ミラノ空手師範のブログ

イタリア ミラノで琉球少林流空手道を教えています。
日々の稽古で気づいた事を綴っていきます。


テーマ:

人間は生まれると同時に一枚のキャンバスを与えられる。

そこにどんな絵を描くはその人の自由。

Quando uno nasce, gli viene data una tela.

Cosa dipingere è libera scelta dell' individuo.

 

ただ、生まれると同時に与えられるキャンバスは

誰もが同じ小さな小さな赤ちゃんサイズのキャンバス。

 

Le tele che ci vengono date alla nostra nascita

sono adatte ai bebè quindi molto piccole.


 

この小さな枠組みのキャンバスを大きくするには、

あなたが「心」「身」ともに成長していかなくてはならない。

Per farle diventare più grandi, bisogna far crescere "il corpo e lo spirito". 

 

体の成長には限界があるが、「心」の成長に限界はない。

Alla crescita del corpo c'è un limite, ma lo spirito può ingrandire senza limiti.

 

「心」を成長させるには、空手で学ぶ

相手をおもいやる心を持つ事」

「世の為、人の為に尽くせること」

「誠実な心を持つこと」を心がけることによって

無限に「心」を成長させていくことが出来る。

Per fare crescere "lo spirito"

"pensa sempre agli altri"

"lavora per la società e la gente"

"sii sempre sincero", cercando tutto questo,

come impariamo dal Karate, si fa crescere lo spirito.

 

 

一方で、大きなキャンバスを描くには沢山の絵の具が必要となる。

絵の具というのは「学ぶ」ということによってしか手に入れることは出来ない。

Dunque per poter dipingere un grande telo,

ci vogliono molte tempere.

L'unico modo per ottenere "le tempere" è imparare.

 

 

思い通りの絵を描きたいのであれば、

いろんな事を学んで絵の具の色数を増やしていかなければならない

Se vuoi dipingere come desideri,

devi avere tanti colori diversi, cioè devi imparare tante cose.

 

学校でいろんな教科を学んだり、沢山の読書をしたり、美術や芸術に触れ、

ありとあらゆる事があなたの目の前をただ通り過ぎていくだけなのか、

自分の絵の具になるのかはあなたの向き合い方次第で決まる。

Tutto dipende da te,

studiando diverse materie, leggendo tanti libri, ammirando l'arte ed i capolavori, puoi scegliere se farli semplicemente passare davanti ai tuoi occhi

oppure se farli diventare parte di te stesso e quindi le tue tempere.

 

また、自分に興味のある分野を深く掘り下げて学ぶ事によって

絵の具の量」を増やすことが出来る。

Anche facendo approfondire il campo dei tuoi interessi,

puoi aumentare "la quantità delle tue tempere".

 

大きなキャンバスに大好きな「赤」を沢山使いたいのであれば、

赤の絵の具の量」を増やすためにしっかりと学ばなければ

思い通りの絵を描くことは出来ない。

Se vuoi usare tanto rosso, che è il tuo colore preferito,

per dipingere su un grande telo,

devi imparare bene per aumentare la quantità del rosso.

Altrimenti non riesci a dipingere come desideri.

 

君達が日々、学校や社会で「学ぶ」ということは、

自分のキャンバスを彩るためにしていることであって、

他人のキャンバス描くためにしていることではない。

とするなら、勉強が面白く無いとか、

会社の仕事に対して不満を言っていることが、

いかに見当違いなことか理解できるはず。

Quotidianamente voi imparate a scuola o nella società,

per colorare la vostra tela, non per colorare la tela degli altri.

Allora dovreste capire quanto è sbagliato protestare come dire :

"non è divertente studiare" o "lamentarsi del lavoro".

 

どんな絵を描くは自分の問題。

黒一色で塗りつぶそうが、

キャンバスに落書き程度のものを描こうが

すべてあなたの人生、あなたの自由である反面、

どんな結果になろうとも他人のせいにすることなくあなたの自己責任。

Che cosa dipingere è la scelta di ognuno.

Puoi anche dipingere tutto di nero o scarabocchiare,

la vita è tua quindi la scelta è tua,

però qualsiasi risultato che avrai,

devi essere consapevole che è la tua responsabilità.

 

世の中を見回してみると、

残念なことに同じような絵を描いて満足してしまっている人が

いかに多いことか・・・。

Guardando nel mondo,

mi accorgo della presenza di una massa di persone soddisfatte

che dipingono più o meno dei disegni simili,

secondo me questo è un peccato.

 

そうかと思えば、何十年もの時間があったにも関わらず

「学ぶ」という事を積極的にやってこなかった人の手元をみると、

絵の具の種類も量もほとんど無く、

描きたくても描けず不平不満ばかり言ってる人もいる。

La persona che, nonostante abbia avuto decine e decine di anni,

non ha voluto imparare volontariamente,

questo tipo di persona non ha tante quantità né tanti tipi di tempera.

 

こういう人でもなんとか一色でいいから

残り時間を使って「学ぶ」ようにすれば、

キャンバスは見違えるような作品になるのだが・・・・。

Non riesce a dipingere anche se volesse, e cosi si lamenta sempre.

Anche questo tipo di persona,

se usasse il resto del suo tempo per imparare, 

allora potrebbe anche migliorare molto il suo disegno.

 

一度きりの人生、積極的にいろんな事を学び鮮やかな絵(人生)を描きなさい。

Vivi una volta sola.

Impara tante cose, e dipingi un quaderno brillante.

 

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前回のブログを書いたのが8月28日なので、ちょうど1ヶ月ぶりの更新。

 

イタリアで9月といえば日本の4月と一緒。

 

新学期がスータトする月なので、

 

ま〜何かと忙しい。

 

日本で沢山本を買ったのにも関わらず、

 

3週間を経った今も1冊も読めていないという悲惨な状況。

 

さて、今年の夏は40年近くブランクがあった小、中学校の幼な友達との同窓会に参加

 

顔を見て、うっすらと記憶にはあるものの、名前までは出てこない。

 

しかし不思議なことに昔話をお互いに交わしていると

 

当時の状況が断片的ではあるがフラッシュバッグしてきて

 

「お〜〜〜そう!そう!!」と相づち打つことも多くなりホッとした。

 

この40年近くのタイムラグを埋めるのに一番効果的だったのは

 

担任の先生の話である。

 

当時は先生からビンタされることは多々あり、

 

男子はみんな「やられた!やられた!!」と口々に言い、

 

「俺なんか、、、、」ともっと悲惨な体罰を嬉々として披露。

 

だからといって、担任の先生を悪くいう者は誰一人としていない。

 

みんな甘酸っぱい思い出として大切にしている。

 

今の教育現場は客観的に見て非常に荒れていると思う。

 

荒れているといっても荒廃的な状況ばかりでなく、

 

先生と生徒の間に何の信頼関係もない「しらけた関係」も

 

非常に荒れた現場と言える。

 

 

「正しい」挨拶一つ出来ない子供に教師は何を教えているのであろう?

 

学校が荒れているのは、

 

子供と教師がそもそも正面から向き合っていないからではなかろうか?

 

もし、正面から向き合っているというのであれば、

 

まずは名前を呼び、それに対して「はい」と返事をしてからでしょう、、、。

 

その距離感を掴めていない先生がいくら指導しても子供との信頼関係は築けないと思う

 

 

空手では、相手との距離感、つまり「間合い」をしっかり把握しなければいけない。

 

「間合い」が遠過ぎると攻撃しても相手に届かないし、

 

「間合い」が近過ぎると逆に相手の緊張感を高めてしまう。

 

なので、「間合い」というのは非常に大切。

 

 

 

「間合い」はやはり組手の場数を踏まなければ体得できるものではない。

 

今の教育現場、多くの先生は子供との「間合い」が遠過ぎて

 

指導をしても子供に届いていない。

 

逆に熱心すぎる先生は子供との「間合い」が近過ぎて

 

子供の緊張感、ストレスを高めてしまっているように見える。

 

正確な「間合い」を取るためには、相手をしっかりと観察しなければ出来ない。

 

徹底的に相手を理解したのなら、何が相手にとって効果的なのか自ずと見えてくる。

 

私は体罰を推奨する立場ではないが、

 

相手を知り尽くして一番効果的なのは「体罰」という判断を下すのであれば

 

その判断に対しては肯定的な立場である。

 

道場で時々私は声を荒げ注意しることがある。

 

子供達にとっては緊張が走り「イヤだな〜」と思ってることだろう。

 

だが、彼らが成人し、道場で言われた事が

 

「あ〜懐かしい」と思う日がくると信じて私は真剣勝負しているつもりである。

 

うるさい事を言わず、空手の技を教えるだけの方がどんなに楽か、、、。

 

人格というのは

 

一朝一夕で構築されるものでなく、

 

じわじわと形成されていくものである。

 

なので、私が道場を継続している間は

 

うるさいな〜と思われようが門下生に小言を言い続けるつもりである。

 

 

年甲斐もなく私もスマホで「ライン」を使っている。

 

殆どが門下生との連絡網的使い方をしており、

 

たまに家族間の状況報告として使用している。

 

このラインを使用して思うのだが、子供達に何かお願いしたり、

 

注意をしたりすると

 

それに対して「はい」というメッセージが返ってくる。

 

「うん」とか「解った」ではなく「はい」

 

非常に気持ちのいいものである。

 

同じ肯定的な返事を返すにしても

 

「はい」と「うん」では「うん」泥の差があると私は思う。

 

教師、あるいは師範といった指導者的立ち位置にいる人の責任は重い。

 

単に勉強、空手を教えればいいなんてものではない。

 

学校にしろ道場にしろ、まずは気持ちのいい「はい」という返事から、、、

 

難しいの〜

 

 

 

 

 

 

 

 

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毎年夏に日本に帰国しては実家でのんびりと過ごさせてもらっている。

20年くらい前はいつ実家に帰っても全く変わらない日常風景だったのに、

最近は毎年、毎年帰国する度に

親にも

それから親の日々の生活の過ごし方にも

少なからず変化を感じるようになってきた。

親が元気なうちに親孝行したい、、、、

それは子供なら誰しも考えることだろう。

しかし、自分が50歳を過ぎる頃になると、

「親孝行したい」というステージから

「今、親孝行しておかないと・・」という

強迫観念に近い意識が心に常駐するようになる。

幸い私は両親とも健在なので、

このような強迫観念を持てるということ自体がいかに幸せなことかという事を

ひしひしと日々感じさせて頂いている。


親孝行といっても、それはひとそれぞれ

旅行に連れていってあげる。

おいしい料理を食べてもらう。

マッサージをしてあげる等々、、、、

なんだって親が喜べばそれでいい。


私の親孝行といえば

親から「親の生き様」を学ばして頂いている。

ということ。

子供から親に与えるという形の親孝行もあれば、

親から「生き様」を学ばせて頂くという形の親孝行もあると思う。



現在私は微力ながらこれから世の中で活躍するであろう子達に

空手を通じて「生き方」を伝授している。

つたない私の指導方法にも関わらず、

門下生が道場で教えたことを胸に刻みながら

活躍しているの見ると本当に嬉しい!!


これと同じように、

親の生き様をしっかり目に焼き付け

そこから学ばせて頂くということも親孝行の一つのあり方ではなかろうか。


私の両親は共に自分自身を大切にしている。

これは決して「自己本位」とか「わがまま」という類いのものではない。


自分を大切にするということは、

回りの人を安心させるばかりでなく、

少し落ち込んでる回りの人も元気にさせるという

非常にシンプルだが、

とても秀逸な生き方。

うちの家系は先祖代々、すべて癌で命を落としている。

親爺も癌が発症したが、現在は完治した。

お袋にいたっては、癌でステージ4からの奇跡的な回復を見せ

今は完治。

生命力が違う、、、。

私は昨年、胃がん検査で精密検査の必要ありという診断を受け、

診断が出たときはすでにミラノに戻っていたので

回りがやいのやいのと早く審査を受けて!!と言う中、

これも運命と私は一切焦ることなく受け入れた。


しかし、これこそ「自己本位」で

親の生き様とは真逆の「大バカ発想」というのを

恥ずかしながら、つい最近気付かせて頂いた。

今年、帰国早々、胃がんの精密検査と大腸がんの検診をしたが

両方とも問題無しとの検査結果が出た。

頑張るぞー!!


自分を大切にするということは、

人を幸せにするということ

こんなことを今頃になってやっと理解した大バカ師範。



さ〜て、我が両親のように

子供(門下生)に自分の生き様をどうどうと見せつけられるか、、、

自分をもっともっと大切にしよう、、、

まずはそこから



難しいの〜。







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ぶらっと散歩に出かけてみた。

有松という東海道筋の町並。
有松は400年くらい前は全く人気のない荒れ地だったため、尾張藩が東海道の治安を守るため、知多半島から移住する者を募集した。そして1603年に8人が移住し、新しい集落が出来上がった。この8人の中には武芸に覚えのあるものが多かったので、街道警護の目的は果たされ、中でも有松絞りの開祖である竹田庄九朗はこの地を絞り業者のみの町としたこともとても興味深い。

さて、有松の町をぶらぶら散策していると、ひときわ大きなお屋敷に出くわした。

建物を珍しそうに眺めていたら、「どうぞ中へお入りください、、、」と案内された。
こんな大屋敷に入らせて頂けるなんて思ってもみなかったので、幸運に感謝しつつ、屋敷の中にお邪魔させて頂いた。なんと、この屋敷「竹田庄九朗」のお屋敷であった。


竹田の本家はこの屋敷を手放し、今は分家の方が住まわれている。
部屋のそこかしこに何気なく置いてあったり、飾ってあったりするものは全て重要文化財級のもの。でも、博物館か美術館でなく、普段の生活の中にこれらのものが自然と溶け込んでおり、非常に贅沢な空間を味合わせて頂いた。
中でも、勝海舟がこの屋敷に泊まった時に書いた掛け軸は見事な逸品。

そして、その掛け軸のとなりの部屋には5月に行われた伊勢志摩サミットでオバマ大統領に花束を渡した時に女性が着ていた有松絞りの着物が飾られていた。


この着物、竹田家の非常に大切な着物で、今ではこの絞りができる職人はいないとのこと。この着物間近で見させて頂いたが、ま〜素敵!!ため息しか出てこない。

さて、母屋を出て、素敵な日本庭園の中庭を横切り離れの茶室を案内される。

まさに、日常と一線を引いたこの離れの茶室は、何もかも忘れ、ただただお茶を頂くというだけのための部屋・・・これ以上の「粋」があるだろうか?亭主のいない茶室だったが、掛け物といい、お道具といいまったく隙がなく素晴らしかった。

江戸初期のこの町屋敷は建築を勉強している息子にとっても非常にいい体験となった。
写真の黒い出っ張りはガス灯を使用したいた当時の名残り、、



この写真は3つある大きい蔵のうち、最初の一番蔵。

50cmはあろうかという扉の厚みは圧巻!!


以下は安藤広重が描いた東海道五十三次の中での有松の町




やっぱり日本はいいな〜!!


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9月から始まる空手の稽古にスムーズに移行できるように、

毎朝6時に起きてジョギングをしている。

しかし、今朝はちょっと趣向を変えて「散歩」に変えてみた。


朝6時といえど、かなり多くの方が散歩されている。

私は100人をサンプル数と決め、

散歩中にあることを調査してみた。

それは「挨拶」

とても興味深いデータが取れた。

まず、100人中、私から「おはようございます!!」と言って

それに答えてくれた人は何人?くらいかお判りだろうか?

正解は67人。

残り33人の人は私の挨拶に答えてくれませんでした。

その33人のうち27人が耳にイヤホンをさしていたので、

おそらく音楽を聴いていて、こちらの挨拶が聞こえなかったのだろう。


33人−27人=6人の人は

イヤホンをつけていないのに挨拶を返してくれなかった。

その6人うち4人が男性、2人が女性。

2人の女性は友人同士で散歩していて、

おそらく挨拶に気付かないくらいおしゃべりに夢中だったので、

ま〜仕方ない、、、

残った4人の男性はみな50歳を超えている方達。

難しい顔をしながらキョロキョロせず、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出しながら

黙々と歩いていたので何か大きな心配事を抱えていらっしゃるのだろう、、、

それにしても、「おはようございます」くらいは言えるのではなかろうか?


想像してた以上に多くの人が挨拶しないので、ちょっとショックであった。


次に67人の挨拶した人をもう少し分析してみた。

67人中「おはようございます!!」と

はっきり大きな声で答えてくれた人はたったの6人。

大半の人が小さい声。

その小さい声だけならまだいいが、

40人くらいの人が「おはようございます」と言えてないことが判明。

「おはーざいます」とか「おはよ〜ざ〜す」とか、、、

これではいけない!!

我々の世代で一字一句しっかりはっきりと挨拶が出来ないようであれば、

子供達が正しく挨拶をするということは無理に決まっている。


それから、意識的にこちらが大きな声で挨拶すると、

相手もそれにつられて大きな挨拶をしてくれるということが解った。


それと、面白いことに、多くの人が20M先あたりで私と目が会うと

一旦顔を下げ目線をそらし下を向く

そしてすれ違う1Mくらいまで近づくとすっと頭をあげ挨拶をするということ。

面白い行動パターンである。


今回のウオッチングで

まともな挨拶ができた人はたったの6人。

散歩は年配者がほとんどだが、

50歳以上になれば

会社で重要なポストについていて沢山の部下もいるだろう。

また、孫がいる人もいるだろう。

武道に限らず、「礼」は人として最低限のマナー。

ちゃんとしようぜ!!壮年、シニア!!

恥ずかしいぜ!!!


って、散歩中カブトムシを掴まえ両手にもっている私の方が恥ずかしいか、、、


難しいの〜!!











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