ねんりんピックを見学してきた
ねんりんピック2011熊本の健康マージャン交流大会 を見学してきましたので、その感想を簡単にですが書いてみたいと思います。

・僕が注目した点は主に運営について。
・会場に入ってすぐに昔の知り合いと再開。(運営ボランティアとか雀卓の営業とかやってた)
・体育館のフロアに50卓以上を置いての対局。(16日が個人戦、17日が団体戦)
・高齢者向けの大会ということもあり、非常にまったりとした雰囲気。
・隣ではデモンストレーションとして、十段戦の解説を酷評されたじいちゃんとかトイツ王子とかが打ってた。
・会場や運営要員の確保、選手の誘導やユニークなプログラミング作り(吹奏楽の演奏とかストレッチ体操とか)などは普通の麻雀大会ではほとんど実現できないと思う。(公的なイベントならではだし、NPO的な運営と言えると思う。)
・逆に対局自体への配慮や工夫はほとんど感じられなかった。(手作りの雀卓くらい)
・ちょっと深読みすると、健康マージャンの理念の裏側というものが見え隠れしてた。(色んな意味で)
まあ、リアルの麻雀は(このまま変われなければ)衰退の一途なんですけど、高齢者向けの麻雀というのは変われた(もしくはまだ変えられる)ぶんだけ少し可能性があるんだと思いました。
なめとんさんへ
なめとんさんが僕の駄文 に関連して『麻雀と抽象度 』という記事を書かれたみたいなので、それについてちょっと書いてみます。
【抽象度】
抽象度というのは、(そこから抽出できる他の分野でも通用する)汎用性の高さとか普遍性という感じでしょうか。
確かに、『正しさ』というある意味で究極の抽象度を持った概念に対して、『賭け麻雀』というのはあまりに抽象度が低いというのは同意できます。
ただ、僕自身はあまりそういう意識は持たずに『正しさ』という言葉を使っていたかもしれません。(物事に対する心構えという程度で。)
【賭け麻雀】
(ちょっと後付け臭いですが)賭け麻雀の抽象度について。
僕自身は世間一般で言われる賭け麻雀に関する様々な発言に不満を持っていたのですが、それはその内容に不満があったのではなく、その発言がなされる根拠や実際のところはどうなのかという部分の不透明さに不満がありました。
それで調べてみてすぐわかったのですが、(賭け麻雀という問題に関して)賭け麻雀をやる側の問題というのは氷山の一角で実際には賭け麻雀をやらせる側の問題であり、さらにこの問題をどう解決するのかを考える場合には賭け麻雀(どころか麻雀自体)をやらない側の問題にもなってきます。
こうして客観的に多角的に見ていくことで、その全体像がおぼろげに見えてきたように思います。
こういう行為が僕にとっての正しさの追求であり、どれだけ追求してもゴールにはたどり着けませんがその過程において様々な情報・知識・本質(の一部?)を得ることができます。
これは同時に賭け麻雀の抽象度を上げることでもあると思います。(『正しさ』の抽象度にははるかに及ばないまでも。)
逆に、感情論や利害関係による発言では抽象度は限りなく低いものとなってしまうのではないでしょうか。
【十段位戦】
連盟の十段位戦(の配信)が話題になってるみたいで、僕自身は全然見てなくて他の人の記述からの推測になってしまい間違っている部分もあるかもしれませんがちょっと書いてみます。
なめとんさんが言わんとしていることは、ネット側の発言の抽象度の低さというか、(前提として)プロ批判ありきの発言に対する違和感という感じでしょうか。
これはネット(ネトマ)側の発言が非常に活発であることも理由の1つでしょうけど、プロ側は(色んな意味で)なかなか発言しにくい部分もあるかと思います。
僕なんかはどちらの内情も知っているのでその比較ができますし、どちらにも所属してないようなもんですので好き勝手に言うこともできます。(語り口はいつもの感じでしかできませんけど。)
あと、プロの麻雀の面白さというか需要という面に関しては、僕自身は(一般的な)面白さの基準というのはよくわからないんですけど、麻雀の見せ方についてなら色々と言及できると思います。
※10月12日追記
【ブログ記事等】
プロ(連盟)側については平常運行であり、何か新しい問題が勃発したようなことは別段ないように思います。
それに対するネット側の反応も平常運行で、有名ブロガー様を中心に感情論がわき上がり、ブームが去れば後には何も残らない。(そしてまた同じことを繰り返す。)
まさに自分の信じたいことを信じて行動しているのだと思います。
ただ、僕は別にそれを(直接に)批判しようとは(今ではもう)思ってません。(それに対する啓蒙活動を行なっても意味がないので、感情論を廃した個別のコラムを書いたり、固定観念を変えさせるような企画を考えてみたり。)
【感想】
なめとんさんの言う『抽象度』について僕の認識は間違えてるかもしれませんけど、そうであったら(的外れな記事になってしまい)申し訳ありません。
あと、もしかすると僕にコラムや企画を期待しているとかあるんでしょうか?(うぬぼれ過ぎか?)
ただ、今回の件に関しては(感情論だけで何を問題視しているのかイマイチはっきりしないので)ポイントが絞りにくいし、テーマを全体に広げて書くにはちょっと忙しくて時間が足りないかもしれません。
例えば配信とかどうでしょうか?(単純に僕が麻雀ラジオ的なのをやりたいだけですけど…。)
とりあえず
なかなか精神的な余裕ができてこないので、あれこれやりかけててそのまま放置してるものが多いんですけど、とりあえずこれからやっていく予定のことについて書きます。
【多面張理論】
今まで書いてなかった(僕が待ちを見抜く際にやってた)コツを理論化してみました。
・順子の特性の広範囲への応用
・順子の切れ目の見つけ方
そんなに複雑なことはやってないので、これで少しはとっつきやすくなると思うんですけど…。
【配信】
昨日・今日どちらかでやろうかと思ってたんですけど、結局やれませんでしたが。
あと、麻雀ラジオをやれないかと思って理想さんにメールを出してみたけど返事は来ず。
まあ、近日中にまたやります。
【賭け麻雀関係】
理屈の部分はかなり詰められているんですけど、「今後どうなるのか?どうするべきなのか?」という部分で雀荘業界の現状や(賭け麻雀に対する)認識についての情報が足らないように感じています。
今のところは『何もできないし、何も考えていないし、むしろ触れて欲しくない』ようにしか見えないのですが、それが違うのならそれで構わないので情報が欲しいと思っています。(例えば、麻雀戦略会議 とか自腹でいいから出席させてくれないかな。)
その部分に切り込めていないので、記事の完成にはまだ時間がかかりそうです。
多面張理論の改良点?
今日は休みだったんで初めてちゃんと配信をしました。(ログ )
内容としてはサンマと多面張理論の簡単な説明をやったんですけど、どちらもブランクが長すぎてグダグダでしたが…。
その中で多面張理論の基本的な部分、順子の特性の『端から順子を分けていって待ちのスジを見つけ、それがどこまで伸びているか確認する(待ちを形でなく手牌構成で見抜く)』と暗刻の特性の『暗刻との複合形で新しい待ちが作られる(暗刻部分を順子とみなす)』の2点について、これは従来の麻雀の考え方とは全く違うものですので初めての人にはかなりとっつき難いようです。
理論自体に矛盾は感じないので、その説明の部分をもう1度練り直せればと思います。(丁寧な説明だけでなく固定観念を外させる工夫も。)
あと、次から配信する時はTwitterで告知するようにして、口下手なんで何か面白くなるアイディアでも用意しようかと思います。
何を信じたい?何を信じてる?
人間は正しいことを信じるのではなく、自分が信じたいことを信じる。
これは昔どこかで聞いて今でも心に残っている言葉なんですが、人間の行動に関する非常に本質的な言葉でもある思います。
ですが、僕自身は正しいものを信じたいと考えています。
ただし、すべての物事に関してそう考えていては何も行動することができくなってしまうので、その範囲は僕の好きなことや興味があることに限定されてしまいますが。
自分が信じたいことを信じる人にとっての『正しさ』というのは『自分の信じたいこと』ですので、それを手に入れることは非常に容易なことであると思います。
一方で、正しいことを信じる人にとっての『正しさ』というのは、(テストの問題のように答えが必ず存在する場合もありますが)事前に答えが用意されてないものや答え自体が存在しないものがほとんどです。
正しいことを信じるということは『何が正しいのかを追求する(その行為自体)』ということであり、一度正しさを求め始めたらその行為に終わりはありません。
ちょっと話は変わりますが、賭け麻雀関係について、僕はいろんな人の記述を読んだり聞き取りを行なったりしたんですが、その中で正しさを追求している人が(少なくとも僕が把握している限りでは)1人も存在しないというのが非常に気にかかりました。
それは願望から来ているのか?後ろめたさからなのか?仕事や人間関係からなのか?興味自体がないのか?どんな理由があるのかわかりませんし、この認識自体が間違ってるのかもしれませんが。
その影響もあってか(実際色々あって)、僕自身ここのところ、正しさを追求することについてちょっとわからない感じになってしまっています。
この状態は正しいことを信じたいと思っているからなのか?それとも違うのか?それすらもよくわかりませんが。