吉田修一の「日曜日たち」を読む! | とんとん・にっき

吉田修一の「日曜日たち」を読む!


以下は、先日「パレード」を読んだときに書いた記事の書き出しの部分です。久しぶりに吉田修一の作品を読みました。第15回山本周五郎賞を受賞した「パレード」という初期の作品です。彼の作品は今までに、第127回芥川賞を受賞した「パーク・ライフ」や、「東京湾景」、「ランドマーク」を読みました。「日曜日たち」はブックオフで購入してありますが、まだ読んでいません。「日曜日たち」は、つい最近、講談社文庫になったようです。


吉田修一の作品を年代順に並べて内容をみてみると、以下のようになります。第15回山本周五郎賞を受賞「パレード」では、同居する5人の男女の奇妙な生活を描き出します。第127回芥川賞を受賞した「パーク・ライフ」では、日比谷公園を舞台に偶然出会った女性との奇妙な関係を描き出します。「日曜日たち」では、東京で暮らす若者たちのそれぞれの日曜日の情景を切り取って描き出します。「東京湾景」では、東京湾岸を舞台に出会い系サイトで知り合ったふたりのラブストーリーを描き出します。吉田修一の作品は、一貫して東京で暮らす現代の若者たちの世代独特の、やるせない不安感や焦燥感をリアルにとらえ、抑えた筆致で描き出します。


さて、ブックオフで購入してあった「日曜日たち」を読み終わりました。と言っても、先日「パレード」を読んで、その記事をブログに書いた直後に、ほぼ半日で、一気に読み終わっていたものです。ですから、読後2週間経ってからの記事となります。この本は、「日曜日のエレベーター」、「日曜日の被害者」、「日曜日の新郎たち」、「日曜日の運勢」、「日曜日たち」の5編からなっています。まったく異なった5つの物語を繋ぎ結びつける役割を担っているのが、母を訪ねて九州から出てきた幼い兄弟です。


「ねぇ、この一週間、何食べてたの?」と聞かれて、「パン。・・・あと、タコ焼き。それと、すし」。この本の表題になった「日曜日たち」の最後に出てくる乃里子と兄弟の弟との会話です。それぞれの物語の中で出てくる不思議な小学生の兄弟との接点がこれだったのか。連作短編集の傑作とありますが、過去が絡みあい交錯しあう全体の構成は、見事という他ありません。


やはり表題にもなった「日曜日たち」が、良くできていると思います。10年住んだアパートを引き払い,実家のある名古屋に引っ越す乃里子。「あんなにお父さんが反対したのに、勝手に東京へ出ていって、あんなにお父さんが帰ってこいと行って多時には無視して、あんなにあんたが帰ってくるのを待っていたお父さんが死んじゃってから、急に帰りたいなんて・・・」と母親から言われたりもします。引越し作業をしながら、昔同棲していた恭一のことを思い出します。理不尽な暴力に「どうして殴るの?」と乃里子が訊くと「殴る理由がねぇから殴ってんだよ」と恭一は耳元で囁きます。


乃里子は、アパートを逃げ出してNPO団体「自立支援センター」へ行き、「一時避難シェルター」へ泊まることになります。そこで母親探ししていた幼い兄弟たちと出会います。乃里子は、相談の電話を受けるボランティアになり、時が流れ、名古屋の「自立支援センター」の副所長として行くことが決まります。東京を引き払い、アパートの鍵を返しに不動産屋へ行く途中に、ニッカボッカと藤色の長袖シャツの似合う若者とすれ違います。どこかで見かけたことのある顔でした。「お、覚えているの?わ、私のこと、覚えているの?」若者は何も言わずに小さく肯きます。


銀のピアスを兄弟二人に一個ずつ握らせたことや、新大久保駅の付近で偶然若者を見かけることなど、やや作為的なことはあるものの、幼い兄弟が兄が仕事に就き、弟が修学旅行で東京に来るまでの長い時間、主人公の乃里子も同棲相手からの暴力を受けながら、次第に自立していく過程がラップされていて、この作品に厚みをもたらしています。乃里子は若者を見送った後、10年済んだアパートの鍵を返し、15年暮らした東京をあとにします。「嫌なことばっかりだったわけではない」と乃里子は思います。吉田修一の作家的な成長の足跡が感じられる作品です。

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