ミラノ空手師範のブログ

イタリア ミラノで琉球少林流空手道を教えています。
日々の稽古で気づいた事を綴っていきます。


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毎年2月に開催されるサッポロ雪まつり

毎年5トントラックで6500台分の雪を使って雪像をつくるそうだ。

雪の総重量32500トン!!

数がデカ過ぎてピンとこない、、、

ちなみに写真の雪像は高さが15mで2500トンくらいの雪を使用してるらしい。


空手を教えていて、意外に多いな~と感じているのが

「あ~しなさい!」「こ~しなさい!」「だめでしょ!!」を連発するご父兄。

私は子供に対してはもっと「ずぼら」になっていいのではないかと考える。

これは私の全くの個人的見解だが、

大人になって魅力的な人間になれるかどうかは

その人物の大きさに関係しているのではないかと、、、

大きい人物

身長180以上、体重80kg以上!!

では無い。

いろんな事に興味津々の博識者だったり、

ちょっとやそっとのトラブルに直面しても全く動じない胆力を持ってたり

いつもニコニコしていて500テラバイトクラスのなんでも受け入れる許容量の大きい人だったり

大きな人生設計を描ける人だったりを指す。

では、こういう人ってどんな環境で育ったのだろう?

私は、こういう人の親は子供の横でいつもニコニコして

子供のやることにいちいち口出しをせず見守っているタイプなのではないか?と思う。

子供は本来、非常に好奇心旺盛で

なんでも知りたいし、体験したいといつも思っている。

しかし、それは大人の立場からすると

「〇〇ちゃん、ちょっと静かにして!!」

「〇〇ちゃん、なに意味わかんないことやってるの!!」

と好奇心、冒険心をバッサ、バッサと削ぎ落して、

「大人にとっての理想の子供像」を作り上げようとしている。

しかし、総じて口うるさい親の子は小さくまとまりすぎて

私からすると「かわいそう」であり、

「子供の魅力」があまり感じられない。

大きな人物になるには、まずはサッポロ雪まつりのように

とにかく形作る前にせっせと雪(土台)を積み上げなければならない。

その積み上げ作業を大切な「子供時代」になされてないと

大きな(人物)像は出来ないのは当然である。

高校生まではなんでもいいから土台に積み上げていけばいいのである(自論)

そして、大学生くらいになったら

理想の人物像に削り上げていけばいい。

幼稚園、小学生から形を整えようとするご父兄が多いが、

一旦形を作りだしたら、その上に雪を盛ることは非常に難しいこと。

うちの子はちいちゃくてもカッコイイ像でいいの!!

というのがご父兄の教育方針なら何も言うことは無いのだが、、、

そうそう、「ずぼら」とは近世の上方の方言で

「ずんぼらぼん」が語源とされており、

凸凹(でこぼこ)や突き出した部分がなく「のっぺりとしたさま」

のことを指すようである。

親はとにかく子供を形作るのではなく、

大学までは、子供の好きなようにやらせ、

どんどん土台が大きくなっていくのを

ニコニコと見守る「ずぼら」な態度でいいのではなかろうか?

面白いの~
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フェラーリが欲しいと思う人がいる。


モンクレールのダウンジャケットが欲しいと思う人がいる。


iPone6が欲しいと思う人がいる。


新築の戸建てが欲しいと思う人がいる。


美人の彼女、イケメンの彼氏が欲しいと思う人がいる。


銀座 久兵衛の鮨懐石を食べたいと思う人がいる。


人は誰しも欲しいものがある。

全く無欲になるというのは却って不自然であり健康的でない。

私達の家の隣にはスーパーがあり、

そのスーパーの前に毎日座って物乞いをしている女性がいる。

その女性が昨日は満面に嬉しそうな笑みを浮かべながらカートを引いていた。

よく、スーパーでは賞味期限のきれたものをそういう人達に配るが、

今回のカートの荷物はそういうものではない。

何を運んでいたのか解る方はおられるだろうか?

答えは「段ボール」である。

「段ボール」???と普通の人は思うだろう。

しかし、ただの段ボールではないのだ。

女性の運んでいたのは「両面段ボール」というもので、

通常の段ボールを2枚重ね合わせた非常にしかっりしたもの。

しかもかなり大きいサイズのを運んでいたので

おそらく「家」?に帰って古い段ボールを破棄し、

真新しい段ボールで「家」?をリフォームするのであろう。


彼女達の「家」?は高架下だったり、

駅ホームだったりするのだが、

この真新しい段ボールで壁や敷き布団を作り、

リフォームしたばかりの「家」?で新たな1年を迎えられることに

わずかな喜びを感じているのだろう。

高価な買い物をし、行列をなす人気店で食事をすることで

一時の満足を追い求める人が多い中、

この段ボール女性のような日常の小さな変化に喜びを感じられることは

物に溢れかえってもなお欲求が納まらない人よりずっと幸せなのではなかろうか?

豊かに暮らすとはどういうことか?

今一度、考え方を根底からリフォームする必要がありそうじゃの~。


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今日はちょっとした出来事があった。

いつものように空手の稽古の行くために歩いてバス停に向かった時のこと。

バス停にはすでに1人の老婆がバスを待っていた。

私がバス停につくやいなや老婆はバス停のベンチの下を指差し


「ほら、見て!!紙おむつ(使用済み)が捨ててある!!

信じられない!!ここは私達の国なのよ!!

あなた達外国人が私達の国をどんどん汚くしていくのよ!!

もう本当にいい加減にしなさいよ!!」と

そのオムツが果たして外国人が捨てたものだかどうだか解らない。

イタリア人が捨てたのかも知れない。

しかし、この老婆と私は今後二度と会うことは無いだろう。

そのような相手に対して遺恨を残すような言い争いをしても無益なので

私は外国人を代表して「すみません、、」と老婆に謝った。

その後、老婆はバスがくるまでずっと私に苦言(暴言?)を吐いていた。

たまたま明日はイタリア本部大会なのでわたしは大きな荷物を背負い、

両手もトロフィーを一杯に入れた紙袋で手が塞がっていたので、

身をかがめることすらできず、

ただ謝っただけで、

紙おむつを近くのゴミ箱に捨てられなかったことだけが残念でならない。

その後、老婆はずーっとしかめ面してネガティブな言葉ばかり吐いていたので、

こんなにネガティブな事ばかり言い続けて大丈夫なのか?と

逆に心配になってきた。

ナイフは本来、木を削ったり、野菜を切ったりするのに非常に優れた道具であり、

人を脅したり、ましてや殺すための道具では無い。

同じように人間の口も他人を攻撃したり不愉快にするためにあるのでは無い

落ち込んでいる人を勇気づけたり、

笑いを誘って周りの雰囲気を明るくすることだってできるすごい道具なのである。


人間は生まれた時はみな0階からスタートする。

そこから階段を上がっていく人もいれば、

残念ながら下っていく人もいる。


膝をしっかり上げれば階段を上がることができるように、

人生の階段もやることをちゃんとやりさえすれば必ず階段を上がっていけるし、

その反対をやれば階段を下っていってしまうのである。

人生の階段を上がるには

・苦しい時に笑える

・困っている人がいる時は自分の時間を少しその人の為に使うことが出来る

・雨の日の犬の散歩、ゴミ出しなど人が嫌だなぁ~と思うことを率先してやる

・「もう無理」と思えるくらいの努力を1週間に1度くらいはやる

等々

人生の階段を下っていってしまうのは

階段を上がるのと反対のことをすれば下っていってしまうわけだが、例えば

・言い訳、愚痴をすぐに言う、もしくは言う癖がある

・物を大切にしない

・見て見ぬふりをする

・汚い言葉使いをする

・すぐに怒る

・他人のやることにいちいち文句をつける

・時間をダラダラ使うことに罪悪感を感じない

・すぐに他人に頼る

以上挙げたことはほんの一例に過ぎない。



我々はこの世に存在していること自体が奇跡に等しいのだから、

この奇跡の存在であることをまずは理解し

一歩一歩階段を上がっていかなければ、

勿体なさ過ぎる!!(私は貧乏性なもので、、)

そこで、先程の老婆に戻るが、

確かに公共のバス停に紙おむつが捨てられていることは

住民にとって極めて不愉快な事に違いない。

しかし、我々外国人居住者だってその紙おむつを見て抱く感情は老婆と同じなのである。

その後バス停にぞくぞくと他の乗客は来るだろう。

そしてみんなその紙おむつを見て不愉快に思うはず。

だったら、文句も言わず自分で拾ってだまってゴミ箱に捨てれば

1人でも不愉快な思いをする人を少なくなり、

階段を1つ上ることができたのではなかろうか?

折角、階段を上がるチャンスが目の前に現れたのに、

2段も3段も階段を降りていかれる老婆を見て

やるせない気持ちになった。

さー、イタリア本部の門下生よ、どんどん階段を上がって行け!!

途中、私を追い越さないといけない場面が出て来たら

遠慮はするな、躊躇すること無く一気に抜いて行け!!

抜去った時、振り返って私の顔をよく見るといい。

満面笑みで君の背中にエールを送っているから、、、

人生、おもろいの~。









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幼児のトレーニングコースをやっていると毎回いろんなことに気付く。

その中の一つ

意外とこういうお母さん多いなぁと思うことを今日は書かせて頂く。

それは自分の子供の番がきた時、その子がさっと行動に出ずグズグズしていると

「何してるの!?早くやりなさい!!」

という一言を言ってしまうということ。

この言葉の中には実にいろんな思いが込められていることも私は解っているつもりだ。

自分の子の時もそうだったから、、、。


他の子が出来てなぜ自分の子はすぐ行動に移さないでモジモジしているんだろう?

先生に申し訳ない、、、、

他の子が順番を待っているので迷惑をかけたくない、、、等々

でも、このどれもが相手の立場が気になっているだけで、

自分の子の気持ちなど全く考えていない。

幼稚園児の子にだって、

自分の意志はあるし、

自分のタイミングというものがある。


何より今、みんなと同じように出来ていないことを

子供自身が一番良く解っていて、

悔しい気持ちで一杯なのだ。

自分の通うトレーニングコースの中には

仲のいい友達だって沢山いる。

彼ら友人との関係もご父兄は十分理解してあげてほしい。

仲のいい連中の中で友人は褒められ、

自分は親にガミガミ言われたら、

小さな誇り(プライド)は簡単にポキンと折れてしまう。

特に男の子なら、同じ教室やお稽古事に女の子がいれば

その子の前では

先生に褒められ、いい格好だってしたい!!

なのに「何してるの!?早くやりなさい!!」なんて言われちゃーね~。

「やってられね~よ」(言葉に出すかわりにスネル)

となるのは当たり前ではないだろうか?


お気に入りの女の子に格好良く見てもらいたいと思うのと同様に

あるいはそれ以上に男の子はお母さんに

「すごいね~!!」と言われるのが何よりも嬉しい事。

だから、褒められたいから、本当はみんなと同じようにやりたいと思っている。

でも前の子が凄いうまくやってみんなに「すご~い」って言われると

ちょっと自信のない子は躊躇してしまうのは仕方が無いこと。

でも、やりたくないわけでは無いのだ。

ほめられるタイミングを見計らっているのだ。

だから、私はモジモジしている子はあえて知らんフリして

順番を飛ばして、次の子にやらせる。

順番を飛ばされた子は自分のタイミングで行くチャンスを見計らい、

必ず輪の中に戻ってくるから

放っておけばいいのである。

しかし、世の中というのは実に意地悪な時がある。

意を決して自分のタイミングで輪に戻り、

先生の言われたことを頑張ってやる。

そしてそんな時、結構上手に出来たりする、、、

「やったー!!」とガッポーズをとり

「お母さん見てた!!」と振り返ると

お母さんは他のお母さんと話に夢中という、、、、

世の中、厳しいの~

ちびっ子よ、頑張れ!!

師範はいつでも君たちを見てるぞ!!

毎回、私は偉そうな事を書いているが、

私は人格者などでは無い!

ただ、上の子が23歳、下の子が18歳になり、

自分たちのやってきた子育てを振り返る時間が今は出来、

あ~すればよかった、、、

こんなことしなければよかったと、、、

歩んで来た道を振り返ると見えてくるものがあるので、

それを思いのまま書いているだけだけなので、

もし納得できる部分があれば試して頂ければいいし、

それは違うだろ!!という部分も沢山あるかと、、

難しいの~

ただ、自分の子を誰よりも愛してあげれば

ほぼ子育ては大成功と思っていいと私は考える。


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「クリスマスプレゼント」

まだ1ヶ月以上も先の話なのに・・・と思われるかも知れないが、

まだプレゼントを購入していない今だからこそちょっと耳を傾けて頂いたら幸いである。

毎回ブログを書くたびに思うのだが、

あくまでこのブログは私個人の考え方であって

ブログを読んでくれてる人に私の考えを押しつけようなんて気は毛頭無い。

ただ、胸がざわつくといてもたってもいられなくなり、

ブログでその思いを吐き出しているだけなので、

あ~そんな考え方の人もいるんだ~くらいに思って頂ければそれでよい。

さて、本題の「クリスマスプレゼント」であるが、

相変わらず、ゲームソフトや携帯電話はプレゼントの上位を占めているらしい。

ゲームや携帯電話そのものを否定するつもりは無いが、

やはり、友人の家に折角遊びに行っても、

あまり会話も無く各自持参のゲーム機で遊んでいるというのは

私からするとどうしても気持ちが悪い。

少し年齢が上がるとスマホのアプリやらラインばかりいじくり、

「目の前の友人と自分」という構図より

「パーソナル機器を通じての友人と自分」の構図の方が当たり前となってきており、

やはり、こういう状態も私は気持ちが悪いと感じる。

私の空手道場では、出席カードを毎回提出させ、

出席カードの欄が一杯になると中学生以下の子にプレゼントをあげるようにしている。

最近、小学生の子には「知恵の輪」をプレゼントしていて、

ご父兄からも子供が夢中になって「知恵の輪」と向き合っています。

という報告を受ける。

デジタル機器のゲームがそれこそいろんなシーンやいろんな戦い方があることからすれば、

「知恵の輪」なんて本当にシンプルそのものである。

でも、頭で考え、手を動かし、悶々としながらも集中しなければ解くことは出来ない。

よくは解らないが、「知恵の輪」で脳に汗をかかせることは出来るが、

デジタルゲームは何か温度変化のない空調の整った遊びに思え、

脳に全然汗をかかないイメージがある。

私はデジタル機器を与えるのは時代の趨勢として仕方がないにしても、

できるだけ与える時期を遅らせた方が子供にとってはいいと考える。

私の空手道場に通う子の中に

オーストリアの神秘思想家ルドルフ・シュタイナーの教育プログラムに基づいた

学校(幼稚園から中学まで)に通っている子が10人近くいるが

彼らの目は本当にキラキラしていて、パッと見ただけで他の子との違いが解る。

彼らはいつもイキイキしていて、

いつも笑顔が耐えない。

彼らの学校は非常に特殊で

デジタル機器(ゲーム機、パソコン)は中学まで殆ど触れないばかりか、

TVを見ること自体も中学生になるまでは制限されている。

これはかなり極端な事例かも知れないが、

シュタイナーの教育方針からすれば、

若年層へのデジタルコンテンツは有害と判断している。

私はシュタイナーの教育方法をどうこう言う立場に無いが、

ただ、客観的に見てこの学校の生徒達は

素朴だが他人に対して思いやりがあり、親切であり

何より子供らしいエネルギーを感じる。

もう世間ではクリスマス商戦が始まっている。

まだ、プレゼントを何にしようか決めてないのなら、

携帯電話やゲームソフトを

「与えないというプレゼント」

も子供にとって素晴らしいプレゼントになるのでは、、、

と考える。

私は昔ボーイスカウトに入っていて、

先輩達しか持つことが許されなかった「自分のナイフ」が

欲しくて欲しく仕方なかった。


で、ようやく「自分のナイフ」が持てる年齢に達した時に

両親にナイフ専門店に連れて行ってもらい、

店中ナイフが飾ってある中から「好きな一本を選びなさい」と言われたとき

1時間近くかけてお気に入りの1本を選んだ。

そのナイフは今でも実家にあるが、

そのナイフを使って、最初はただただ嬉しくて、

ナイフを磨くだけという時期を経て、

その後、木を削って動物を作ったり、

木のナイフを作ったりとナイフ1本で数年遊んでいた思い出がある。

「ナイフ」というものも、

人を傷つけるものではなく、

料理をつくったり、木を彫って何か創りだしたりできる魔法の道具と気付いたら、

ゲームソフトよりずっといい贈り物になるのではなかろうか?

あと、子供は誰しも冒険心を持っている。

大人では見過ごしてしまうような場所も

子供にとっては興味津々の場所だったりする。

そんなとき、活躍するのが懐中電灯。

今では何十メートル先をピンポイントで照らしたり、

照らす範囲を手元で調整出来るタイプのものが安価で売られている。

懐中電灯をただ与えられただけでは子供は??となるだろう。

そこはご父兄が子供達の冒険心に火をつける工夫が求められる。

クリスマスプレゼント

「みんな〇〇持ってるよ!!」という言葉に惑わされないで、

真剣に子供のことを考えた1品を今年は用意されては如何だろうか?


なお、私のブログを読んで、

よし!!と思い

熟考の上決めたプレゼントがお子さんに大不評でも

親としてはぶれない覚悟だけは必要!!

難しいの~。







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