Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー | れぽれろのブログ

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2月2日の土曜日、兵庫県立美術館に行ってきました。
開催されていたのは「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」と題された、何やらふざけたタイトルの(笑)現代美術展です。
この展示、実はほとんど期待せずに行ったのですが、予想に反して内容はかなり面白かったです。
昭和期~平成期(一部大正期も含む)の様々な作品が展示され、ハイカルチャーとサブカルチャーの両方を含む、それぞれのジャンルを越境していくような展示になっていました。

以下、展示の内容の覚書と感想など。


本展は「ヒーロー&ピーポー展」と略され、ヒーロー(カリスマなど)とピーポー(大衆・群衆)の関わりと社会的意味を考えるというようなことが展示の趣旨であると巻頭言に記述されていますが、それだけには非ず。
本展のポイントは「マツリ☆ゴト」の方にあるように感じます。
マツリ☆ゴト=政事、つまり、政治的表現を含む作品をが多数展示されてるのが、本展の特徴です。
「○○に政治を持ち込むな」というフレーズはよく使われる定型句ですが、本展には政治が持ち込まれた作品が多数展示されており、それをヒーローと大衆という側面から捉えなおすような、そんな展示になっていたように感じます。

本展のもう1つの特徴は、ハイカルチャーとサブカルチャーが入り混じって展示されていることです。
川端龍子、藤田嗣治、松本竣介、福沢一郎、木村伊兵衛などの、いわゆるハイカルチャーとしての美術作品に混じって、大衆雑誌、紙芝居、漫画、アニメ、特撮などのサブカルチャーに関わる展示がかなりのボリュームを占めています。
これらのハイカルチャーとサブカルチャーそれぞれの、戦前から戦後を経て現在に至る政治的表現の系譜の一端を確認することができるということが、本展の面白いところだと思います。

本展は「陶酔と閉塞」「制服と仮面」「聖地と生地」「悲劇と寓話」「私と私たち」という5つのテーマに分かれて展示されていますが、あまりテーマにこだわらず、時代ごとの表現の変化を考えながら鑑賞する方が面白いように思います。


ハイカルチャーとしての美術において、昭和初期(1920年代後半~30年代前半)はプロレタリアと前衛の時代、本展でも岡本唐貴の労働争議を描いた絵画や、安井仲治の労働運動を撮影した写真などがみられます。
戦前昭和後期(1930年代前半~40年代前半)は一転して国粋と戦争の時代、阿部合成の出征兵士を見送る群像表現は兵庫県立美術館ではお馴染みの作品、日本画の巨匠川端龍子が山本五十六(海軍のヒーロー)の肖像を描き、洋画家の藤田嗣治が12月8日の真珠湾での英雄的行為を描く、政治的表現が左から右へ大旋回するのが、戦前昭和前期と後期の差異のポイントです。

戦後になると再び労働の側に立った表現にスイングバック。
とにかく暗い作品が多いのが戦後・昭和中期の日本美術の特徴、実在の事件をルポルタージュ風に取り上げながらそれをシュルレアリスム的に描く山下菊二の有名な「あけぼの村物語」をはじめ、社会の暗部を美術で切り取るような作品が続く。
鶴岡政男、石井茂雄、河原温らの作品がこの時期の見どころ、桂ゆきの猿蟹合戦を描いた作品も、この流れで見ると資本と労働の戦いの寓意的表現のように見えてきます。
ハナヤ勘兵衛は昭和天皇とGHQの様子を撮影し、木村伊兵衛は大衆で埋め尽くされる国会前デモの様子を撮影、その他、平田実による万博反対のパフォーマンスの様子をとらえた写真が並びます。(ガスマスクで行進するパフォーマンスの写真と、堀野正雄の戦前のガスマスク訓練の有名な写真を並置させる展示が面白いです)。
そんな中、本展のクライマックスともいえるのが、1968年の松本俊夫の映像作品「つぶれかかった右眼のために」で、前衛アーティストによるパフォーマンス映像や学生運動の映像に混じって、68年当時の様々な文化の断片が目まぐるしく映し出される様子は、時代性の面白さと同時に、眩暈的な楽しさと強度を持った面白さがあります。

一般に昭和後期から平成にかけて、70年代以降は政治的なものが薄れていく時代であり、この時代の作品点数はぐっと少なくなりますが、平成末期である現代の作家の政治性を含む表現のいくつかは非常に面白いです。
本展のために制作された会田誠のインスタレーションは、巨大な英霊(餓死を思わせる日本兵)が、国会議事堂の形をしたお墓を指さしている作品。
日本国に恨みを持つ日本兵が現在の国会を非難しているようにも、敗戦を残念に思う日本兵が敵国への復讐のため現在の国会を駆動させているようにもみえ、ねぶた祭りというローカルな日本文化を題材にしている表現手法と合わせて、非常に多義的で興味深い作品になっています。
個人的に気に入ったのが石井竜一の沖縄を中心とした人々のポートレート作品、現代では沖縄やLGBTを作品化することが直ちにある種の政治性に繋がりますが、本作ではそれだけにとどまらず、被写体の捉え方が非常に良い(アーバスや鬼海弘雄を想起させる)雰囲気で、現代の日本社会の在り様を鋭くとらえた作品と言ってよいのではないかと思います。
柳瀬安里による国会前の路上を指でなぞるパフォーマンスは、昨今の国会前デモの最中に行われており、警官の職質に耐えながら地面をなぞり続ける様子は(最後になぜか宗教に勧誘されるところも含め)どことなく笑えますが、似たようなパフォーマンスを京都で実行しても「何しとるんや」「大学で美術やってます」「そうか、ほな気いつけてな」(意訳です)ですんでいる、政治的な場である東京とゆるい京都との対比が感じられるのも楽しいです。


一方、サブカルチャーの側の変化も確認できるのが本展の面白いところ。
昭和初期は文化の大衆化が進んだ時代、紙芝居「黄金バット」や、大衆小説「怪人二十面相」がブームとなりますが、戦前昭和後期になると一気に国粋と戦争のプロパガンダと化す、サブカルチャーの展示の中で最も興味深いのが、1930年代前半~40年代前半にかけての展示です。
軍歌のレコードが量産され、戦争プロパガンダ映画が上映される、ダークヒーローが活躍する紙芝居は一転して兵隊を称えるものに変化し、少女誌のイラストレーター蕗谷虹児も少年兵が活躍する作品を手掛けるようになります(この兵隊がえらく美少年なのがどことなく笑えます)。
漫画「のらくろ」の犬国と豚国の戦いは日中戦争を思わせ(敵国である豚国のブタが妙に可愛らしいのが微笑ましい)、のらくろの戦前当時のアニメーション作品も上映されていました。(このアニメを見ると、動きの様子がほとんど20年代のディズニーアニメそのままで、日本のアニメ草創期の作品がアメリカの強い影響下にあることが分かります。アニメ=日本というのは眉唾で、アニメ文化はアメリカ西海岸と日本の相互作用の中で考える必要がありそうです。また、戦後になると、大人になったのらくろがカフェでバイトしたり恋人と抱き合ったりしている作品も展示されており、このあたりも時代の変化を感じさせ面白いです。)

戦後のサブカルチャーは漫画と特撮ものがメイン。
漫画雑誌「ガロ」の表紙が大量に並ぶ展示スペースは何やら貴重、自分が特定できるのは水木しげると林静一くらいで、解説がないので後はよく分かりませんでしたが、展示の大部分を占めるのがおそらく白土三平で、岡本唐貴との展示上のつながりを感じさせます。
特撮の方はゴジラ、月光仮面、ウルトラマンなどの作品紹介と関連する文物が展示、ゴジラが空襲・原爆・第五福竜丸を背景に持つ作品であることは、原発事故以降のサブカルチャー分析を通じて知っていましたが、よく知らなくて面白かったのが月光仮面の作者である川内康範についての解説。
「月光仮面」の衣装は鞍馬天狗や黒頭巾が元になっており、戦前の復古的大衆文芸の延長上にある、後継作品の「レインボーマン」の適役「死ね死ね団」(すごい名前 笑)は戦前の日本軍に虐げられた人たちの怨念がベースにあるらしく、自分は幼いころ(80年代中ごろ)にレインボーマンのアニメ版を見た記憶があります(般若心経の文句「阿耨多羅三藐三菩提」を唱えながら変身するシーンが強く印象に残っています)が、このあたりのことはよく知らなかったので、興味深く鑑賞しました。

現代の漫画作品の中では、しりあがり寿の「地球防衛家のヒトビト」の原画展示が面白かったです。
政治的なものに触れながらそれをさらりと笑いにする作品は非常によくできており、とくに昨今の安田純平さんの解放を巡るジャーナリストの自己責任論に反応する4コマはなどは秀逸。(有名な作品のようで、「地球防衛家のヒトビト ジャーナリスト」で検索すると読めます。)
しりあがりさんのアニメ作品も上映されていたようですが、展示場の場所に気付かず(笑)自分は見逃してしまっており、どうも分かりにくい場所にあるようですので、これからみられる方はご注意を。


全体を通して。
アート作品における政治的表現において重要なことは、プロパガンダ(あるいは逆プロパガンダ)になることを避けることが大切だと改めて感じました。
戦前の戦争賛美系の作品は、今見ると様々な面で興味深く面白いですが、決してすぐれた作品であるとは言えないものが多い。
同時にプロレタリア・左派的なものを賛美するような直接的な逆プロパガンダも、政治表現としてはあまり有効ではないように感じます。
「○○反対」「○○賛成」は、政治運動としては当然積極的になされてよいものですが、作品表現のレベルではそれだけでは有効ではなく、かえって反発の方が大きくなるように思います。
山下菊二のような寓意性や、会田誠のような多義性、しりあがり寿のような笑いの要素があると、作品はずっと面白く、人の関心と共感を生むようになります。
とくに石井竜一のポートレートのような、世界から社会を照射するとでも言えるような眼差しを持った作品が個人的にはお気に入り。
直接的に何かを名指しして批判するよりも、間接的に政治性を感じさせる作品の方が面白い。
この点、直接的政治メッセージを避ける傾向にある現代日本のアーティストの作品は、アートとしてはかえって面白のではないか、などと考えたりもしました。

本展の唯一の不満は、紙の作品リストに作者名のみが載っており、作品名と制作年代の記載がないことです。
いつ制作された何という作品なのかは非常に重要な要素、これがない作品リストは作品リストの体をなしておらず、この点だけは再考をお願いしたいです。


以上、覚書と感想でした。
自分は「マツリ☆ゴト」(政治性)の部分に強く反応しましたが、単純にヒーロー関連の展示としても楽しめますし、ハイカルチャーとサブカルチャーの相対化という意味でも面白い試みだと思います。
現代美術ファンのみならず、昭和平成期の文化に関心のある方にはお勧めしたい展示です。