竜宮童子 | 不思議なことはあったほうがいい
 

 とても素直で働き者の爺さんがおった。薪をしょって市へ売りにいったが、ちっとも売れん。そこで橋の上からポイポイと捨ててしまった。すると、水中から「ステキなプレゼントをアリガトウ」と乙姫さま。お礼に水中のお屋敷=竜宮城にお招きしてくれて、上げ膳据え膳。さらにお土産として、小汚い小僧を一人くれました。この小僧、じつは魔法使いで、鼻水をズルズルーとすするたびに爺さんの欲しいものをつぎつぎとひり出して、爺さんたちまちお大尽。ところが、立派な屋敷に立派な着物、キラビヤカな生活のなかに小僧一人が浮いている、カッコワリィ! 「小僧さん、もう帰っていいよ」。すると、屋敷も着物ももとのボロボロになってしまいました。ボーゼーン!!(´Д`;)


 バリエーションとして、最初から水神さまにささげるために水中に薪を投げ入れた、偶然うっかり薪を落としてしまった、渦巻きが面白いので遊んで投げ入れてた、水中ではなく洞窟に放りこむ(きっと穴から怪物がでてくるだろうから塞ごうとした)といった話もあるが、とにかく薪を異界にプレゼントした。わかりやすく「薪」になっているが、そもそも、水神の祀りには、水辺に木棒を差し立てるという倣いが各地にあるそうな。これはそもそも山鉾みたいな神の拠代だったのかもしれない。水神さま=竜神さま=河童の祭りの後日談ともいうべき話ってことか。かぐや姫のじいさんは「竹取」にいったのだったが、これも節にお米を入れて占う神事もあるようにいわれはあるのであろ。

 

 昔話というのはけっこうバラエティあるようでいて、相互にキャラクタとかネタとかのつながりが発見されるもんであるが、この「竜宮童子」の話は、それがより顕著であるように感じられる。「信仰の零落」が厳然と底にあるからで、この話まんまはいろいろ途中でいじられていたとしても、根幹は古い話なのかもしれない。


 水中の乙女との出会いが福につながるというのは、海幸山幸浦島太郎俵藤太の話の親類だろうけれど、異界訪問話としては「機織淵 」とも関係ある。その彼女が家にきてくれれば鶴女房 だし、それが富という生産よりも、消費の節約のほうにベクトルを移すと飯食わぬ女房 二口女 山姥の話になる。水の乙女が零落すれば蛇体となって、ありがたいお経で成仏する(→「清姫 」)、そもそもは水に身をなげた(なげさせられた)生贄だったかも(→「毛長姫 」「真間手児奈 」)……そうすると、その水場はホントウはありがたいいわれがあるんだとか(→「弘法清水 」)、逆に怪談が始まったりとかする(→「置行堀 」)……

 お土産のシナモノが小僧ではなく、おなじみの打出小槌 や、聞耳頭巾という具体的アイテムだったり、お姫様と結婚できたりすることもある。別のイキモノだったりもする。たとえば黄金の糞をする犬とか猫とか、海辺なら亀さんだったり 。異界(とくに水界)から富をもたらす〈小僧〉がくるといえば、桃太郎とか瓜子姫 も川を下ってきた。田螺長者とか一寸法師はそこにワンステップ神様に子供を授けてくれと頼むのだが、そうなると説教節の主人公たち(信徳丸とか梅若とか)ともかぶってくる。

 登場する小僧も、九州の海のほうの話では、食事として毎日「ナマス」をあげないといけないのをめんどくさがってサボったので魔法がとけたとか、岩手あたりでは小僧には「ひょうとく」と名前がついていて、ヘソをいじると宝を出す。もっと宝を出そうとして突っつきすぎて小僧は死んでしまう。そこで小僧の顔に似せたお面を作って祀った、これが「ひょっとこ=火男」の起源なり。竈に飾って家の守りとした。竈の灰に霊験あり、となって花咲爺との関連がほのめく。

 べつに小僧がなにかをしなくても、いるだけで幸福をもたらしてくれる場合もある。奥羽の方では、屋敷の小部屋に隠しておくと、ときどき田植えなどを手伝ってくれるとかいって、前回のザシキワラシ とはこのあたりでつながっている。ワラシが去ればボーゼーン!となるが、ザシキワラシの場合、その理由がはっきりしないことが多い。

 お土産が犬・猫・亀だった場合は小豆飯なんかをきまった量だけ食わせると、それに応じた黄金をひり出すが、欲張って多めにやってしまい死んでしまう、あるいはただ糞だけして臭かった。そうした幸福の消滅の原因をつくるのが、爺さんの本人の変心や欲心ではなく、同居人の強欲婆さんだったり、隣の欲深爺さんだったり、主人公が若者だったら、兄弟・姉妹の間の話だったりして、舌切雀 」「瘤取」的教訓話の展開をする場合もある。とにかく最後は、恩を忘れたためにオジャンになった……。


 なにかのお礼に竜宮城に行ってお土産をもらうが、相手との約束を破ってもとの貧乏に逆戻りとか・お爺さんになってしまうとか・「機織淵」では殺されたりとか、異界にはいいこともあるが、契約を違反したりするとその〈夢〉はなくなってしまう。富・幸運を得るのは異界の合力なくては庶民・凡夫にはムツカシイが、忘れてはいけないのはそれを維持するのにも気を使わねばならんということ

 部屋が散らかってしょうがないので、収納用具を揃えてキレイにしたが、普段のこころがけがズサンなら、すぐに床中モノだらけ。そんな日常が思い浮かびますね。いっとき「原発は安くてクリーン」と宣伝されていたが、放射性廃棄物の保管・処理にじつは何万年もかかるという事実に、おいだいじょうぶなのか?しっぺ返しがくるんじゃないか?と心配したこともあったっけ。


 あいてがカミサマであれ、妖怪であれ、人間であれ、他者と上手くやってゆくには、契約がかかせない。約束を破ったら「ハリセンボン」飲まされるなんて女郎さんが言い出したのも、ルール・取決めというものがいかに大切かという世俗的表現であろ。

 毎日毎日のこつこつとした積み重ねがやがて大きな力となる、にもかかわらず、短期間に同じ効果を得ようとすると手痛いしっぺ返しをくうのだ。毎朝ラジオ体操するのが正直爺さんで、年に一度だけハッスルして体中痛くするのが意地悪爺さんなんだな。コツコツの褒美が小僧だった。コツコツためた貯金はこれもコツコツ使わないといけないのに、ドッバーと貯金以上に使おうとしてダメになったんだな。

 

 いやー昔話って教訓がいっぱいありますね。