こんにちはわんわん



前回の記事では ”自分の体” でさえも・・・

”借り物” であるという 内容を ご紹介しました。

そして 私たちの 身の回りにある ”すべてのもの” は・・・

”宇宙の所有物” であることが 理解されます。星





では ”自分の体” も ”自分のものではない” ことになると・・・

“借りている主体” としての ”自分” とは・・・

いったい どこにあるのか? というような疑問も 発生してきます。得意げ





それは 仏教でも 人間を ”肉体” と ”心” とに 分けているように・・・

私たちが これまでも 一般的に 考えている・・・

“こころ” や “精神” が その ”主体” なのであり・・・

別の言い方をすれば ”魂(たましい)” であると 考えられます。

これこそが まさに ”自分自身” であると 考えられます。ドキドキ





そして その ”魂” とは・・・

体の中の どこにあるのか? という疑問も 発生するわけです。

私たちが これまで 一般に 考えてきたのは・・・

人間としての “脳” であるわけですが・・・

しかし 人間の肉体が ”死” を 迎えれば・・・

それは 完全に 機能しなくなってしまいます。ハートブレイク





つまり 私たちの ”主体” としての 自分自身とは・・・

人間の ”肉体の次元” に あるのではなく・・・

”別の次元” に 存在するものであると 考えられます。ひらめき電球





それが 前回の記事での 最後の参考記事でも ご紹介しましたが・・・

私たちの ”魂(たましい)” とは・・・

ひとつの “原子・素粒子” に 宿っている・・・ということなのです。目





仏教の開祖であった ゴータマ・ブッダは・・・

人間が 生まれ変わることの ”輪廻転生(りんねてんしょう)” について 考えました。

つまり 私たちが ”死” によって ”自分の肉体” から 離れたとしても・・・

その後も ”自分” は ”そのまま存在する” ということを 説いていたわけです。

そして 自分が持つ “縁(えん)” によって・・・

”来世” で ”何かに 生まれ変わる” ことに なるわけです。リサイクル





つまり ”自分の死後” も・・・

引き続き ”自分” として 存在するものとは 何か? を 考える時・・・

そこでは 宇宙全体を構成している ”原子・素粒子” というものが・・・

この宇宙で “不滅なもの” として・・・

”流転” または “転生” していることが 考えられるわけです。

私は この “原子・素粒子” こそが・・・

人間の ”魂の正体” ではないか? と 考えたわけなのです。ドキドキ





”ブッダの教え” によれば・・・

私たちが ”人間” に 生まれたのは・・・

自分自身が ”人間になる縁(えん)” を 持っているからです。

つまり もともとは ”ひとつの原子・素粒子” であった 自分自身が・・・

”人間の母胎” に 入ったから・・・

この世界に ”人間” として 生まれた・・・と 考えられます。 





そして もし 今後・・・

”人間には 生まれ変わりたくない”・・・と 考えるのならば・・・

ブッダの説いた ”八正道(はっしょうどう)” という 修行法を 実践することで・・・

”来世” 以降も ずっと ”人間の母胎” に 入らないように・・・

自分自身の “縁を変える” ことが 必要なのです。

これは このブログでも 昨年 長期にわたって 考えて参りました・・・

原始仏典 “スッタニパータ” にもある 内容でした。(※)本





ブッダは 私たちが ”なぜ 苦しむのか?” という 問題に対して・・・

私たちが ”人間であるから” という 明確な 答えを出しました。

そして 私たちが ”苦しまなくなる” ためには・・・

”人間に 生まれ変わらないこと”・・・という 明確な 答えも出したのです。ひらめき電球





さらに ブッダが 目指していた・・・

”究極の平穏な状態” としての ”ニルヴァーナ(涅槃寂静)” というのは・・・

私たちが ”人間の次元” ではない・・・

”別の次元” に 移ることで 可能になる・・・ということも 理解できるわけです。ひらめき電球

  



そして それを ”宇宙レベル” で 考えれば・・・

この宇宙で ”最も安定したものとは 何か?” について 考えれば・・・

それは “原子・素粒子” が・・・

”何とも 結びつかない状態” としての・・・

”完全に 独立した状態” であることも 考えられます。

そして この状態こそが・・・

”ニルヴァーナ(涅槃寂静)” であるとも 考えられるのです。星
 




そして この考え方が 正しいのであれば・・・

私たちが ”人間の欲望” や ”人間の感覚” に ”執着” していれば・・・

“完全に 独立した 原子・素粒子の状態” に なることは まず できないために・・・

”決して ニルヴァーナには 到達できない”・・・ことも わかってきます。ショック!





さらに 仏教での 有名な経典である ”般若心経” にも 記されていますが・・・

”五蘊(ごうん)” と呼ばれる ”色・受・想・行・識” の 五つである・・・

”人間の体” や ”人間の感覚” としての ”心の働き” などは・・・

修行者たちの ”究極の到達地” に おいては・・・

完全に “無になる” と されています。本





この意味というのは・・・

私たちが ブッダが説いた “究極の平穏(ニルヴァーナ)” を 獲得するには・・・

人間としての さまざまな ”感覚” から・・・

”完全に離れる” ことが 必要である・・・ということです。パー





そして 私たちは・・・

この宇宙での “最も安定した状態” に 移行することが 可能になるようです。

そして その状態 というのが・・・

“原子・素粒子”  としての ”完全に独立した状態” であると 考えられるのです。水






私たちが “原子・素粒子” としての 状態になると・・・

この宇宙で “本当の自由” を  獲得できるのかもしれません。

それは ”時空” を 自由に 移動できたり・・・時計

さらには 人間の思考や 人間の想像を はるかに超えている・・・

”完全な自由” を 実現しているのかもしれません。流れ星

つまり ブッダは 人類に・・・

この宇宙での ”無限の可能性” を 説いていたようです。目
   



 



皆様も ご自身が ”人間” であることに・・・

さまざまな ”苦しみ” や ”不自由” を 感じることが 多ければ・・・しょぼん








仏教の開祖としての ”ブッダの教え” を 実践されることで・・・

この宇宙での “究極の平穏(平和)” を 実現して・・・

この宇宙での ”無限の可能性” を 獲得されてみては いかがでしょうか?ニコニコ


 


 












(※) ”原子・素粒子” について 考えました・・・

    “原子・素粒子は 時空を超える” という記事は こちら星


    ”魂を 解放する ということ” という記事は こちら星


    “原子・素粒子を 感じて生きる” という記事は こちら星


    ”私たちに 孤独は あり得ない” という記事は こちらです星 





    また 原始仏典での “母胎に入らない” について 考えました・・・

    ”ブッダの教え 母胎に入らない の意味” という記事は こちら星




    そして ブッダの教えの 実践方法である・・・

    ”八正道(はっしょうどう)” の 内容は こちらからどうぞ星