ごきげんよう(^-^)
 
今日もセレブ夫人のお部屋にご訪問ありがとうございます♡
 
何か心にひっかかっているものがあるとき、それに対しての答えが欲しい時、私はよく見えない存在にお願いをします。
 
「一人では答えがよくわからないので、私にわかるような形で教えてください」ってね。
 
そうすると、たまたま誰かがその答えになるようなヒントをくれたり、たまたま見た本や聴いていた歌の歌詞や広告などからその答えとなるようなメッセージを受け取れます。
 
先日もそんなことがありました。
 

ミセス一休が主催されているなんでも「なんでも仙人オンラインサロンのイベント」に参加してランチをしている時でした。

 
そのときに、ミセス一休がご自身に起きた体験をお話ししてくださったんです。
それが私がその時に問いをたてたものでして、その答えがこんな風にかえってくるのだなぁとなんだか嬉しくなったんです。
 
その時、セッションではないのですが、ある方からご相談を受けていまして、私はいつもその方のお話しをただ聞いているような感じだったんです。
 
お電話でのお話しが終わった後、いつも声のトーンが明るくなっているので、これでよかったんだという気持ちとともに何か具体的なアドバイスができていない自分にこれでいいのかな?という疑問みたいなものが芽生えていたんです。
 
具体的にアドバイスをできていない自分をどこかで責めていたのかもしれません。
 
そうしたら、ミセス一休が「そういう時はただお話しを聞いているだけでいいんですよ。気持ちをわかってあげるだけでいいんです」と、言ってくれてすごく安心したんですね♡
 
そうか、これでよかったんだって。
 
ただその方の気持ちに寄り添って同じ気持ちにはなれなれいかもしれないけれど、「そうだったんですね。そんな気持ちだったんですね。それは〇〇でしたね」って、それだけでいいんだって。
 
そう思ったら何か具体的なことをできていない自分を責めるのではなく「これでいいんだ」って肯定できたんです。
 
人って誰かから相談されるとそれに対する具体的なアドバイスや回答をしなければとか、何かお役にたたなればと思ってしまいがちです。
 
それも愛なのですが、もしかして相談しているその人はただ気持ちをわかって欲しいだけなのかもしれません。
 
従兄弟がガンで亡くなったこと、その時に経験したことは私の中でとても大きくてそのあたりから「寄り添う」ということが私の中のテーマの一つになってきたように感じています。
 
これは自分自身にも言えます。
 
私がわたしの気持ちに寄り添ってあげるんです。
 
「そうだったんだね」
「そんな風に感じたんだね」
「その気持ちは〇〇だったんだね」
 
自分の中からでてきた感情に一切否定せず、ただ寄り添ってあげる。
 
そこには、解決方法もアドバイスもいりません。
 
そうすると、私の中の小さなわたしが安心して大きな私と一つになるんです。
 
湧き出てきた感情を話しの途中で
「こんな風に思うのはよくないんじゃない」とか
「もっとこうしたらいいよ」とか
「だからだめなんだよ」
 
そんな風に感情が出てきている途中でさえぎってしまうことありませんか。
 
そうすると、感情を感じ切っていないので、せっかくでてきたものがまたひっこんでしまうのです。
 
肯定し続けるとみえてくるもの。
 
従兄弟の治療中読んでいた本です。
 

 

 

 
 
 
必要とされる方に届くとうれしいです♡
 
 
今日もいい日。
 
明日もきっといい一日。
 
 
 
 
イエローハートこちらの電子書籍に私のガンの体験も掲載されています。