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ナチュラルセルフ(自然体の自分) にケチつけて、私はダメだって落ち込んで、
あーでないといけないって勝手につくった理想に自分を無理矢理変えようとしてばかり。
そのとーりに変われないとまた、私はダメだって自分をいじめ抜く。
・・・・・・・結局はこれが 不幸な人生から 逃れられない理由、
苦しみをともなわずにキレイになれない理由なのかもしれません。
長年のダイエットで悪化した代謝と食欲
を戻すために、
頭で考えてばかりじゃなく
心と体の声をききながら食べだして、、
異常な食欲も
徐々におさまり前よりずっと幸せなはず。。。
なのに、自分より痩せてる人をみてはいいな~、
そうでない自分は恥ずかしいな~って
思って卑屈になったり、
また無理に痩せたい願望が強くなってしまったり。。。
皆さんからのお便りにもおおいのですが、私にもそういう時期がありました。
前も書いたけど、
内面の自信(何ができるから、といううことじゃなくてね
わたしはコレでいい、こうあろうと思える自分の芯のこと) をつけることに
目を向けたのは まだ最近でしょ。
そこから生まれるぶれない自信が、痩せたい心にすぐ追いつかないのはしょーがないです。
細くなければ私はダメだって思っちゃうのは
長い年月をかけて築いてきた価値観なはずだから、
それをすぐに変えることなんて
できなくても仕方ないです。
最初から
”人と比べるな、外見じゃないよ”
なんて いわれても、 無理・・・ですよね?
私もそうだったから、すぐに変われない自分に焦らないでいいからね。
カラダの栄養、心の栄養、ふたつを両方満たしていくうちに、
心もゆっくり変わっていくから。
ダメな自分も「好き」にはなれなくても、
全体でみたら、あまいいかあって自分を認めてあげられるようになるよ。
自己肯定感、とか自尊心とかいいます。
人にどー思われようと自分が自分を好きでいられたら、幸せなんです。
そういう気持ちで心から笑えるように
なった自分を慕ってくれる人がいるなら、それで幸せ。
その幸せ感が、ストレスによる食欲とか代謝の悪化を改善してくれるんだって
私は思ってるんですけど。
これ、スピリチュアルとかじゃなくて、私は大真面目に「超現実的」なつもりです。
人からみたらどうかしりませんが 私自身、スピリチュアルも自己啓発も興味がないタイプです。
「~しなければいけない」って枠で自分を苦しめるのはもう嫌。
もっとも確実なのは、自分の心と体で感じること、
ダイエットについても一番大切にするべきはコレだと思っています。
でも、すぐこう思えるようになったわけじゃないです。
その間どうやって痩せてなきゃって気持ちを処理していたかというと
・・もしかしたら、意地悪だし、超性格悪いって思われるかもしれないけど、書きます。
(コレ読んで嫌いにならないでね)
町を歩く時、
いつも自分が細い人ばかりを探してるから
みんな痩せてるっておもってて
そうじゃない私は恥ずかしいって思ってたんだけど、
本当にみんな痩せてるの?って
ちゃんと周りをみるようにした。
結構私と同じくらいの人、、もっと太い人もいた。
へ~!って驚き。
足が太いとか腕が太いとか部分的なコンプレックスも、
結構自分と同じ(かそれ以上の)人も
探してみたら、結構いることが分かった。
でも、だからって皆ダメじゃかった。
明るくてかわいくて
魅力的な人も沢山いることに気づいた。
私が魅力的だなあと思う人が、
必ずしも「痩せてる」わけでも「美人」
ってわけでもなかったし・・・。
そうすると、
外見のコンプレックスも、
だからなんだ?って
少しずつ思えるようになってきた。
それまでは致命的!ッて思ってた
自分の欠点も、
まあいやはいやなんだけど
そ~んなに
憎むべきことじゃないのかなあって。
心地よいこと(昨日書いたニセものの快楽じゃなくて本物の快楽)に貪欲でいること、食に関してもそうだけど、
ダイエット以外の色々なことに楽しい事、
幸せだなって思えることをみつけていこうって
いつも言ってるけど、
そういうのがある程度
自分の中に増えてくると、またちょっと変わるの。
細い子みていいなあ・・・とは思っても、
そこで”じゃあその子と入れ替わりたいの?”
って冷静に考えてみると、それはちがうなって。
”いや、彼女は細いという点ではいいなと思うけど、
私は私でいいとこあるし、
私の生活は楽しいし、私は私でいーや”って具合に。
つまり、よくわからなくなっていた
「自分の中身」に気づくうちに
体型が自分の「すべて」ではなく
「ほんの一部」ってとらえられるようになってきたんだ。
一般的に何がいい悪い、
何がかっこいい、かっこ悪いって
って言われてる他人の価値観はさておき
自分はどんなことが好きで嫌いで
どんなことに心地いいな、幸せだなって感じるうちに
私には外見だけじゃなく
中身があるんだ、って思えるようになったから。
中身がないなんておもってたら
そりゃあ、私じゃなくても
外見が重大事になるし
責めて痩せてなくちゃってこわくなるよね・・。
結局、自然体の自分を否定する癖がある限り、
今の目標を達成したとしても、
ずうっと自分の荒探ししては同じ事繰り返して
つまらない人生おくっていくことになるのかもしれないなあ、って気づいてきた。
拒食してるのにおでぶさん、
という状態になったのも、
年中こうして不満を抱えて生きていたから、
太る”ホルモンサイクル”を生み出していたのだと思う。
(カラダの栄養が足りなかった事もそれを手伝った)
ダイエット以外のことに関しても同じです。
前も書いたけど
~しなければいけないって頭で考えてばかりで、
~したいって「感じる」心や体からの信号は一切無視、っていう生き方だった。
ダイエット依存の頃、自分に窮屈な枠つくって、
そこに当てはめようとばかり必死になって、
当てはまらない自分はダメだと苛め抜く癖は、
進路に関しても、将来の夢に関しても、
趣味に関しても、なんでもそうでした。
だから、脳が不感症になっちゃってて、
何をたべたいのかも、
何をしたら楽しいのかも、
自分がまったくわかんなくなっちゃった。
→だからヤセない自分に一日中ストレス→太る
⇒ストレス過食が止まらない
このブログをよんで、
ホントに自分が好きなこと
心地いいな事を見つけたいと
悩んでいる方からよくお便りをいただきますが、
あまり考え込まずに
自分が心地よいと感じるかそうでないか、
五感と心で「感じる」素直に耳を傾けてあげてださいね。
昨日のコメント(メールでも)で
、お料理が好き、でもこれは摂食障害だからなのか
・・って悩んでいる方がいましたが、この場合もそうですね。
お料理をしているとき楽しいかそうでないか。
私も家族に喜んでもらえるのが好きで、
ストレス解消手段として
お料理に没頭していたときもありましたよ。
でも作ったら
全部自分で食べちゃうことが許せなくて、
辛かったときは、
暫く、料理から離れて他の事に目を向けてみた。
今でも料理は好きだけど、それ以外に色々みつかってきたから、
もう料理は5番目くらいの趣味でいいや~ってなりましたけど、
そのまま料理を自分の
メインの趣味として楽しめるようになった方もいるし、
職業として追求し始めたかたもいらっしゃいます。
考え込まずに、
自分にとって快適かそうでないか、
シンプルに感じてみる。
その感覚に身を任せてみると、
無理なく進めそうな道が、
自然に見えてくることが多いと思います。
それから
やる前の”イメージ”と
やってみて楽しめるかってことは
大概違うから、
アレコレ悩まず、誰かの趣味でも
とりあえずやってみて
自分が好きか嫌いかは自分で感じてたしかめてみる。
特別なことじゃなくても
自分が好きな音楽を探すようになった、
自分が好きな本や映画のジャンルがわかった、
そんな事でも、
「私はこーいう人間なんだ」
「入れものだけじゃなく中身があるんだ」
っていう自信につながって来ると思いますよ。
こういう脳の充実感、心の充実感も、
絶対カロリー消費しているはず!
って思うんですよね。
ここが充実して満たされていれば、
”ストレスをうやむやにするために食べる”
って種類の「心の過食」はへってきます。
もちろん、今までも説明したように
心が満たされるには
カラダの栄養が必要ですから、食べることも大切。
でも、何をどう食べるとか
神経質になる必要は全くありません。
今は、私、甘いものも洋食も、
食べたい時は食べるし、
バランスにも量も制限してないけど、
痩せたい、どーして痩せないの?って
ストレスばかりで頑張ってたときよりは
全然痩せててるよ。
なぜかって、
いつも書いてるとおり
心と体って本当につながってるから。
*忘れちゃった人は栄養やホルモンの話復習してみてね。
私の場合は時間はかかった、って書いたけど
コメント欄、メールみてると、
まだこのブログはじまって5~6ヶ月なのに、
もう食べはじめてすっきりしてきた!って方も沢山いらっしゃるのがすごい。
こういう一見スピリチュアル?な情報も、
カロリー計算と科学的情報しか信じない!
っていう、がちがちのダイエット脳の皆さんも
初期の頃から栄養について、
カラダの仕組みについて、
ホルモンの話についての記事も
読んで下さったから素直に耳を傾けてもらえるようになったのかなあっておもっています。
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