優しいGoliath(ゴリアテ)
道庁前赤レンガビルのクリスマスツリー、コロナ前までは豪華な飾りつけだったが、年々規模が縮小されているようで寂しい。一日早いクリスマスプレゼントのように届いた絵本と写真誌、CLAMP絵本が素晴らしい。先ほど、羽生選手のメンシプ動画が挙がった。ありがとう!これもクリスマスプレゼントのようで嬉しい。近々動画の一部が一般公開されるということで、これは大きなサプライズだ。優雅な動きとふんわりジャンプでエモーショナルな『アクアの旅路』、激しいステップと驚異の柔軟性で迫力満点の"Goliath"、初めて観る人たちはさぞ驚くことだろう。ダンス関係のファンが、また増えそうな予感がする。ゴリアテは旧約聖書に登場する巨人兵で、当時羊飼いだった少年ダビデの投石を額に受けて倒された。(※ウィキより)ダビデは一躍英雄となり、後に古代イスラエルの王として君臨した。この故事にちなんで、ゴリアテは立場的に弱小な者が強大な者を打ち負かす比喩としてよく使われる。日本で言えば「一寸法師」の鬼退治や、「牛若丸」が大男の弁慶を倒したお伽噺のように、広く大衆に支持される要素があるからだろう。第二次大戦でドイツ軍が使用した遠隔操作の強力自爆装置に「ゴリアテ」という名称がつけられていたが、「巨人」というのは兵器の代名詞として使われることが多い。『風の谷のナウシカ』では、世界を破壊する最終兵器として「巨神兵」という巨大人工生命体が登場したし、『ガンダム』や『エヴァンゲリオン』も、大量殺りく兵器であることに変わりない。結局は、兵器を使用する側が勝者であるか敗者であるかにより、その呼び名が「英雄」になるか「ヒール」(悪役)になるかだけの違いだ。「正義」は常に勝者のアドバンテージであり、敗者に決定権がないことは、敗戦国日本がこれまで歩んできた道のりを見れば分かる。古代の戦いで、もしゴリアテがダビデを打ち負かしていたら、どう歴史は動いたのだろう。ゴリアテは英雄となり、国民は熱狂して迎えたのだろうか。しかし、敗者であるゴリアテについては凶暴性のある殺りく兵器扱いで、人間としての感情は無視されている。彼にも家族や友人がいて、その死を悼んだかもしれない。もしかしたらゴリアテ自身、自分が殺りく兵器にされることに対し、『進撃の巨人』エレン・イェーガーのように苦悩していたかもしれないのだ。サイコパスでもない限り、人を殺して平気でいられる人間はいないはずだから。羽生選手が"Goliath"で使用している曲は「もっぴーさうんど」の提供だが、自分が好きな"Goliath"は他にもある。2019年にリリースされたSmith&Thellの曲である。※PV動画がとても興味深く楽しい。歌詞はひ弱で孤独な少女が自分の中にある内なる力を発見し、抑圧や不正に沈黙しないで立ち向かうようになるまでのストーリーだ。「私はゴリアテ、巨人の頭の上に立っている!」と繰り返すフレーズが何とも勇ましい。PVに出てくる巨人は優しい顔で、黙々と自分の仕事をしている。※米粒よりも小さくなって見えない馬?車。※巨人が運ぶ地面の上にいる者たち。巨人は馬車に乗った人間?たちを地面ごと一輪車で運んでいるのだが、運ばれている当人たちは多分気が付いていない。自分たちの力で旅を続けていると思っているが、本当は大き過ぎて見えない巨人がそっと運んでくれていることを。まるでお釈迦様の手のひらで踊っている悟空のように、人間なんてゴミクズのようにちっぽけな存在にすぎないのだ。羽生選手は、今どうして"Goliath"という曲を選び、演じようと思ったのだろう。"Undertale"(アンダーテール)に引き続き、人々が殺しあうことの愚かさと、「命」の大切さを訴えたかったのだろうか。羽生選手が演じる"Goliath"の激しい動きが、「戦いと平和」のはざまで苦悩する、優しいゴリアテの姿に重なって見えた。