ミラノ空手師範のブログ

イタリア ミラノで琉球少林流空手道を教えています。
日々の稽古で気づいた事を綴っていきます。


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小学生の頃、学校で辞書の引き方を教えるという授業があり、

その授業の前に親に「国語辞書」を買ってもらった。

確か、本屋で30分以上もかけてどれにしようかと迷っていた記憶がある。

嬉しくて、嬉しくて家に帰ってまずやったことは・・

辞書をバーっとめくって匂いを何度も何度もかいだこと。

新書の匂いってなんであんなに惹き付けるのだろう?



学校の先生から自分の辞書にはちゃんと名前を書くようにと言われたので、

大切な大切な辞書に

丁寧に名前を書こうとマジックのキャップをとった。

裏表紙に名前を書けばいいものを、

何を思ったのか、辞書の底(地と呼ばれるところ)に書こうと決意した。

地の部分は綺麗に裁断されているので、一見平面で書き易く思えたのだが、

このページの集合体で作られた平面に文字を書くのは想像以上に難しく、

結局名前を書き終えた後、冷静に見ると

全体のバランスが非常に悪く、

正直、先程までパラパラページをめくって匂いをかいでいた時から

気分は一気に奈落の底に・・・

やっと出会えた親友の顔にウ○チをなすりつけたくらい自分のしたことが悔やまれた。

さて、学校で辞書の引き方を教えてもらうと、

もの凄く楽しくて、家に帰ってきても食事以外はずっと辞書をひいてた。

そのせいか、辞書を買って1週間後には厚みが出て、

もう辞書のケースには入らなくなってしまい、

1ヶ月後には辞書が1.5倍の厚さにまでふくれあがってしまった。

その後、私と辞書の関係はどんどん深くなり、

小学4年の時には、辞書を「あ」から「ん」まで読破した。

その経験は私にとって非常によかったため、

イタリア本部開場当時は、門下生全員に国語辞書の読破を課題として与えた。

これは非常に面白く小学生の子が「いま『き』のところだよ!!」とか

「ぼくは『ひ』まで読んだよ!!」と生き生きと競い合ってたので、

また、機会があれば、今の門下生にもやらせてみようかなと考えている。

さて、今はパソコンで検索ワードとして知りたい単語を入れれば

瞬時にたくさんの解答が表示される。

確かにスピーディで素晴らしいと思うのだが、

なんか「浅い」というか「刺さらない」というか「定着しない」というか、

釈然としない。

もちろん、情報量は国語辞書より格段に量があるので、

「浅い」という捉え方は違うのかも知れない。

でも、何か決定的に違う・・・何だろう?

本好きの人はデジタル書籍に便利さを感じつつも、利用はしない。

写真もデジタル加工され、ハッと息を飲むような作品が巷に一杯あるが、

古いスチール写真の素朴な迫力の方が私はしっくりとくる。

1秒の狂いもないデジタル時計は確かに高機能、高性能だが

私は少々、遅れたり、時には止まってしまうアナログ時計が大好きだ。


デジタルハ ナヲ オヨバザルガゴトシ

私がIT系の会社をやっていたころ、

情報系の番組司会者から「最後に一言お願いします」と言われて言った言葉がこれだ

デジタルハ ナヲ オヨバザルガゴトシ


この先、死ぬまで言ってそうだ・・・


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私の日本の実家のまわりには沢山の大学があるので、

街中を歩いていても、多くの大学生とすれ違う。

彼らは次の講義の時間まで、コーヒーショップに入って時間を潰しているのだが、

ほとんどの学生が会話もなく、スマホの操作に夢中である。

そしてたまに、彼らの漏れ聞こえる会話内容といったら、

あまりに軽薄で真剣に危機感を覚える。

我々の時代は大学で次の講義までに時間があると、

学食に行き法律論を戦わしたり、

あるいは黙々と図書館で本を読んでいたものである。

私は常々、良書にどれだけ出会えるかによって、

その人の人生の深みと豊かさが決まると思っている。

読書は「知」の蓄積作業であり、そもそも「知」の蓄積がなければ、

人生というアウトプットの場面で魅力的なものになるわけがない。

だから私は門下生にことあるごとに「本を読め!!」と言っている。

以前本に関して書いた記事はこちら


先日あるニュースがこんなデータを紹介していた。

スタンフォード大学では1年間でおよそ500冊近くの本を読み、

その本は多くが難解な学術書なのでスタンフォードの学生達は

読書だけでもヘトヘトになるそうだ。

そのうえ、たくさんの課題もこなさいといけないので、

スタンフォードの卒業生はみな学生時代を思い出すと胃が痛くなるとのこと。

一方、日本の学生はどうかというと、

上位と言われる大学に入った学生でも、彼らの平均1年間に読む本はたったの40冊。

さらにびっくりするのが、1年間全く本を読まない大学生もいるとのこと。

その数、なんと40%!!!というから、

国際社会の舞台で、欧米の大学を卒業した学生に日本の大学を卒業した学生などは

はなっから相手にならないのも頷ける。あくまで国際社会の場に限ってだが・・・

実際、こちらの高校生、大学生は実によく勉強している。

学生生活実態調査の報告によると

日本の私立大学(約9000人を調査)に通う大学生の読書時間が

1日平均26分という調査結果が出て、

この1日の読書時間は毎年、毎年減少の一途を辿っているとのこと。

そして、もっと驚愕するデータが・・・・

1日の読書時間ゼロという大学生がなんと40.5%もいるというから、

日本の将来が空恐ろしくなると思っているのは私だけの危惧だろうか?

このまま読書離れが進むとどんどん薄っぺらな「知力」の大人ばかりになって

いったんもめんだらけの世の中になっていくのではないだろうか?


おっそろしーのー。








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ご存知のように炎には赤い炎青い炎とがある。

赤は「暖色系」なので熱く、青は「寒色系」なので温度は低いと思われがち・・・

だが実際は赤い炎は800度、青い炎は1400度と青の炎の方が断然熱い。


私はイタリアで空手を指導しているが、

イタリアと日本では子供との接し方が全然違う。

私の作った造語で申し訳ないがイタリアは「あいさチュー」の国である。

知り合いに合えば「Ciao!!」の挨拶の後に左右のホッペにチュッ、チュッが基本。

この「あいさチュー」をまずベースに、

自分の子供が
少しでも何か上手くできると、

<なんて上手く出来たの!!ビックリしたわ!!>・・の表情を顔で表現しながら、

男の子には「ブラーボ!!」

女の子には「ブラーバ!!」

といって顔に数カ所キスをする・・・。

中には抵抗する子もいるが、親はお構いなしでキスをしまくる。

このようなイタリア人の子供との接し方を

私は勝手に
「赤い愛情」と命名させて頂くことにする。



一方で、日本人の親子の関係はイタリア人の子供との接し方に比べると

もう少し距離感が子供との間にある。

少し頑張って出来たぐらいでは、抱きしめるなんてことはせず、

「よく頑張ったね!」と口で言うくらいである。

(最近の若いパパ、ママはどうかわからないが・・・)

そして、道場の支部長をやっているような親と子供との関係は

一般的な日本人の親子よりさらに距離が開いていると思う。

例えば、大会で自分の子が優勝した場合、

戦って負けた子もいるわけで、

親でもあるが、支部長の看板を背負っているため、

勝ったからといって感情を出して喜ぶというようなことはしない。

少なくとも私の場合、いつも「おーっ、よく頑張ったな!」という

ワンパターンのフレーズしか自分の子には使った事がなく、

「よっしゃー!!」とか

「やったー!!」なんてフレーズは一度も使った事はない。

せいぜい、頑張って少しニコッとするくらいである。

このような子供との接し方を

私は勝手に
「青い愛情」と命名させて頂くことにする。

青い愛情は子供との距離感もあり、

露骨な感情表現も押さえるため

一見冷めているようだが、

実は子供が何かを成し遂げた事に関して小躍りするくらい嬉しい。

しかし、それを態度、表情には現さず、

心の中で思いっきり飛び跳ねているだけ。

そんな対応に子供はガッカリするかというと、

それは全く反対で、表面的ではない奥深い親の愛情を

しっかり受け止めることが出来る子に育っている。

例えるなら、阪本九の「幸せなら態度でしめそうよ!!♪」は
「赤い愛情」

工藤静香の「目と目で通じ合う♪」は「青い愛情」

と言ったところか・・・



イタリア本部は私にとって家族と全く一緒。

イタリアのパパ、ママが子供に「赤い愛情」を注ぐのに対し

私は彼らに「青い愛情」を注ぐ。

青は赤より温度が断然高いので、

火傷した場合も彼らが負うダメージも遥かに大きい(怖い)

ということもしっかり伝えていくつもりである。

誤解しないで頂きたいが

私は
「赤い愛情」が悪くて「青い愛情」がいいと言っているのではない。

ただ、イタリア本部の子が大人になった時、

この道場では「赤」「青」2つの愛情を受けられる希有な環境だな・・・

いつか気付く時があったら、こんな嬉しいことはない・・・・。

難しいの~





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武道の教えに

「勝つ心は持つな!負けぬ心が大切!!」

というのがある。

この意味に関して我が道場では何度も門弟に話をしているので、

実行出来ていなくても、

意識はあると思う。

「勝つ心」とは他人との関係においての心の持ち方であり、

「負けぬ心」とは自分との関係においての心の持ち方である。

「勝つ心」とは他人との「比較」であり、

「負けぬ心」とは「自覚」の問題である。

「勝つ心」が勝っていると、他人に対しての

・感謝

・礼儀

・思いやり、優しさ

を欠く行動に出てしまう


逆に「負けぬ心」を意識していれば、

・自制心

・忍耐力

が向上し、他人への感謝、礼儀、優しさ、思いやりが行動規範として現れる。


世の中に、グルメと称する人がいるが、私はこの手の人が苦手である。

この手の人は、料理人が一生懸命作ったものに対し

「美味い」だの「マズい」だのと評価を下し悦に入っている。


人間は何も食べずに、体内からエネルギーを生み出すことは出来ない。

人間は他の命を頂戴することによってのみ、

生き長らえることができるのであり、

まさに命を紡ぐことによって生きていられるということを忘れてはならない。

そこ(食事)には

「いただきます」「ありがとう」「ごちそうさま」以外の言葉は存在しない。

だから、テーブルに出された料理はすべて「命」であり、

残すなんてことは基本的には絶対にしてはならないのである。

このような神聖な食事に対して、

評価をするなんてのはもっての他であり、

評価をするような人は
傲慢であり、自分勝手恥ずかしい人である。



先日、聞いた話だが、ミラノである飲食店がオープンし、

そのお店を訪れた客の中に、グルメと言われる人がいて、

その人はおいしいものをいつも食べてるということで知られている人らしい。


その人、その出来たばかりのお店の料理を1口食べた途端

「こんなまずい料理は初めてだ、これ以上食べるのは無理!!」




といって
全部残したそうだ・・・。


そのお店、我が家も先日行ったが本当に美味しいお店である。

もちろん、我が家の誰も味覚音痴では無い。

所詮、グルメと言ったってその人の主観の問題に過ぎないのでは無いかと思うのだが・・



そういう「食」そのものの大切さも解っていない人がグルメと称し、

無礼な態度を取ることに、憤りというよりは悲しさを感じる。

実際、その方には子供もいらっしゃり、

そんな父親の態度を子供が毎回見てると

あたかも客はお金を払っているので、

美味い、不味いを公言するのは権利がある・・・みたいな

薄っぺらな自己顕示欲が伝播しそうで怖い。




さらに、こういう人はお店の中だけに留まらず、

「食べログ」なる無限に伝播するコミュニティーサイトにまで

店のマイナス評価を堂々と書き込んでしまうから、

本当に質が悪い・・・




こういう自称グルメという人に言いたいが、

本当に美味しいものが食べたければ、

1時間食事を遅らすとか、運動でもして

「腹減ったー!!」という状態にすれば

どんな料理でも本当に美味しく頂けるということ理解してもらいたいものである。



勝つ心は持つな!負けぬ心が大切!!

食事は「美味しい」「マズい」の比較ではない。

命を紡いで生かさせて頂いていると自覚が大切!!

空手の教えをいかに日常の生活にあてはめて説いていくか・・・・

難しいのー。





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指導者の人で一番多く使う言葉おそらく「頑張れ!」ではなかろうか?

私も「頑張れ!」はよく言う方である。

ただ、友人に向かって「頑張れ!」というのと、

指導者が生徒(門弟)に「頑張れ!」という場合は明らかに違うと私は捉えている。

武道を習う門弟はそれこそ毎日、毎日同じ稽古を繰り返し、

それを何年も何十年も続けなければいけない。

そういう「稽古」において毎回「頑張れ!」一辺倒では

門弟は遅かれは早かれ「道」の途中で疑問と迷いを生じる。

なので私は、この単調な稽古の先に何が待っているのか

指導者であるならば、明確に教えてあげる必要があると考える。

これは帯が上がるごとに目指すものが変遷していくので、

次の昇級で「あなたが習得しないといけないことはコレコレだよ!」と伝え

その上で「頑張れ!」と応援の言葉を口にする。


ただただ、昇級ごとに違う型を憶え、それができたら一つ上の級へ・・・

だから「頑張れ!」というのは如何なものだろうか?


それは武術を身につけることになるかも知れないが、

武道の「道」を歩んでいるとは言えないような気がする。(あくまで私見だが・・)

・道場の入り口付近で靴が揃えられてない。

・目を見て挨拶できない。

・返事が小さい。

・防具を粗末に扱う。

・組手でただただ相手を倒すことしか頭にない者。

こんな当たり前のことすら出来ていないのは、

上記掲げたそれぞれの行動にどういう意味があるのか

説明もしない指導者に問題があると私は思う。

「靴を揃えろ!」「目を見て話せ!」「大きな返事をしろ!」・・・

だけ言ってるのは「頑張れ!」とだけ言ってるのと同じで

「何故?」の部分が欠落している。

子供は賢いので、一度でもちゃんと理由を丁寧に説明してあげれば

大抵の子は理解した上で行動に反映することができる。

しかし、悲しいかな「頑張れ!」と言う指導者は世の中一杯いるにも関わらず、

「何のために?」を明確に伝えている指導者があまりにも少ない。

だから、

指導者によって道場のカラー(門下生の質)が180度違う

ということが出てくる。

180度違うとはどういうことか・・・・

指導者が違うだけで門弟を真逆に導いているということである。


冷静に考えると空恐ろしいことである。

また、180度真逆に導かなければいいのか・・・というと、それも違うと考える。

「頑張れ!」というだけで、

具体的な方向に導いていない場合、次の2つの危険性を秘めていると思う。


一つは門弟をその場に留まらせておくだけで、進歩が殆ど無い状態にしてしまう。
(これはいくら次から次へと技を教えたところで、「道」を進んでいるとは言えない。
多くの道場では上級の技を覚えることをもって昇級と勘違いしているような気がする)

もう一つの場合は門弟に「モチベーションが上がらない・・・」と言わせてしまうこと。
つまり路頭に迷わせる状態にしてしまうということ。


本来、指導者は胃に穴が空くくらい

門弟1人1人のことを考えなければいけない立場にあると私は考えている。

たとえ指導が思い通りにいかなくても、

重責を担っているという意識だけは常に持っていたいものである。


宗家から指導者を任されたのであれば、

自分の「仕事」を理由にいい訳めいたことを門弟に言うのだけは

厳に慎まなければならない。

つまり、「言い訳」が一切認めらないのが黒帯指導者だと私は思っているし、

イタリア本部の門下生は全員その意識を持つように指導している。

現に、わが門下生には「でも」、「だって」を今後一切口にしてはならん!!

と4、5日前に言っている!!

入門するということはなかなかキツいものだということを我が門下生も薄々感じてきてる。




厳しいのー。

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