アーシングに出会わなかったら?と時々考える。
坐骨神経痛の疼痛から解放されているだろうか。
痛みが始まって2年くらい経った頃。
かつて同じ痛みを抱えていた人が言った。
これはね。10年はかかるよ。でもね。治るわけではないんだよ。体が痛みに慣れるんだよ、と。
その方は、出会った時は、社交ダンスサークルで、活躍されていた。
体が痛みに慣れる、とは、脳が痛みに耐え続けた人に温情をかけ、
そろそろいい頃合いと、痛みを感じない日常を返してくれる、ということか。
当時、私は10年という数字を暗澹たる思いで聞いたのを覚えている。
それが。
間もなく半信半疑で試した就寝しながらのアーシングが効いて、
始めて3か月で慢性疼痛から解放されるなんて想像だにしなかった。
そして今の今まで8年間続けているのは、
アーシングを続ける日々が、「気付き」の連続だったからだ。
自分を不機嫌にしていたのは、疼痛ばかりではない。
電磁波などの負の環境因子であり、偏った食であり、
不機嫌から逃れるために安直に服用していた鎮痛剤であったという「気付き」だ。
これらから距離を置くと、新しい自分、健康な自分を感じた。
距離を置くとは、この場合、我慢を強いられるわけではなく、
自分にとって自然と不要に感じる、ということだ。
実は。
不機嫌な自分、というのは嫌悪しながらも愛着があるので(長く付き合っている自分なので)、
そこから逃れるのは容易ではない。
が。
アーシングはビフォーアフターの違いが明確なので、
アフターの快適な自分を迷わず選べる。
何より、アーシング効果は、誰の教えでもなく、自ら気付くという強い説得力を持つ。
これは大きい力、と思う。
人は、他人の教えはすぐ忘れても、自ら上書きした価値観については、自信がある。
継続に繋がる。
アーシング崇拝者なので、言葉がやたら大げさかもしれないです。
でもね。信じるってひるまないこと、とも思う。
ひるまず、書き連らねました。今日も。
私が子供を描くのが好きなので、時々知人が画像を送ってくれる。
でも、とんと音沙汰の無い時や、送られてくる画像に食指が動かない時、
アルバムを引っ張り出して、子供の頃の自分を描く。
ちょっと(かなり)可愛目に描く。
描きながら、絵の中の自分が見ているものを見よう見ようと、
心を凝らしている自分がいる。
それは、寂しいことのようで、懐かしさで心が温まるようでもある。
