2019年 西国三十三所カレンダー + 西国巡礼/白洲正子 | れぽれろのブログ

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毎年恒例の(?)カレンダーシリーズ。
1月1日の元日の日、2015年・2017年に引き続き、今年ものんびりと手作りカレンダーを作っていました。
少し記事化するのが遅れましたが、今年も作成した画像を記事に貼り付けて、コメントなどを残しておこうと思います。


・過去のカレンダーのテーマ&一覧
  2015年 西洋美術(作家の誕生月編)

         → [2015年 西洋美術カレンダー]
  2016年 日本の国立美術館の所蔵品

         → [国立美術館オリジナルカレンダー(2016)]
  2017年 西洋美術(年代順編)

         → [2017年 西洋美術カレンダー]
  2018年 くまモン

         → [2018年カレンダー&くまモンの話]

 

昨年、西国三十三所をまわり終えましたので、その記念として、今年のテーマは西国三十三所にしました。
過去に訪れた際に自分が撮影した写真を使って、カレンダー化してみようというのが今回の趣旨です。

使用するテンプレートは、2015年・2017年に引き続き、Microsoft Officeのページで公開されている無料のカレンダー作成フォーマットを使用します。
https://www.microsoft.com/ja-jp/office/pipc/season/calendar/default.aspx

今回はA4サイズの縦型カレンダーのテンプレートにしました。
https://www.microsoft.com/ja-jp/office/pipc/template/result.aspx?id=13375

作り方は簡単、公開されているパワーポイントをダウンロードし、自分の撮影した写真の画像をドラッグ&ドロップするだけです。
テンプレートはパワポですので、自分で自由に文字等を追加することができます。
今回は写真の右下に何の写真であるかのコメントを追記しました。
作成したパワポをコピーしPNGファイルに変換し、できあがり。

合わせて、つい先日、白洲正子さんの「西国巡礼」を読みましたので、これについても所々引用しながら、各月のカレンダーにコメントしてみたいと思います。
白洲正子は昭和期の随筆家で、1964年に西国三十三所を巡り、その記録を「西国巡礼」としてまとめています。
西国三十三所をまわり終えた後でこの本を読むとなかなか面白いものがあり、自分が訪れたときもそうだったな、などと、あるあるネタとして楽しむことができると同時に、50年前と現在とで変わってしまっているところも確認できます。

以下、12枚の月ごとの画像とコメントです。(なお、各月のチョイスした写真と、実際に自分が訪れた季節には、ずれがあります。)


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・1月 西国第一番 青岸渡寺 三重塔&那智の滝




各月の画像は、西国三十三所の札所順に計12か所を選定しました。
すべて自分が撮影した写真をベースに作成しています。
写真右下の文字や黒い枠線はテンプレートにはなく、自分が追加したものです。
文字は行書風の書体にしてみました。
左上の「2019 JANUARY」はテンプレートの文字で、行書とはギャップがあります(笑)。

和歌山県南部は紀伊勝浦、青岸渡寺と言えばやはり那智の滝です。
近景の滝の写真も良いですが、少し離れたところから風景として楽しむのもまた良い感じです。
以下は「西国巡礼」からの引用。
「下山の途中、秋草がきれいなので、車を止めてもらうと、どこからともなく轟音がひびいて来た。ジェット機かと見上げたが、姿はない。ブルドーザーかと思ったが、それも現れない。ふと、目をあげると、はるかかなたの原始林の中に、ひと筋白く細い糸をひいて、「那智の滝」があった。」
1964年は日本全国どこもかしこも開発の時代、すぐにブルドーザーを連想するのが面白いです。
遠方から眺める滝はまさに「ひと筋白く細い糸」のようで、趣きがありますね。


・2月 西国第六番 壷阪寺 天竺渡来大涅槃石像



2月は盲人福祉とインド風巨像のお寺、壷阪寺(南法華寺)をチョイス。
大涅槃石像をメインに、背後の大観音石像と高取山の組み合わせの写真です。
2月15日はお釈迦さまの入滅の日(涅槃会)ですので、2月のカレンダーにぴったりの写真です。
壷阪寺にある巨像はすべて80年代以降に設置されたものですので、1964年当時はまだありませんでした。
ゆえに、「西国巡礼」には眼病封じや盲人福祉についての記述はあれど、巨像についての記述はなし。
壷阪寺はこの50年で最も雰囲気が変わったお寺の1つなのではないかと思います。


・3月 西国第八番 長谷寺 登廊



長谷寺は見どころがたくさんあるお寺ですが、その中でこの登廊は他の三十三所のお寺では見られない構造ですので、この内部の写真をチョイスしました。
長谷寺では、本堂にお参りするには、この登廊を延々上る必要があります。
「西国巡礼」には、「例によって、本堂は高い峰の上にあり、山にそって造られた階廊は、のびのびとして気持ちがいい。気持ちがいいだけでなく、登りやすい。」とあります。
西国のお寺はとにかく階段を上らされるケースが多いですが、この長谷寺の階段は、確かにあまり苦もなく登れた記憶があります。


・4月 西国第十番 三室戸寺 本堂



三室戸寺はアジサイで有名なお寺、自分は6月に訪れましたのでちょうどアジサイが綺麗な頃でしたが、この本堂の写真がなんとなく良い感じでしたので、こちらをチョイスしました。
「西国巡礼」の記述、「境内は、ひろびろとした芝生になっており、よけいなもがないのが気持ちいい。近所の人が二、三人かたまってお弁当を食べているのも、こういう寺院にはふさわしい風景である。」
自分が訪れた際にはアジサイが咲き乱れており、2,3人のお弁当どころか多くの観光客がいました。
白洲さんは秋に訪れているので人が少なかったのか、あるいはこの50年で観光客が増えたのか、季節と時代によるギャップを感じます。


・5月 西国第十三番 石山寺 珪灰石



石山寺も見どころの多いお寺で、チョイスする写真は多宝塔にしようかと迷いましたが、やはり石山の語源であるこの珪灰石の写真が石山寺らしいのではと思い、チョイスしました。
「近くには、石部、石居、大石、などという地名もあり、昔から石の名所だったらしいが、寺をとり巻く珪灰石の大きさにはびっくりする。」(「西国巡礼」より)
やはりこの石には皆目を引き付けられるようです。
石山寺は多宝塔も素敵で、白洲さんも「これまで見た多宝塔の中では一番優雅で美しい。」と褒めておられます。


・6月 西国第十四番 三井寺 観音堂



三井寺(園城寺)もこれまた見どころが多いお寺ですが、自分が撮影した写真になかなかしっくりくるものがなく、消去法で観音堂をチョイスしました。
ちょうどご本尊の如意輪観音像が公開されている時期で、造形が素敵な観音様を鑑賞したお堂です。
なお、自分はこのお寺に訪れる以前に宝物の黄不動を博物館の展示で見たことがありますが、白洲さんも黄不動を事前に百貨店で見たと記述されており、三井寺が当時から宝物の巡回展示に積極的であったことが分かります。


・7月 西国第二十番 善峯寺 遊龍松



善峯寺はお花で有名なお寺ですが、自分が訪れたのは冬の寒い時期でしたので、お花は咲いていませんでした。
敷地内でひときわ目立つのがこの遊龍松、左右にだらだらと20メートル近い長さがあり、一枚の写真ではおさまりません。
この写真は松の右側と石碑を写したものです。
自分は面白い松で気に入りましたが、白洲さんはあまりお気に召さなかったようで、「こういうものは盆栽の化物みたいで、私はあまり好まないが、一種の名物には違いない。」と、やや否定的な見解を残されています。


・8月 西国第二十三番 勝尾寺 勝運ダルマ



敷地内の至る所にだるまさんが転がっている勝尾寺はまさにダルマワンダーランド。
自分が撮影した中では小さなコダルマの写真に面白いものが多いですが、カレンダー向けということで、ぎっしりと敷き詰められた奉納ダルマの写真をチョイスしました。
なお、「西国巡礼」にはダルマについての記述は一切なし。
現在は大量のダルマが否応なく目につき、これに触れない紀行文はないと思いますが、「西国巡礼」に全く記述がないところを見ると、50年前は勝運ダルマは名物として定着していなかったのかもしれません。


・9月 西国第二十六番 一乗寺 三重塔



一乗寺といえばなんといってもこの三重塔。
1171年の建立当時の姿を現在もとどめており、全三十三所の中でのベスト建築のうちの一つです。
例によって長い階段の途中にあるため、良い角度での撮影がなかなか難しかった記憶があります。
「お堂は例によって、舞台造りになっており、下の方に三重塔が見え、深い谷をへだてて向かいの峰がせまっている。」(「西国巡礼」より)


・10月 西国第二十七番 圓教寺 摩尼殿



圓教寺の中心となるお堂がこの摩尼殿(まにでん)。
雨の日に訪れましたので、写真にうっすらと雨の線が見えています。
「札所は「摩尼殿」と呼ばれ、一段と高いところに建っているが、そこから見下ろす谷は桜に埋もれて、花のころはさぞかし美しいことと想像する。」(「西国巡礼」より)
自分も桜の頃にまた訪れてみたいですが、今の時代はロープウェイが混雑しそうですね。


・11月 西国第三十番 宝厳寺 弁才天堂



竹生島の宝厳寺は観音堂の唐門が有名ですが、自分が訪れた際は補修中でしたので、こちらの弁天堂の写真にしました。
この建築もなかなか味があります。
宝厳寺いついて白洲さんは「竹生島へ渡り、お参りをすませたが、島というものは外から見るに限る。そういう印象を受けて帰ってきた。」とあり、あまりお気に召さなかったようです。
何か興をそがれることがあったのか、50年前は今とは様相が違ったのか。
個人的には宝厳寺は神仏習合の趣向を味わえる、興味深いお寺でした。


・12月 西国第三十三番 華厳寺 満願狸



最後はちょっと変わり種の写真をチョイス。
華厳寺は三十三所の最後の札所で、満願堂の周辺には多数のタヌキの像があり、巡礼を済ませた人は他より抜きんでている、他ぬき=タヌキ、ということなのだとか。
このタヌキの表情がいいので、選んでみました。
白洲さんの文章にはタヌキの記述はなし。
50年前当時の狸像がどうであったのかは分かりませんが、おそらくは関心がなかったのだと思われます。(わざわざタヌキを選ぶのはおそらく自分くらいのもので、決して華厳寺=タヌキではないことは、念のため断っておきます 笑。)



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ということで、2019年のカレンダーでした。
現在はこのカレンダーをパソコンのデスクトップに飾りつけ、日々日付をチェックしております。
せっかく作ったのでまた過去と同じように印刷しようと思いつつ、面倒くさくてほったらかしにしているうちに、もう1月も下旬になってしまっております 笑。
なので、今回については印刷物の完成品の写真はありません。


合わせて、白洲正子の「西国巡礼」は、三十三所を巡り終った後で読むと、かなり面白いです。
批評家の東浩紀さんはかつて「観光ガイドは、観光に行ったあとで読む方がよくわかるし、面白い」という趣旨のことを言われておられましたが、まさにそれ。
上に取り上げた以外にも、例えば、葛井寺(第五番)が子供の遊び場になっているとか、六角堂(第十八番)にはやたらと鳩が多いとか、このあたりは50年前も今も変わっていません。

50年前と今とで変わってしまっているところと言えば、上醍醐(十一番)の准胝堂と、播州清水寺(第二十五番)の多宝塔が、現在はなくなってしまっていること。
准胝堂は2008年に落雷で焼失、播州清水寺の多宝塔は1965年の台風により大破し、これは白洲さんがお参りされた翌年のことです。
とくに播州清水寺は三十三所の中で最も標高が高いところにあるお寺で、この多宝塔からは、六甲や有馬が見下ろせ、播磨の海を越えて淡路島、小豆島まで見える、振り返れば若狭湾まで目に入るという、素晴らしい眺めだったようです。なんとももったいない。

1964年と言えば、新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年。
巡礼者は山の上から新幹線がみえると歓声を上げ、六波羅蜜寺(第十七番)の空也像はオリンピック展で貸出中という、そんな時代。
施福寺(第四番)や上醍醐(第十一番)は今でも難所ですが、当時から既に松尾寺(第二十九番)や長命寺(第三十一番)には既に舗装道路が通じており、白洲さんは松尾寺へは車でお参りされています。(自分は歩いてお参りしました。)
逆に観音正寺(第三十二番)は道路がなかったのか、白洲さんは歩いて上られており、全札所の中で最も難所であったことが伺われます。
「お寺を出るとき、住職が、あんまり山が険しいなどと書いて下さるな、参拝人がおそれをなして来なくなるから、といわれた。それにもかかわらず、私は書いた。たしかに登るのはたいへんだが、私にとっては、三十三ヵ所のうち、一番印象が深かったからである。ここには立派な建築もないし、宝物もない。景色がいいと言っても播州の清水には及ばない。ただ、自分の足で歩いて観音様にお参りするという、巡礼のもっとも古い、純粋な形が、この寺には残っている。」(「西国巡礼」より)
観音正寺は現在は舗装道路が通じており、自分は上りはタクシーを利用し、帰りのみ歩いて帰りましたが、確かにあの道を上るのはたいへんだったことだと思います。

1964年はどこもかしこも開発の真っ最中で、西国のお寺もギリギリ古寺の趣を残していた時代なのかもしれません。
50年を経た現在は観光地化が進み、趣きが変わってしまったお寺もあることだと思いますが、それはそれで面白い、変化もまたゆくゆくは新たな伝統になるのだというのが自分の考え方。
西国のお参りの経験がある方は、あれこれと思い出しつつ、現在のお寺や観光のことなどを考えながら、白洲正子さんの本を読んでみても面白いかもしれません。