今日は、アメリカでは2月10日ですが、日本では11日で建国記念日です。日本最古の歴史書である「日本書紀」では、神武天皇が2676年前に辛酉の年正月朔日(紀元前660年の太陽歴で2月11日)に橿原宮で即位された日です。
 
この記念すべき日に、日本の総理大臣がアメリカに行って、「将軍の支配下にあった日本にアメリカが来て日本人は民主主義に開眼した」とアメリカ大統領の前で日本の国家の礎がアメリカ起源であるかのように日本人が思っていると誤解を与えかねない発言をしてしまいました。(詳しくは、こちらの記事で。)
 
この残念な建国記念日に際して、国家の「記念日の狙い撃ち」についての考察をしてみました。
 

2016年にフランス南部にあるニースで7月14日にテロ事件が起きました。記念日の花火を見ていた群衆の中にトラックが突っ込み、少なくとも77人が死亡しました。7月14日はフランスでは、革命記念日であり、国家の誕生日として盛大に祝われます。

 
このような日にテロが起きた結果、何が起きるでしょうか。次の年から、この日が殺された方々の命日になるのです。お祝いムードがかき消され、犠牲者を悼む日になります。当然、国の記念日を祝う明るい気持ちや前向きな愛国心がかき消され、悲しみが続きます。国を想う気持ちは、無力で悲しく暗い気持ちに支配されてしまうのです。
 
国の記念日をみんなで祝うことは、国民の心をひとつにまとめ、まっとうな愛国心を養い、国家と国力の土台である人心を安定させます。ですから、一般的に国家の起源や建国に関する記念日は、どこの国でも大切にします。
 
さて、日本も「記念日の狙い撃ち」と無関係ではありません。幸い、縄文時代から稲作を行ってきた長い長い伝統を持つ日本にとって、さまざまな収穫祭や記念日があったので、一つの記念日を狙い撃ちされたくらいではビクともしないのですが…。しかし、狙い撃ちされた記念日は、一つではありませんでしたから、影響はあったのです。
 
戦後、アメリカ主導のGHQ(連合国軍総司令本部)が日本を占領しました。アメリカは、日本の戦後処理に徹底的に「記念日の狙い撃ち」を行いました。
 
アメリカによる記念日の狙い撃ちについては、猪瀬直樹氏の著書、「ジミーの誕生日」に詳しく書いてあります。「ジミー」というのは、アメリカ人の英語教師バイニング夫人が今上天皇陛下につけたニックネームでした。
 
 
連合軍の占領中、昭和天皇の誕生日にA級戦犯28人が起訴されました。そして当時は皇太子殿下であらせられた明仁天皇陛下の誕生日に東條英機元首相らの7人がA級(平和に対する罪)戦犯として処刑されました。
 
昭和21年(1946年)に東京裁判が開廷した日は5月3日。翌年1947年の同じ日に占領下で日本国憲法を施行して「憲法記念日」がこの日になりました。日本がサンフランシスコ講和条約で全権を回復したのは1952年。すべて、その前に起きました。つまり、東京裁判と日本国憲法がセットにされて日本の歴史に日付とともに刻みつけられたのです。

当時の一般的なアメリカ人にとって、一年を通して祝い事といえば、メインは誕生日とクリスマスです。クリスマスはキリストの誕生日ですから、両方とも誕生日であるという属性には変わりません。誕生日重視の文化だったわけです。おそらく「一番祝うべき日を屈辱の日に変えるとしたら、誕生日を狙うしかない!」と考えたのでしょう。アメリカは、日本人が天皇陛下を神聖視していたと考えて、「キリストの誕生日であるクリスマスに相当する日本の祝日は、天皇の誕生日に違いない」と考えたと思われるのです。

アメリカ主導のGHQは、そういう意味では様々な心理的な楔を狙って打ち込んでいったにも関わらず、長い長い複雑な伝統を持つ日本人にとって、「空振り」な部分も多かったのではないかと思います。日本は古来、「数え年」で年を数えていたので、お正月に一斉に年をとると考え、個人の誕生日を祝う習慣がありませんでした。ですから、「誕生日の狙い撃ち」戦略は、日本人全体にはそれほど大きなダメージはなかったのではないでしょうか。
 
「記念日の狙い撃ち」は、天皇誕生日だけではありません。経済誌オンライン版である「東洋経済ネット」に「日本人だけが8月15日を『終戦日』とする謎」という記事が掲載されていました。

 

日本人は8月15日を「終戦の日」としていますが、アメリカでは「対日戦勝記念日」は、9月2日であって、8月15日という日付は出てきません。これは、日本の降伏調印式が1945年9月2日であったためです。実際には、アメリカ時間で8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し、日本時間15日に天皇陛下が「玉音放送」でポツダム宣言の受諾を発表されました。

 

アメリカは、敵国であった日本人の宗教観なども研究していたため、墓参り(先祖崇拝)をする大切なお盆の最初の日である8月15日だということを熟知していたはずです。その大切な日に敗戦の日をあえて持ってくることによって、「お盆」を真っ黒な悲しみの日に染め上げることを意図していた可能性があります。「盆踊り」に見られるように、戦前はお盆は盆踊りをしたり、みんなで楽しむ夏祭りの時期でもありました。

 

まあ、しかし日本人というのはしぶといもので(笑)。死者を悼む伝統は、縄文時代からの習慣ですからね。それでも日本人にとってお盆が大切なことには変わりはないし、お墓参りも盆踊りもやめません。

 

戦後の日本のGHQ主導の押し付けられた歪んだ国の形を変えるには、アメリカが導入した非武装憲法を変えるだけでなく、その過程で付随してきた憲法記念日や終戦記念日そのものの日付を動かすことも必要になってくるのではないでしょうか。

 

お正月やお盆、新嘗祭、建国記念日など、日本人にとって大切な日を祝えることに感謝します。

 

■東洋経済ネット 日本人だけが8月15日を「終戦日」とする謎

http://toyokeizai.net/articles/-/80286
 

■ハフィントン・ポスト ニースのテロ事件が発生した「7月14日」は、フランスにとって特別な日だった

http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/14/bastille-day_n_11004766.html