ミラノ空手師範のブログ

イタリア ミラノで琉球少林流空手道を教えています。
日々の稽古で気づいた事を綴っていきます。


テーマ:
空手を習う者は必ず一度は悩むジレンマ

ジレンマというと

哲学者ショーペンハウアーの寓話を引用し、

アメリカの精神分析医ベラックが

「ヤマアラシ・ジレンマ」と名付けたのを思い浮かべる。

ショーペンハウアーの寓話とは

ある冬の寒い日、

2匹のヤマアラシはとても寒いので

お互いの体を寄せ合って暖め合いたのだが、

お互いのトゲで相手を刺してしまうので

体を寄り添いたいのにそれが叶わないというもの。



同じように、空手を習う者にとって一度は考えさせられるジレンマとは

「空手は人を倒すためのものではない!!」といいながら

「人を倒す」術を学ぶということ。



「空手の技は絶対使ってはならい!!」と言われているのに

その使うことの出来ない術を習得する意義。


私もこのジレンマには相当悩んだ、、、。

しかし、悩んで悩んで悩み抜いたら、

以外にシンプルな答えにたどり着いた。


少し脇道に逸れるが

スガシカオというミュージシャンをご存知だろう。

この名前は本名でもある。

漢字で書くと

菅 止戈男

これは中国の古典 孔子の左伝 春秋の注釈書に

止戈為武(しかいぶ)という四字熟語が記載されており、

止戈為武(しかいぶ)とは

戈」(ほこ)を

「止める」=争い事を止める

ことにこそ
「武」の真意があるというもの。

スガシカオのお父さんが名前をつけられたのそうだが、

止戈男という名前から

争い事を止める人になって欲しいと願いが伝わってくる。


「武」という文字から

侍の「刀」を多く人は思い浮かべ

怖いもの・・と捉えると思う。


しかし、真の「武」は争いをしないものなのである。

昔の優れた武士は

「平和は武によって保たれる」と言ったそうだが、

今ならこの意味がストンと腑に落ちる。



若い子の組手を見ていると

ギラギラとしている。

それを否定する気は全く無い。

むしろ、そのステージは一度は通過すべきとも思っている。

刀は切れるに越したことはないから、、、

しかし、抜き身の刀をいつもちらつかせていては

他人に対して不快な感じを抱かせるだけでなく

ふとした気の緩みから自分自身を傷つけることすらある。

刀はやはり、鞘に納めるべきものである。

しかし、使わない刀だからといって

全然切れない、刃こぼれしている刀を

鞘を納めていてはどうしょうも無い。

一度も人は斬らなくても

しっかりと手入れの行き届いた

鋭い刀が納まっていると周りの人も認識していれば、

やはり人は迂闊な行動には出ない。

剣術も極め、刀も研ぎ澄まされた状態に至って初めて

「戦わずして勝つ」という

武道の最高の境地に至ることができる。


空手も生涯にわたって一度も使わないのが理想。

そのためには無意味な争い事に巻き込まれないことが大切。

相手が迂闊に立ち向かってこないような

オーラと人格を身につけるためには

日々の地道な稽古を積み重ねて行くしかない!!


かく言う私は未だに幼児と目が合うとボコボコにされる。

厳しいの~~!!





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「ったく!やってらんねーな!!」

強い書き出しで不快を感じられた方もいるだろう、、、

しかし、多いのだ

こういう事を言う人

生きてれば、そりゃ~年に数回こんな言葉も吐きたくもなる。

我々は聖人ではないのだから、

一切愚痴をこぼさないなんてことはむしろストレスをため不健康。

でも、会う度、酒を飲む度に必ず同じ愚痴を言う人は如何なものだろう?

特に会社務めの人

・上司の悪口

・出来の悪い部下の不平不満

・おれはこんな仕事をするつもりなど無かった、でも生活があるから仕方がない

等々、、、

「ったく!やってらんねーな!!」


こんな不満を毎日、毎日に言いながらも退職するまで働く彼らは

ある意味凄い存在ではある。

しかし、会社務めは自分の人生の多くの時間を割く。

沢山の採用審査を受け、行きたくもないけど採用通知がそこからしか来なかった、、、

そんなことで就職してもいいのだろうか?

何事にも、まずは自分が納得する決断をすべきだと思う。

このように書くと自分の納得する会社からはすべて不採用の通知が来たから

仕方ないだろう!!

納得のいく職業に就くなんて

「理想論!!」

と反発したい人も多いだろう。

でも、こういう人、結構みんな同じタイプの人。

大学時代はみんなとつるんで流されて時間を浪費した人達。

反対に、複数の希望就職先から採用通知を受ける人は、

みんなとつるんでるようで、実は全く流されていない確固たる自分軸を持っている人。

これは私が会社をやっていた時、

面接をすればその人がどんな「人となり」かは

少し話しをすれば、その人の本質を見透かすことが出来てしまう。

上っ面だけの人か

それとも、問題意識を常に持っていて、

自分の頭で考え、自分なりに解決することが出来る人か、、、、



落ち続ける人は

自分は「甘かった」ということをまずは納得しなければいけない。

採用されないのは自分のレベルが低いということ。

自分の側に採用されない原因があること。

こんなシンプルな理由がなかなか解っておらず、

会社側に見る目が無いだの、

不景気な世の中が悪いだの

ま~~くだらん理由をあれこれ思いつく事だけは一流。


だからまず、己を見つめ、己を正し、己を磨くこと。

これが出来てれば問題ないのだが、

出来なかった人は

まずは努力を怠っていたということを納得し、

これではダメだと認識を改め一層努力するか

そうでなければ、身の丈に合ったところで就職し、

それに対しては納得しなければいけない。


自分の実力が無いのにも関わらず、

身の丈以上の不平不満を言うのは

「痛い人」


イタリア本部では、こうすればこの子達の将来に絶対プラスになると思うことを

話をしたり、課題を出したりしている。

基本的には全部自分の頭で考えるものばかり、、、。

こういう課題や話も意味を理解し納得してやる子と

ただただ言われたから適当にやる子と2分される。

この差は将来とんでもなく大きく開いていく。

後者の子は適当にやったんだから、

その後の人生もそれなりになるのは仕方ない。

それを

「ったく!やってらんねーな!!」

なんてお門違いもいいとこ

人生は辛い事もあるが、総じて楽しいもの!!

そう思えるには

とりあえず、やることはやっとこ!!

それからうちの道場に通っていれば、

人格形成されると勘違いしている者もたまに見かけるが、

通っているだけでは何も変わらんからね!!

何のために空手をやってるのか?

師範の言った事はどういう事なんだろう?

つねに問題意識を持って自分の頭で考え、

さらに行動に移して初めて成長できるというもの。

おもろいの~






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今から30年も前の昔の話だから解らない人もいるだろうが、

1981年「欽ドン!良い子悪い子普通の子」という萩本欽一を父親役として優等生の息子「ヨシオ」、普通の子の「フツオ」、出来の悪い「ワルオ」との会話でいわゆる三段落ちコントが一世風靡した。


道場で子供を教えていると、いろんな子に出会う。

よく、お母さん達の会話の中に

「〇〇さんとこの△△ちゃんは本当にすごいわね~」とか

「さすが△△ちゃん、うちの子とは全然違うわ~」

なんてことをよく耳にする。

実際教えていて、物凄く素直で教えやすく呑み込みも早い子はいる。

反対に、毎回私に近寄ってきては「おしり!!」といって

私のおしりを鷲掴みするなかなか言う事を聞かない幼稚園児もいる。

じゃ、この子たちを「良い子」「悪い子」「普通の子」と

3つのカテゴリーにふるい分けできるのかというと

私はそれは間違ってると断言できる。

人は誰しもいい部分だけで構成されているわけでもなければ

悪い部分だけで構成されているわけでもない。

良い部分、悪い部分、普通な部分、

各自がそれぞれ持ち合わせていて

単に構成比率が違うだけのこと。


ここからは全くの私の私見なのでこういう考え方もあるのか・・

くらいで読んで頂きたい。

私は、常日頃「器を大きくしなさい!!」と

門下生に言っている。

こういうとご父兄の大半は

「師範の言う事をよく聞いて、礼儀正しく、人の為にいろんな事をしなさい!!」

と理解される。

この点、私の本意はちょっと違う、、、。

どのご父兄も「あの子は違うわね~」という子。

先程も言ったように、

確かに教える側からしても非常にやりやすく

「良い子」である。

しかし、こういう子は経験上大きくなってそこそこの人物にはなるが

「まじかっ!!」というような

びっくりする程の人物にはあまりならない。

つまり、器としては最終的にこじまんりとしている。

こういう子の特長は

小さい頃から、完成形が見えていて、

それに向かって作り上げるという作業を続けるので、

見ているまわりも安心して見守ることができる。

このような生き方を否定する気は全くない。

むしろ完成形が見えてる分、

そこから逸脱しないように努力することも

大変な事だと解っているから。

ただ、私の道場に通っている子は

もうちょっと違う生き方もあるんだということを示してあげたい。

先程の完成形が見えていてその最終形に向け

必要なものを付け加えて器を大きくするやり方ではなく

とにかく、若いうちはいい事も悪いことも

どんどん吸収して

どんなに醜くてもいいから、

土台を雪だるま式に大きくしなさいということ。

そして、成人式を迎えるくらいまで

とにかく大玉作りだけに精を出し、

成人式を迎えるくらいになったら、

体中についたいらないものを削ぎ落し

自分の作品を作り上げる。

こういう子は、小さい頃から「いい子」と言われた子より

いろんな意味で魅力的な作品になることが多い。

たとえは間違っているかも知れないが

高性能で便利だけど量産型パソコンになるのか、、、

世界に1枚のアート作品になるのか、、、



私の道場に入ったからには、

親も子供もそれなりの覚悟がいるのじゃ、、


聞いてないよ~!!<親

入門の際、言うのを忘れてた~、、、<師範

わーっはっはっはっ!!




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誰にでも公平に与えられている24時間

どう使うかもその人次第

ざっくり言って、時間の使い方は

自分の為に使うのか

人の為に使うのか

ということで2分することができる。

自分のために使う・・・

a.英単語を覚える

b.本を読む

c.ピアノの稽古をする

d.ゲームをする

e.買い物をする

a.とb.とc.はその時間を使うことで今の自分より少しだけ成長することが出来るから

足し算(加)的時間の使い方・・・これは時間の使い方としては○


d.とe.は「楽しい」、「嬉しい」という意味では悪くはないが、

しかし、感情を満たす一過性のものに過ぎず、

その人を成長させるというというレベルの時間の使い方ではないので

これは時間の使い方としては△



f.宿題があるのに、ゲームをする

g.休みだからといっていつもより遅く起きる

f.とg.は時間が有限であることを認識しておらず、

実にもったない過ごし方なので、

引き算(減)的時間の使い方・・・・これは時間の使い方としては×



自分の為に時間を使うことは、他人への影響が殆どないので、

例えばa.の英単語を覚えるという場合

今の自分のレベルが60としたら、

英単語を覚えてステージが61に上がるというそんな程度のもの。


例えばfのような場合、宿題があるのに、ゲームをすれば

今の自分のレベルから1下がって59になる、、、

これもそんな程度のもの。

しかし、このじわじわとしかレベルが変化しないからといって、侮ってはいけない!!

毎日努力する人は10日後には60のレベルが70に上がり、

毎日怠ける人は10日後には60のレベルが50に下がるので

毎日努力する人と、毎日怠け癖のある人では

どんどん差が開いていく恐ろしさを理解する必要がある。


次に人の為に時間を使う・・・・

h.被災地で困ってる人の手伝いをする

i.弱い者いじめにあってる子を助ける

j.困ってる人を見て見ぬふりをする

h.とi.はその時間を使うことで相手の人が助かるので、

自分だけでなく相手に対して使った相手の分まで成長することが出来るから

掛け算(乗)的時間の使い方・・・これは時間の使い方としては◎


逆に j.は見て見ぬふりをしたことで相手を助けられないばかりか、

あとあと自分のとった行動に嫌気がさし、

しばらくそのことを引きずるので精神的に最悪である、、、

割り算(除)的時間の使い方・・・これは時間の使い方としては最悪の


例えばh.の被災地で困ってる人の手伝いをするという場合

今の自分のレベルが60としたら、被災地で困ってる人をお手伝いして

ステージが一気に120に跳ね上がるというそんなかんじ。


それに対して j.の困ってる人がいても見て見ぬふりをするという場合

今の自分のレベルが60としたら、

ステージが一気に半分のレベル30に暴落してしまうというそんなかんじ。


時間を自分の為に使うことは、

自分のとってとてもプラスと思いがちだが、

人の為に使う方が実は人格向上においては格段にいいと考える(全くの独断)


時間の使い方に関しては

わが門下生には何度となく説いてきたつもりだ。

毎日、ふとした瞬間に

「今この時間の使い方は・・・・」と

冷静に見つめ直してくれると私がうるさく吠えてる甲斐もある、、、


自分の為に使う時間もとても大切

しかし、他人のために時間を使うことも非常に大切

これは全くの私見だが

自己を犠牲(ボロボロ)にしてまで他人のために尽くすというのは

バランスを欠いており、

やはり何事もまずはバランスが大切と考える。



一番言いたいのは

時間は砂時計の砂と一緒

増える事が絶対に無い!!

ということを

しっかり頭に刻んでほしい!!

難しいの~













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幼児トレーニングコースをやっていると

ま~~~みんな個性が際立っている。


もちろん、大人の世界を見ても個性は確かにあるのだが、

日本の大人社会とイタリアの幼児達の世界を比べると

それぞれの個性の際立ち方が半端ない。

なぜ、大人になるとみんな均一化(均等化)していくのだろう??(特に日本)

これは少なからず日本の歴史的背景と教育システムがこうさせてしまっていると思う。

戦後、復興に向けてがむしゃらに頑張った(頑張らざるを得ない)時代は

引き立った個性よりも、みんなが力を合わせ一丸となって邁進することが求められた。

それは当時の教科書の内容にも色濃く現れている。

それは時代の要請であり、そういう方向性に教育が向かっていったのは

仕方がないことだと思う。

しかし、それは復興を成し遂げた時点で一旦終止符を打ち、

ガラッとスキームチェンジを図るべきだったと思う。

その根本的な部分でのスキームチェンジが未だなされていない日本の教育現場は

大企業にとって使いやすい均質のとれた「すばらしい従業員」を作り上げている。

日本の文科省は若い世代の「内向き志向」を克服し

国際的な産業競争力の向上、

国家間の絆向上をベースにした、グローバル社会で積極的に活躍できる人材育成のため

東大、早慶などの計13校を「トップ型」

そこまでいかない計24校を「グローバル牽引型」という

スーパーグローバル大学に選定した、、、。

もう、ここまでくると苦笑を取り越し、あきれるしかない!!

いかにも頭でっかちの官僚の考え方である、、、。

大学にこんな「スーパーグローバル」なんて冠を被せただけが何が変わると思っているんだろう??

もう、今の大学生に何か期待すること自体が間違っている!!

なぜなら、もう大学入学までに「個性」という延びる芽は

とうの義務教育時代にバッさバッさと切り取られ

大学に入るときはすでに花の咲かない均質化された緑の観葉植物にしか過ぎないのだから

こんな事を書くと多くの人からバッシングを受けるのだろうが、

もうそろそろ誰かが本気で日本の教育システムを本音で語る(吠える)必要があるのではないだろうか?

私は、スパーグローバルなんちゃらより、

まずは義務教育ドラスティックに変え必要があると思う。

とにかく、その子、その子だけが生まれながらにして持っている花の茎を切らないこと。

花のなる茎は他の葉っぱと同じように緑色だか、あきらに形状も延びる速度も違う。

しかし、その茎を見ようとせず、

一律にある一定の高さに切りそろえるのが日本の教育者。

いいじゃないですか、

右に延びていく茎、

すくすく上にだけ向かっていく茎、

左方向に向かっていく茎、

ぐるぐる螺旋を描きながらのびていく茎

とにかく均質化する必要など全くない!!

日本の教育システムに疑問を感じたからこそ、

私は日本を飛び出し、

自分なりの考え方で若者を指導している。

特に、幼児はキラっキラっの原石!!

私の教え子が今後どうなっていくか、、、

楽しみである!!!

おもろいの~









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