ミラノ空手師範のブログ

イタリア ミラノで琉球少林流空手道を教えています。
日々の稽古で気づいた事を綴っていきます。


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このブログも気がつけば300回の大台にのった。

今回は「力」について

入門したばかりの人はもちろんだが、

中級クラスでも多くは型も組手も力みすぎ。


なので、見ているこっちが肩がつまってくる。

最初から最後まで力を込めて稽古しているから、

普通の人なら型も力強く、組手も手強いと思うかも知れない。

しかし、黒帯のうつ型は吸い込まれるような気が求められる。

まさに「気迫」だが、これは「力む」ことではない。

猫は高い所から落ちてもふわっと着地することができる。

これは全身の力を抜いているから可能なのであり、

怖いと思って体を固くしてしまったら

着地での衝撃をまともにに受けて命をも落としかねない。

空手は修業を重ねることで「力をいかに抜くか」を会得することと私は捉えている。

先輩師範は瞬殺の技術を持ちながらもみな柔和である。

これは空手に限ったことではない。

社会人からみた学生はやはり「青い」(固い)

バリバリの一線で働くビジネスマンも社長からみればやはり「青い」(固い)

飛ぶ鳥落とす勢いの会社の社長であっても一線を退いた元経営者からみればやはり「青い」(固い)

でも、みんなガチガチに力んだことがあるからこそ徐々に力を抜く大切を知るのである。

だから、「力む」ことは決して悪いことではなく、

これでもか!!というくらい目一杯力む時期はあった方が人格形成には望ましい。

ふとまわりを見てみると

若いのに(ガキなのに)妙に「力抜け」している奴がいる。

おそらく夢中になれるものに出会ってないか、

親が夢中になるものから親の価値基準で引き離したのでは無いだろうか?

理由は解らないが、初心者(こども、若者)はとにかく

目一杯(力一杯)やることだけを意識していればよい。

バランスだのパフォーマンスなどというのは

大きくなったものから「削ぎ落す」作業であり、

大きくなった事もなく、小さいままの状態のものを「削ぎ落し」たら、

本質までもえぐり落とししまうので、十分気をつけないといけない。

若いうちはいろんなものに興味を示し、

一見無駄だと思えることもどんどん吸収すればいい。

そして、これだけは誰にも負けんぞ!!というものを見つけ

周りから「馬鹿」呼ばわりされるくらい突き進むことができたら、

間違いなくその子は「将来の宝」となる!!

門下生よ!!

力んで力んで力まくれ!!

そして私を万年肩こり状態にしてみろ!!

頑張れ!!




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人間生きてればいろんな事に悩む。

「自分はなんのために生きているんだろう?」

「仕事は何のためにやっているんだろう?」

「なぜこんなに子供のことを思ってやってるのに?」

「なぜすぐにカッと腹を立ててしまうのだろう?」

しかし、「ありがとう」というたったこの一言で

すべてが理解できることが解った。


51歳にしてやっとだ、、、

人は自分のために生きている。

しかし、自己の利益だけを追求し

誰からも「ありがとう」と言われる事無く生きていくことはできるだろうか?

私はそういう人はこの世に存在しないと思う。

人は「ありがとう」と誰かに感謝されることに生き甲斐を感じて生きる生き物。

何のために生まれてきたか?

人に「ありがとう」と喜んでもらうため。

何の為に仕事をしているのだろうか?

人に「ありがとう」と喜んでもらうため。


しかし、難しいもので大切な人の事を思ってやった事が

上手く行かなかったり、マイナスの結果になってしまう事が多々ある。

何故だろう?

それは自分がやったことで「ありがとう」と当然思ってもらえるだろうと期待していたことが、

相手にとっては迷惑な場合があるということ。

「ありがとう」を言ってもらうととても嬉しい気分になるが、

「ありがとう」をあまりに期待して行動するのは押しつけに転じる危険が高く気をつけなければならない。

そもそも「ありがとう」の語源は「有り難し」からくる。

つまり、そうそう世の中自分の思ったように事は運ばない。

だから、それが叶った時は

有り難い(有る事が難しい事、言い換えればめったに起こらない事)」と

それを叶えてくれた人に感謝の意を伝えるという意味がある。


しかし、ここまでは51歳になる前から承知していた。

重要なのはここからである。

昨年、私は道場に帯を持っていくのを忘れ小さな嘘をついた。

師範たるもの帯を忘れた、、、なんて門下生に対して示しがつかないから

「ちょっと足を痛めたから、今日は普段着のまま指導する」と足が痛くものないのに、

帯を忘れたことを正直に言わないで嘘をついた。

今まで空手の稽古で怪我らしい怪我をずっとしたことが無かった私だが、

嘘をついた数日後、私は親指の爪を全部剥がすという事故に遭った。

その時、私は素直に「ありがたい!!」と思った。

なぜなら、嘘をついた瞬間から本当に気分は最悪で、

嘘をつくような師範が空手の指導をしていいのか?とずっと自問自答していたので、

この爪をはがすという天罰が下った時は、本当に救われた気がした。

その時から、私は「難が有る時」こそ

「ありがとう」と感謝すべきと悟った。

だから、病気になった時すぐに医者に行くのもいいが、

その前に一言まず「ありがとう」と言って

自分を振り返る時間を持つことが大切だと思う。

医者、薬、神様、、、それもいいが、自分で解決する努力も怠らないようにしたいものだ。



長々書いたが、最後にもっと大切な事を伝えなければならい。

私の両親はお陰さまで2人ともガンを宣告されながらも、元気に暮らしている。

そんな両親にしてあげられることは週に1度の電話。

「元気?こっちは元気!!」

毎回同じフレーズで会話がスタートする。

1週間でとりたてて大きな出来事があるわけではない。

ただ、親が健在であること、、、

そして毎週声を聞けるということ。

いまは当たり前だが、月日が経てば人間には避けて通れない寿命が迫ってくる。

当たり前だと思っていたことが、

突然終止符を打たれることだってある。

それを考えると今、両親が健全で週に1度会話できることが

わたしにとっては「ありがとう!!」である。

平穏な日常生活の中に「ありがとう」が言える、、、

こんな幸せな事はないの~








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世の中には何をやっても、どんな厳しい状況でも高い成果を上げることができる人がいる。

一方で多くの人は、厳しい状況下ではストレスを感じ、成果を出すことができない。

そしていつも成果を上げている人のことを「運がいい」と言う。

確かに宝くじで一等1億円が当たったのなら「運がいい」といえる。

あるいはほんの数秒差で大惨事を免れたなんてことも「運がいい」といえる。

しかし、このような事は「稀」でありそう再々体験するものでないから「運」と言える。

人間生きていれば、日々なんやかんやと「障害」(逆風)に出くわす。


そういった日々の障害をいつも切り抜け、チャンスに変えれる人がいるが、

そういう人を指して「運がいい人」と言うのは間違っている。

「運」はあくまで「稀」であり、

毎回「障害」をチャンスに変えられる人は「運」ではなく「能力」である。

多くの人は障害(逆風)に出会うとそれに真っ向から立ち向かうことを良しとしている。

結果はどうであろう?

おそらくほとんどの場合、

ストレスを抱え予想を遥かに下回る結果になってしまうのではなかろうか?

いつもそういう結果になってしまう人は、

いっそのこと発想を真逆に変えてみることをお勧めする。

強い逆風が吹くなか、自転車でお使いに行くとしよう。

その時、近くのお店に行くためには逆風の方に行かねばならないとする。

すると息は出来ないし、砂は目に入るし、ペダルも全然前に進めることができない。

こんな時は、少し距離は遠くなるが風を背に受け、風の力を借りながら

反対町にお使いに行く発想をもてば、

むしろ風のスピードを感じ「楽しいお使い」に変えられる。

「逆風も振り返れば追い風となる」

世間で「運がいい」と言われている人はみんな

知らず知らずのうちにこれをやってのけている。

しかも、これを知っている人は、おおきなピンチ(逆風)であればあるほど、

「不敵な笑い」

を浮かべることが出来る!!

面白いの~。

就業活動で全企業から不採用を通知を受け取る。大逆風じゃの~。

生まれつき顔が不細工で告白してもすべてフラレル。大逆風じゃの~。

部下の不手際で会社に莫大な損害を出してしまった。大逆風じゃの~。

今まで大会に出れば負け知らず。なのにまさかの予選落ち。大逆風じゃの~。

これ全てみんな大チャンス!!

本当に人生は捉え方次第で180°成果が真逆になるから面白くてたまらんの~。






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散歩していて虫が昔に比べ本当に少なくなっている。

今年はミンミンゼミの声をついに一度も聞くことがなかったし、

ニイニイゼミなんぞ数年前から鳴き声を聞いていない。

寂しいかぎりである、

あと、日本にいられるのも1週間をきった。

7月30日に一時帰国してちょうど1ヶ月。

昆虫が年々少なくなるように、美しい日本語を聞く機会もどんどん減っている。

あいにく今年の8月の天気は雨が毎日のように降っている。

テレビも連日各地の雨による被害を報道している。

こんなに連日被害状況を見せつけられると、雨そのものが疎ましく思えてきてしまう。

しかし、昔の人は「雨」ひとつとっても本当に表現が豊かである。

このところの雨は「豪雨」が多いが「豪雨」も

「篠突く雨」・・・「篠」とは、細く群がり生える篠竹(しのだけ)のことを指し、

篠竹を束にして地面に突きおろすように、はげしく降る大雨、豪雨を言う。

「鉄砲雨」・・・篠突く雨よりもっと大粒の雨を指す。

「バケツをひっくり返したような雨」

「土砂降り」

といろいろ表現できるが、

気象庁は「弱い雨」「強い雨」「激しい雨」「非常に激しい雨」「猛烈な雨」

と1時間の雨量の差によって使い分けているが、なんとも風情がない。

天気は自然そのもの。

もっと粋な言い方を気象庁もすればいいのにと思うが、、、。

話を戻すが、とにかく街中でもテレビでも擬音、擬態語が多すぎる。

話の中にちょっと擬音、擬態語を挟むのは

話そのものに躍動感が出て悪くはないが、

やたらめったら使う若者、大人を見ると情けなくなる。

幼児は擬音、擬態語を多用するが、

それは言葉を知らないからそうなるのは仕方がない。

しかし、義務教育を終えた高校生以上は

正しい日本語を使うよう努力すべきと考える。

日本に帰国して、私が一番やらないといけないことは、

病院に行って体のオーバーホールをすること。

病院にはやはり年寄りが多い。

しかし、その老人の中に時々、優しい綺麗な日本語を話すお婆ちゃんがいる。

そんなお婆ちゃんを見つけると、

人見知りの私だが、そのお婆ちゃんのとなりに腰掛け、

いろんな話を伺いながら、生きた正しい日本語を学ぼうと心がけている。

言葉も「礼」なんだということをこのごろ解るようになってきた。

自分の言いたいことを話すだけのために言葉はあるのではなく、

話すことで相手に安心感、優しさを安らぎを与えることが

言葉の本来の役目ではないかと、、、、


街に繰り出すと、強い口調、喧噪がいやでも耳に入ってくる。

同じ口から発せられる言葉なのに、

ある人は人に安らぎと勇気を与えるのに、

ある人は人を苛立たせ、ストレスを感じさせる。

もったいないの~。

言葉とは使い方によってとても凄い力を持っているのに、、、

日本語は世界でも稀な表現力豊かな言語。

しかし、そんな素晴らしい言語を話せる人が絶滅危惧種並みに少なくなってきている。

私ももう一度古文を勉強して、頑張って絶滅危惧種入りを果たしたいと誓う。

空手も文化、しかしそれ以上に「言葉」は長い歴史を持った大切な文化。

まずはいにしえの正しい日本語を学ぶことが今年の目標。

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水は高いところから低いところに流れる。

水を汲み上げようとすると不自然な「力」を使わないといけない。


食べ物は採れたて新鮮なものが一番おいしい。

日にちが経っても美味しくしようとするならいろんな化学調味料を使用しないといけない。


お年寄りは体のいろんなところに痛みが出てくる。

バスの車内で目の前に年寄りが立って体がどこも痛くない子供が席を譲らず

ゲームに熱中しているのは不自然である。


話をするときは相手の表情も見ながら正面を向き合うのが自然。

スマホの画面を見て操作しながら話をするのは血が通ってない。


こどもは自分で働いて自立するまでは養育中。

親にため口をきいたり、偉そうなことを言える立場ではない。


歳をとれば皺も増えるし、髪も薄くなる。

顔のリフトアップやカツラをつけてもそれは不自然。自然体の方がずっといい。



自分がやりたい事があるように、人にもやりたい事がある。

いつも自分の都合だけ押し付けるのは不自然。


仕事は世の中を少しでも良くしようとしてやるもの。

他人を騙したり、有害なものを販売するのは仕事ではない。


子供にとって一番大切な仕事は汗を一杯かいて遊ぶこと。

時間も忘れて遊んだ事が無い子、汗をかく気持ち良さをしらない子はかわいそう。


口は相手と仲良くなるためにあるもの。

相手をののしったり、愚痴を言う口は健康ではない。


お金も人も単純に気持ちのいいところに集まるもの。

どうやったら沢山集まるだろうか?と策略を立てるのは自然ではない。


大会とは勝つ人もいれば負ける人もいる。

勝つ事を前提に物事を考えると歯車がいろんな場面で噛み合なくなってくる。


情報はインプットしたらアウトプットするもの。

いろんな情報をインプットばかりしても、行動に移さなければ意味はない。


子供は正直な生き物。

子供が近づいてこない人は不自然なオーラが出ている証拠。


人間の心と体は切り離せない。

精神論ばかり語っても健康でなければ意味はない。

相手を倒すことばかり考えて「心」のない格闘に意味はない。


学生はいろんなことを学ぶのが務め。

「これ勉強して何の役に立つの?」と考えるステージにそもそも立ってない。


イタリアは夜8時になればお店はほとんど閉まる。

24時間開いてる日本のコンビニって異常。


人はお腹が減れば食べるし、満腹であれば食べないのが自然。

お腹を見て「減こんでる」状態、、これがお腹が減るということ。凹んでなければ足りてるということ。減ってもいないのに時間だから食べるというのは不自然。逆にダイエットも食べ過ぎた場合は仕方ないが、いつもダイエットをしている人は不自然。


シンプル(自然)に生きていこう!!




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