うみのて『IN RAINBOW TOKYO』感想&レビュー(2013年)【過去記事再録】 | とかげ日記

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【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。
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●いかれちまった気分はどうだい

フロントマンの笹口騒音ハーモニカは、ナタリーのインタビューでRadioheadのようになりたいと語っていた。アルバムタイトルもRadioheadの『In Rainbows』を意識してのことだろう。

Radioheadのように、僕ら大衆が聴いて訳が分からないけれどすごい、と感じるような天才的な創造性とイマジネーションがここにはある。山手線があるのなら、うみのて線もあるだろうというのが、うみのての名前の由来だそうだが、既存の世界を書き換えていくようなSF的な想像力が他のバンドにない個性を放っている。

音楽的には、Radioheadというよりも、60年代の西海岸サイケロックに近い。そして、ただサイケであるというだけでなく、うみのての音楽を特徴付けるギミックがいくつもある。

まず、高野P介のフリーキーなギター。高野はロックの先達ではなく、ゲーム音楽から主に影響を受けていることを公言している。ゲームの世界をそのシーンに合った音楽で盛り立てるゲーム音楽のように、歌詞の情景を大切にし、その曲の世界観を重視したプレイをする。「東京駅」では普通の人間の不自由を軽々と超えていくような、狂気にまみれた自由奔放なギターが炸裂し、「SUCIDAL SEASIDE」では自殺願望を持った少年と少女を優しく受け入れる絶望の海を描き出す。過剰なまでにドラマチックで扇情的だ。「過剰」は、うみのての音楽の一つのキーワードだろう。

鉄琴とピアニカもうみのての音楽には欠かせない。懐かしさを演出し、懐かしさと近未来が同居するうみのての叙情性あふれるサウンドに貢献している。

リズム隊の表現力も見逃せない。「正常異常」の狂気を煽り立てる呪術的なベースとドラム。「NEW WAR (IN THE NEW WORLD)」の気温、湿度共に高めの陸戦地のようなベースリフとドラムロール。

笹口騒音のボーカルにも他のボーカルにはない記名性がある。ライブでは叫ぶように歌い続けるパフォーマンスが印象的だったが、そのスタイルはここでは影を潜めている。スタンダードなポップスやロックを歌うには線が細いと思われる声だが、うみのての音楽では危うさの空気を醸し出している。熱量高めの声で地声とファルセットを自在に往復し、正気と狂気の間をぐるぐる回りながら、優しくて残酷なうみのての音楽の顔になっている。

そして、思想的には狂気を宿しながら、既知と未知の間の扉を開けようとしたThe Doorsの系譜に連なると思う。このアルバムは「いかれちまった気分はどうだい わかっちまった気分はどうだい」と歌われる「TALKING BABY BLUES(HEY BOY HEY GIRL)」で始まる。うみのての音楽は、今まで自分でも知らなかった自分の中にある世界を教えてくれる。音楽で冒険できるのだ。


うみのての音楽は、インターネット登場以降の情報量多い世界の狂気を歌っている。その点では神聖かまってちやんと共通する。

笹口騒音も神聖かまってちやんのの子も自分のことを狂っていないと言うが、これは狂っている人は自分のことを狂っているとは言わないというマナーに従ってのことだと思う。

だが、神聖かまってちやんは狂気の扉のあちら側で鳴らされる音楽であると感じるのに対し、うみのての音楽はある一定の理性を保ちながら、狂気を歌っているように感じる。

そう感じるのは、うみのての音楽が論理的だからだ。神聖かまってちやんは訳の分からなさ、論理の飛躍の気持ちよさが魅力だ。どうしてボコーダーを使うのか、どうしてこんなにリバーブをかけるのか、どうしてここでこんな音を使うのか、どうしてここでこういう歌詞になるのか分からない。うみのての音楽は、歌詞や曲想とそこで鳴らされる音楽の間にリンクがある。また、アルバムの中の曲がアルバムの他の曲と有機的に繋がっている。右脳と左脳が両翼となって狂気を構成しているのだ。グリスでスライドするように正気と狂気を行き来するうみのての音楽は、意識にも無意識にも働きかける。

かまってちゃんの音楽がリズムがチープなのが味になっているのに対して、リズムがしっかりしているのもうみのての特徴だ。もろく崩れそうな(でも強固な)神聖かまってちやんの音楽と違って、頑丈でしなやかな土台の上に狂気の世界を構築している。

うみのての狂気は温かい。それは、身体や血の温度に似ている。「SAYONARA BABY BLUE」で見せる、どこまでも落ちていく人間に対する優しさ。うみのての音楽は、狂っているけれども、その眼差しは優しい。その優しさに救われる人もたくさんいるだろう。

狂気と優しさ、リリカルな想像力でリスナーの世界を塗り替えていってほしい。新しい戦争はすでに始まっている。

(この記事は本作発売当時に書いた記事の原稿を再録したものです。)