女なのさ?」と言ったら笑ってましたわ。最近は男性名も付けるそうだけどね。元々は気象学者たち(昔は男性ばかり)が小説をまねて台風に妻や恋人の名前を付けたのが始まりらしい。

 

タクシーに乗る時に「コインブラで乗る電車は何時の?」と聞かれ「10時14分」と答えたら「OK、それなら安心だ」と言われておりました。到着は9時過ぎでしたわ。2時間くらいかかると聞いていて、少し余裕を持ちたかったのと、朝食をコインブラで取ることになると思っていたのとで、7時にお迎えに来てもらったのよね。「早起きさせちゃってごめんなさい」と言ったら、「全然!飛行機の都合で夜中の1時に出発なんてことも珍しくないから」だって。大変だねえ。 


大都会コインブラの大きな駅。反対側にも別のホームがあるよ。歴史村での数日間が夢のようだわ。

 

窓口に行ってトマールまでの切符を求めましたところ「9時21分発のでいい?」と。一本早いのに乗れれてしまったのね。朝食を取らないにしても、1時間ほどコインブラの町をぶらぶらすることも考えておりましたが、土砂降りなので「もういいや…」って気になってしまい、9時21分の列車に乗りました。

 

ここで面白かったのが、電光掲示板の表示。日本だと、時刻表の通りの時刻が表示されていて、遅延が発生したら「○分の遅れが出ています」とか、別の情報として表示されますよね。しかしここでは遅延に合わせて時刻が変更されていくのでした。シンプルっちゃシンプルだけど、最初から見ていなかったら「9時21分発のに乗るはずなのに、そんなのない!」って焦ってたかもしれない。念のため、近くにいた女性に自分の切符を見せて「ここで待っていたらいいんですよね?」的な確認をしたら、身振り手振りで「私が乗るのと同じ列車ですから安心して」と教えてくれました。


やってきましたよ、列車が。リスボン行きでトマールはその路線上にある町ではないので、エントロンカメント駅で乗り換えます。トマールには一泊しかせず半日しかありませんし、本数が少ない列車を乗り過ごしたら目も当てられないので、エントロンカメントを乗り過ごすまいとピリピリしてたら、隣の席のお兄さんが、「もうすぐだよ」と教えてくれました 

 

エントロカメント駅にて40分間の接続待ち。波状攻撃みたいに電車が並んでいる…。

 

これは私が乗った電車ではありませんが、正面に可愛い落書きがあるのが気になって。2017と言う数字だけは読み取れるんですけど、上の行はなんて書いてあるんでしょう…?

 

ここで午前中のおやつを食べることにしました。食堂でパイやケーキを食べることができます。チーズとほうれん草が入ったパイとエスプレッソをいただきました。トマールに着いてからちゃんとしたごはんを食べた方がいいと思いつつ、こういうトコでつまむのも楽しいんだよねえ。

 

さて、そろそろトマール行きの列車が入ってくる時間だ… とホームに出て待ちますが、寒い…。山の上のピオダンより、平地のエントロカメントの方が寒い。リスボンに着いて以来どこに行っても暖かったので、ダウンジャケットを荷物の中に入れてしまっていたけど、失敗したかな。出したいけどもう電車来るし、電車の中は暖かいし…。

 

とか思っているうちに電車が来ました。コインブラからの電車は全席指定でしたが、こっちはローカル線なので座席指定なし。トマールが終点だから落ち着いて乗っていられます。

 

こちらがトマール駅です。ここでも雨が降ってる…。

 

トマール駅の駅舎も近代建築で美しい。特にアズレージョで飾ってあるのが普通の駅とは違う!

 

待合室。

 

特に理由があって仕切りを付けてあるわけじゃなさそうだけど、デザインと色も変えてあって優雅。

 

2018/1/4

 

さて、このPés Escaldados村ね、後から他の写真を見ていて気付いたけど、かなり早い段階で私、この村の名前を目にしていたよね。ピオダンから峠を超えて谷に下りてきた時の標識の一つにあったんだわ。

 

で、このPés Escaldados村がどこにあるかわかれば自分の歩いたルートがわかるはずだと思い、グーグルマップで検索したんですけど、この村、グーグルマップには載っていません。半分廃村だから?

 

探し回ってやっとPés Escaldados村が載っている地図を発見したのが、この Wikiloc と言うサイト。

 

ハイキングやサイクリングで自分が通って確認した道をシェアするサイト。先に知っていたら私も参加できたのにな。私が上の写真の標識がある道路に出た場所は、このサイトの地図で「Pés Escaldados」と表示されている旗のちょっと左んとこ、オレンジの道と白い道が交わっている場所ですわ。「Foz d'Egua」とだけ書かれた標識があったけど、そこがフォス・デ・エーグアだったわけじゃなくて、左に行けばフォス・デ・エーグアに行けたわけだ。矢印か何かないとわかりにくいよ…。

 

で、改めてグーグルマップでも見てみると、フォス・デ・エーグアとシャンス・デ・エーグアってめっちゃ離れてたんだよね…。これがわかってたら随分行動が違ったはずだw って笑い事じゃないな。行こうと思ってる場所の地理くらい調べるべきでした。危険ですよね。

 

この下の道はフォス・デ・エーグア方面、上の道はシャンス・デ・エーグア方面で、どんどん離れていく道だったのね。谷の下と上ってわけじゃなくて。上のグーグルマップの、ピオダンとフォス・デ・エーグアを結ぶ青い線が、この下の道です。上の道は載ってないけど、ところどころ360度写真が見れます。青い丸のところね。てゆかWikilocで見た方が早いね。ここら辺を歩いた人たちのトレイルがリストで出てくる。


 

で、実は私はシャンス・デ・エーグアにはちゃんと行っていたのでした。カフェのあった村がシャンス・デ・エーグアだったのだ! そんな気がしてたよ。写真を整理していて、水飲み場のアスレージョに村の名前が書いてあったので確信を持てた。舗装道路から来ていたら村の標識もあったのかも。

 

つまり私は舗装道路でペス・イスカルダドス村を通り過ぎ、そのまま進めば簡単だったのにわざわざフットパスに入り込んで裏側からシャンス・デ・エーグアに辿り着いたわけだ(フットパスの方が近かったし楽しかったと思う)。そしてそこから、方角的には引き返しながら、谷の反対側の段々畑に進み、そこから谷を渡って、林の中を突っ切ってペス・イスカルダドスに戻ってきた、と。まったく自覚してなかったけど。

 

後から考えるに、私はこの写真の向かって左側からこのペス・イスカルダドス村に来たんですよ。けど、戻ろうとした時、最初にこの階段を下ってきたものと思い込んでしまっていた。たぶん、左から着いたのにこの角度から写真を撮ったので視覚的に変なイメージが付いちゃったんでしょう。

 

今思えば、シャンス・デ・エーグアが何であるかさえ知らなかったってのもめちゃくちゃだわ。標識に従えばどこかに着くんだからいいやと思っていたけど、山を歩くのにホント危険だよ。能天気すぎた。山の中ではネットに接続できないのも予想できた事なのに。

 

標識と言えば、ピオダン村にあった標識もどうかと思うの。下の方では大きく「シャンス・デ・エーグアまで4キロ」って書いてるけど、

 

上の方ではシャンス・デ・エーグアまで7キロとなってる。上のが観光局の正式な標識だよね。マークも入ってるし。私自身が実際に歩いた感覚でも、7キロが正しいと思う。

 

と言うようなことはすべて後からわかったことでして、この時では自分が何を見て何を見れなかったか全然わからんまま帰ってきました。左は、舗装道路沿いの廃屋。地域全体が過疎になると、舗装道路沿いでも住まなくなっちゃうんだね。右の写真、たぶんこれペス・イスカルダドス村だと思うんだ…。

 

私が引き返した谷底から一軒だけ見えていた家ね。人が住んでいるらしかったので、「他の村人が皆いなくなっても最後まで住み続ける人がいるんだな…」とどこか切ないような気持になりましたが、帰国後に知りました。その家は実は宿だったらしい。ここら辺には「自然の中のぽつんと残る一軒家」を売りにする宿がいくつかあるようだ。もちろん、1、2軒だけに住民が残っている限界集落もホントにあるけど。

 

峠の道に戻ってきたよ。谷を渡る電線。これが、廃村寸前の故郷に住み続ける人たちの生活を支えているんだね。(飛行機が引っかからないようバルーンが付いている)

 

峠から、自分が訪れてきた谷を振り返る…。この時、「よくあんなところまで行って来たなあ」と感慨を覚えると言うより、「あんなとこまで行くなんて、何考えてたんだろう」と思ってました。(疲れていたらしい)

 

懐かしい場所に戻ってきた頃には霧雨が…。帰る頃で良かったわ。晴天じゃなかったのでこの日の景色は全体的に白くかすんでるけど、その分、喉が渇かなくて良かったと思う。水1.5リットルとミカン6個を持っていて、村には共同の水道もあったから、水分に不自由はしなかったけど、それでもね。

 

10時半にピオダン村を発ち、ペス・イスカルダドス村まで約3時間。17時過ぎくらいまで明るいから、17時前くらいに帰ってきたいと思ってたけど、帰りが近道になったせいで15時半くらいに戻ってきたわ。

 

時間がなくて遠くにハイキングに行けない人は、ピオダン村の下の谷に下りるだけでも楽しいと思うよ。段々畑の跡や、林、小屋、小川にかかる石橋などがあります。

 

これは私が本来予約していた宿の前にあるネイティビティ・セット。苔の上に作るなんて素敵ね。

 

敬虔なキリスト教徒のお宅らしく、廊下にもありました。

 

前日と同じカフェで夕食。とにかく暖かいものが食べたい。お腹が余り空いていなくて、プレーンオムレツにも惹かれたけど、せっかくだから山のメニューをと思って解説してもらい、「チキン・ミート」と言われたので注文したところ、砂肝の煮込みでした。モンサントでも食べたな、砂肝シチュー…。

 

味付けは違うし、砂ズリは大好物なので良いんですけど、違うものが食べたかったと思わなくもないw でも、この地域では砂ズリがこんなにポピュラーなんだと知ることもできたので、それはそれで面白い。でもやっぱりまだ本調子ではなかったみたい。食べきれなくて少し残してしまった。元気ならこれくらいペロッと行けるのに。

 

食後は夜のお散歩に出かけましたが、また雨が降り始めたので切り上げ。既に少し体調が悪いんだから、これ以上体を冷やしたりしたくないし。今日はたくさん歩いて疲れているはずだしね。

 

夜にはネイティビティ・セットに灯りも灯る。

 

お部屋はこんな感じ。前日の宿の方が部屋もバスルームも広くて窓も大きかったけど、こっちの方が上等な感じかな。バスルームが共用ではないしね。前日の宿は2部屋で共用。私しかいなかったけどね。

 

 

2018/1/4

 

落ち葉だらけの道を突っ切るとこんな場所に出ました。立派な村じゃないか… と思うけど、廃村寸前なのかな。さっき私が道を聞いた集落と同じで、何軒か人が住んでいるきれいな家があるけど、ほとんどが廃屋らしい。

 

標識に従い(左側の廃屋の壁にあるよ!)、廃屋の並ぶ坂を下りていきます。昔はここにずらっとご近所さんが住んでいたんだね。人が行き交っていたんだよねえ…。下を流れる川から水を汲み、段々畑で採れた野菜を担いで、ここを上って来てたんだな。ロバとか使ってたんだろうねえ…。

 

この坂がまたすごくてさ…。もう「道」と言う概念が変わりそうだったよ。

 

ノルウェイのリーセフィヨルドを見に行った時、トレッキング中に岩の間を通る場所で、一緒にいた人が「ここ、『道』か…?」と呟いていたけど、あっちはまだわかるよ。トレッキングルートだもの。ここは人が住む村の中の道なのよ…。最後の方はまた林の中の土の道になって、落ち葉や木の根っことかで猛烈に滑りやすくて、またしても後ろ向きで降りる羽目になりました。

 

降り切ったらこんな場所に出ました。メガネ橋は…見当たらないかしら…。(まだ諦められない)

 

そろそろ帰る時間なのでもう標識は気にしない。どっちの橋を渡ろうかと迷い、左の方にしました。そこをずっと行くと、例の段々畑を上がる階段があり、何軒かの家がありましたが、すべてが廃屋でした。

 

はい、これが私の最終到達地点です。ここで引き返すことにしました。いくらピオダン村に近い辺りの道が歩きやすくてマグライトもあるからって、日暮れ後に山の中を歩くなんてのは怖すぎるからね。

 

さっき私は左の橋を渡りましたが、右の方に行った川の反対側、段々畑の上の方には、一軒だけ人が住んでいそうなきれいな家がありましたよ。そういうほんの少しの民家のために、ちゃんと電気も水道も通してあるんだなあと感心してしまった。インフラの維持も大変だろうに…。

 

さっき渡った橋。と、そこから見た川の光景。

 

そして、さっきヒイヒイ言いながら降りてきた道を、別の意味でヒイヒイ言いながら上りました。右の写真は、もう水の出なくなった水飲み場。ここで昨夜の残りのパンとチーズを食べました。やっとお昼だよ。本当は、帰りにさっき通ってきた村まで戻ったらカフェに寄って何か食べてもいいなと思ってたんだけど、時間がないんじゃないかと思うしね。

 

 

左の写真は三階建ての大きな廃屋。少し中に入ってみたけど、足場が悪すぎるので探検は諦めました。とか何とか遊びながら、さっきの場所まで戻りましたよ。

 

で、ここで困惑。階段を上がろとしたら、見えるかな? 黄色と赤のバッテンが…。こっちはルートじゃありませんよって。どゆこと?さっきここから来たのに?階段を上がらず右の方に行ってみたけど、道なんかないよ…? ワケわかんない、もういい、絶対ここを通ったもの!と階段を上がってみる。

 

いきなり舗装道路に戻ってきたんですけど! へっ?と驚いて振り返ると、ここ!通ったわ、何時間か前に! 午前中によ! この水道で水を補給させてもらったからよく憶えてる! そう、この黄色と赤の標識を見て安心して進んでいったんだよ!

 

ここ、音楽を聴きながら歩いていた、あの道路じゃん!

 

改めて標識を見ると、何ですかこれ、わかりにくいな。まっすぐ行くも良し、曲がるも良し、みたいなの? 一瞬、曲がる方は道路の反対側から来た時に見える標識かとも思うけど、ここ、左に曲がる道なんてなかったし…。

 

いったいどこをどう歩いてここに戻ってきたんだ!? この舗装道路の先と、この村の位置関係が、全然わからん! って、もともと自分がどう歩いているか地図の上で確認さえできてないんだけど!

 

ま、とりあえず、知っている場所に戻ってこれたことに変わりはないのだ…。水飲み場の横には「Pés Escaldados」 と村の名を標識で示しているし、黄色と赤の標識も付いているから、この村も観光ルートの一つなんだろうね。

 

2018/1/4

 

集落が見えてからも山道が少し続きましたが、あとは人界に下りるための道でしかない。

 

そして出てきたのがこの車道。標識があるね… けど、何これ。シャンス・デ・エーグアまで2キロで1時間……??? どんな道なのよ、2キロで1時間って。何か消した痕跡も見えるけど…。本当は2.9キロで1時間とか、そんなんだったのかな?

 

ピオダン村の標識には、シャンス・デ・エーグアまで4キロで1時間と書いてあった。で、ピオダン村を出てからここまで1時間ちょっと経っていた。なのにここからまた2キロ以上歩くの??? でね、この標識の一番下、根元に、「フォス・デ・エーグア」って書いてある。てことは、ここがピオダンから歩いて2.8キロで45分かかると言うフォス・デ・エーグアなのか。

 

こういう↓メガネ橋があるはずなんだけど……?

Vales Errantes ←ピオダンとその周辺の素晴らしい写真付き旅日記があります)

 

唯一、フツーのコンクリートの橋があり、小さな滝みたいな小川にかかっておりました。その橋の縁に腰を下ろしてミカン(モンサントで買ったやつ。ドライバーさんにもらったのは食べ尽くした)を頬張って休憩しつつ、自分は今一体どこにおるのだろうかと思案。モバイルWi-Fiを使ってグーグルマップに頼ろうと思ったけど、電波が通じません。いくら山の上とは言え、村も近いのに…

 

まあいいや、シャンス・デ・エーグアはこっちと標識に書いてあるんだし、そっちに行けばシャンス・デ・エーグアには着けるだろう。てことで舗装道路をしばらく歩く…。かなり歩く…。上り坂だし、山道と違って周りが今イチだし、谷も見えないし、飽きてきた。つまらん…。

 

なんか退屈してきたのでiPhoneで音楽を聴き始めた。ハイキングで音楽を聴くなんて私にしては非常に珍しいのですが。とかやってたら、また出たよトレッキングルートの黄色と赤の印が!

 

嬉々としてフットパスに入りまた土の上を歩いていく… こんなとこ。いいねえ。

 

とかやってたんですけどね、段々畑の合間の緑の道を歩くばかりで先に何があるのかわからんくなってきたし、フットパスが二股に分かれていた場所の標識の位置が微妙で、「ホントにこっちでいいの?」って不安が出てきて、進みつつも「誰か~ 人間いませんか~」てな気持ちに…。ポツンポツンと民家もあるし、畑もあるんだけど、人の姿がない…。村が見えてきて、近づいていくと、頭上はるか遠くの畑から人の声らしき音が! 必死に「オラ!」と呼び掛けてみたりしたけど、こっちの声は届かないみたいで…

 

とかやってるうちに村に出ました。村にも人の姿がなかったんですけど。ここはどこ…。

 

でもほら左側の写真の左下、黄色と赤の標識が! ちゃんと続いてるんだ。これに従って行けばシャンス・デ・エーグアに着けるはず。「カフェはこちら」というサインも見かけて激しく心惹かれましたが、シャンス・デ・エーグアに着くのが何時になるやら、もう自信がなかったので、先を急ぐことにしました。

 

黄色と赤の標識が頼りだよ…。ここをまっすぐ行って、左に折れて…

 

石垣とかにも標識が描いてあるから見逃さないようにしながら進む。って、大体は一本道の状態なんだけどね。こっちで間違ってないよ、て感じで導いてくれます。

 

道はあっちの集落に繋がっているのかしら… と思いながら進んでいく。たぶんそう…。

 

さっきの村の外れには廃屋がいくつもあった。村の建物はピオダンより現代的だったけど、定住人口はピオダンより少ないのかも。って、村の中心に行っていないので勝手なことを言うべきではない。端っこしか通っていないから、集落としての大きさもわからなかったもの。

 

結構な急勾配で降りていく。またこの地面の石灰岩がね、昨晩からの雨でぬれていて滑るんだわ。右の写真の角を曲がったあたりで滑って尻餅をつきました。足が滑った瞬間、とっさに自ら膝を曲げて衝撃を和らげたのは素晴らしかったと思うわ! てゆか足首を捻挫したりしなくて本当に助かった。こんなところで怪我をしても誰も助けに来てくれないよ。

 

スロヴェニアで一人でトレッキングに行こうとして観光案内所のお姉さんに止められたことがある。初心者向けのルートだけど、一人では何かあった時にどうしようもないからって。

 

段々畑、今はもう何も作られていないんだろうね。冬だからじゃなくて、誰も使っていないと思う…。

 

さっき見えていた集落の上に出ましたら、今度はその集落を突っ切って降りていくようにと標識が言うんですよ。いや、ここ、マジでとんでもない勾配なんですけど! あまりに怖くて(滑るし)、最後の方は後ろ向きで降りていきました。

 

ここには人が住んでいる家もありました。衛星放送のアンテナがある家はまず間違いなく現役。留守かそうでないかは、物音がするか否かの他に、煙突から煙が出ているかどうかでも判断できる。てことで、煙を出している家の前ですがる思いで呼ばわってみたところ、中からおじさんが出てきてくれました。

 

私 「シャンス・デ・エーグア?(はこっちでいいのですか?と下の方を指さす…)」

おじさん 「?????」

 

私の発音が悪すぎるのか何も通じない(涙) おじさんは、トレッキングルートはこっちでいいよ的な身振りでニコニコ笑ってくれましたので、もうとにかく進むことにしました。

 

降り切ったら、そこには川と橋がありまして、とにかく渡るよ…。

 

渡った先には今までとは趣きの異なるフットパスが現れたよ…。

 

この道を通っていた時にはあんまり写真を撮っていないのですが、正直、心の余裕がなくなっておりました。ここから先は鬱蒼と茂る林でして、落ち葉だらけで足元がまた滑る滑る。最近人が通った形跡がなく、道に落ちている大きな枝を手で取り除けたり跨いだり、枝の向こうに足を下ろして落ち葉に足首まで埋まったり。こんな過酷なハイキングは予定していなかったぞと半泣き。

 

ここを通っている時に、とうとう、ギブアップして帰ると言う選択肢を用意しました。たぶん私はシャンス・デ・エーグアに向かっていない。どこかで間違えている。いくらなんでも時間がかかりすぎているし、ピオダンからのお気軽ハイキングの目的地に行くのがこんな道だとも思えない。日没の時間なども考えつつ、「ピオダンから来るのにかかった時間プラス30分」を帰りに必要な時間と決めました。その時刻になってしまうまでは、行けるところまで行こう。

 

そして… 林を抜けると再び人工建造物が…! そしてそこには黄色と赤の標識が…!

 

ホッとしたよ。そりゃ、川を渡る橋の前に標識が合って、橋を渡った後に進める道はこれだけなんだから、道が合っているのは当たり前だけどさ。このままどこにも出なかったらどうしようと思っていたからさ…。