ミラノ空手師範のブログ

イタリア ミラノで琉球少林流空手道を教えています。
日々の稽古で気づいた事を綴っていきます。


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「感情」とは非常に厄介なもの、、、。

正しく門下生に伝えるにはどうしたらいいものか?

長年悶々としていた。

幸い、今日は1週間のうち唯一空手の稽古がない日曜日。

ということで、1日「感情」について真剣に考えてみた。

その甲斐あって、方程式(仮説)を導き出すに至った!!

私は常日頃「感情を使うな!!」と門下生に言う。

(正しくは「大きな感情を使うな!!」)

これが結構誤解を生んでいるようで、

「感情豊な子(人)は良く無い!!」と私が思っていると曲解される。

私は、感情豊かな子を否定するどころか、

世間一般の人と同様「感情豊な子」はもの凄く素晴らしい事だと思う。

ただ、一喜一憂することも「感情豊か」と捉えるのであれば、

それは全く考え方を異ににする。

これに関しては後ほど書かせて頂くとして、

本題の方程式の話を進めさせて頂く。

まず方程式の前提条件として

「嬉しい!!」「楽しい!!」=これはプラスの感情なのでPとする。
(プラスのP

「悲しい」「悔しい」「腹立つ」=これはマイナスの感情なのでMとする。
(マイナスのM

楽しくなったり、悲しくなったりするには必ず「出来事」があるのでDとする。
(出来事のD


方程式その1
(大きな出来事D大きなプラス感情Pが組合わさると大きなとなる)

D × P = 

これは、例えば受験をして無事合格した後の家庭内パーティーが当てはまる。
この場合は家族中で心の底から思いっきり感情を出して喜べばいいと思う。
ただ、もし家庭内では無く、外で大きな感情を出す場合は注意が必要である。
なぜなら、周りに不合格になった人とか、まだ合格通知が出てない人がいる場合に

感情を出すことは利己的な感情表出であり、
理性(他人の気持ちを思いやる優しさ)に欠ける。



方程式その2
(大きな出来事D大きなマイナス感情Mが組合わさると大きなとなる)

D × M = 

これは例えば会社で大きな失敗をしてしまったとする。
そして上司からボロクソに言われ「クッソー!!」と思う。
感情の大きい、小さいの差はあっても悲しい事、腹立つこと、悔しいこと、、、は
この方程式に当てはまる。
これは自分ばかりでなく、周りの雰囲気をも悪くするので、
頑張ってこのような感情を使わないよう努力したい。




方程式その3
(大きな出来事Dと感情を使わないが組合わさると大きなとなる)

D ×  = 

これは例えれば大会で優勝したとする。
その場合、優勝という事実だけ受け止め
「やったー」というような感情は表に出さないということ。
これは方程式1で書いたように、
社会生活を営む以上、自宅の自分の部屋で自分1人という環境以外は
全て周りに自分の態度が影響及ぼすということを認識しなければならない。
だから出来る限り私は感情を押さえた方がいい考える。

中には、「感情を押さえることは良く無い。
素直な感情で生きることがストレスが溜まらなくていい!!」
という方がおられる。
というか、大半の方がそういう考え方ではなかろうか?
確かに、素直な感情に従って生きるというのも正しい生き方かも知れない。
しかし、感情というものは本能に非常に近いと考える。
「本能」とは動物に近いものなので、非常にそのパワーは大きく、強力である。
しかし、本能のままに生きては社会秩序が乱れるので、
人間は「理性」で本能を押さえ込み社会性を保っている。
本能は非常に強い力を秘めているので、
本能を思いっきり使った後は一種のトランス状態になって
気分がリセットされる効果も否定できない。
だから、耐えられないほどの悲惨な目に合ったときは、
烈火のごとく怒ったり、泣き叫ぶことで傷ついた心を修復することは
逆にいいことだと思う。


まとめ

本能に導かれた感情は理性によるコントロールが効きにくいので、

オーバーな感情表現は控えた方がいい。

馬鹿笑い、号泣は周りの空気を一変させてしまう程のパワーを持っているので要注意。

感情を使うと自分ばかりか、相手にも必ず影響を与える

それゆえ

マイナスの感情は極力理性で押さえ込むべきだが、

例えプラスの感情であっても、

時には相手を傷つけることがあるがあることを十分理解すること。


相手がどんなに大きなマイナスの感情をぶつけてきても、

自分が理性をもって感情をコントロール(感情を使わない=0)していれば

そこに揉め事は起こらない。

M(相手の感情) × 0(自分の感情)= 

以上!!

言いたい事が伝わっただろうか・・・

師範解りました!!

「感情を使うな!!」とは

こういうことですね!!


あかーん、全然伝わってな~~~い!!

伝えるということは難しいの~
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を初めて習う時、まず真っすぐに線をひく練習をする。

それができるようになったら次に曲線を描く練習をする。

この基礎的な線が描けるようになって初めて物をデッサンする段階に移る。

そしてだんだん上手にデッサンができるようになると

絵の具を使って色づけという作業に入る。

ここまで出来るようになったら、

もう自分で好きな物を選んで思い思いに描くことができる。

しかし、実際絵が描ける技術を身につけたにも関わらず、

真っ白な画用紙を渡すとワクワクする子と、

何を描いていいのか思い浮かばず逆に苦痛の表情を浮かべる子がいる。

真っ白な画用紙を前にしてワクワクする子は多くの場合「夢」を持っている。

つまり、絵の基礎的な技術を習う前に既に描きたいものをもっている場合が多い。

逆に苦痛の表情を浮かべる子は、そもそも何かを描きたいという気持ちが無いので、

練習して上手になりたいというより、描かされているという面の方が大きい。

「夢」というのは実に不思議な力があって、「夢」を持ってる人に情熱を宿らせる。


情熱が宿った人は、やることなすことが楽しいので、目がキラキラと輝く。

そして、人間とは誠に面白い生き物で、

キラキラとしたものを見たり触ったりするのが本能的に大好きなのである。

だから、キラキラと輝いていると人がいると自然とその人に引き寄せられてしまう。

人が集まる所には活気が生まれ、プラスのパワーがどんどん増幅される。

すると、夢を持ってる人の周りにはエネルギーが満ちて、

次から次へと面白いように自分の「夢」が実現していくようになっている。

しかし、残念なことに現代社会においては「夢」を持っていない人が非常に多い。

学校で決められた授業をこなし、

出された宿題を毎日毎日「義務」的にやっていては、

知らず知らずのうちに「夢」を考えることすら忘れてしまうのであろう。

でも安心してほしい。

「夢」を掲げることに「もう遅い」という事は全く無い。

「夢」が現在思い浮かばないという人は、

どんなに時間をかけても構わないので、

真剣に考え、「ワクワクする夢」を見つけるべきである。

「ワクワクする!」ということがとても大切で、

いい学校に入る」というのは夢を叶えるための手段であって、

こういうは「夢」とは言えないから注意。

「夢」が見つかれば、あとは滑走路を思いきり走行し、

「夢(上空)」に向かって飛び立つだけ。

でも、「夢」がないと、先程の画用紙の例のように、

飛び立つ方向も目的地もわからなければ、

滑走路をウロチョロと何度も往復するだけで、

それでは苦痛以外の何物でもない。


学校では飛び立つため知識は学ぶ。

その後は期待を膨らませてあなた自身が決めた「夢」の方向に向かって

飛び立てばいい。

どこにでも自由に行ける翼を持ちながら、

滑走路でうろうろしている人を見ると私は残念でならない

難しいの~、、、

Quando si impara per la prima volta a disegnare
  si traccia una linea retta e poi si fa una curva

In seguito si comincia a copiare.

Piano piano si diventa capaci di copiare bene
e poi si usano anche i colori
Quando si arriva a questo livello
si riesce a disegnare quello che si vuole
ma nonostante si abbia acquistato la tecnica del disegno

c’e’ chi si diverte e c’e’ chi non sa cosa disegnare e quindi soffre.
I bambini che si divertono a disegnare

tante volte hanno un desiderioquello che prima di imparare la tecnica base, sanno giacosa vogliono disegnare.
I bambini, invece, che soffrono non hanno voglia di disegnare

ma si sentono obbligati a farlo.
“Il sogno” ha un effetto strano: da’ la forza di cercare di realizzarlo.

 Le persone che hanno un sogno hanno gli occhi che brillano, perchesi divertono con qualsiasi cosa che fanno.

Agli esseri umani  piacciono le cose che brillano e quindi se c’equalcuno che luccica attira le persone e fa nascere l’ energia positiva che continua ad aumentare; cosi’ dove c’e’ una persona che brilla ed ha grandi sogni riesce ad attirare tante energie positive e con queste riesce a realizzare i suoi sogni.

Purtroppo, pero’, ci sono tante persone che non hanno sogni in questa societa’, chi va a scuola tutti giorni,  facendo i compiti come “obbligo”,si dimentica di sognare.

Non preoccupatevi  perche’ cominciare a sognare non e’ mai troppo tardi.

Chi non ha sogni, anche se ci impiega tanto tempo a trovarlo, 
si impegni a cercare il suo sogno che gli  fa battere il cuore. 

Ricordatevi, pero’, che “frequentare una scuola prestigiosa” non e’ il sogno, ma un metodo per avvicinarsi al vostro sogno.
Chi riesce ad intravvedere la realizzazione del suo sogno, 

non se lo faccia sfuggire e imbocchi la pista decollando immediatamente.

Chi invece non intravvede il sogno, rimane sempre sulla pista andando avanti e indietro senza decollare e quindi soffre moltissimo.

La scuola fornisce i mezzi e gli strumenti per decollare, 

ma l’arte di decollare dipende da te.

 Io soffro tantissimo quando vedo i ragazzi che hanno le ali con le quali potrebbero volare ovunque, ma non riescono a volare.

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人の気分はいつも安定しているわけではない。

私の道場も門下生が増え、

彼ら全員が毎回、毎回集中して真剣に稽古をするというは理想だが、

現実的にはそれは不可能。

学校で友達にからかわれたり、

明日、苦手な科目のテストが控えていたり、

大事な物を無くしたり、

会社で大きなミスをしたりと

人にはそれぞれ不機嫌になる出来事があって機嫌が悪くなってしまうのである。


そういう相手に対して

「どうしたの?大丈夫?」と声をかけることは一見、親切そうに思えるが、

私は「放っておけばいい」というのが自論。

私をあまりよく知らない人は、なんて「冷たい人」なんだろうと思うかも知れない。

しかし、私は「冷たい人」ではない。

なぜなら、道場でこのようなブスっとした態度で入ってきた者に対し、

その後、意識を切り替えられないまま稽古を続けていると

「おい、こらっ!!もういい!!稽古はいいから帰れ!!」と畳み込む。

だから、「冷たい」というより「冷徹」の方が捉え方としては正しい。

先程も書いたが機嫌が悪い人には、悪いなりの都合がある。

こちらがその都合に合わせることは無く、放っておくのが一番。

で、こちらはそういう相手に気を遣わせることにならないよう、

いつも笑顔でいることが大切。

だから、相手がどんなに機嫌が悪くとも、

自分は自分、相手の事を気にせず「いつも笑顔」という自分勝手な態度を勧める。

機嫌の悪い人を心配し、その人まで機嫌の悪い人と

瓜二つのような深刻な顔になってしまっているのをよく見かける。

そのような接し方もあるのだろうが、

「構い過ぎ」ではなかろうか?

機嫌が悪い人にはその人なりの都合があって機嫌が悪くなっているのだから、

こちらとしては「お構いなし」という接し方でいいと考える。

中には「あんなに心配してあげたのに・・・」なんて

お門違いの愚痴をこぼす人もいる。

私からすると滑稽としか言いようが無い。

わが道場の人達も中級以上になったら、

自分の事で人に気を遣わせてはいけない。

自分の機嫌ぐらい自分で管理しなければいけない。

道場に入り、一礼したら心を「無」にして真剣に稽古と向き合わねばいけない。

家族でもめ事があったとしても、

校門をくぐった時、あるいは会社で自分のデスクについたら、

気分を穏やかに切替て、やるべき事に集中すべきである。

まー、わが道場、緑帯以上の人はこんなこと言われなくても解っているとは思うが、、


他人はどうであれ、

いつもニコニコ

自分勝手で構わん!!



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連日世界中を脅かした日本人人質事件

今は亡くなられた方に対し心より追悼の意を表します

最悪の結末となってしまっことに

人々はいろんな事を好き勝手に言って騒いでいる。

「言論の自由」と言われれば何も返す言葉は無いが、

この事件に関して評論家と称する人達が

この人質になった人達の行動を分析し、

「さもありなん」みたいな事を言っていたり、

こうなったのは「何々のせい」と言ってみたり、、、

正直げんなりする。

こうした有事の時こそ

日本の「肝力」が発揮される場面であるのに、

あ~だ、こ~だと次から次へと御託をならべるのは如何なものか?

海外で暮らしてみると、やはり日本はいろんな面で優れているなと実感できる。

トラブルに直面した場合、日本人はあきらかに他国の人より「肝力」は備わっている。

しかし、連日の言いたい放題のコメンテーターを見ると

かなり日本も欧米化してきたな、、、と非常に残念に思う。

世の中、森羅万象全て「表」があり「裏」がある。

どちらか一方だけで存在しているというものは1つも無い!!

ということは、有事においても表からの見方もあれば、

裏からの見方があるのは至極当然。

結局は1つのものを方向を違えて論じているに過ぎない。

乱暴な言い方かも知れないが、

今、飛び交ってる「コメント」の類いの多くは全く意味が無いと考える。



私の道場では、高校生以上は非常に激しい組手稽古を行う。

そのため、私は彼らに「力を60%くらいに加減しなさい」とか

「相手を倒そうという気持ちは戒めなさい」と口酸っぱく言う。

力を60%に、、、というのは100%力を出し切ると、

攻撃側も防御側もちょっとしたミスで大きな怪我に繋がりやすく、

捻挫とか骨折をして数ヶ月稽古を休まないといけないという事態にもなる。

そんな事態になるよりは、力をコントロールしながら、

怪我をすることなく稽古を続けた方が断然いい。

また、力を加減することで、「余裕」が生まれるので、

100%の力でシャカリキにやって周りが見えない状態よりは

いろんな見方が出来、選択肢が増えるというメリットもある。


「相手を倒そうという気持ちは戒めなさい」

これは武道をやる者の基本的な心構えであって、

この心構えが無いものは「格闘技」になる。

武道はまず相手を思いやる心が求められる。

そうでなければ、自己本位の技になり同じ稽古をしていても

全く「質」が異なってくる。

今回の人質事件。

私は何を感じたかというと

まず、彼らは命を絶たれ、私は生きていること。

後藤さんは崇高な理念、想いがあったのでしょう、、、

でも、生きていなければ「何も」成し得ることは出来ない。

組手でいうところの「怪我」をしない取り組み方

これこそが人生においては非常に大切。

怪我ならまだ回復はするが、死は「無」である。


Gさんはジャーナリストとしてどうしても伝えたかったことがあったのでしょう。

しかし、全力を出し過ぎたため、

余力があれば本来なら見えるべき選択肢も

見えなくなってしまったのではなかろうか?


今回の事件、事件そのものへのコメントは避ける。

ただ、海外在住者の立場から客観的に日本を眺めることができるので

一言だけコメントを残したい。

有事の時こそ「胆力」を高め、粛々と解決に向け進んでほしい。

ぴーちく、ぱーちくそれぞれの思いを公共のメディアを使って吐露するのは

いかにも日本国民らしくない。

また、森羅万象「表裏一体」であるがゆえ

利害対立する相手においても、

深層には一体何があるのかを

澄んだ心に映し出す努力を日本人なら出来ると思う。


今、外から見てて世界中の人の心がざわつき出しているように思える。

こんな時だからこそ、今回の事件の当事者国である我々は

悔しいと思う心を戒め、

澄んだ心で世界の範となる平和へのリーダーシップをとる

まさに今、大事な瞬間

と私は思う。

難しいの~











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私の所属する道場の道場訓は以前にもブログでも書いたが、

以下の4つ。

一つ、空手は礼に始まり、礼に終わる

一つ、空手は己を見つめ、己を正し、己を磨くものである。

一つ、空手は人を倒すものではなく、人を愛し、己に打克つものである

一つ、空手は父母を敬いて、世のため人のために尽くすものである。

私は、この4つの道場訓の「空手は」という部分を「私の生き方は」に置き換え

生涯忘れることのない「人生訓」にしなさいと門下生には伝えている。

この人生訓、、非常にシンプルなフレーズゆえに、

逆に奥が深い、、、

だから、これはこういう意味ですよ、、、と説くのはあまり意味が無いと思っている。

年齢、社会的立場、環境、、、いろいろなものが組み合わさって、

人の数だけ解釈は分かれるものではなかろうか?

昨年の大晦日に、私はある推理小説を読んだ。

その推理小説、さほど面白い内容では無かったが、

その小説の内容には全く無関係で、しかも唐突にある文章がインサートされていた。

その文章は私の脳みそに雷が落ちたかのような衝撃的な文章で

今まで何かスッキリとしない自分の気持ちが一気に整理され、

それこそ「腑に落ちた」という言葉がぴったりの文章。

この文章が

「1年の最後を締めくくる大晦日に気持ちを整理しろ!!」

という「上から」のメッセージであることがすぐにわかった。

そんな馬鹿な~!!

と思われるかも知れないが、

本当にこの衝撃的な文章はその小説の流れを全く無視して、

その文章だけが無理矢理インサートされた感じだったので、

その強引な入り方といったら、、、、

まさに苦笑レベル、、、

さて、折角なので、その文章を皆さんにも紹介させて頂く。

断っておくが、この小説、

日本で有名なあの江戸川乱歩賞を受賞したれっきとした推理小説であり、

スピリチュアル系の本ではない。


宇宙の本質はロゴス(理性)であり、

万有の本性は論理的に整合である。

万有を流転させ、

万有を貫いているロゴスはあなたもまた貫いて動かしている。

かくして宇宙のロゴスと正義は同義である。

宇宙とあなたの魂は同じ原理で貫かれている。

あなたの魂が正しいのならあなたは常に宇宙と一体である。

宇宙の目的は完全性の実現である。


万物は互いに編み合わされており、

何一つとして無関係なものはなく、

ただひとつだけで独立しているものも存在しない。

宇宙には辺編も中心も存在しない。

世界は一にして万物からなり、

神は一にしてすべてを貫き、

ロゴスは理性的動物すべてに共通であり、

真理もまたひとつである。

だからあなたにとって本来的な善をひたすら尊重することは

宇宙と一体化し、宇宙の意図を実現することである。

我々の世界が混沌とし、誤謬に満ちているように見えるのはなぜか。

世界がかくも陋劣で暗黒に見えるのはなぜか。

それは人間のなかに万物の本性を見失い、

ロゴスから離反したものたちが存在するからである。

人間は卑小な肉体と感情とからできているがゆえに、

感情に曇らされ欲望に振り回されて万有の本性を見ようとせず、

虚言、ありとあらゆる偽善、軟弱、傲慢、邪悪に身を任せる仕儀となり、

怯懦、妬み、貪欲、猜疑心がこの世に蔓延することを許してしまった。

悪の果実はコブとなり、ねじまがり、黒くなって理性の大樹から落ちるだろう。

落ちた果実は土を汚し、疫病となって感染し、蔓延し、伝染し、

やがて宇宙全体の破壊をもたらすだろう。

不明晰なものに同調しないように、

不合理なものを受け入れないようにあなたは常にこころがけなければならない。

善き人の特質は、群れなす想念に惑わされず、内なるダイモンに慎み従い、

真実に背いた言葉を発したり、正義に悖って行動することなきよう己を保つことである。

あなたは行動を通して正義を顕現させなければならない。



師範、変なこと唱えだしたぞ~と思われる方、、、

それはそれで正しい感覚。

おっ、この考え方すっと受け入れられる、、、と思う方

それはそれで私と考え方が近い、、、

ただそれだけのこと。

面白いの~。


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