「この世はゲームだ」という言葉を聞いた事が有ると思います。
最近の米高騰も「如何に儲けるか?」というゲームの結果だと思いますし、婚活も「如何に好条件の相手と結婚するか?」というゲームです。
純粋に楽しいだけなら良いですが、私から見るとそのゲームに参加する事ははっきり言って地獄と言わざるを得ないのです。
「その世界のルールを見透かした時、それに参加しない事が本当の勝利だ」という、誰が言ったか「至極ごもっとも」と言わざるを得ない言葉の通りです。
最近では私の関心は私の中に在るはずの内なるお金なので、今日はその視点から色々探ってみようと思います。
世の中はマネーゲームが盛んです。
近年の米高騰もマネーゲームのせいだと思っているし、悪評高い転売ヤーもマネーゲームの一つの形でしょう。
私は米を食べないし、転売ヤーが標的にするような物には縁が無いので、何の実害も被っていませんが、そうでない人からすると迷惑でしかありません。
私は「心底くだらない」と思っているので、これらのマネーゲームには参加出来ません。
投資も、ギャンブルも、場合によっては経営や労働も、マネーゲームになり得るのなら同じです。
先の言葉に倣うなら、「マネーゲームに参加しない者こそ、マネーゲームにおける本当の勝利者である」と言える筈です。
これは「何もしない」にも通じる事です。
しかし、今の私は「言える筈」としか言えません。
「いや、もうそれ以外に完璧な答えなんか無いだろ」と思ってはいるのですが、その実は良く分かっていないのですね。
婚活ゲームなら「言える」のですよ。
私の中に愛が在る事を発見したからです。
私の中では「結婚=愛」なので、「私の中に愛が在るのに、何故愛を求めて婚活しなければならないんだ?」ってなるのですね。
年収を条件にしている人ってお金と結婚しようとしているに過ぎないので、私はそれを結婚とは呼べませんし、やっている事は実質マネーゲームなのですよね。
話を戻しますが、「マネーゲームに参加しない人は、マネーゲームに参加している人の中で一番の勝利者よりも勝利者である」という前提で考えます。
これは、「マネーゲームに参加しない人は、マネーゲームに参加している人が一番欲しいものを既に(初めから)持っている」という事にもなります。
「1つ上の次元に居る」と言っても良いです。
私が持っているお金はそこに在ると思っているのです。
勝ち負け、損得、儲かる儲からない…と言った、二元性を越えたところですね。
私はお金自体は否定しません。
お金自体は好きですが、それがマネーゲームになるのが嫌なだけです。
地獄に垂らされた蜘蛛の糸に、「我先に」と走るような真似をしたくないだけです。
この姿勢自体がお金だと思うのですが、そのまま“お金”とは呼べないのですよね。
お金をより本質的に言い換えたもの、あるいは「お金の上位概念みたいなものが有るんじゃないか?」と思っています。
私は自身が既にそれである事自体は疑っていませんが、「それが何なのか?」が分かっていないのです。