大阪府南部 3つの博物館 | れぽれろのブログ

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大阪再発見シリーズ。
年末から年明けにかけて、自分がまだ訪れたことのない大阪府南部のいくつかの博物館・文化館を訪れてきましたので、覚書・感想などを残しておきたいと思います。
自分は南河内出身、社会人になってからは長らく泉州に住んでいましたので、大阪府南部とは縁が深い、しかしその割に意外と訪れたことのない博物館があったりします。
今回はそれらのうちの3つの博物館を並べてコメントしてみます。


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(1)大阪府立弥生文化博物館

訪問日は昨年の12月8日の土曜日、思っていたより冷え込んだ日で、マフラーを準備せずに訪れたため、道中は異様に寒かった記憶があります。
所在地は大阪府和泉市の北のほう、最寄り駅はJR阪和線の信太山駅です。
天王寺から阪和線の快速に乗り、鳳で各停に乗り換え、25分くらいで信太山に到着。
大阪府立弥生文化博物館の所在地は信太山駅の西側。
信太山駅の西側はおそらく再開発がなされていない住宅地で、細い路地が続く迷路のような地形になっており、ほんまにここでおうてるんやろな、と思いながら西に向かってクネクネと歩き続けると、国道26号線に到着。
空襲を受けず再開発もなされていない道を歩くのは楽しいです。


外観。


大阪府立弥生文化博物館はその名の通り弥生時代の文化を展示している博物館です。
弥生時代の大規模な集落が発掘された池上曽根遺跡のそばに建てられており、遺跡の発掘による成果なども合わせて展示されています。

この日は「発見!古代エジプト」と題された特別展が開催されており、常設展示よりもこちらの展示の方が印象深いです。
我々は「古代エジプト」とひとくくりにして把握しがちですが、紀元前3000年ごろから、ローマの属州となる紀元前30年まで、およそ3000年もの幅があり、その間の文化の違いは実は多様。
この間は日本のちょうど縄文時代と弥生時代中期の時代に相当し、本展示では日本の当時の状況との比較展示も多かったです。
池上曽根遺跡と女王クレオパトラが同時代であったりなど、自国の歴史と比較することにより異文化理解が進む、今日的なマルチカルチュアリズムを意識した展示で、良かったように思います。

展示の目玉は3Dプリンタによるミイラの現物複製、ちゃんと棺桶の中に収納されており、本物と見まがうばかりの復元度は、さすが3Dプリンタと言った感じ。
複製とはいえ、現物スキャンとデータ入力とアウトプットには、かなりの費用がかかっていそうです。
自分が訪れたときはちょうど学芸員の方による展示解説の途中で、笑いを織り交ぜながらの解説はかなり盛況、お話も面白く、多くの方が解説を聴きに来ておられました。
大都市中心部からはやや離れた場所に位置する博物館の割には人が多く、展示解説の盛況ぶりがうかがえます。
異文化理解を通して「博物館で世界平和を」という学芸員の方の目標にも共感。

日本の弥生文化に関する常設展示の方は、解説映像が多く、感覚的に分かりやすい展示になっていました。
石器や木器の作り方、青銅器と鉄器の破壊力の違いなど、ぼんやり見ているだけでも楽しい。
卑弥呼の食事が意外と豪華なのも印象的。カイトくんとリュウさんという犬と龍のゆるキャラによる解説も、可愛らしくて楽しいです。
(こちらでも見ることができます。↓)
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/manga_blog/index.html


ついでに池上曽根遺跡にも寄ってきました。


風が冷たくて異様に寒いので、ほどほどにして引き上げてきてしまいました。

以下はいくつかの復元遺跡の写真。






(2)堺市立文化館 堺アルフォンス・ミュシャ館

堺アルフォンス・ミュシャ館は、19世紀末から20世紀前半に活躍したチェコ出身のアール・ヌーヴォーの画家、アルフォンス・ミュシャの作品を所蔵・展示してる文化館です。
最寄り駅はJR阪和線堺市駅。
訪問日は今年の1月12日の土曜日。
再び天王寺駅から阪和線に乗り、8分で堺市駅に到着。
ミュシャ館は駅のすぐ西側の建物の中にありました。
堺市駅は自分の出身大学から2駅ですので、駅の様子は懐かしいですが、自分が大学当時(90年代後半)は確かミュシャ館というのはまだなかったと思います。


入口。

ミュシャの「王道十二宮」と「ジスモンダ」がお出迎え。

この日は、19世紀後半から20世紀初頭のフランスの舞台女優、サラ・ベルナールに関する特集展示でした。
サラ・ベルナールは当時のフランスの大スターで、数々のヒット作(舞台)に出演し、20代から70代に至るまで長きにわたって活躍された方。
ミュシャ好きであれば、「ジスモンダ」「メディア」「トスカ」などのミュシャのポスターに描かれている女優、と言えばお分かりかと思います。
本展では、サラ・ベルナールに纏わる文物や写真・解説映像と共に、ミュシャの所蔵作品や、ロートレック、ラリックなどのベル・エポック期の美術家の作品も合わせて展示されていました。

ミュシャ作品からは「ジスモンダ」「メディア」が展示。
王女メディアの左手にある蛇の装飾が施された腕輪は、実際の舞台衣装でも使用されていたらしく、この日は現物が展示されていました。
自分はプッチーニが好きで、オペラ版の「トスカ」も大好きな作品です。
舞台版の「トスカ」は元々サラ・ベルナール向けに書かれた演劇であり。
これを見て感激したプッチーニが後にオペラ化したのが、現在一般によく公演されるオペラ版の「トスカ」。
「トスカ」は主人公のトスカは最後に投身自殺するシーンで終わりますが、サラはこの飛び降りを何度も繰り返した影響もあって足を悪くし、後に骨結核から足の切断に至ったのだそうです。
サラは絵画や小説も製作するなど、当時のマルチスターで、自宅では棺桶の中で眠るなどの奇矯な振舞もあったのだとか。
サラに関する風刺画も面白く、ベル・エポックの文化と合わせて楽しく鑑賞、ミュシャを気軽に鑑賞できる文化館ですので、また訪れたいです。



(3)大阪府立狭山池博物館

3つ目は大阪狭山市にある、狭山池をテーマにした博物館です。
訪問日は今年の1月26日の土曜日。
この日もやたらと寒い日で、風が冷たく、博物館のある狭山池付近では時折雪がパラついていました。
最寄り駅は南海高野線の大阪狭山市駅。
難波駅から急行と各停で約25分で到着しました。

大阪狭山市駅の様子。


この大阪狭山市駅は、昔は狭山遊園前駅という名前で、狭山池のほとりに「さやま遊園」という遊園地がありましたが、90年代末に閉園。
さやま遊園は自分の実家のある河内長野市から近く、自分は幼いころに何度も通った遊園地で、駅周辺から狭山池にかけては懐かしの土地でもあるのですが、さやま遊園がなくなったこともあり、風景はすっかり変わってしまっている感じ。
家族連れを中心とした遊園地へのお客さんでにぎわっていた駅も現在は閑散としており、駅自体も無人駅になってしまっていて、何とも時代の流れを感じます。

近畿圏の遊園地は少子化に伴い平成期に次々と閉園、さやま遊園、近鉄あやめ池遊園地、奈良ドリームランド、宝塚ファミリーランド、神戸ポートピアランドなど、閉園になった遊園地は数知れず。
現在はほぼUSJ一強で、それなりに頑張っているのは、京阪のひらかたパークと南海のみさき公園くらいでしょうか。

さやま遊園の跡地(現在は「さやか公園」となっています)を越え、狭山池の北側に博物館がありました。


外観。

安藤忠雄さんによる建築、一目で安藤作品と分かる、コンクリート打ちっぱなし建築です。
この博物館、入口までがやたらと遠く、さながら迷宮のような様相になっていました。


狭山池の水を利用した建物の構造。


水が滝のように降り注ぐスペース。


奥見える六角形の構造物は、階段です。
この階段をてくてくと降りる。


円形のスペース。

兵庫県立美術館(同じく安藤建築)にも、似たようなスペースがありました。

入口はどこやねん、と迷います。
この円形のスロープを上ったところにありました。
いっぺん降りたのにまた上るんかい、という感じです 笑。


狭山池博物館は、その名の通り狭山池に関する展示がメインで、無料で入場できます。
この日は「南海高野線120年のあゆみ」と題された特集展示が開催されており、これがやたらと面白くて、自分は狭山池そっちのけで(笑)こちらの展示を鑑賞しました。
自分は南海高野線沿線の出身者ですので、何とも懐かしく、楽しく鑑賞。

南海電鉄は日本最古の私鉄で、南海高野線は大阪市の難波駅から泉州北部、南河内、和歌山県の紀北東部を経て、高野山に至る路線です。
南海高野線の前身は高野鉄道と呼ばれる鉄道会社で、1898年に堺-狭山間が開通、その後高野山まで延伸する計画でしたが、利用者が少なく頓挫、その後北方向に進み難波まで延伸したことがきっかけで利用客が急増、時を経て1929年に無事高野山のふもとの極楽橋駅まで開通しました。

南海高野線は、橋本-極楽橋間は急カーブと登り坂が続く路線であり、これをクリアするために山岳走行用に車両が設計されており、車体は短く線路幅も狭くなっています。
それでいてなおかつ、難波から南河内にかけての平野部は大都市と郊外をつなぐ路線のため高速走行が要求される(難波-河内長野間を30分で突っ走る)という、実は難しいことをやっている私鉄です。
特急「こうや」は天皇が乗るお召列車を改造したものがその原型であるとのことで、このあたりは原武史マター、自分は昨年の年末以降原武史さんのファンになりつつあるので、鉄道・皇室・寺社との関わりを考えながら楽しく鑑賞しました。

精密な鉄道模型や、昔の車体のパーツや切符の記録など、鉄オタ向けの展示も多いですが、自分が最も面白かったのは大正期・昭和期の路線図兼、大阪南部の地図です。
現在と当時の路線図・駅名・周辺の観光名所の違いを考えながら鑑賞。
大阪狭山市駅は元々は周辺の地名から半田という駅名であったとのことで、河内半田→狭山遊園前→大阪狭山市という駅名の変遷、村落の名称→高度成長期の施設名→市政発足後の市名、という変遷も興味深いです。
みさき公園駅も元々は深日(ふけ)駅であったりだとか、大正・昭和期の大阪南部の観光名所、浜寺公園、根来寺、粉河寺、施福寺、観心寺、その他和泉山地や千早方面のハイキングコースなども掲載されており、沿線文化を確認できる地図は見ていて飽きません。
地名・駅名・施設名の変遷を考えながら楽しく鑑賞、大阪府南部出身者としては、やたらと楽しい展示でした。

常設展示、灌漑技術の変遷を中心とした狭山の歴史も興味深いものでした。
自分は大阪南部の人間のくせにあまり理解していませんでしたが、近世江戸時代の狭山藩は、北条氏の所領でした。
北条氏(厳密には後北条氏)は戦国時代に活躍した小田原の北条早雲に始まる家系で、15~16世紀にかけて長らく関東平野を治めましたが、16世紀末に織豊政権に敗北。
その後の改易により、徳川時代260年間は狭山藩主として南河内を治めたとのこと、実は南河内における執政の歴史の方が長いようです。
なるほどそうだったのかということで、何やら急に小田原に親近感が湧いてきます。


こちらは遊園地の跡地である「さやか公園」の入口。

公園は閑散としていました。
昔は冬であればスケートリンクが賑わっていたはず。


旧さやま遊園の外観写真の看板。

懐かしいです。
右側に見えるちらっと見えるのが流れるプール、自分は夏になると何度も訪れていました。
プールで流れていた音楽まで思い出しました。
 ミソド~、レミソ↓~、ドシラ~、シドレ~、
 ミソド~、レミファ~、ドレミ~ミ、ファレシソド~♪
  ↑誰かこの曲名が分かる方がおられたら、教えて頂けると嬉しいです。


プールがあったのはこのへんかな。


 

狭山池の様子。




 

遠くにPLの塔が見えます。

PLの塔は富田林市にあるPL教団による塔、
昔は教団関係者以外も登れました。
吹田市の太陽の塔と並ぶ、昭和期大阪府の奇怪な建築だと思います。


恒例のゆるキャラ撮影コーナー。

大阪狭山市にには「さやりん」というゆるキャラがいます。
体が龍で髪が桜とのことですが、女の子が龍の着ぐるみを着ているようにしか見えません(笑)。

狭山池アプリのダウンロードを促すさやりん。

 

資源の大切さを訴えるさやりん。


交通整理に勤しむさやりん。


ポイ捨てに怒るさやりん。



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以上、大阪府南部の3つの博物館・文化館でした。

さて、つい先日大阪府南部の本屋さんのチェーン店、天牛堺書店の自己破産が報道されました。
南海沿線のあちこちにあった本屋さんで、新刊と古書が並べて販売されているのが特徴の本屋さん。
自分の中では長らく本屋=天牛堺書店という認識、幼いころからよく足を運んでいた本屋さんでした。
河内長野店、三国ヶ丘店、りんくう店をよく利用しており、とくに三国ヶ丘店(130Rの板尾創路さん実家のケーキ屋さんの隣にありました)は、大学の通学途中に途中下車してしょっちゅう出入りしていましたので、思い出深いです。
懐かしいものがどんどんなくなっていくのは時代の流れとはいえ、寂しいものですね。