私の息子は高校3年生
硬式野球部の主将として、夏の千葉県高校野球選手権大会の開会式に臨んだ。
素晴らしい球場で、晴天のもとを行進する姿。
夢にまで見た光景だ。
ナインは、最後の夏の甲子園出場を目指して、何よりも一試合でも多く、チームが勝ち進むことを目指して。
最後の公式戦は、聖地 ZOZOマリンスタジアムで。
プロ野球が行われる最高のスタジアムで、野球ができる喜び、それを見守りスタンドで応援できる歓び。
息子の最後の打席で、送りバントを決めてベンチに戻る姿を、スタンドから見守ることができた。
この幸せを、写真や映像でかみしめて言葉にするたびに、今は何とも言えない、寂しさを感じる。
10年間、息子と私は、いつも野球とともにした生活があった。
もう、息子は、あのユニホームを着て、いつものグラウンドに立つことはない。
泥だらけのユニホーム姿、いっぱい履いたシューズ、かっこいいスポーツバッグを背負って自転車に乗って、出かけていくことも、もう無い。
そんな実感が湧いてきた。
こんなに寂しいこととは。
この寂しさは、私だけのもの。
息子にも、家族にも、それぞれ思う感情があって、それぞれが大事にしていくべきもの。
思い出とか記憶とかに名前を変えて、生きていく時の糧になっていくもの。
息子は、今も、悔しさと、野球のために使っていた時間が急に空っぽになって、今は高校最後の文化祭で過ごす時間が流れ込んできていて、戸惑っているみたいだ。
野球をやっているあいだは、野球中心の時間についていく体力的な辛さや、病気や怪我をしないように細心の注意を払う緊張感がいつもあって大変だった。
試合に勝つため、チーム内のレギュラー争いに勝つため、何よりも息子が野球のグラウンドで試合に出てプレーする姿を観たい、ただその一心だった。
そんな日々が終わった。
しばらく、この何とも言えない寂寥感を味わおう。
この時間も、私だけのもの。