値段の“高い”、“安い”が有りますね。
あれもちょっと不思議なのですが、10万円でも“高い”と感じない事が有るのに、100円でも“高い”と感じる事が有るのです。
そして、今まで働いて得た給料の大半が“安い”と感じていて、「この“高い”や“安い”は何を基準にしているのか?」という事を考えていたのです。
そうすると、“高い”と感じる場合は大半が“支払う時、“安い”と感じる時は大半が受け取る時である事が分かりました。
支払う時に“安い”と感じる事や、受け取る時に“高い”と感じる事はほとんど無いわけです。
「これは一体何なのだろうな?」と疑問に思っていました。
そうやってこの記事を書いていると、「おそらく原因は過去との比較だ」という事に気付きました。
“高い”と感じるものは、過去は安かったものです。
“安い”と感じるものは、過去は高かったものです。
“高い”とか“安い”とか、それらは過去の記憶の中に在る金額と、今の金額との比較によって生じるものです。
つまり、“高い”とか“安い”とか言っている時は過去に居るわけです。
今だけを見るなら、“高い”も“安い”も無いはずです。
しかし、それだけでは根本的な解決にはなりません。
「過去と比較しなければ良い」と言ったところで、意思とは無関係に過去との比較が生じてしまいます。
ならばいっその事、思う存分に“高い”とか“安い”とかを感じたら良いと思います。
確かに意識は過去に行っているとしても、“高い”とか“安い”とかを感じているのは今です。
今感じている以上、それは過去の事ではありません。
支払う時には“高い”、受け取る時には“安い”。
これは両方とも自分にとって都合が悪い事です。
支払う時には“安い”、受け取る時には“高い”。
これは両方とも自分にとって都合が良い事です。
私の“高い”と“安い”は前者なのですが、結局これは何を言いたいのでしょうか?
“高い”は本当は何と言っていて、“安い”は本当は何と言っているのでしょうか?
「そんなに出せない」とか、「もっと寄越せ」とか、そういう事を言いたいのでしょうが、それはつまり、「私が“何”だから」なのでしょうか?
その“何”が重要な気がします。
それが分かれば、過去と今の金額を比較して“高い”だの“安い”だの感じなくなると思います。
やっぱり、金額は「感じるもの」なのですね。
もし、“高い”も“安い”も感じなければ、給料や物の値段はただの設定です。
「ただ、そういう金額である」と言うだけで、内面的に何の不満も不足も生じないのではないでしょうか?