“辞める”なのか“止める”なのか判別に困るところですが、状況と感じ方から“辞める”だと思います。
今週の始めにちょっと仕事で面白くない思いをして、それを今日まで引き摺っていました。
引き摺りながらも「何なんだこれは?」と感じて理解を試みていると、ふと“辞める”という言葉を思い付いたのですね。
「入ったばかりで辞めるのも短気過ぎる」とか、「辞めるのは慣れているから、別に辞めても構わんわ」とか、色々考えていたのですが、不思議な事に感じていたものが心地好いものに変わりました。
凄く気持ちが良いもので、“救い”と表現しても良かったかも知れません。
同時に、私は「外の世界で何をしても意味が無い」という事を思い出しました。
すると、“辞める”と離職を繰り返して来た過去が繋がったのですね。
そうです。
「外の世界で仕事を辞めても意味が無かった」という事です。
“辞める”は正しかったのかも知れませんが、辞め方を間違えていたのです。
私の内で“辞める”必要が有ったのです。
「“辞める”という行動をするのではなく、“辞める”を感じる必要が有った」というわけです。
それで私は本当の意味で仕事を“辞める”事が出来る筈です。
先週迄は特に何も問題無かったのに、今週に入って突然嫌な気分になったのは、おそらく“責任感”の中に“真面目”を観た事と関係が有ると思います。
“真面目”としか言い様がないものが私の中に在るのを確認出来ました。
“責任感”も“真面目”も、感じ方として評価出来る様なものではありませんでした。
“辞める”に比べたらゴミにも値しないくらい、持つ事に何ら意味を感じない代物だったのですが、内なる“辞める”に気付けたのは、それらを通過したからこそかも知れません。
「仕事を“責任感”や“真面目”というフィルターで観るのを“辞める”」という事なのか、「死と同様に必ずそういう結末を迎える事を知れ」という事なのか。
それは追々分かって来る事でしょう。
今は“辞める”を味わいます。
ネガティブなものが大半の中、今回の“辞める”は「極上のポジティブだ」と評価出来ます。
道理で今まで仕事を辞めたがり続けたわけです。
働くのが嫌な筈の私が働いていたのは、この“辞める”を味わう(内で発見する)為だったかも知れません。
非正規を好んで選んでいたのも、短期で“辞める”前提でそういう求人を探していた事が有ったのも、何か有ると直ぐに辞めたくなったのも、「全ては“辞める”為に働いていたからではないか?」と考えると合点が行きます。
それくらい“辞める”が気持ち良いのですね。
私は自身が変態である事を自覚していましたが、これで正真正銘の変態と言えるでしょう、