以前書いたこともあるような気がしますが、かぶることなど恐れない。
私には「有機栽培」と言う字を見ると勝手に胡散臭く感じてしまう困った癖があります。
もちろん、有機をちゃんとやっている尊敬すべき農家だって存在するのですが、しかし有機栽培の品を扱う際によく見られる宣伝文句はたいてい、慣行栽培(普通に農薬・化学肥料を使って行われる栽培法)を批判するところにあります。いや、批判すること自体は構わないんですが、困ったことにそのほとんどが疑似科学的です。もっとも典型的には、毒性学のイロハのイである定量的な視点が全く欠けています。
有機栽培の売り文句で、それそのものの優れた点を根拠もつけて提示しているものはほとんどありません。農薬を悪いものと断定し、それを使ってないんだから有機は素晴らしい・・・んな単純な話のわけが無いです。余談ですが農薬批判する人であっても何故か農業機械批判は出ません。田んぼや畑に入っている物の中であれほど目立つ人工物は他に無いと思うんですけどね。
それともう一点は、農薬を使わない有機と言っていても、実際には胡散臭い農薬もどきを使っていることも多いところです。「100%天然成分抽出だから安全な、農薬ではない害虫忌避剤」だなんて農薬取締法違反もいいところで、本当にそれをちゃんと調べてみると中にはしっかり大量の農薬成分が含まれていたり、もっと詐欺的なものには特になんらの変わった成分など含まれていないものだってあります。もちろん、それなら悪影響が無いという意味では安全ですが好影響だってありません。ただの水をかけているに過ぎませんからね。
全員とは言いませんが、有機農法にはまっている人の中にはJAS法をまるで理解していなかったり、そもそも農薬のことをまるで知らなかったりする人が多く含まれていて辟易とします。30年前の認識で農薬を批判されても苦笑するしかありません。
・・・さて、しかし有機農法に関するこんな話は意外と広まっているらしく、だから実は減農薬栽培の方がいいのだという人がときたまいるようです(実際に会った事はありませんが、そんな人がいるとどっかで読んだような)。が、減農薬栽培てのは実にいい加減な仕組みです。
そもそも減農薬栽培とか有機栽培というのは、法律的にはJAS法で規定されていて、現在はどちらも特別栽培の中に組み込まれています。確か4年位前までは別々にあったのですが、有機や減農薬と言っても消費者にとってはわかりにくいからとの理由で、JAS法改正とともに呼び名は特別栽培と統一されてその中で細分化されるという、こちらの方がよっぽどわかりにくいまことに下らない制度に成り果てています。どちらにせよ、国内の農産物に「有機」とか「減農薬」とか書きたい場合はJAS法の規定に従ってお墨付きをもらって栽培しないと表示できなくなっています。
で、では減農薬とは何に比べて「減」なのかといいますと、慣行の農薬使用回数と比べて半分以下の回数しか農薬を使っていないならば「減農薬」と認められます。理屈だけ見れば単純明快ですが、単純すぎて「なるほど、これなら安心だ!」と言って頂くにははなはだ穴のありすぎる制度になっています。
まず慣行の農薬使用回数ですが、これは各都道府県ごとに決められています。石川県では米に○回キャベツに○回・・・では・・・、富山県では・・・と言う感じで細かく決められています。ちなみに年度ごとにその回数が変わることもあります。
もともと、県ごとに農薬の使用回数が違うことはおかしいことではありません。もっとも県ごとにというか本当はもっと細かくですが、害虫や病気や雑草なんかが発生しやすい地形や気候というのはあり、もっと大雑把に言えば九州と東北では作物の品種からしてまるで違うので、病気などへの耐久力も違い、農薬の使用回数はもちろん変わります。
ただし、都道府県が使用回数を決めているからといって、それを守らなければならないわけでもなく、農家が守る必要があるのは農薬のラベルに書いてある有効成分ごとの使用回数のほうです。
さてその慣行回数が県ごとに違うこと自体はいいのですが、だからといってそれぞれの県がちゃんとした科学的な根拠を持って回数を決めているわけではない点がまずおかしいところです。もちろん、いい加減なところばかりではないのですが、例えば農家から「おいおい、こんな回数では到底出来ねえよ」とか逆に「いくらなんでもこんなに使わねえよ」と言われるほど適当な設定だったり、「うちは隣の県よりも安全に配慮しているんだ!」というポーズをアピールするために隣県と回数の少なさを張り合ったりしているところはあります。
なので、隣の県の場合と全く同じだけの農薬を使っているのにこちらは減農薬で向こうはそうではないなんて事が起こったり、慣行の半分と言う設定がそもそも不可能に近かったりするところもあります。慣行の回数を年毎に変えるために、毎年全く同じ農薬使用なのに年によって減農薬になったりならなかったりすることもありえます。そんなものに意味なんてあるのでしょうか。
また、回数だけが基準と言うのがもうそもそもどうしようもないです。例えば、田んぼの片隅のごく一部だけに病気が発生したのでスポット的に殺菌剤を少量使用した、こちらの田んぼは全面が酷い病気になったので田んぼ全面に大量の殺菌剤を使った、と言う二つの事例はどちらも同じく「農薬使用1回」です。1番目の事例なんか、同じ田んぼの別の場所に新たに病気が発生したのでまたわずかに殺菌剤を使った・・・なんて事になれば「農薬使用2回」となり、帳面上は2番目の事例よりも農薬使用は多いことになります。
最近、苗を作る時にその土の中に最初から病気を予防する薬などを入れてしまうことが流行っていますが、そうすれば後日田んぼに同じ薬を使うのに比べても数分の一の量で済みコスト面でも安全面でも大差がありますが「減農薬」的には差はありません。
使用する時期も問題で、殺菌剤などは予防的に使うならばわずかで済み、しかも作物がまだ小さい時・・・つまり収穫する遥か前に使うことが出来ますが、本当に病気が来てしまってから使う時は、大量でなおかつ収穫時期も迫ってきていますので、残留のしやすさは格段に違います。しかしこれだって、減農薬の基準としてはなんら違いなく「1回」です。
以上を踏まえた上で減農薬農法を行うならばその方法として見えてくるのは、強力でさまざまなものに効果があり、なおかつ効果が長期間持続する農薬をたっぷり「1度だけ」使用することが最適となります。あるいは、予防的な剤を一切使わず、害虫や病気などが来ないことを祈る戦法もアリです。どちらにしても、「回数」だけが効く減農薬栽培特有のやり口であって、本当に重要な点を見失っているとしか考えられません。はしかなどの予防接種をろくに受けず、伝染病輸出国などと揶揄される日本らしい仕組みだと言えばそれにはまことに適っていると言えるかもしれませんが。
それでも「減農薬栽培」は良いですか?
私は実は、ちゃんと消費者と向き合った農業をするならば、有機栽培も減農薬栽培も非現実的な規制になっており、事実上禁止されているのではないかとすら考えています。はっきり言えば、今の有機栽培や減農薬栽培は「ためにする」栽培になってしまっていて、意義を見失っているものがほとんどです。重要なのは作物そのものの方のはずです。
koume