日本が世界に誇れることは、実はたくさんあります。

第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会で、大日本帝国の牧野伸顕次席全権大使は「人種差別を撤廃するべきだ」と主張しました。

 

日本は「人種差別撤廃」を国際会議で主張した世界初の国なのです。



当時、アメリカに移住した日本人が排日政策によって迫害されていたことと、国際連盟の中核となる白人中心国家から、人種的偏見により日本の存続を脅かされる可能性が危惧されていました。

 


その後、会議に参加した多くの国の代表がこの提案に賛成し、イタリアやフランスなどの植民地所有国も賛成しましたが、アメリカやイギリスなどの植民地を数多く持ち、その利権を手放したくなかった国は猛反発しました。

採決が行なわれると、賛成11・反対5となって人種差別撤廃法案は圧倒的多数で支持されて、正当な主張とされましたが、議長のアメリカ大統領トーマス・ウィルソンが、「全会一致を見なかった」として法案は不採決と宣言。ほぼ強制的に否決されてしまいました。 

 

その後、アメリカ国内では、この提案に反対した大統領やアメリカ政府に激怒した黒人による暴動事件やそれに関連した白人による有色人種への暴行などの人種闘争事件が起きました。

 


その後、日本の提案は、白人を中心とした世界秩序を混乱させる「危険思想」であると受け取られ、アメリカやイギリスなどの植民地利権の国々から敵視され、禁輸や経済封鎖を受け、それが戦争へと繋がっていきます。

GHQの戦後の言論弾圧によって、「大東亜戦争」という言葉を使うことを日本人は禁止されてきました。「白人によるアジアの植民地解放と人種差別の撤廃という大義がある戦争であった」ということを隠すために他なりません。

 

日本人が近代以前にすでに奴隷制度人種差別を嫌っていたことは、江戸時代中期に日本に来たスウェーデンの医学者で植物学者のツュンベリー博士も以下のような記述を残しています。

日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。日本人は、身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られていて…。

 

ツュンベリーの記録――江戸参府随行記(オロモルフ)

 

また、古代の日本では蜂子皇子(はちこおうじ)という聖徳太子のいとことされる人物の肌が黒かったことが描かれており、高貴な身分とされる人物に肌の黒かった人もいた可能性が高いのです。

 

 

また、日本人の多民族ルーツを探る「天孫人種六千年史の研究」というGHQによって焚書にされた本は昭和11年以降に100万部近い超ベストセラーになり、帝国陸軍大学と陸軍士官学校の課外読本に採用されていたことが分かっており、戦前の日本人は、日本人がいろいろな民族が一つになった民族だと知っていたことを物語っています。

 

戦時中の日本人は何のために自分たちが戦っていたか知っていましたが、現代の私たちはどうでしょうか。

歴史家のトインビーは、日本人の功績についてこう述べています。

 

「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって恩恵があった国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。


その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。

日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」

 

(1956年10月28日/イギリス紙「オブザーバー)

 

戦後、アジアやアフリカの国々は、日本の姿を見て立ち上がり、次々と独立を勝ち取っていきました。

現在でも、日本に感謝を述べる国々が多いのは、戦後にODAでお金をあげたからだけではありません。「独立の気概」は、お金では買えないものなのですから。


■パリ講話会議にて、牧野伸顕次席全権大使による人種差別撤廃提案
http://dic.pixiv.net/a/人種的差別撤廃提案

 

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