吉田修一の「パレード」を読む! | とんとん・にっき

吉田修一の「パレード」を読む!


久しぶりに吉田修一の作品を読みました。第15回山本周五郎賞を受賞した「パレード」という初期の作品です。彼の作品は今までに、第127回芥川賞を受賞した「パーク・ライフ」や、「東京湾景」、「ランドマーク」を読みました。「日曜日たち」はブックオフで購入してありますが、まだ読んでいません。「日曜日たち」は、つい最近、講談社文庫になったようです。


さて「パレード」ですが、「出版社からの内容紹介」には、以下のように書かれています。
5人の若者の奇妙な2LDK共同生活を描いた青春小説。いつの時代も現実は厳しい。でもふさわしい自分を演じればそこは、誰もが入れる天国になる。杉本良介21歳、H大学経済学部3年。大垣内琴美23歳、無職。小窪サトル18歳、「夜のお仕事」に勤務。相馬未来24歳、イラストレーター兼雑貨屋店長。伊原直輝28歳、インディペンデントの映画配給会社勤務。5人の生活がオムニバスで綴られる。


この「オムニバスで綴られる」という形式、一人一人が1章ずつを順番に語り手になり、物語が展開します。たしか村山由佳の直木賞を受賞した「星々の舟」もそうした形式でした。つまり、通常は全編を一人の主人公が語るというのに対して、主人公が代わるわけですから、同じ対象を各章ごとに別の角度から見ることになるわけです。良介、琴美、サトル、未来、そして直輝と、5人が順番に自分たちの生活を語って行きます。実はこの順番が、作者によって巧妙に仕組まれています。


東京の千歳烏山、旧甲州街道沿いの2LDKのマンション。ここに4人の若者が共同生活をしています。男2人と女2人、この4人の間には恋愛関係などはまったくありません。お互いに接近しているように見えて、実は一定の距離を置いた関係で生活しています。これが都会の若者の生活なのでしょう。他人の中には深くは入り込まない、「いまどき」の乾いた関係と言えます。それが彼らにとっては「心地よい」のでしょう。そんな関係を琴美は「たぶん私たちが暮らしているこの部屋も、そんな場所なのだと思う。嫌なら出ていくしかない。いるなら笑っているしかない。」と言います。


そこに新たに男娼の少年が加わり、共同生活者は5人に増えます。新たに加わったサトルは、「あそこで知り合っていなければ、絶対に口もききたくないタイプの奴らばかりだ。それなのに、どうもあの連中の中に入ってしまうと、自分でも不思議なくらい、一緒にいて楽しくて仕方がない」と言い、何の違和感もなく自然に共同生活者に入り込みます。しかしその関係も、きわどいところで成り立っています。サトルが、自分の友達も一緒に暮らさせてもらえないかと直輝に頼むと、「お前、なんか勘違いしてないか?」と直輝に言われ、一瞬、サトルの顔からさっと血の気が引きのが分かった、という個所があります。


壁際に並んだ琴美の三つの段ボール箱を見て、「今日から一緒に暮らしましょう、といいながら、じゃあ元気でね、さようなら、と同時に言っていたような・・・、始まった瞬間に終わった状態のまま前へ進んできたような・・・、そんな感じがしてならない。」と、自分たちの関係を直輝はそう言います。そしてある出来事が起こります。サトルは「もうみんな知ってんじゃないの」と面倒臭そうにつぶやきます。「ちょ、ちょっと待てよ。な、なんで、みんな知ってて黙ってんだょ?」と直輝が聞くと、サトルは「そんなのわかんないよ。みんな言わないし・・・、それにおれ、けっこうあそこ気に入ってんだよね」と答えます。


この作品の各章は、最終章の「伊原直輝(28歳)インディペンデントの映画配給会社勤務」の衝撃的なラストへ向けて書かれているのがよく分かります。文庫本の解説で川上弘美が「コワい小説」と評したそうですが、僕は読んでいません。共同生活者のことは何も知らないのではなく、知っていても知らないそぶりをしながら暮らし続けているという、それは現代の若者の「怖さ」かもしれません。


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