とかげ日記

【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。少数派のための、少数派への優しさを持った多数派のための音楽。


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●数年前までファンでした
Clap Your Hands Say Yeah(クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー、以下CYHSY)は昔は好きでよく聴いていたんですよ。セルフタイトルの一作目(2005年)のローファイな作りも好きだし、二作目『Some Loud Thunder』(2007年)の歪ませた音による実験的なアプローチも好きだし、三作目『Hysterical』(2011年)の普通のロックバンドとしてたたずもうとしているのにフリーキーな本質が隠し切れていないところも好き。

ただ、前作であり四作目の『Only Run』(2014年)は機会を逃して聴いていなかったんですよ。そうしたら、音楽ブログ界隈では今までで一番の傑作だって盛り上がっていて、自分が1stから追いかけていたCYHSYが目を離した隙に他の人に盗られてしまったみたいで少し悔しい思いもしていました。だから、後追いで聴くこともせず。

今回、CYHSYの新作が出ると聴いて、しばらく離れていたCYHSYのモードを知りたくてCDを買ってみました。今のCYHSYはどうなっているのだろう? ウェブサイトの情報によると、『Only Run』の前にメンバーチェンジを行っているようだが…?

●聴いてみた
聴いてみると、過去作に比べて音響のドリーミーさが際立つアルバムになっていると感じた。ギターと鍵盤のウワモノが残響しながら絶えず享楽的に鳴り響く。リズムに工夫を凝らしているのも特徴的だ。

フロントマンのアレック・オウンスワースのヘロヘロ声がサウンドをバックにしてドラマチックに波打つところは今までと変わらず。

このドラマチックの具合はアメリカインディーロック界のMr.Childrenと呼ぶべきか。CYHSYの曲は、メロディーにもアレンジにもMr.Childrenの曲と比肩しうるドラマチックな要素がある。

ここで、Mr.Childrenと並べて語ることはCYHSYに失礼だと言う人は、Mr.Childrenを過小評価しているし、Mr.Childrenに失礼だと言う人はCYHSYを過小評価している。CYHSYの曲は、Mr.Childrenと同じくエルヴィス・コステロの匂いがかすかに漂うのも共通点だ。

曲がドラマチックであることは僕にとって重要な要素だ。ドラマチックであることは感動を呼び込む。僕はエンターテインメントも芸術もいかに人に感動を与えるかが肝要だと思っている。感動を目的にするのは間違っているけれど、何の感動ももたらさない作品は僕にとって関心の対象にならない。

本作『The Tourist』(ザ・ツーリスト)、早くもお気に入りです。ドリーミーな響きとドラマチック性の相性は抜群。心の渇きを潤すカタルシスが残響するこのサウンドにずっと浸っていたい。


Clap Your Hands Say Yeah - Fireproof


Clap Your Hands Say Yeah - Better Off
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●引っ越しました
昨日、東京から埼玉に引っ越しました。

引っ越し業者が荷物をトラックに詰め込む早技に驚く。僕が一つ持つので精一杯な荷物が詰まった段ボールを、二つ肩に抱えて軽々と持ち運ぶ。

新居は運ばれてきた段ボールの山が至る所に。これから徐々に片付けていきます。

新生活だ! 35年ローン、少しずつ返していくぞ!


星とピアノ

冬の早朝4時に外に出る
ああ ああ
馴染みの場所から離れたこの場所でも星が見える
心許ない僕の心の天井を
小さな星の瞬きが照らしている

夢の中では夜通しの大宴会
友人も家族も新居へどうぞ
酒に御馳走にうつつを抜かし
どこからかはピアノの音も聴こえてくる
夢から醒めた後の肌を突き刺す冷たい風

イヤホンをつけて曲を聴きながら
いつものように缶コーヒーで安心の一服
音楽が立ち上がってくる瞬間に
今までと変わらない何かを感じる

変わった景色は箱船の旅のその先
今までから変わった何かと共に
僕はこれからも生きていく
空の色も変わり始めてもうじき日も昇るだろう
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●自由な詩
宮沢賢治の詩を無理にでも音楽にたとえるなら、言葉をイマジネイティブかつ天才的に駆使したという点で、ジミ・ヘンドリックスのギタープレイに通じるものがあり、突然、別次元からフレーズが投げかけられたり、詩が進むにつれて突飛にも思えるような転調を重ねていくという点では、プログレ的でもある。

一般的には「口語詩」とジャンル分けされる自身の詩を「心象スケッチ」と名づけて、他の詩とは一線を画したものだとする点はニューウェーブ的であり、ポスト・ロック的だ。

彼の詩は、意味不明に思える言葉の連なりでも、美しいハーモニーを奏でている。その点では、一流のポップスだ。しかし、意味から遠く離れたノイズの連なりともいえるから、ノイズロック的でもある。

ファンタジーにあふれた世界を空想させる点は、アニメソングともいえるかもしれない。自身の仕事と関連する農耕と深く関わっているという点では、泥臭いブルースの要素もあるかもしれない。

要はなんでもありの彼の詩。全てをはらみ、詩の俎上に乗せる。生前に彼の詩が一般に理解されなかったのは、70年代のグラム・ロックやパンク、80年代のニューウェイヴやシューゲイザー、ノイズミュージックやゴス、ローファイなどの新しいジャンルの源となったヴェルヴェット・アンダーグラウンドがその活動中に理解されなかったのと通じるかもしれない。

宇多田ヒカルが最も親しんでいる詩も賢治の詩。宇多田ヒカルは、公式サイト上の「HIKKIは、繰り返し読むような、大好きな本とかありますか? また、お好きな作家や詩人はいますか?」という質問に対して、「最近、小説とか短編に興味なくなって詩ばかり読んでるけど、なんだかんだ言って宮沢賢治の『春と修羅 mental sketch modified』以上の衝撃を受けたことはないぜ」と答えている。

賢治の詩を読んだことのない方のために、宇多田ヒカルが挙げた上記の詩を載せてこの短い記事を終わりにしようと思う。著作権が切れているから自由に載せられるのだ。(字下げも詩のデザイン上で重要な要素だが、スマホだと表示されないので、字下げの意匠も楽しみたい方はパソコンで記事をご覧ください。)


 春と修羅
         (mental sketch modified)

   

   心象のはいいろはがねから

   あけびのつるはくもにからまり

   のばらのやぶや腐植の湿地

   いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様

   (正午の管楽(くわんがく)よりもしげく

    琥珀のかけらがそそぐとき)

   いかりのにがさまた青さ

   四月の気層のひかりの底を

   唾(つばき)し はぎしりゆききする

   おれはひとりの修羅なのだ

   (風景はなみだにゆすれ)

   砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり

    れいらうの天の海には

     聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ

      ZYPRESSEN 春のいちれつ

       くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ

        その暗い脚並からは

         天山の雪の稜さへひかるのに

         (かげらふの波と白い偏光)

         まことのことばはうしなはれ

        雲はちぎれてそらをとぶ

       ああかがやきの四月の底を

      はぎしり燃えてゆききする

     おれはひとりの修羅なのだ

     (玉髄の雲がながれて

      どこで啼くその春の鳥)

     日輪青くかげろへば

       修羅は樹林に交響し

        陥りくらむ天の椀から

        黒い木の群落が延び

          その枝はかなしくしげり

         すべて二重の風景を

        喪神の森の梢から

       ひらめいてとびたつからす

       (気層いよいよすみわたり

        ひのきもしんと天に立つころ)

   草地の黄金をすぎてくるもの

   ことなくひとのかたちのもの

   けらをまとひおれを見るその農夫

   ほんたうにおれが見えるのか

   まばゆい気圏の海のそこに

   (かなしみは青々ふかく)

   ZYPRESSEN しづかにゆすれ

   鳥はまた青ぞらを截る

   (まことのことばはここになく

    修羅のなみだはつちにふる)

   

   あたらしくそらに息つけば

   ほの白く肺はちぢまり

   (このからだそらのみぢんにちらばれ)

   いてふのこずえまたひかり

   ZYPRESSEN いよいよ黒く

   雲の火ばなは降りそそぐ

   
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