ミラノ空手師範のブログ

イタリア ミラノで琉球少林流空手道を教えています。
日々の稽古で気づいた事を綴っていきます。


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連日世界中を脅かした日本人人質事件

今は亡くなられた方に対し心より追悼の意を表します

最悪の結末となってしまっことに

人々はいろんな事を好き勝手に言って騒いでいる。

「言論の自由」と言われれば何も返す言葉は無いが、

この事件に関して評論家と称する人達が

この人質になった人達の行動を分析し、

「さもありなん」みたいな事を言っていたり、

こうなったのは「何々のせい」と言ってみたり、、、

正直げんなりする。

こうした有事の時こそ

日本の「肝力」が発揮される場面であるのに、

あ~だ、こ~だと次から次へと御託をならべるのは如何なものか?

海外で暮らしてみると、やはり日本はいろんな面で優れているなと実感できる。

トラブルに直面した場合、日本人はあきらかに他国の人より「肝力」は備わっている。

しかし、連日の言いたい放題のコメンテーターを見ると

かなり日本も欧米化してきたな、、、と非常に残念に思う。

世の中、森羅万象全て「表」があり「裏」がある。

どちらか一方だけで存在しているというものは1つも無い!!

ということは、有事においても表からの見方もあれば、

裏からの見方があるのは至極当然。

結局は1つのものを方向を違えて論じているに過ぎない。

乱暴な言い方かも知れないが、

今、飛び交ってる「コメント」の類いの多くは全く意味が無いと考える。



私の道場では、高校生以上は非常に激しい組手稽古を行う。

そのため、私は彼らに「力を60%くらいに加減しなさい」とか

「相手を倒そうという気持ちは戒めなさい」と口酸っぱく言う。

力を60%に、、、というのは100%力を出し切ると、

攻撃側も防御側もちょっとしたミスで大きな怪我に繋がりやすく、

捻挫とか骨折をして数ヶ月稽古を休まないといけないという事態にもなる。

そんな事態になるよりは、力をコントロールしながら、

怪我をすることなく稽古を続けた方が断然いい。

また、力を加減することで、「余裕」が生まれるので、

100%の力でシャカリキにやって周りが見えない状態よりは

いろんな見方が出来、選択肢が増えるというメリットもある。


「相手を倒そうという気持ちは戒めなさい」

これは武道をやる者の基本的な心構えであって、

この心構えが無いものは「格闘技」になる。

武道はまず相手を思いやる心が求められる。

そうでなければ、自己本位の技になり同じ稽古をしていても

全く「質」が異なってくる。

今回の人質事件。

私は何を感じたかというと

まず、彼らは命を絶たれ、私は生きていること。

後藤さんは崇高な理念、想いがあったのでしょう、、、

でも、生きていなければ「何も」成し得ることは出来ない。

組手でいうところの「怪我」をしない取り組み方

これこそが人生においては非常に大切。

怪我ならまだ回復はするが、死は「無」である。


Gさんはジャーナリストとしてどうしても伝えたかったことがあったのでしょう。

しかし、全力を出し過ぎたため、

余力があれば本来なら見えるべき選択肢も

見えなくなってしまったのではなかろうか?


今回の事件、事件そのものへのコメントは避ける。

ただ、海外在住者の立場から客観的に日本を眺めることができるので

一言だけコメントを残したい。

有事の時こそ「胆力」を高め、粛々と解決に向け進んでほしい。

ぴーちく、ぱーちくそれぞれの思いを公共のメディアを使って吐露するのは

いかにも日本国民らしくない。

また、森羅万象「表裏一体」であるがゆえ

利害対立する相手においても、

深層には一体何があるのかを

澄んだ心に映し出す努力を日本人なら出来ると思う。


今、外から見てて世界中の人の心がざわつき出しているように思える。

こんな時だからこそ、今回の事件の当事者国である我々は

悔しいと思う心を戒め、

澄んだ心で世界の範となる平和へのリーダーシップをとる

まさに今、大事な瞬間

と私は思う。

難しいの~











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私の所属する道場の道場訓は以前にもブログでも書いたが、

以下の4つ。

一つ、空手は礼に始まり、礼に終わる

一つ、空手は己を見つめ、己を正し、己を磨くものである。

一つ、空手は人を倒すものではなく、人を愛し、己に打克つものである

一つ、空手は父母を敬いて、世のため人のために尽くすものである。

私は、この4つの道場訓の「空手は」という部分を「私の生き方は」に置き換え

生涯忘れることのない「人生訓」にしなさいと門下生には伝えている。

この人生訓、、非常にシンプルなフレーズゆえに、

逆に奥が深い、、、

だから、これはこういう意味ですよ、、、と説くのはあまり意味が無いと思っている。

年齢、社会的立場、環境、、、いろいろなものが組み合わさって、

人の数だけ解釈は分かれるものではなかろうか?

昨年の大晦日に、私はある推理小説を読んだ。

その推理小説、さほど面白い内容では無かったが、

その小説の内容には全く無関係で、しかも唐突にある文章がインサートされていた。

その文章は私の脳みそに雷が落ちたかのような衝撃的な文章で

今まで何かスッキリとしない自分の気持ちが一気に整理され、

それこそ「腑に落ちた」という言葉がぴったりの文章。

この文章が

「1年の最後を締めくくる大晦日に気持ちを整理しろ!!」

という「上から」のメッセージであることがすぐにわかった。

そんな馬鹿な~!!

と思われるかも知れないが、

本当にこの衝撃的な文章はその小説の流れを全く無視して、

その文章だけが無理矢理インサートされた感じだったので、

その強引な入り方といったら、、、、

まさに苦笑レベル、、、

さて、折角なので、その文章を皆さんにも紹介させて頂く。

断っておくが、この小説、

日本で有名なあの江戸川乱歩賞を受賞したれっきとした推理小説であり、

スピリチュアル系の本ではない。


宇宙の本質はロゴス(理性)であり、

万有の本性は論理的に整合である。

万有を流転させ、

万有を貫いているロゴスはあなたもまた貫いて動かしている。

かくして宇宙のロゴスと正義は同義である。

宇宙とあなたの魂は同じ原理で貫かれている。

あなたの魂が正しいのならあなたは常に宇宙と一体である。

宇宙の目的は完全性の実現である。


万物は互いに編み合わされており、

何一つとして無関係なものはなく、

ただひとつだけで独立しているものも存在しない。

宇宙には辺編も中心も存在しない。

世界は一にして万物からなり、

神は一にしてすべてを貫き、

ロゴスは理性的動物すべてに共通であり、

真理もまたひとつである。

だからあなたにとって本来的な善をひたすら尊重することは

宇宙と一体化し、宇宙の意図を実現することである。

我々の世界が混沌とし、誤謬に満ちているように見えるのはなぜか。

世界がかくも陋劣で暗黒に見えるのはなぜか。

それは人間のなかに万物の本性を見失い、

ロゴスから離反したものたちが存在するからである。

人間は卑小な肉体と感情とからできているがゆえに、

感情に曇らされ欲望に振り回されて万有の本性を見ようとせず、

虚言、ありとあらゆる偽善、軟弱、傲慢、邪悪に身を任せる仕儀となり、

怯懦、妬み、貪欲、猜疑心がこの世に蔓延することを許してしまった。

悪の果実はコブとなり、ねじまがり、黒くなって理性の大樹から落ちるだろう。

落ちた果実は土を汚し、疫病となって感染し、蔓延し、伝染し、

やがて宇宙全体の破壊をもたらすだろう。

不明晰なものに同調しないように、

不合理なものを受け入れないようにあなたは常にこころがけなければならない。

善き人の特質は、群れなす想念に惑わされず、内なるダイモンに慎み従い、

真実に背いた言葉を発したり、正義に悖って行動することなきよう己を保つことである。

あなたは行動を通して正義を顕現させなければならない。



師範、変なこと唱えだしたぞ~と思われる方、、、

それはそれで正しい感覚。

おっ、この考え方すっと受け入れられる、、、と思う方

それはそれで私と考え方が近い、、、

ただそれだけのこと。

面白いの~。


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今の君たちのレベルを100としよう。

今日頑張れば明日は100より大きくなる。

今日怠ければ明日は100より小さくなる。

毎日欠かさず一生懸命努力するということは、

実際とても難しいことなので

毎日「ほんの少し努力して昨日より前進する」というのなら出来るはずである。

数値にして1%のさらに10分の1、0.1%なら毎日努力できるはずである。

しかし、この0.1%、、、馬鹿にしてはいけない

0.1%の努力を毎日続けると100だった自分の能力が1年後にはなんと144になる。


逆に毎日1%怠けたらどうなるであろう?

100の価値だった自分は1年後はたったの2.5という限りなく0に近くなってしまう。

0になっては大変である。

0 とは無価値であるから。

明日やればいいと今日できることをずるずる先に延ばす傾向がある人は要注意である。

毎日0.1%の努力を続ける人と毎日1%怠ける人との間には1年後、

144 対 2.5 になり、実に57倍もの差が開いてしまう。

君たちが年初に立てた1年の目標は毎日少しずつでいいから

やり続けることが大切である。

今日休んでその分明日2倍の量をやると一見よさそうに思えるが、

やったりやらなかったりするということが

実は目標達成できないおおきな要因の1つであることを覚えておくべきである。

毎日0.1%の努力を毎日欠かさず続けることができれば、

君たちの立てた目標くらい必ずクリアできる。

空手で毎回基本をやるが、

一生懸命やってる人と怠ける人ではやはり基本のレベルが全く違う。

毎回、同じことを注意される人は今一度自分を見つめ直すべきじゃの~

“0.1% di sforzo” 

Mettiamo che adesso il tuo livello sia 100.
Se ti forzi oggi, domani il tuo livello aumenta di 100 livelli.
Mentre se non ti sforzi, domani il livello diminuisce 100 livelli.
Continuare di rafforzarsi tanto ogni giorno è molto difficile,
ma se cerca di rafforzarsi un pochino di più rispetto
al giorno precedente sarà fattibile.
Se fate uno sforzo di un decimo di 1% cioè di 0.1%,
 penso che ce la facciate ogni giorno.
Ma non sottovalutate questa cifra 0.1 che sembra molto piccola.
Se continuate uno sforzo di 0.1% ogni giorno,
il tuo livello 100 sarà 144 un anno dopo.
Invece se ti impigrisci di 1% ogni giorno,
il tuo livello che prima era 100 diventerà 2.5.
Se diventa 0, è molto grave perché vuol dire che è senza valore.
State attenti se siete le persone che non fanno le cose
 che si possono finire oggi ma le rimandano giorno dopo.
Quelli che continuano uno piccolo sforzo di 0.1% ogni giorno
e quelli che si impigriscono 1% ogni giorno,
dopo un anno la differenza tra di loro sarà 144 contro 2.5,
che ci sono 57 volte di differenza.
Allora magari pensate che se non fate oggi, farete doppio domani,
ma ricordatevi che questa discontinuazione è un problema
fondamentale di non raggiungere il proprio obiettivo.
Viceversa se continuate uno sforzo di 0.1%
allora voi potrete raggiungere il vostro obiettivo.
Per quanto riguarda il karate,
noi facciamo le 10 tecniche Kihon ogni lezione,
quelli che le fanno con la maggior attenzione
e lo sforzo sono molto diversi rispetto a quelli che le fanno senza concentrazione.
Se voi sentite che i maestri vi ripetono sempre le stesse cose,
allora vi manca una concentrazione.
state attenti e ripensate come fate durante l'allenamento.

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空手の稽古は人によっていろんな向き合い方がある。

強くなりたい、


礼儀正しくなりたい、

忍耐力をつけたい、

空手の技を覚えたい・・等々。

どれも大切な事だと思う。

私は昨年9月から幼児のために

運動能
力を高めるトレーニングコースをめた。

みんな課題が少しずつ出来るようになるのが楽しいとみえて

「はい、並んで!」と声をかけると、

みんな先頭になりたくてすでに並んでいる子がいるにも関わらず

我先にと前へ前へと押し掛けてくる。

この子達にとってはこれから協調性、社会性を学んで行くステージに入るので

これでも構わない。

しかし、小学校中学年以上になったら

相手のために稽古をする」

というように意識を変えて
欲しい。

世の中は不思議なことに
バランス作用が自然に働くようにできている。


人間は一人では生きていけないので、誰かの協力が不可欠である。

しかし、残念なことに人にお願い事ばかりして、

自分の時間を他人の為に使おうとしない「わがまま」な人が

最近非常にえてきている。

わが門下生は常に「相手のために」何かをする

ということを心懸けて
頂きたい。

自己中心的な生き方をしていると、

自分にとっていいことばかりなので自分は運がいいと勘違いしやすいが、

世の中の見えざるルールがあるため必ずマイナスの波がやってきて

今までの帳尻(バランス)を合わしてくる。

しかし、「相手のために」を心懸けている人は、

先程と同じように見えざるルールで帳尻を合わせてくるで、

プラスの波しか押し寄せてこない。


空手でも上級レベルになると、後輩の指導にあたる事が多くなり、

自分
の稽古時間がなかなかとれないという事態が出てくる。

その時、「ああ」と思う人と、

「相手のために稽古をする」という心懸けのある人では

人格に雲泥
の差が出てくる。

「今日は稽古行きたくないなと思う人は

まだまだ自分のための稽古という域から脱していないので

よく自分を見つめ直す必要がある。

難しいの~

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みなさん、2015年明けましておめでとうございます。

今年も空手の指導を通じで気付いたことをボチボチ書き綴っていきたいと思います。

さて、私の空手道場は今年は1月4日に初稽古があり、

恒例の「四股立ち千本突き」を行います。

壁には各自が昨年末に決めた今年1年の抱負を張り出し、

それを見つめながら1本1本気合いを入れて千回正拳突きを繰り出します。

で、1年後の納会に各自の立てた目標を私が読み上げ達成したかどうか聞きます。

「書きっ放し」をうちの道場は許しません!!

必ず達成できたかどうかを検証します。

昨年末も年初に立てた抱負を読み上げ達成できたかどうかを門下生に聞きました。

約半分くらいの人は達成でき、

残りの半分の人もあともう少しで達成できた、、

ということなのでちょっと安心しました。

「抱負を書きなさい!」というと門下生の多くは非常に悩みます。

何を悩むのだろうか?と外野から見ていると、

どうもどのような目標を立てたらいいのかという根本的なところで悩んでるみたいです。

私も毎年抱負を掲げますが、私も非常に悩みます。

しかし、その悩みはみんなとは少し違うようです。

私は毎年だいたい大きな目標を20個くらい掲げてその年をスタートします。

ただ、各目標の優先順位をどのようにするかで非常に悩みますが、

どんな目標を掲げようかという点で悩むことはありません。


幼児のトレーニングコースを指導していて思ったことですが、

お母さん達は子供のやる事にちょっと口を挟みすぎのような気がします。

幼児は私達からするとまだまだ真っ白に近いキャンバスです。

そのキャンバスに幼児はワクワクしてキャンバス全面に黒を塗ろうとすると

自動車教習所で助手席に乗った教官のように

お母さんの「何やっての!!」急ブレーキがかけられます。

毎回、急ブレーキがかかれば

子供だってどうすれば急ブレーキがかからないかを学習します。

そしてお母さんにとっての「いい子」が出来上がってきます。

しかし、私は口うるさいお母さんに少しだけ危惧を感じています。

お母さんは「大人」です。

大人は常識やら世間体やらでがんじがらめの価値観の中で生きています。

それは

「こいうことをしない方がいい」

「普通の人はこうする」

「こうした方がいい」

という他人との関係(社会性)をベースにしているので、

「自分がやりたいこと」というのは後回しにされ、

それよりも「枠内」でどうやればいいか?ということが優先されます。

しかし、これは大人の行動基準であり、

子供にこれをあてはめるのは可哀想です。

子供のうちはいろいろやりたいと思ったことを大人はブレーキをかけず

何でもやらせるべきだと思います。

何でもやることによってどんどん粘土が継ぎ足されていって

作品そのものが大きくなります。

自分のお子さんを「器の大きな人間にしたい」というご父兄は沢山います。

本気でそう思うのであれば、

まずは子供がやりたいと思うことはどんどんやらせてあげるべきです。

土台に少ししか粘土がついてないのに、

それを理想に形にしようとしても所詮無理というものです。

土台に沢山粘土がついていれば、思い通りの形にシェープすることができます。

こどもは粘土だけでなく、空き缶やら小石やら木の実やら

いろんなものをくっつけたがります。

でもそれでいいんです。

子供は工場で作り出される量産型の画一商品では無いのだから、、、


傾いていようが、ヒビが入っていようが

それが「個性」というもの。

小さい頃から「あーしなさい」「こーしなさい」と口うるさく言っていると

まわりから「いい作品ね」なんていわれるかも知れないが

私からすれば「小さく」て「大人の好きそう作品」は

残念ながら心を踊らされるような作品ではありません。

話は今回のテーマの「抱負」に戻りますが、

抱負を掲げるにあたり、

親からことあるごとに「あれしなさい」「これしなさい」と言われ

その通りに素直に聞く「いい子」に限って

自分の抱負を掲げることに時間がかかるようです。

で、頑張って出してきた抱負も「大人っぽい」

つまり「枠内」の「無難な目標」

もっと「はっ」とするような抱負をぶつけてくる子がいないものかな?と

毎年、毎年楽しみにしているが、、、、

なかなか難しいの~。



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