城館談義[6月12日]小沢原の戦いは、上杉朝興と北条氏康が戦い、北条が勝利した。

 

 享禄3年(1530)6月12日の武蔵の「小沢原の戦い」は、上杉朝興(ともおき)と北条氏康が戦い、北条氏康が勝利した。この戦いは扇谷上杉朝興が、連敗をしていた北条氏に対する積年の怨みを晴らすべく立ち上がった戦いであり、対立していた古河公方である足利高基との和睦。さらに小弓(おゆみ)公方の足利義明や安房の里見義豊達とも連携して北条氏に戦いを挑んだ合戦だ。

北条5代の供養石(早雲寺)

 上杉朝興(居城は大永4年に江戸城から河越城に)は河越城から武蔵府中に出陣する。これに対して北条氏綱は、嫡男の氏康に出陣を命じ、多摩川の小沢原(現在の東京都稲城市矢野口付近)で上杉勢と激突した。勇んで戦いに臨んだ朝興だが、武力に長じている北条軍に一敗、地にまみれて川越城まで敗走する羽目に至った。なお、この戦いから16年後に行われた河越城の戦いでは両上杉、古河公方は北条氏康に完膚無きまでの敗戦を期している。

   上杉氏の家紋

 参考資料:『機内・近国の戦国合戦』(吉川弘文館)、『日本古代中世人名辞典』、『戦国武将合戦事典』、『戦争の日本史』(吉川弘文館)、『日本合戦全集』(秋田書店)、『日本城郭大系』、『戦国合戦史事典』(新紀元社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)、フリー百科事典『ウィキペディア』など。

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