無気力無関心(仮) -41ページ目

多面張の理論化

以前に書きかけになっていたネタについて書きたいと思います。



既存の多面張の待ちを見抜く方法というのは(現在僕が把握している限りでは)以下の3通りです。


・○枚の基本形
・多面張理論
・和了判別


これらのネーミングは僕が勝手にしているだけですので、それぞれについて説明していきます。



『○枚の基本形』を利用した待ちの見抜き方というのはもっともポピュラーな手法で、7枚・10枚・13枚などの代表的なパターンを覚えて、後は自分で練習して色々な手牌で待ちが見抜けるようにするというものです。


しかし、○枚の基本形を知っているということと実際に(あらゆる手牌で問題なく)待ちを見抜けるということとでは技術的な隔たりがかなりあります。


ただ、実際に待ちを見抜けてる人はいるわけで、その人は『経験上なんとなくできるようになった(できてるのは間違いなけど、説明がうまくできない)』という状態です。(○枚の基本形をとっかかりにして、手牌を色々組み替えて待ちを見抜いていると思われる。)


※この経験則的な技術というのは、実際の麻雀でも(あらゆる部分で良くも悪くも)かなりばかにならなくて、今後色々な観点から記述していく予定です。


また、昔から言われている『メンチンの待ちがわかる≒麻雀が強い』という考えは、このやり方が完全に確立されたものではなく、(記憶力や頭の回転力で)力ずくでやる必要があるからだと思います。



『多面張理論』というのは、ある意味で経験則的な技術の理論化の成功例の1つと言えると思います。


そのきっかけというのは、『○枚の基本形をまとめてみる』⇒『暗刻を抜いた残りの手牌がテンパイしているという特徴がある』⇒『暗刻とそれを抜いた残りの手牌の関係に着目すれば、○枚の基本形よりもはるかに少ないパターンで手牌を分類できる』ということに気づいたからです。


それを元に理論化をしてみたら、パターン分けから実際に待ちを見抜くまでの道筋(効率的な手牌の組み替え方)を偶然にも構築することができました。


多面張の見抜き方というのは麻雀のルールにかなり近い技術ですので理論化できないのがおかしいのですが、それまで○枚の基本形という考え方があまりにも浸透しすぎていて、逆に盲点になっていたのではないかと思います。(経験則的技術の弊害部分)



『和了判別』というのは、コンピュータによる待ちの見抜きプログラミングである、『先に14枚の手牌が和了しているかどうかの判別プログラムを作っておく』⇒『待ちを見抜きたい13枚の手牌に1枚を足す(最大34パターン、メンチンなら9パターン)』⇒『それぞれのパターンで和了の判定をすることにより待ちを見抜く』という手法です。(他の手法もあるだろうが代表的なものはこれ)


『13枚の手牌を組み替えて待ちの部分を探す(上の2つの手法)』よりも、『14枚の手牌が和了しているかどうかの判別』の方が理屈として(プログラミングを書くのも)簡単であり、コンピュータは単純な作業(記録・検索・計算・繰り返しなど)を行うのが非常に得意ですから、上記のような手順を行わせれば人間よりもはるかに早く正確に待ちを見抜くことができます。


また、これは別にコンピュータだけでなく、人間も「この牌であがれるのかな?」と思ったときに無意識に行っている作業でもありますので、経験則的な技術の理論化の1つとも言えると思います。


おそらく経験則的に待ちを見抜けている人の中には、○枚の基本形と和了判別の2つの手法を組み合わせている人もいるのではないかと思います。



とりあえず、前回の『麻雀理論の作り方? 』的な視点から待ちの見抜き方について書いてみました。


この分野については、理論化しやすくてその余地もまだありそうですので引き続きやっていくつもりです。(多面張理論ももう1回くらいモデルチェンジできそう。)

麻雀理論の作り方?

麻雀理論の作られ方というのは、主に以下の3つからです。


・(ルールなどの)前提部分から

・経験則から

・プログラミングから



前提部分からの麻雀理論というのは、『(その理論が成立する)前提に近ければ近いほど作りやすい』と言えます。


例えば、牌理(牌の組み合わせの理論)などは麻雀のルールに非常に近いので理論化がしやすいのですが、これに実戦的な要素が追加される(前提から離れる)と途端に理論化が難しく(理論が通用する幅が狭くなったり内容があいまいになったり)なります。


経験則からの麻雀理論というのは、『その経験則が起こる頻度もその有用性も、提唱者の主観が元になっている』と言えます。


客観的な検証が行われていない経験則というのはどこまで行っても経験則のままですから、真偽不明な理論が非常に多いという問題もありますが、逆に様々な人が様々な観点から自由に理論を作ることが可能であるという利点もあります。


プログラミングからの麻雀理論というのは、『経験則による麻雀理論の検証を可能としうる手段』と言えます。


麻雀が不完全情報ゲームである以上は絶対ではないとはいえ、膨大な量の牌譜から特定の場面を抜き出したり、そこからモデルを作り出してシミュレートすることにより理論化することもできます。



ところで、これまで僕がこのブログで書いてきたことのほとんどが『前提部分から』の理論です。(前提の確認作業に近い)


この路線はおそらく変更不可能ですので(僕の性格的にもプログラミングの技術的にも)、これからは『経験則』というやつを色々な視点から再定義していって、その結果で経験則とプログラミングの中間を埋められないかと思っています。



これで前回の序論的な何かより少しは具体的になった?なってないか…。

序論的な何か

大昔に僕は『麻雀の終焉1 』という記事を書いたんですけど(書きかけでストップしましたが…)、これの続きみたいなものをちょっと考えてみたいと思います。


麻雀における一般的な共通理解として、『技術の研究はこのまま際限なく進んでいって、どんどん新しい理論が生まれていく(麻雀の技術には限界がない)』というものがあると思います。


しかし、これに関しては研究には終わりがないという点では同意ですが、技術的な終焉(限界)というのは必ずやってくると思います。(※『技術の限界』と『実力の限界』では違うことに注意。⇒余裕があれば後述)


『麻雀の技術には限界がある』という前提があるとすると、この限界というのは比較的簡単に定義可能であり、そこから逆算する形で新しい理論を生み出すことは可能なのではないでしょうか?




…という感じで始めてみましたが、別にこの先構成が出来上がってるわけでもありませんので続きもまだ考えていません。


次回はこの続きじゃなくて、その前段階の関連事項について徒然なるままに書いていく予定ですし。


まあ、文章を書くことから長く離れてしまったせいで全然言葉が出てこなくて苦労してますけど、モチベーションが続く限り更新していきます。

プチ復活

ども、久しぶりのブログ更新です。


心身の調子を崩す⇒時間ができる⇒麻雀への興味が戻る⇒体調が回復する⇒時間が…


ここ数年こういうサイクルを繰り返してきて再び麻雀に戻ってきたんですけど、これがどれくらい続くのかはわかりませんがとりあえずやっていきたいと思います。



それでこれから何を書いていこうかということですが、賭け麻雀関係や麻雀回顧録などの書きかけのシリーズもあるんですけど、それは今の僕の状態ではちょっと重たいので軽めのリハビリ的な文章でも書いてみようかと思います。


とはいっても、普通の人が書くような麻雀日記は書けませんので、いつもの感じの文章をさわりだけ書いていって、そのうち興味がわくテーマがあれば深く書いていく感じになればと思います。


数回書くだけでまたフェードアウトしてしまうかもしれませんが、その時はその時ということで…。



追伸

・普通の麻雀好きの方が好むような内容ではおそらくありませんので、そこらへんも悪しからず。

・今日いくつかブログを読んでて、麻雀の『読み』というものについてちょっと引っかかったんですけど、かなり重くなりそうなのでおいおい。

・モチベーションがあるうちに配信もやっときたいなあ。

あけおめ

もうとっくに年は明けちゃってますが…。



またブログが放置状態になってしまってますけど、今回は復帰できんのかなー?


ここ数ヶ月は仕事関係と睡眠だけで趣味に割く時間はほとんど取れてないし、これからどうなるのかもよくわかりません。


まあ、死んでなければそのうちモチベーションも上がってくるかもしれないので、とりあえず現時点の生存報告だけしときます。