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1980年タイに初上陸。
1986年伊勢・大阪などフリーマーケットに出店。
1991年伊勢神宮外宮参道 菊花ビルにて「シャンバラ」開店。
2000年インターネットのお店「webshop-shanbara]開店。
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2012年02月22日

スキー3

テーマ:お知らせ

スキー場のバイトは楽しいことがたくさんありました。
お昼はリフト小屋でお弁当のランチジャーで
ごはんを食べるのですが
社員の人が毎回差し入れで
ストーブの上でジンギスカンの焼肉を焼いてくれました。
その人は趣味で?猟師もやっていて
ときどき鉄砲でウサギを撃ってきたりもしていました。
ウサギは見ましたが、その肉を食べたかどうかは不明です。

ときどき出張?でリフトをのぼりつめた山のてっぺんにある
山荘に泊まりに行ったりするのですが、
そこは人里から隔絶された世界。
昼間はスキーヤーで賑わうのですが、
夜はスタッフ数人だけの小屋となります。
満月の夜に散歩したら、
針葉樹の森や雪山が蒼白く輝きます。
まるで絵本の世界にはいったように美しい光景でした。

バイトにやってきたときに
着替えの他、本を一冊も持たずにやってきました。
ところが宿舎には本が一冊もなかったのです。
当時、ほぼ活字中毒のような状態だったので、
文字を読めないのはかなりの苦痛でした。
ところが休みは1週間先。
スキー場の周りにはホテルや民宿や酒屋はありましたが、
本屋なんてものはなかったのです。
ましてや1980年のことでしたから、コンビニなんてありません。

何か読みたい、何か読みたい。と。
毎晩、毎夜、本屋に行く夢ばかり見ていました。
いつもどこかの街をさまよって本屋を見つけて
「やっと本が買えた!」と喜んだところで
目が覚めるのです。
やっと、休みがきて近くの町に行くことが出来ました。
ゲレンデを歩いて下って
バスにのり、山を下り、JRの駅まで行って
そこから汽車に乗って町へ。

小さな町でしたが、1週間も山の中にいると
大都会に思えました。
小さな本屋を見つけるともうそこはパラダイスのように思えました。
どんな本を買ったかよく覚えていませんが
ほくほくしながら本を抱えて山に戻った思い出があります。

バイトに来ている人は全国からいろいろな人が集まってきていました。
だいたいがスキー好きの人が多かったのですが。
夏は山小屋、冬はスキー場で過ごす人もいました。
ぼくはスキーは嫌いではなかったですが
スキー馬鹿の人は
夜になっても延々とスキーの話をしています。
フォームがどうのこうの。と。
そんなのを横目でみながら延々と酒を飲んでいました。
とにかく夜は酒ばかり飲んでいました。
今思うとあまりきれいではありませんでしたが、
窓にぶら下がるツララをポキっと折って
ロックにして飲んでいました。

3ヶ月もいるとそこそこ上手くなってくるもので
あまり転ばなくなってきました。
3月になって暖かくなると
雨合羽のような会社のスキーウエアを脱いで
ジーパンとTシャツで滑ったりしていました。

朝、誰も滑っていない新雪のゲレンデに
自分のシュプールを描くのもバイトの特権でした。

まだスノーボードなんてなくて
やっとフリースタイルスキーが
アメリカからやってきたところで
短めのスキーが流行りだしました。
それをまねてくるくると回転したり
小さいジャンプ台でジャンプして遊んだりしていました。

しかし、雪山の中に3ヶ月もいると
なんだか閉じ込められている気分になって
すっかりイヤになってきました。
はやくここから出たくなってきて
山を降りました。

その後、もうスキーをすることは1-2度だけありましたが
遠ざかって早30年たちました。
もう復活することはないでしょうが、
スキー場のことを書いていたら
次から次へといろんな事を思い出しました。
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2012年02月19日

スキー2

テーマ:雑感

1980年ころでしたっけ。
長野県の栂池高原というスキー場で3ヶ月間のあいだ
アルバイトをしました。

栂池高原はかなり大きなスキー場で
初心者コースから上級者コースまで
1日では回りきれないくらいたくさんのリフトがあります。

ホテル街からリフトで上がった
ゲレンデの中腹にある大きな山荘が
従業員宿舎となっていて
上下2段ベッドが3つならんだ6人部屋の
窓際の下のベッドが自分のスペースでした。
今思うとタコ部屋です。^^

それでも10代から40代の
いろいろな人が全国から集まってきて
いろんな方言がとびかっていました。

3食付で、朝は従業員食堂で食べて
ランチジャーにお弁当詰めてもらい
ピステンという雪上車の荷台にしがみついて
だれもいないゲレンデをリフト小屋まで登ってゆきます。

雪が降った日などは新雪を散らしながら
登ってゆくのは楽しかったです。
リフト小屋に着いたら
雪の降った日は除雪器やダンプと呼ばれる
そりのようなちりとりのとうなもので除雪します。
ひどいときはスコップで雪を掘り起こしたりもしました。

そうしてリフトの試運転がはじまります。
リフトの座席は搬器(ハンキ)といって、
リフトに積もった雪をほうきで払います。

しばらくするとスキー場のリフトが全て動き出して
営業開始です。
お客さんが安全にリフトに乗れるように補助したり、
切符を切ったりするのが主な仕事でした。
ぼくのいたリフト小屋は中級者コースだったので
リフトに乗りなれていないお客さんはあまりこなかったので
それほど難しい仕事ではありません。

お昼休みはお弁当食べると
スキー滑り放題です。
休憩時間にいかにたくさん滑るか。
それが一番の課題?でした。
でも滑るのは速いのです。
速くて30秒
遅くて1分もあれば1本のリフトの上から下まで降りてこられます。
ところがリフトに乗っている時間が以外と長くて5-7分はかかります。
スキー場のユニフォーム
(と言ってもほとんど雨合羽にロゴが入っているようなもの)
を着ていると業務ということで、
ホントは休憩時間なんだけど)
順番を飛ばして優先的にリフトに乗れるので
ちょっと優越感を感じました。
昼休みは一分一秒を惜しんで滑っていましたが
ほとんどリフトに乗っている時間がながかったです。

夜はほとんど毎晩酒盛りでした。
時々下界に飲みに行ったりディスコに行ったりすることもあったけれど
雪道を30分かけて下界に下りていかなければならないし、
お金もなかったので
宿舎のバイト仲間で毎晩酒飲んでいました。
安いウイスキーの2リットル瓶が2-3日でなくなるくらい
大酒飲んで
翌朝、ピステンに乗っているときでも
まだお酒が残っていて
世界がぐるぐる回ってるよー、などと
言いながらリフト小屋に向かいました。
2012年02月16日

スキー

テーマ:雑感
スキーのシーズンですね。
もう私は現役を退いて長いのですが
かつてはスキーヤーでした。

初めてスキーをしたのは3歳のころ。
雪のない伊勢でスキーをする人なんて
当時珍しかったのかもしれません。
昭和38年ですものね。(笑)

親父がスキー大好きで
よく連れて行ってもらったのです。

冬は早朝真っ暗なうちに家を出て
車で三重を越えてとなりの滋賀県の琵琶湖のむこうにある
スキー場によく行きました。

親父だけでなく
いろいろな若いお兄ちゃん、お姉ちゃんと
一緒に行けるのでとても楽しみでした。
いつも「明星の歌本」を持って
当時流行っていたグループサウンズの歌を
車の中で教えてもらいました。

途中ドライブインによって
車の運転ゲームをするのが好きでした。

スキーももちろん楽しかったです。

名古屋から夜行のスキー列車に乗って
長野に行ったこともあります。
当時は夜行列車の網棚の下に
たくさんスキーがぶら下がっていました。
まだ車がそんなに普及していなかったから
列車でスキーに行ったのですね。

小学校3年生くらいで親父はいなくなってしまったので
スキーもそれ以降は行くことはありませんでしたが、
20歳のころ、3ヶ月間長野のスキー場でアルバイトしました。
雪国に長期に滞在した体験はあとにも先にもその時だけです。

スキー場ではリフト係を担当しました。
また、そのときのお話はこの次に書きます。
2012年02月12日

ばくらは自分という乗り物に乗って旅をする

テーマ:考えごと
性同一性障害という人がいる。 
肉体は男なのに心は女。 
あるいはその逆。 

それは何故そうなるのだろうか? 

同じように 
土地同一性障害というのも 
あるのかも知れない。 
生まれた土地なのに 
どうもこの土地になじめないでいる。 

ぼくはどうも自分の生まれたところというのに 
昔から違和感があったような気がする。 
ちいさなころからどこかに行くことばかり考えてきた。 
どこか知らない土地に行ってそこで住むことを夢見ていた。 
それでももう50歳を過ぎたのに生まれた町に住んでいるのは 
なんとも皮肉なものでもある。 

歳とともにどこに住もうがどうでも良くなってきている。 
それでも今でもやはりどこか知らない街に住むことを夢見ている。 
それも日本ではなくてどこか外国の。 
ほんとうは住むのではなくて 
通り過ぎたいのだ。 
どこからかやってきて 
しばらくそこに滞在してやがて通り過ぎて行く人になりたい。 
というのは今でもずっと願っている。 
もちろん自発的な意志で。である。 
他に強制されたり、原発事故で土地を追われるのは論外である。 

小さいころから 
ある景色が頭から離れない。 
それはまだ見たことのない景色なのか、 
幼い頃に見た絵の中の景色なのか、 
それとも前世の記憶なのか、 
よくはわからないけれど 
すごく青い海と岩がごつごつした景色が 
入り組んだ湾の奥の岩だらけの海岸線。 
エーゲ海とかキプロス島とかあっちの方なんだろうけれど 
ヨルダンかもしれない。 
そこにかつて自分がいたのかもしれないな。 
なんて空想してみると 
とめどなく景色が溢れてくることがある。 
その景色を想像して5分間くらいは遊べる。 

いつかもう一度完全に自分のために時間が使えるようになったら 
10年くらいの長旅に出たいな。と思っている。 
旅先で寿命が尽きるのも悪くないな。とも思っている。 

風景は土地の顔である。 
人の数とおなじくらい、またはそれよりも多く 
風景は存在する。 
いろいろな土地の顔に逢いたいな。 
と子供の時からずっと思っていた。 

子供の頃から今に至るまで 
自分の中でいろいろなものが変わってしまったけれど 
ずっと変わらずにるのは「常に移動していたい。」 
という思いだけかもしれない。 

移動するということは常に変化するということだ。 
常に変化、ということを知らず知らずに求めてここまで来たのかも知れない。 

ところが変化して欲しくないことも沢山あって、 
世の中のたくさんの事件や事故や政治の動向、 
国際情勢、為替相場、景気の変動、環境問題など 
いろいろな事象が心を不安にさせる。 

いろんな旅にでたが、必ずトラブルやハプニングがおこり、 
それは必ずしも楽しいことばかりではなく 
いきなり暴動が起こり3日間の外出禁止令が敷かれたり 
ヒマラヤの山の中でパスポートも所持金も全部紛失したりとか 
20人くらいの物乞いの集団に取り囲まれたり 
これからどうするんだろう。 
って言うピンチが必ずある。 
それでもなんとか切り抜けて来れたので 
これからもなんとかなるだろう。 
というのはある。 

今でも自分の中にたくさんの 
不安や心配事やも抱えているし、 
それは消えないと思う。 
それはそれでいいと、 
無理に消さなくてもいいのだと、 
やっと最近思えるようになってきた。 

不安や心配ごとというのは 
お金があるかとか健康だとかというのと 
まったく別の問題だということにやっと気づいた。 
お金という面で言えば 
貧乏(低所得)でもすごく幸せという人もいるし 
お金持ちで幸せな人もたくさんいる。 
お金持ちで不幸な人ももちろん沢山いる。 
肉体が健康で心が不幸な人もいる。 
末期癌でも心が幸せな人だっている。 

今は健康でも 
いつ自分が癌と診断されるのか? 
などと考え始めたらまた心配事の種が一つ芽を出したのの同じだ。 
そうなると、こんどは健康診断を受けて 
予防接種をして保険に入ってなどとその不安を消すために 
いろいろな行動をとるだろう。 
ほどほどに対策をとればある程度は不安の芽をつみとれるだろうが、 
そこに新たな問題が、、、。 
会社が倒産の危機を迎えた。リストラになるかもしれない。 
そうして、放射能の心配も増えて 
またそれで自分や家族が癌になるかもしれない。 
などと心配の種がいろんなところから 
摘み取っても摘み取っても芽を出し始める。 
本当にキリがない。 

今年になってようやくわかってきたような気がすること。 
ぼくらは自分という乗り物に乗って旅をしている最中なんだと。 
昔から人生は旅に例えられることは多かったが 
旅というのは移動、である。 
生きる。ということも移動である。 
移動は何も空間だけではない。 
時間の移動もある。 
移動ということは変化である。 
生まれつき身動きできない人でも 
時間は常に移動して細胞は変化し続ける。 

どの人も自分という肉体に乗って旅をしているのだという 
イメージが思い浮かんできた。 
ロボットアニメによくあるイメージと同じである。 
ぼくらの本体というのはエヴァンゲリオンやマジンガーZを操縦している 
碇シンジや兜こうじと同じなのかもしれない。 
今、この肉体は列車や飛行機やリキシャのように 
移動手段としての乗り物で 
ぼくらの本体とは別のものなのだ。 

そう考えて見ると外面でおこるいろいろな事象や事件に由来する 
不安の芽もあまりぼくらの本体とは関係ないものに思えてくる。 
ぼくらは自分という乗り物に乗ってただそれをながめている 
旅人のような気がしてくる。 

旅人は本来無責任なものだ。 
どこからか来てどこかに去って行くから 
土地に対しては無責任になれる。 
無責任だからといって何をしてもいいって言う訳でもなくて 
土地に対する仁義はそれぞれにあろう。 
それでも究極は無責任なのだ。 
乗り物が壊れても旅人の責任ではないし、 
旅人はまた別の手段で移動をするかもしれないし、 
それを修理してまた移動するのかもしれない。 
それはみなそれぞれ自由だ。 

僕らの乗り物が肉体だとしたら、 
ぼくらの本体は何だろう。 
いわゆる「たましい」とか「こころ」とかが 
ぼくらの本体だろうか。 

エヴァンゲリオンをうまく操縦するには 
エヴァの機械の体とパイロットのこころの 
シンクロ率を上げられることが必須だ。 
つまりエヴァの体とパイロットの碇シンジの心が 
一つになり、エヴァを動かすことができるのだ。 
ということはエヴァが使徒に攻撃されたら 
シンジも痛みを感じるということである。 

私たちが自分と思っているこの体。 
実はエヴァンゲリオンだったのだ。 
本体は脳か心臓のあたりかどこかにいる碇シンジであり、 
綾波レイなのであろう。 

そうやって考えて見ると 
この世で起こっている全ての事象が、 
一つ向こう側に遠のいた。 

ぼくらは自分の体という完璧な防御システムに守られて 
安全で楽しい旅を続けられるはずなのだ。 
飛行機や列車に乗るとき僕らは 
常に事故の不安におびえてはいないだろう。 
車でドライブしている時も 
安全運転は心がけるが 
運転を楽しんでいる。 

そのように 
楽しもうと思えば、 
旅でおこるいろいろな事件も 
それはそれで旅の思い出になるだろう。 
どんなに大変なことが起こっても 
それは肉体の自分が大変なだけであって 
本体の自分は安全なはずである。 

もっと言えば 
ぼくらはゆったりとしたソファに座って 
全方向から現れる立体スクリーンで映画も見ている 
ようなものかもしれない。 
だから何も恐れることもないと思うが 
ゲームを楽しむためには 
感情移入も必要だ。 
恐れも不安も怒りも痛みもゲームにとって必要なアイテムなのかもしれない。 
痛みがあるから喜びがより昂まり 
悲しみがあるから絆は深くなる。 

それでも自分の本体は最終的にはお気楽でいられるのだ。 
自分の本体をいつも意識すれば 
優秀なゲームプレイヤーになれるように思う。 
すてきな旅人になれると思う。 

なんて。 
この1-2週間に 
そういうことが心にうかんできて 
ずっと書いてみたかった。 
やっと書けた。 

しんどい人、沢山いるだろうけど、 
あんまり抱え込まず楽になっていいんですよ。 
って少しでも楽になればいいんだけどね。 
そういう思いもちょっぴりあって。 

最後までよんでいただいてありがとうございました。 

2012年01月26日

関西空港

テーマ:タイ


タイに行くときはたいてい関西空港から飛び立ちます。
距離的には中部国際空港(セントレア)の方が近いのですが
空港までの交通費や乗換えを含めた手間と所要時間を考えたら
あまり変わりません。
むしろ、セントレアの方が船でも電車でも
乗り換えが大変なので、それを考えたら関空が便利なのです。

飛行機はいつも深夜0時30分発の深夜便です。
伊勢を午後7時ごろの近鉄特急に乗って出発。
ワインのハーフボトルを中で飲み干して寝ます。
近鉄上本町駅で関空行きのリムジンバスに乗り換えます。
バスも乗客数名なので
たいてい、
運転席の真後ろの一番前の席に陣取ります。
このルート、絶景ポイント揃いなんですよ。

阪神高速を関空まで50分。
大阪のビル街の中空を駆け抜けて湾岸に抜けます。
USJや天保山、大阪港、神戸、六甲、大阪の町並みを見渡せる
巨大な鉄の橋を渡り、
堺の工業地帯の巨大コンビナート群に萌えているうちに
巨大な海上空港、関空への橋の灯りが点々と海につづくのが見えてきます。
景色見ていたらあっという間に着きます。

関空は夜なので人は少なくて、
店も閉まっていてがらんとしています。
バスは4階にある出発ロビーに到着します。
関空の建屋は巨大な翼の形をしていて、
大きな天井からつるされた
国際的なアーティストの新宮 晋(しんぐうすすむ)さんの
フライングモビールがくるくると回っています。

この時間出発する飛行機は他にカタール航空くらいで
タイ航空のカウンターだけが開いているのだけれど
チェックインするまでに30分は並びます。
このところ飛行機はいつも満員です。
円高で海外に行く人が増えたのでしょうか。
ビジネスクラスが優先的にチェックインできるので
エコノミーのお客さんは時間がかかるのです。

チェックインをすませるとそのままは出国しないで、
2階にある本屋に行きます。
昔はこの時間に開いているお店はローソンくらいでしたが、
TUTAYAが2年くらいに2階にオープンしたので
時間つぶしに立ち寄るようになりました。
海外旅行の便利グッズなどもいろいろ売っているので
いちいちチェックしながらたいていなにも買わずに
隣のローソンに行って缶ビールを一杯飲んでから
4階の出国審査場に向かいます。

まずは手荷物をX線検査してから
パスポートにハンコを押してもらって出国。
昔はドリンク類も持ち込めたのですが
今はペットボトルは全部持ち込み禁止。
なんのためだかしりませんが、パソコンもカバンから出して
X線検査をうけるようになりました。
関空はそこから電車に乗るのです。
ゲートが南北に長いので
空港の建屋に沿ってシャトル電車が走っています。
タイ航空のゲートはたいてい一番端のゲートから出発します。
そうして搭乗までのひと時を
出発ゲートですごします。

そうしてやっと搭乗案内がはじまります。
「大変長らくおまたせしました。
タイ航空673便バンコク行きのお客様はただ今より搭乗を開始いたします。
まずはビジネスクラス、スターアライアンス、
ロイヤルオーキッドプラスゴールドメンバーのお客様、
及び小さなお子様連れのお客様より搭乗手続きを開始いたします。
手元に搭乗券とパスポートをご用意くださいませ...。」

ほぼ暗記するくらい覚えています。^^
この瞬間が大げさに言えば「生きててよかった」って思える瞬間。
飛行機に乗り込むときは毎回わくわくします。
では、行ってきまーす!^^)ノ~

これがほぼ毎回の出国パターンです。

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