平成史講義/吉見俊哉 編 | れぽれろのブログ

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ちくま新書の「平成史講義」を読み、面白かったので覚書と感想などを残しておきます。

「平成史講義」はちくま新書の歴史講義シリーズ、過去の「昭和史講義」「明治史講義」「中世史講義」「古代史講義」などの流れの中の一冊です。
いずれのシリーズも10名程度の研究者が現在の歴史研究の成果をまとめておられ、今回の「平成史講義」も9名の研究者により全10講がまとめられた著作になっています。
過去のシリーズはほぼ歴史研究者による著述ですが、今回の「平成史講義」は社会学や政治学の研究者による著述となっており、このあたりが過去のシリーズとは異なるようです。(平成は歴史研究の対象とするには、まだが歴史が浅いということなのだと思います。)

平成が間もなく終わろうとしている昨今、平成という時代を振り返るような著作が多数出版されており、自分もいくつかの著作を読みましたが、その中でも本書は最も簡潔に、社会変化の重要ポイントがまとめられている著作だと思います。
編者は社会学者の吉見俊哉さん、東大見田ゼミ系の学者さんで、見田宗介さんの弟子筋に当たる方であり、我が家には「ポスト戦後社会」(岩波新書)、「夢の原子力」(ちくま新書)、「万博と戦後日本」(講談社学術文庫)の著作があります。
吉見さん以外の著者では、野中尚人さん、本田由紀さん、北田暁大さんの著作を自分は読んだことがあります。

本書は全10章立てで、総括的な第1講のあと、政治、行政、企業、若者と教育、メディア、リベラリズム、中間層、安全保障、アメリカというテーマが論じられる9つの講義に分かれており、各講がそれぞれ別々の研究者によりまとめられています。
世相や文化の変遷をまとめた著作ではなく、主として社会の諸々のシステムの変化が簡潔にまとめられているのが本書の特徴。
平成という元号が使用された年代それのみで時代を切り取ることはそもそも不可能ですが、それでもこの30年間はちょうど冷戦の終結とグローバル化、IT化、少子化が急激に進展した時代であり、本書は平成の30年はこれらの変化による諸課題に対し、うまく適応できなかった時代、改革に失敗した30年であるとの規定で記述されています。
この30年が幸福であったと感じるか不幸であったと感じるかはもちろん諸個人の問題、しかし社会全体でマクロな視点で俯瞰した場合、諸課題への適応不全があったのは明らか。
これらの失敗の整理、今後の課題の再整理のための視座を提供するという点で、本書は重要な書籍であると感じます。

とりわけ重要なのが第2講から第5講、それぞれ政治、行政、企業、若者と教育を扱った4つの講義で、このあたりが本書の中心となる講義であると感じます。
政治の変化を扱う野中尚人さんによる第2講、選挙制度改革や行政改革により、この30年で政治権限の集中が生じたこと、政策のボトムアップと派閥による権力分散が特徴であった55年体制から、党中央執行部や首相官邸によるトップダウンの政治への変化がまとめられています。
戦前昭和までは権力の分散による弊害(中央が各セクションをコントロールできずに、軍部などの1セクションが暴走する)が大きかったですが、現在は極端な権力の一極集中による弊害(官邸の暴走が制御できなくなりつつある)が大きくなっているというのは、大きな歴史の流れで見ると興味深い傾向です。
第3講、中央行政と地方自治の機能不全→改革(平成の大合併など)の失敗→閉塞と腐敗に至るプロセスは怒りのトーンで書かれており、この講義も必読。

第4講・第5講、企業の変化、若者と教育の変化。

自分にとって平成の30年はちょうど11歳から41歳と重なりますので、この講義は当事者として興味深く読みました。
利益が上がり賃金が上がる時代→利益が上がらず賃金が下がる時代→利益を上げるために賃金を下げる時代というこの30年の変遷。
この流れはちょうど、若者の自由と教育の自由を称揚する時代→企業の利益低下を若者の怠業批判と教育の失敗に転嫁する時代→自己責任の名のもとに人間力を総動員するような労働と教育の再強化が進む流れと符合します。
自分はちょうど2000年(超就職難の時代)に就職した世代、自分の所感でもゼロ年代の企業は若年労働力はゴミ扱い(3年でやめる若者というのが流行り言葉になりました)で、賃金上昇は据え置きが常態化。
ゼロ年代後半になると企業コンプライアンス云々から労働環境はやや改善されますが、労働のハイパーメリトクラシー化(超業績主義化)は進み、人間力を全面的に国益や企業利益に直結させるよう行動を促す傾向は、より強化されているように感じます。
団塊世代の退職と円安誘導により失業率は低下し、現在のところ就職は売り手市場ですが、経済が一巡し不況化すると一気に問題が露呈する、危うい状況は続いていると見るべきです。

第6講以降はエッセイ調の講義もあり、テーマもややゆるめなものも多いです。
その中で興味深いのは北田暁大さんによるリベラリズムについての第7講。
本講によると、保守/革新の対立は、平成以降は保守/リベラルの対立となる。

このリベラルというパッケージはかつての革新に比べて定義が危ういもので、とりわけ経済政策については立ち位置が定まっていない、若者の多くが現政権を支持するのは若者が保守化し国粋的な主張に同意しているわけではなく、財政出動による雇用促進の点で、現政権は旧民主党より革新的に見えるのだという指摘は重要だと感じます。
確かによく考えると、左が財政出動を重視し、右が財政規律を重視するというのが、世界の一般的な傾向です。
かつては経世会・宏池会的なもの(相対的左)が財政出動、中曽根・小泉的なもの(相対的右)が財政規律を重視していましたが、09年民主党政権は財政規律を最重視した(事業仕分けに代表される)ため経済政策だけ見ればアンチリベラルと言えなくもない。
逆に現政権は右派にあるまじき(?)財政出動政権ですので、支持率が高いのもうなずけます。
多文化主義的なものをリベラルの支柱として位置付けることも重要ですが、今後のリベラル派再興のためには、まず経済を語ることは避けては通れないことだと感じます。

吉見俊哉さんによる第10章、アメリカの変化はとりわけ重要。
20世中庸から後半にかけてのアメリカンドリームの変化、ルーズベルト以降・製造業中心・郊外型核家族・総中流こそがアメリカンドリームであった時代から、レーガン以降・金融業とIT中心・一攫千金こそがアメリカンドリームであるという時代へ。
生産が飽和し金融化する、グローバル格差を利用し周辺国へ緊縮財政と規制緩和を要求するアメリカ、世界のフラット化・各国の格差化は怨念を齎しテロを誘発する、冷戦期には予想していなかった不安定さが世界を覆ったのがこの30年間です。
同時にグローバル化(=途上国の地位向上)は相対的なアメリカの地位低下を齎します。
昭和末期以降、プラザ合意以降の日米構造協議などの一連の対米協議に屈した日本は、90年代に旧敗戦国→主権国への変革ができず、引き続いての対米追従を選択、沈むアメリカと運命を共にする道を歩まざるを得なくなったのが平成期の日本。
かといって急速な対米自立は下手をすれば悲惨な孤立主義になりかねず、押すも地獄、引くも地獄というのが、現在の日本の立ち位置なのかもしれません。

総じて厳しい指摘ばかりが印象に残る著作ですが、現在の立ち位置を改めて批判的に見つめ直すことは重要。
後年振り返った際には平成という時代はもっと違った捉えられ方をするのかもしれませんが、現時点での振り返りとして、平成以降の今後を考える上で、本書は重要な視点を提供している本であると感じます。