アーシングエブリナイト -14ページ目

アーシングエブリナイト

10年間、夜は導電性シートを使ってアーシングをしながら寝ています。目覚めた時、ゼロボルトの脳とカラダは純正の私そのもの。紡ぐ言葉も私そのものでありたい。

洗面所のポールに下げたドライヤーホルダーは大成功だ。

扇風機と違って、ドライヤーの熱風は、濡れた髪をあっという間に乾かしてくれる。

(今更だけど)

熱風が丁度いい角度で頭に届く距離というのが、ドライヤー本体から十分な距離があって、

体感的に電磁波の被ばく量も抑えられている。測定器で確認するも問題なし。

おそらくポールの高さがいいのだと思う。

とにかく。

手に持たなくていいのが、気持ち的にもストレスフリーです。

気になったのは、ホルダーが、ドライヤーの熱で熱くならないか、ということ。

(たぶん、ドライヤーをホルダーに差し込んだまま使う想定はされていないから)

熱を持てば、ホルダーから化学物質が発生するかもしれない。

が、稼働中にホルダー部分が熱を持つことはなかった。

ドライヤーによっては構造上、熱がこもることもあるかもしれないので、

この電磁波カットを試す方は、要チェックです。

 

それと。

重大な事実が発覚。

秘密兵器の安全性をチェック中、磁場カットのドライヤーではあるが、

念のため、磁場の測定値を確認。

吹き出し口、つまり頭が浴びる磁場は問題なかったが、

反対側のモーター部分、持ち手部分から、安全基準値を大きく超える磁場が出ていた。

脳が浴びる磁場がカットされているのはとても良いことだと思う。

でも。

これでは、何とも中途半端な電磁波カット、と思う。

以前、海外ニュースに基づく、美容師の乳がん発症率が高い、ということを書いた。

ドライヤ―を胸の辺りにおいて長時間使うから、ということも書いた。

日常的な磁場曝露の健康リスクに、内蔵疾患と癌の発症、とあるからだ。

磁場カットと銘打つドライヤーが、吹き出し口からだけの磁場カットなら、

美容師が磁場カットドライヤーを使ったとして、客が磁場曝露を回避できても、

美容師本人の救済にはならない、ということだ。

私の磁場カットドライヤーは、10年ほど前に購入した。

世の中の電磁波問題に対する関心度から、ドライヤーの磁場カットが進化しているとは思えない。

電磁波の健康リスクを真面目に考慮した、

信頼のおける電化製品が製造販売されますよう、願います。

 

 

 

 

 

 

アーシングに出会わなかったら?と時々考える。

坐骨神経痛の疼痛から解放されているだろうか。

痛みが始まって2年くらい経った頃。

かつて同じ痛みを抱えていた人が言った。

これはね。10年はかかるよ。でもね。治るわけではないんだよ。体が痛みに慣れるんだよ、と。

その方は、出会った時は、社交ダンスサークルで、活躍されていた。

体が痛みに慣れる、とは、脳が痛みに耐え続けた人に温情をかけ、

そろそろいい頃合いと、痛みを感じない日常を返してくれる、ということか。

当時、私は10年という数字を暗澹たる思いで聞いたのを覚えている。

それが。

間もなく半信半疑で試した就寝しながらのアーシングが効いて、

始めて3か月で慢性疼痛から解放されるなんて想像だにしなかった。

そして今の今まで8年間続けているのは、

アーシングを続ける日々が、「気付き」の連続だったからだ。

自分を不機嫌にしていたのは、疼痛ばかりではない。

電磁波などの負の環境因子であり、偏った食であり、

不機嫌から逃れるために安直に服用していた鎮痛剤であったという「気付き」だ。

これらから距離を置くと、新しい自分、健康な自分を感じた。

距離を置くとは、この場合、我慢を強いられるわけではなく、

自分にとって自然と不要に感じる、ということだ。

実は。

不機嫌な自分、というのは嫌悪しながらも愛着があるので(長く付き合っている自分なので)、

そこから逃れるのは容易ではない。

が。

アーシングはビフォーアフターの違いが明確なので、

アフターの快適な自分を迷わず選べる。

何より、アーシング効果は、誰の教えでもなく、自ら気付くという強い説得力を持つ。

これは大きい力、と思う。

人は、他人の教えはすぐ忘れても、自ら上書きした価値観については、自信がある。

継続に繋がる。

アーシング崇拝者なので、言葉がやたら大げさかもしれないです。

でもね。信じるってひるまないこと、とも思う。

ひるまず、書き連らねました。今日も。

 

私が子供を描くのが好きなので、時々知人が画像を送ってくれる。

でも、とんと音沙汰の無い時や、送られてくる画像に食指が動かない時、

アルバムを引っ張り出して、子供の頃の自分を描く。

ちょっと(かなり)可愛目に描く。

描きながら、絵の中の自分が見ているものを見よう見ようと、

心を凝らしている自分がいる。

それは、寂しいことのようで、懐かしさで心が温まるようでもある。

 

 

 

 

 

昨日、ダイソーで、ドライヤーホルダーなるものを見つけた。

ひらめいて、ワクワクしながら110円支払って購入した。

我が家の洗面所の上部には、ステンレスポールが付いている。

クローゼットで使った余りを、建築士さんが、どうしようかと考え、

洗面所なら利用するかもしれないと付けてくれた。

バスタオルを掛けたり、急なお客さんの時、室内干しした洗濯物を、ここに移動したりして、

結構重宝している。

狭い家なので、身長より高い空間は、ありがたい収納スペースだ。

梁も役に立つ。

玄関に近い所の梁には、両端にわっかの紐を下げ、木の棒を渡してハンガーバーを作り、

コート類を掛けたりしている。

小さい子供の来客がある時は、丁度いい梁にハンモックを下げて、大人の話の間、遊んでもらう。

 

と。

おうち自慢はこの辺にして。本題。

洗面所のポールにドライヤーを差し込んだホルダーを下げた。

スイッチを入れて、頭を30~40cm離せば、電場は安全基準値。

(我が家のドライヤーは磁場カットなので磁場の心配はなし)

この秘密兵器の何が凄いかというと、ドライヤーを手に持たなくていい、ということ。

稼働中のドライヤー口からどんなに頭を離しても、手に持っている限りは電磁波を浴びている。

しかも500V/m近い値。(安全基準値は25V/m)

で、私は夏場は扇風機を使って乾かしている。

本体から頭を離せるし、手に持たなくていいから。

でも、この秘密兵器なら、電磁波の被ばく量を抑えながら、ドライヤーが使える。、

扇風機をしまい込む冬場には、大いに活躍する。と思う。

注意事項は、電気コードも本体と同じくらい電場が出ているので、

コードが体から十分離れるコンセントにプラグを差し込むこと。

電磁波過敏症の方で、磁場カットドライヤーでは問題が解決しない場合、

ホルダーを頭上に固定できる工夫をして、お試し下さい。

 

ある新聞記事で、連休に旅行に出かける人が、オリンピック関係者たちの往来が許せるなら、

個人の移動も問題ないはず、と言っていた。

オリンピック開会式クリエーター辞任問題で、

ある官僚が、私が選んだわけではない、と言っていた。

TVで、路上飲みの若者が、お偉いさんがルールを守らず飲み食いしてるんだから、これもOKでしょ、

と言っていた。

人は口にする言葉の半分は自慢か言い訳とどこかで読んだ。

オリンピック開催の是非はわからないが、

競技の勝敗に言い訳をしないアスリートたちを見て、

我々日本人は、色んなことを感じて考えるべきと思う。

その機会を与えられたことに、私は感謝したいと思う。

 

 

 

 

 

 

環境問題に取り組む知人が言った。

「アーシングは、電気を抜くから電磁波対策とだけ捉えている人がいる。

アーシングを広めるには、”健康法”という捉え方がいいのでは」と。

知人は長年体調不良を抱えていて、現代社会の負の環境因子諸々に疑いの目を向けている。

以前、知人が不眠だと聞き、アーシングを勧めると、これが効いた。

不眠は体内の炎症によるもので、

電磁波、化学物質(医薬品、農薬、化粧品、食品添加物、芳香剤etc.)、

紫外線、ストレスなどの原因物質が、

体内で複雑に反応し合って炎症を起こしている、というのが、近年の私の考えだ。

冒頭の知人の言葉は正しいと思う。

電磁波のみ、あるいは他の因子ばかりを体調不良の原因とする考えは、

現代社会では木を見て森を見ていないに等しく、

自分の暮らし、自分の体と正しく向き合っていない、と思う。

ちなみに、知人のグループには様々な過敏症の人がいて、

皆、アーシング効果を実感している。

アーシング効果の実感とは、生活レベル向上の実感に他ならない。

 

今、私は屋内配線に電磁波カットの特殊ケーブルを使うなど、

電磁波カットに徹底した家に住んでいると自負しているが、

ならば、就寝しながらのアーシングで得られる深い眠りと翌朝の爽快感はなぜか?というと、

細胞を傷付けているのは電磁波だけではない、という裏付けと言える。

越してすぐの出来事。

庭仕事の後、どんよりと締め付ける頭痛があって、

これは電場の曝露時と同じ症状と気付いた。

即行、居間でアーシングを30分すると、頭が澄んできた。

頭痛の原因は庭にあると思い、

知らぬ間に携帯基地局でもできたかと、怯えながら周囲を見渡すと、

裏の空き地の2mほどに伸びた雑草が全部立ち枯れしていた。除草剤だ。

この時、私は初めて、

アーシングは、細胞を傷付けるあらゆる環境因子に立ち向かえるかもしれない、と感じた。

もちろん。

今はそうだと確信している。

 

あるお寺さんの境内に、教えを書いた立て看板があった。

『願いをかける人の顔は暗い 願いに生きる人のそれは明るい』。

願いをかける精神は一概に暗いとは言い切れないが、

後の言葉と対比するなら、頷ける。

掲げた願いを拝むように願うばかりの人は、願いが叶わなかった時の不安が付きまとう。

それをかき消すようにひたすら願う。

願いを心に収め、その心を持って地面を踏んで歩く人(実践する人)の足取りは確かで力強い。

願いを日々の生きる力にしているからだ。

以上私的解釈。(きちんと仏教的解釈があるかと思う)

それにしても。

願いをかける人の顔は暗い―というのは、

初めて聞く言葉で、寺の境内に掲げている、というのが意表を突いているし、だから奥が深い。

 

 

 

 

私は以前、アーシング愛好者です、とどこかで言って、

ちょっと違うな、とずっと思っていた。

で。

崇拝、という言葉を調べてみると、あまりに的を得ていて胸が震えた。

崇拝とは、

自己の有限性、依存性、卑小性、無力性を自覚し、

又、自己の罪業の深さとその自力救済不能を自覚し、

自己の救済一切を任せ願求する心を持って、宗教的対象を敬い崇めること、とある。

アーシングは宗教ではないので、最後の宗教的対象という部分は、

アーシング、あるいは大地に置き換えていいと思う。

自力救済不能を自覚し、という部分が私的にはとても重要。

自分の無力を認めて大地に身を任せるー

端的に言えばこれが私の思うところのアーシングだ。

アーシングは、1年半に及ぶ坐骨神経痛の慢性疼痛とそれによる不眠生活から、

私を普通の暮らしに戻してくれた。

でも、それは、あらゆる意味で「目覚め」に過ぎなかった。

すべての痛みは炎症がもたらす。

炎症の原因を知ること、知ろうとすることが現代社会では大切と思う。

そうでなければ、炎症による痛みは繰り返す。

炎症の原因を知れば自分の身を守れる、はずだが、

哀しいかな、現代社会で、負の環境因子は複合的に混ざり合って細胞を傷付けている。

自力救済の限界を知り、無力を認め、後は大地に身を委ねる。

だから私は、慢性疼痛から解放されても、アーシングを続けている。

 

話が理屈っぽくなりました。(毎度のこと)

 

話を変えて。

近頃、初めて数独を解いた。

新聞などで見ても、やっかいそうで、時間も取られそうで、ずっと敬遠していた。

が、数日前、年配の知人が、我が家の新聞の数独を見つけ、

滞在時間内にすらすら解いて帰って行った。

唖然茫然。

で。

私もきっと解けると、古い新聞を引っ張り出して数独を見つけ、やってみた。

ソファーで軽い気持ちでやってみた。

すぐに頭の中がぐじゃぐじゃになって、これは真面目にやらねば、と心を仕切り直した。

で。

方眼用紙のノートに数独を書き写して、アーシングをしながら、真面目に取り組んだ。

私は、何事も真面目に取り組む時は、アーシングをする習慣がある。

我が家はすべてのコンセントにアース端子があるので、

居間に置いたワニ口クリップ付きのアース線と導電性シートで、いつでもアーシングが出来る。

数独は、仮置きしながら、真面目に取り組んで、無事解けた。

すべての升目に正しい数字を収めた達成感と爽快感のお陰で、

頭を使ったのに、頭がすっきりしている。

数独にハマる人の気持ちがわかる、かもです。

何事も真面目に取り組む時は、アーシングをする、と書いたが、

集中して素の自分を表現したい時、って言い方もできる。

絵を描く時、文章を書く時(今も)もアーシングをする。

何かを生み出そうとする時、人の評価は気にならない、というより、人の評価を忘れている。

自分に没頭する。とはそういうことかと思う。