魂の世界に生きる -2ページ目

魂の世界に生きる

私が内なる世界と呼んでいたものは、魂の世界だった。

“責め”とは、「程度が低い」という事だと思います。

 

つまりどういう事かと言うと、「本来のあなた(私)はもっと高水準だ」という事です。

 

「この高水準が何を意味するか?」という事ですが、例えば大谷翔平選手が野球以外の競技をやっている、あるいは日本のリーグに留まっている事をイメージすると良いです。

 

大谷翔平選手の活躍を知っている人なら、「あんたは何をやっているんだ?」と言いたくなると思います。

 

「アメリカのメジャーリーグで大活躍出来る人なのに、どうしてそんな場所に留まっているんだ?」と、非常に残念でイライラするでしょう。

 

 

 

非常に高く買っている者が、全く不釣り合いな低水準に留まっている事を目撃した時、この“責め”が出て来るのです。

 

やっている事も違う、留まっている場所も違う。

 

本来のあなた(私)に全くそぐわない事をあなた(私)は「それで良し」としている。

 

それが非常に腹が立つ。

 

本当に評価していて、本当に「良かれ」と思っていて、本当に応援していて、本当に高水準である時にしか、この“責め”は出て来ないと思います。

 

態度は厳しいのですが、一種の“愛”と言えなくもありません。

 

 

 

しかし、これだけだとちょっと理解が浅いと思います。

 

元々が高水準なのは良いんですが、「それってどんなあなた(私)なの?」というところまで突き詰められていません。

 

私は私自身をさほど評価していません。

 

内に「やたら高いものが在るな」という事は感じますが、「だから即ち私」という状態にはなっていません。

 

何処か私とは無関係と言うか、遠くで俯瞰している感じです。

 

「高いのはあなたであって、私じゃないよ」という具合ですね。

 

 

 

でも、これは私のスピリチュアル的にはおかしいのです。

 

「あなたは高いが、それは私も高いから」にならないと駄目なのです。

 

「何故そうなっていないか?」と言うと、それは簡単な話で「私がその高みを理解していないから」です。

 

「高い」と言われても何の事か分からないのです。

 

それを突き詰めないといけません。