江國香織の「抱擁、あるいはライスには塩を」を読んだ! | とんとん・にっき

江國香織の「抱擁、あるいはライスには塩を」を読んだ!

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江國香織の「抱擁、あるいはライスには塩を」(集英社:2010年11月10日第1刷発行)を読みました。発売されてすぐに購入、読み終わったのは昨年の年末でした。江國香織の著作は、昨年「真昼なのに昏い部屋」(講談社:2010年3月24日第1刷発行)を読んで以来です。あのときの宣伝は凄かった。「せめて、きちんとした不倫妻になろう」とありましたが、内容は期待したほどでもなく、江國香織らしいところで落ち着いていました。今回のうたい文句はというと、「三世代、百年にわたる『風変わりな家族』の秘密とは―」と、本の帯にあります。それに続いて「家族のそれぞれの体験を、視点も時間も飛ばして、自由につなぎ合わせて書いてゆく。そのときに見えてくるものを見たかったし、魅せたかった。家族といっても、一人ずつ、ですから。」と、江國香織の言葉を載せています。「江國香織の最新&最高傑作」とある「抱擁、あるいはライスには塩を」、アマゾンの「内容紹介」には、以下のようにあります。


東京神谷町にある、大正期に建築された洋館に暮らす柳島家。1981年、次女の陸子は貿易商の祖父、ロシア革命の亡命貴族である祖母、変わり者の両親と叔父叔母、姉兄弟(うち2人は父か母が違う)の10人で、世間ばなれしつつも充実した毎日を過ごしていた。柳島家では「子供は大学入学まで自宅学習」という方針だったが、父の愛人(弟の母親)の提案で、陸子は兄、弟と一緒に小学校に入学。学校に馴染めず、三ヶ月もたたずに退学する。陸子は解放されたことに安堵しつつ、小さな敗北感をおぼえる。そもそも独特の価値観と美意識を持つ柳島家の面々は世間に飛び出しては、気高く敗北する歴史を繰り返してきた。母、菊乃には23歳で家出し8年後に帰ってきた過去が、叔母の百合にも嫁ぎ先から実家に連れ戻された過去がある。時代、場所、語り手をかえて重層的に綴られる、一見、「幸福な家族」の物語。しかし、隠れていた過去が、語り手の視点を通して多様な形で垣間見え――。


「目次」には、「1982年秋」「1968年晩春」「1968年秋」・・・、そして「2006年晩秋」まで23項目が、順不同で並んでいます。いわゆる「時系列」的には並んでいません。もちろんこの並び方は、作者が周到に並べた結果であることは言うまでもありませんが。「目次」の次のページには、10人の「登場人物」が出てきます。ちなみにその「登場人物」はというと、「陸子・柳島家の次女」「望・姉」「光一・兄」「卯月・弟」「豊彦・父」「菊乃・母」「百合・叔母」「桐之輔」「竹治郎・祖父・貿易会社経営」「絹・祖母・ロシア人」の10人です。ロシア文学ではおなじみですが、我が国の小説では「長編」が少ないこともあり、最近ではあまり例を見ません。つまり今回の作品は柳島家を中心にした、登場人物が多い「大河小説」の構えを取っています。書き方によっては北杜夫の「楡家の人々」に匹敵する「家族小説」にもなり得る題材です。がしかし、この小説はそうはなっていません。


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「三世代にわたる柳島家の人々を簡単に紹介すると」と、集英社の読書情報誌「青春と読書」に、以下のように載っていました。まず、第1世代として柳島治次郎と、その妻・絹がいる。絹は日本名で、彼女は1917年生まれのロシア人だ。ロシア革命で一家離散し、ただひとりロンドンに亡命した貴族の末裔である。そこで留学していた竹治郎と出会い、一緒に帰国、結婚。竹治郎は、幕末から続いた呉服問屋をたたみ、新しい事業を興し、成功する。そして第2世代の菊乃、百合、桐之輔が生まれる。奔放な菊乃は厳格な菊治郎に反発して家出し、妻子ある男・岸部と恋愛関係となるが、妊娠を機に柳島家に戻り、竹治郎を支えた番頭の息子で、幼なじみの豊彦と結婚する、そして、第3世代として、菊乃の子供たち望、陸子、光一が生まれ、後に豊彦と愛人との間にできた子供卯月も、柳島家に加わる。


「なぜ家族をテーマにしたのか」という質問に、江國香織は以下のように答えています。「たとえば、子供たちは、学校にいる時間とか、家族の見えないところで別の時間を過ごしていて、大人たちはその時間を多分一生知らない。その逆もあって、家族の大人が生きてきた時間を子供たちは知らない。身近にいる家族なのに一生知らない時間がある、そのことがおもしろいなと思って。それをどうすれば書けるかと考えて、こういうパッチワークの形にすれば書けると、思ったのです」と。「この小説の主人公と呼ぶべきものは何なのか」という質問には、「家そのものを主人公にしたかったんです。家があり、時間が流れて、人が入れ代わり立ち代わりする。世代が変わり、登場人物の全員がいなくなっても、あの家はその後も多分残る・・・」と答えています。


「1982年秋」、突然、兄弟3人は姉をのぞいて父親から小学校へ行くように言い渡されます。それまでは家庭教師の先生が2人、交代で毎日来て、音楽とか美術とか、厳しく勉強させられていました。父が自ら指導する体育とかの時間もありました。「なんでいまさら小学校なんか」、「私たち、学校に行くのよ」と祖母に言うと、祖母はしゃがんで私の頬を両手で挟んで言いました。「みじめなニジンスキー」、私は頬を挟まれたまま「かわいそうなアレクセイエフ」とこたえました。これは家族だけに通じる言い回しで、この2つは対なのです。合い言葉みたいなもので、強いて言えば、ありがとう、とか、お互いにね、とかという意味になります。「私にはまるでわかっていなかったのだ。小学校というものがどんなところなのかも、私たち家族が、どんなに時代から取り残されているのかも」。父は祖父と祖母と見て「この子たちはいつかこの社会と折り合いをつけなくてはいけないんですから」と、言います。


集英社の読書情報誌「青春と読書」インタビュー


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