魂の世界に生きる -3ページ目

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは魂の世界だった。

今かなりの負荷を鳩尾で感じています、

 

これだけの負荷を感じているのに思考や感情が大人しいのは不思議ですが、それでも食欲がほとんど湧かないくらいのレベルです。

 

余程の何かが在るのでしょう。

 

「逃げようとするだけの事はある」と思います。

 

歴代の中でもトップクラスにキツいです。

 

 

 

今はどんな言葉も通じません。

 

「お金に直結する何かだ」と思うだけで、それ以外の事は何も分かりません。

 

「近々行動が起こる」と予想していますが、「この状態で動いて大丈夫なのだろうか?」と思ってしまいます。

 

いや、誠にしんどいです。

 

「上手く行ったらシェアをする」と言ったものの、とてもオススメ出来る代物ではないかも知れません。

 

結果が余程素晴らしいものでない限り、「悪い事は言わないので、実践するのはやめておいた方が良いです」とか言い出すかも知れません。

 

 

感じられるものはかなり強く…と言うか重く、「これならお金に逃げたくもなるわな」と思わざるを得ないものです。

 

冷静に「これなら死んだ方が楽だよな」と考えた程です。

 

もちろん本気で死ぬ事を願ったわけではありません。

 

“逃げようとする私”が居ないので、「死やお金に逃げよう」という発想自体が起こりません。

 

感情的なものが観えない事を除けば、恋愛で悩んでいた時に感じたものに近い気がします。

 

おかげで久々に寝不足を感じています。

 

 

 

そういうわけでかなりの何かを感じて、今もそれは残っているのですが、「このまま流し切る事は可能だろう」と思っています。

 

私は「抵抗をせず、逃げもせず、ただ感じるままに観る」という事をしました。

 

「それが功を奏するだろう」と思っているのです。

 

後は「流し切った後に何が残るのか?」という事ですが、今それを気にするのはちょっと早いですね。

 

まだ感じるものは残っているのです。

 

 

 

近日中に何かしらの行動が起こりそうな気がします。

 

それがお金に繋がるものであるならば、それこそが私の求めるお金だと思います。

 

私の言うお金とは、「お金それ自体よりもお金を得る手段や過程だ」と思う事が度々有るのですが、「その時起こる行動がそうかも知れない」という事ですね。

 

厳密に言うと、「その行動の源泉」ですね。

 

「何を思ってお金を得るのが一番自分に適しているか」ですね。

 

例えば「働いてお金を得る」とか、「投資でお金を得る」とか、「ギャンブルでお金を得る」とか、そういう感じのもので一番自分にしっくり来るものですね。

 

 

「払えない」と言っているように思うのですが、本当に言いたい事と思えません。

 

「それを言いたくないが為に、お金に逃げようとしていたのだ」と考えると、一応は辻褄が合うのですが、何かスッキリしないのですよね。

 

まだ奥に何かが在る気がします。

 

今度は鳩尾に感じるものが移っています。

 

私は目に見える形としては契約更新案内書を受け取りましたが、本当に受け取ったのは今感じているものです。

 

それが私の求めるお金だった場合、私はお金を受け取った事になるでしょう。

 

 

午前中に今住んでいる賃貸の更新案内が届いたのですが、それを見た時に私の中で強い反応が起こりました。

 

焦りとも不安とも恐れとも煩わしさとも違うものです。

 

「払うお金が無い」と言いたい状況ですが、どういう訳かそうでもないのですね。

 

お腹が膨張しているような感覚と共に、「それとは全然違う事を言っている」という感じなのです。

 

私がやるべき事は決まっています。

 

この感覚を観続ける事ですね。

 

それで万事大丈夫な筈です。

 

 

 

この「それで万事大丈夫な筈」と言うのは、誤魔化しではありません。

 

「ヤベェ…どうしよう」と戦々恐々としているのに、それを無理に抑え込んで言っているわけではありません。

 

先に言った通り私は不安も恐れも感じていませんが、もし感じているなら「大丈夫」という言葉を出さずに、そのままその不安なり恐れなりを素直に感じます。

 

「~な筈」と言うのも、私にはこういうケースではちゃんと観る経験をした事が無いからであって、本当は「もうそれ以外に無いだろ」と思っているんですね。

 

「もっと慌ててくれた方が分かり易かったのに」とさえ思いますが、そうならないのは「“お金に逃げている私”が居なくなったからだ」と思います。

 

 

 

私は「何とかなる」と思っています。

 

もし、お金に逃げようとして外にお金を求めたら、「そっちの方が危ない」と思います。

 

外にお金を求める事も、お金を得る事も否定しませんが、それらが「感じているもの(自分自身)から逃げた結果であってはならない」というのが私の考えです。

 

…で、やっぱりなんですけど「お金が無い」とは言えないですね。

 

「お金が有る」とも言えないですけどね。

 

何と言っているのでしょうか?

 

お金が欲しくなる時というのは、「それを得たい」と思った時と「それを避けたい」と思った時です。

 

突き詰めるとこの2つは同じ事になります。

 

「安心を得たい」は「不安を避けたい」ですし、「承認を得たい」は「否認を避けたい」です。

 

それとは明らかに様相が異なる場合が有って、純粋な意図として自然に欲する時が有ります。

 

これは水を飲む時みたいな感じですね。

 

私が求めているお金はその水と同じ感覚のものなのです。

 

未だに出て来てはいないのですが、目に見える世界に振り回されていなければ、本当に必要な時には自然と出て来ると思っています。

 

 

 

コロナ騒動の時はマスクが、米騒動の時はお米が、それぞれ「無い!無い!」と騒がれていましたが、私はそれらが「無い」と思った事が無いのですよ。

 

確かに店頭では品薄になってた気がしますが、私はどちらもほとんど気にしてなかったのですね。

 

お金も全く同じだと思います。

 

「お金の問題もこれでクリアー出来るんじゃないか」と、割と本気でそう思っています。

 

「本気で」と言うのは「固く信じ込んでいる」というニュアンスではなく、「ごく自然に。当たり前に」というニュアンスです。

 

「水や空気に対するそれに近いもの」と思って貰えると良いです。

 

 

 

話を冒頭の「得たい避けたい」に戻しますが、そう感じている時点でその為にお金を欲する意味が有りません。

 

感じている時点で既に在ります。

 

「得たい」ならそのまま既に得ているし、「避けたい」なら避ける事が絶対に出来ません。

 

どっちにしてもお金が介入出来る余地が無いのですね。

 

気に入った相手にお金を貢いで好意を得ようとする話は今に始まった事ではなく、きっとこれからも起こり続けるでしょうが、「好意が在る時点でもう好意を得ているじゃないか」という事ですね。

 

その人を見て、自らの内に好意が在る事を知ったのだから、相手から好意を貰っているわけでもあるのですね。

 

だったらお金を貢ぐ意味なんて何処にも有りません。

 

私の言う「その為にお金を欲する意味は無い」とは、例を挙げるとそういう事です。

 

 

 

そんなわけで、私はこのままで大丈夫だとは思うのですが、「どういう形でそうなるのか」という事はちょっと気になります。

 

気になると言うか、楽しみですね。

「この世はゲームだ」という言葉を聞いた事が有ると思います。

 

最近の米高騰も「如何に儲けるか?」というゲームの結果だと思いますし、婚活も「如何に好条件の相手と結婚するか?」というゲームです。

 

純粋に楽しいだけなら良いですが、私から見るとそのゲームに参加する事ははっきり言って地獄と言わざるを得ないのです。

 

「その世界のルールを見透かした時、それに参加しない事が本当の勝利だ」という、誰が言ったか「至極ごもっとも」と言わざるを得ない言葉の通りです。

 

最近では私の関心は私の中に在るはずの内なるお金なので、今日はその視点から色々探ってみようと思います。

 

 

 

世の中はマネーゲームが盛んです。

 

近年の米高騰もマネーゲームのせいだと思っているし、悪評高い転売ヤーもマネーゲームの一つの形でしょう。

 

私は米を食べないし、転売ヤーが標的にするような物には縁が無いので、何の実害も被っていませんが、そうでない人からすると迷惑でしかありません。

 

私は「心底くだらない」と思っているので、これらのマネーゲームには参加出来ません。

 

投資も、ギャンブルも、場合によっては経営や労働も、マネーゲームになり得るのなら同じです。

 

 

 

先の言葉に倣うなら、「マネーゲームに参加しない者こそ、マネーゲームにおける本当の勝利者である」と言える筈です。

 

これは「何もしない」にも通じる事です。

 

しかし、今の私は「言える筈」としか言えません。

 

「いや、もうそれ以外に完璧な答えなんか無いだろ」と思ってはいるのですが、その実は良く分かっていないのですね。

 

婚活ゲームなら「言える」のですよ。

 

私の中に愛が在る事を発見したからです。

 

私の中では「結婚=愛」なので、「私の中に愛が在るのに、何故愛を求めて婚活しなければならないんだ?」ってなるのですね。

 

年収を条件にしている人ってお金と結婚しようとしているに過ぎないので、私はそれを結婚とは呼べませんし、やっている事は実質マネーゲームなのですよね。

 

 

 

話を戻しますが、「マネーゲームに参加しない人は、マネーゲームに参加している人の中で一番の勝利者よりも勝利者である」という前提で考えます。

 

これは、「マネーゲームに参加しない人は、マネーゲームに参加している人が一番欲しいものを既に(初めから)持っている」という事にもなります。

 

「1つ上の次元に居る」と言っても良いです。

 

私が持っているお金はそこに在ると思っているのです。

 

勝ち負け、損得、儲かる儲からない…と言った、二元性を越えたところですね。

 

 

 

私はお金自体は否定しません。

 

お金自体は好きですが、それがマネーゲームになるのが嫌なだけです。

 

地獄に垂らされた蜘蛛の糸に、「我先に」と走るような真似をしたくないだけです。

 

この姿勢自体がお金だと思うのですが、そのまま“お金”とは呼べないのですよね。

 

お金をより本質的に言い換えたもの、あるいは「お金の上位概念みたいなものが有るんじゃないか?」と思っています。

 

私は自身が既にそれである事自体は疑っていませんが、「それが何なのか?」が分かっていないのです。

私はお金に求めた完全な答えを知ったなら、それをこのブログ上でシェアしたいと思っています。

 

恋愛なら100%の答えを知っているのですが、それと同じにしたいのですよね。

 

何度も言っていますが、人の悩みはお金か異性が大半です。

 

後はお金を事を完全に網羅してしまえば、少なくとも私に悩みは存在し得ません。

 

健康とか孤独とか、そういう事にも悩む場合が有ると思いますが、それらについては最初から問題にしていません。

 

それらについては既に答えを持っているという事です。

 

何ならその2つを含めて4つの答えを纏めてシェアしても良いと思います。

 

全てはお金の完全な答えを知ってから…ですが。

 

 

 

既に私はお金を問題にしていません。

 

最大の問題だった、“お金に逃げようとする私”が居なくなった為です。

 

その私が居なくなると、スペースが空くと思います。

 

そのスペースに新しい何かが入って来る、もしくは元々在った何かが観えて来ると思っています。

 

現に今感じているものは、どう感じても“お金に逃げようとする私”ではありません。

 

「“それ”からお金に逃げようとしていた」と考察しているのですが、「多分当たっている」と思いつつもまだ「“それ”が何か?」は分かっていません。

 

 

 

お金を完全に失っている状態を表現出来る言葉って何か有りますかね?

 

健康は病気、恋なら失恋…と言った感じですね。

 

そういうものにヒントが有る気がするのですよ。

 

「それを恐れているから、お金に逃げようとしていた」と考えると辻褄が合ったりするのです。

 

私は誰かの為に、誰かの役に立つ為に答えをシェアしようとは欠片も思っていません。

 

ただ単に、「そうなった場合はシェアをする」という意図が有るだけです。

 

 

 

私の中にポツンと在る何かに向かって、「私はお金を持っている」と念じてみると、それは大きく反応の仕方を変えました。

 

「嘘を吐いている」という感じはしません。

 

私も「本当の意味では持っている」と思っているので、否定的なものも感じません。

 

今はただ、内に感ずるものだけにしか意識という名のリソースを割きたくない気分です。

 

何かを言っているような気がするのですよね。

 

それを聴きたいのです。

私の中で変化した事が2つ有ります。

 

ちょっと前に「私の欠点は金が無い事だ」と言った事が有って、その時は本当にそう感じていたのですが、今はそれが全く有りません。

 

「欠点って何だ?」と、欠点という概念自体を忘れてしまっている感じです。

 

本当に意味が分からないのです。

 

欠点という概念と、金が無いという事実を繋いでいた回路が切断されたかのようです。

 

 

 

私は車を持っていないのですが、「車が無い事が私の欠点だ」なんて思った事が無いのですね。

 

それで「あなたの欠点は車を持っていない事ですね」なんて言われたら、「何言ってんだコイツは?」と理解に苦しむわけです。

 

社会的には持っていて当たり前だったとしても、私には何の関わりもない事です。

 

お金もそれと同じになったのかも知れません。

 

 

 

もう1つは、「今なら『お金を好きです』と言っても嘘にはならない」という事です。

 

以前の私ならお金と言えば煩わしいだけで、「好きです」なんて言ったら大嘘です。

 

「女性は好きですか?」と聞かれたら、「ああ、好きですね」と答えますが、そのくらい軽いノリで言える程度には「好き」と言えるでしょう。

 

女性と違って理解の深さが足りない気がしますが、それは追々煮詰まって行く事でしょう。

 

 

 

どちらにしても、以前の状態には戻らないと思います。

 

「良い方に転んだまま戻らない」という事ですね。

 

そもそも、悪い方に転ぼうとしていたのは“逃げていた私”が原因だったと思うので、それが居なくなればもう転びようがないのですね。

 

しかし、依然として私の中にポツンと何かが在るのですね。

 

「これは何だろうな?」とやっているのが今なわけです。

 

逃げていたものが在るなら、これだと思うんですよね~。

 

 

頭では「ああ、ヤバい。マジで金が無い」と言っているのですが、その実は全く焦ってもいなければ不安も感じていません。

 

一年前の方が余程お金を持っていたのですが、その時と比べて今の方がずっと安心です。

 

やっぱり私は逃げていたのでしょうね。

 

「変な焦燥感が在ったのは、逃げていたからだ」と考えた方が良い気がします。

 

 

 

私が今感じているのは、質の高い安心感です。

 

おそらくですが、“金”に逃げて得た財産がどれだけ有ったとしても、今の安心感には全く及ばないと思います。

 

むしろ、余計に焦燥感が募ったと思います。

 

逃げたいが為に財産を増やし続ける事は、より高い負荷を掛けながら逃げ続ける事になるからです。

 

感覚的に言うなら全国に指名手配されているような状態で、罪を重ねながら逃げ隠れしているようなものでしょうか?

 

 

 

「何から逃げていたのか?」という問いの答えが、今感じている安心感なのでしょうか?

 

何故、これから逃げる必要が有るのでしょう?

 

全く恐ろしいものではないし、凄く強烈な反応が在るわけでもありません。

 

「私は分不相応だ」と受け取り拒否をしたくなるような、大それたものでもありません。

 

完全に理解したら何か分かるのでしょうか?