Pomerol 評 価 その1 | ろくでなしチャンのブログ

Pomerol 評 価 その1

        Pomerol 評 価 その1 ボルドー第4版より 

 

 

概 観

 

位 置/ドルドニュー河の右岸にあり、南の境界はリブルヌとベルジュ

     ラックを結ぶ鉄道とリブルヌ市で、北はバルパンヌ河という名

     前の支流である。

葡萄の栽培面積/785.0ha

参考 サン・テミリオン  5,439ha

              サン・テステフ  1,378ha  

              サン・ジュリアン   880ha

              マルゴー      1,356ha

                    ポイヤック    1,200ha  

 

村 名/ポムロール 

 

平均年間生産量/36万8,000ケース(1ケース12本)

             

格付けされたシャトー/なし。ポムロールのワインは格付けされた

             ことがない。

 

主な葡萄品種/メルローが主体。続いて少量のカベルネ・フランと、

         さらに少ないがカベルネ・ソーヴィニョン。

           

主な土質/ポムロールの丘にある畑は砂利質に粘土と鉄が混じったものが主流。ラランド・ポムロールの境界にある畑も砂利質だが、砂の量が増す。

 

さくらんぼ ポムロールは偉大な赤ワインの産地としてはボルドーの中で最も小さいが世界で最も高価で、心を浮き立たせる、グラマラスなワインを生産している。

 だが、販売割り当てを厳しく制限せざるを得ないほど需要が高いにもかかわらず、ポムロールは、厳格な品質のヒエラルキーに公式に位置付けられたことは一度もない、ボルドーではただ1つのメジャーなアペラシオンである。

 

 ボルドーのワイン業者が、今となっては有名な、歴史的な1855年のジロンドのワインの格付けを制定した時、彼らはボルドーから東におよそ30㎞、ジロンド河の右岸にあるポムロールとサン・テミリオンを完全に無視した。このあたりは高い品質のワインで評判を挙げていたところだが、ジロンド河を渡ってリブルヌに行く旅程が困難であったため(1820年までは市が架けられなかった)、サン・テミリオンとポムロールは、フランス北部やベルギー、オランダを相手に大半の取引を行なっていたのである。

 

 一方、メドックの大手ワイン生産者はボルドーのブローカーを通して取引していた。「ネゴシアン」と呼ばれるこれらのブローカーの多くは、イギリスとのワイン取引の仲介に依存するイギリス人やアイルランド人の移住者が家族ぐるみで経営していた。1855年の格付けは、要するに、よく知られたメドックのシャトーのリストに有名なグラーヴのオー・ブリオンを加えたものであった。なぜか。これらのシャトーはそのワインを伝統的にボルドーのブローカーに売っており、そして、ブローカーはそのワインをイギリスに輸出していたからである。 

 

 1860年代後半までポムロールやサン・テミリオンのシャトーのはほとんど、あるいは全く取引していなかったブローカーが1855年の格付けの責任を負っていたのだから、ボルドー地方のシャトーの上位60を格付けした彼らは無知だった、もっと悪く言えば、自分の扱っているワインのことしか考えていなかったということになる。

               参照 メドック・格付(グラン・クリュ)詳解 こちらへ
 

 1855年以降、サン・テミリオンのワインは4回格付けされたー最初は1954年、そして1969年、1985年、1997年に見直しが行われた。しかし、ポムロールのワインは一度も格付けされたことがない。これは驚くべきことだ。なぜなら1940年代後半当時、ブリストルの信頼のおけるハーヴェイ商会で働き、イギリスのワインバイヤーとして名を知られていた故ハリー・ウォーがほめちぎって以来、ポムロールノワインは非常な人気と評判を勝ち得るようになっていったのだから。評判はその後も上がり続け、今ではメドックやグラーヴの最も有名なワインよりさらに高い需要があるほどになった。

 

            参照 サン・テミリオン新格付け(2010INO確定) こちらへ
 

 サン・テミリオンが広大な地域(葡萄栽培面積5,438ha)に及ぶのに対し、北隣のポムロールは、葡萄の栽培面積がわずか785ha(メドックで一番小さいアペラシオン、サン・ジュリアンの全栽培面積より少ない)の、非常に小さい地域である。

 ポムロールのワインの成功を理解するには、メルローというこのアペラシオンの主体となる葡萄品種について、消費者の飲酒習慣の変化について、そしてジャン・ピエール・ムエックスとその2人の息子、クリスティアンとジャン・フランソワが築いた帝国について考慮しなければならない。

 

 まず最初にメルローと言う葡萄。INAO(国立原産地呼称協会)によれば、ポムロールに植えられた葡萄の70%~75%がメルローであるという。続いてカベルネ・フランが20%~25%、カベルネ・ソーヴィニョンが5%。ボルドーのメジャーなアペラシオンで、これほどメルローの栽培比率が高いところは他にない。一般にメルローをベースにしたワインは、カベルネ・ソーヴィニョンを主体としたワインより、柔らかく、豪勢で、明らかに果実味に富んでおり、みずみずしく、明白なタンニンが少なく、アルコール度が高い。 

 

 2番目に、現代の多くの消費者(レストランも)は、若いうちから飲めるワインを求めている。ポムロールのワインなら、待ちかねているお客様もいると言うわけだ。ポムロールの殆どは、ヴィンテージから4年から6年で飲めるようになる。もっとも、ポムロールはこうした飲み頃の早さがありながら、最高のワインに至ってはさらにその果実味を保ち続け、非常によく成長して、15年から25年も持ちこたえることも多い。伝説的なヴィンテージものであれば、時として40年以上も熟成し続ける場合がある。

 

 3番目に、ポムロールほど、一個人の力によって成功したフランスのワイン産地はない。センスがあり博学であったこの偉大な男、ジャン・ピエール・ムエックスは、2003年に亡くなった。1930年、まだ20代初めだったジャン・ピエール・ムエックスは、フランスのマシフ・サントラルの片田舎、コレーズ地方からリブルヌにやってきた。ケ・ド・シャルトロンと呼ばれる有名な河岸通りでメドック・ワインを取引する貴族的な名門の人々からは、まったく除け者扱いされていた。そこでムエックスは、ボルドーのブローカーが後になって思いついた東の葡萄栽培地域、すなわちポムロールとサン・テミリオンに目を付けた。しかし、彼のタイミングは悪く、運も悪かった。1930年代初め、世界は不況の真っただ中にあり、第二次世界大戦が終わるまでそこから完全に抜け出すことはできなかったからである。だが戦争に先立って、若きムエックスには、自分は最高級のボルドー・ワインの歴史的な市場(イギリス)に立ち入ることはできないと悟るだけの賢明さがあった。当時の取引を支配していたのはケ・ド・シャルトロンのブローカーだったが、ポムロールのワインに対して注意を払う者はいなかった。ムエックスはまず小さな商売から始め、定期的にヨーロッパ北部(ブルターニュ、ベルギー、オランダ)へ行って、そこで彼のポムロールを買ってくれる熱心なバイヤーを見付けた。そして1937年には、今日ポムロールの通関港になっている商業の町、リブルヌで「ネゴシアン」として開業するまでになった。第二次世界大戦後、彼はポムロールの3つのシャトー、トロタノワ、ラグランジュ、ラ・フルール・ペトリュスを購入した。またシャトーを買い取れなかったところでは、そのシャトーのワインの独占販売業者になれるように折衝した。

 

                               参照   ムエックス社

 

        


    

 

 1964年、ムエックスはついに夢を実現し、長いこと切望していた葡萄畑の株を50%取得した。そして2000年に、そこは完全に彼のものとなった。その畑の名はペトリュス。ムエックスは、ここがボルドーのどの一級シャトーにも負けない偉大なワインを生産する畑だと信じた。ムエックスの情熱とは裏腹に、当時のワイン界ではペトリュスはまだよく知られていなかった。だが、事態は直ぐに変わった。

 1950年代、1960年代を通じて、ムエックスはポムロールのワインの為なら疲れを知らない戦士であった(飽くことなきプロモーターと言う人もいるだろう)。身を起して指導者の地位に華々しく昇りつめ、巨万の富を築くことが出来たのも、一言で言えば、猛烈に働いて、彼の二大シャトー、ペトリュスとトロタノワで並外れたワインを生産したからである。1960年代及び1970年代初頭、これらのワインはメドックの一級シャトーをしばしば凌駕した。

 ムエックスと彼のワインが一躍有名になったことで、ポムロールは注目と威信集め、この牧歌的なアペラシオンの他の生産者ものんきに構えてはいられなくなった。彼らもまた、自分のワインの品質を向上させ始めたのである。今日、ポムロールのワインの販売においてジャン・ピエール・ムエックスの会社が圧倒的な立場を誇っているという状況には誰も対抗できないが、以前には争う余地もなかったペトリュスの優位性に挑戦する者の数は増えてきている。

 特にラフルール、レヴァンジル、レグリーズ・クリネ、ヴィユー・シャトー・セルタン、ル・パン、クロ・レグリーズ、ラ・フルール・ド・ゲイのようなワイン、そして時にはラ・コンセイヤントやクリネなどがある。

 

           

 

       


       

 

         

         

    
  
 ポムロールの最も名高いシャトーはポムロールの丘に点在している。ペトリュスは一番高いところにあり、葡萄畑の大半が粘土質の土壌に恵まれている。周辺の有名シャトーの土壌にはもっと砂利がある。ペトリュス~大声をあげれば聞こえる範囲内には、ラ・フルール・ペトリュス、セルタン・ド・メイ、ヴィュー・シャトー・セルタン、ル・パン、ラ・コンセイヤント、ガザン、オザンナ、レヴァンジルがある。すぐ北西に行ったところにはラフルール、レグリーズ・クリネ、ラ・フルール・ド・ゲイがある。

 

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 すぐ北西に行ったところにはラフルール、レグリーズ・クリネ、ラ・フルール・ゲイがある。これらの畑の深い砂利質土壌(少し粘土も含んでいる)はメルローにもカベルネ・フランにも適しているが、95%のメルローと5%のカベルネ・フランという割合で葡萄を植えているのはペトリュスだけである。他のポムロールのシャトーはカベルネ種の葡萄、特にカベルネ・フランがここの土壌に向いていると言う事実を知って、カベルネ・フランの比率を幾分高めに植えている。

 

 西の方、ポムロールの丘の端、トロタノワが位置するあたりでは、土壌はさらに砂利が多くなる。この区域にあるシャトーは、この深い地層がもたらす、素晴らしい水はけのおかげで、雨の多い多いヴィンテージの中で頭角を現す。もっと西の国道89号線(リブルヌとボルドを結ぶ)のほうでは、土壌は砂利と砂の混合物に変わり、次いで少し砂が混ざった火打石がベースの土壌に変わる。この辺りでは長命なワインを生産することはできないが、やわらかで、果実味のある、とても心地よい、しなやかなポムロールが沢山造られている。しかし、そうしたワインは最高のものでも、ここの丘の砂利質土壌や、砂利と粘土と鉄分がベースの土壌から出来るポムロールの強さ、熟成の潜在能力、あるいは豊かさといったものを持つことは決してないだろう。

 

 ボルドーのメドックやグラーヴ地区に詳しい人には、栽培面積も少なく、貧しい農家のような「シャトー」しかないポムロールは驚きに違いない。ペトリュスがまさに「シャトー」の定義を極限まで拡大したような、実につましい建物なのである。

 ポムロールで一番大きいド・サルだけが、メドックのシャトー(といっても地味なもの)に似た建物を持っていると言える、ただ1つのシャトーである。ポムロールで他に大きな葡萄畑を持つシャトーには、ヌナン、タイユフェール、ラ・ポワントの3つがある。しかし、1997年、レオヴィル・ラス・カーズのミシェル・ドゥロンによるネナンの買収がポムロールファンの大きな興奮を呼んだとはいえ、これら3つのシャトーはどれも品質のトップクラスに入っているとは言えない。

 
        

  シャトー・ド・サル 47.5ha  詳 解        シャトー・ネナン 34ha 詳 解

 

           

  シャトー・タイユフェール 11.5ha 詳 解    シャトー・ラ・ポワント 21ha 詳 解

 

 ポムロールの最高の畑の大半は8haから14haだが、それより小さい畑もたくさんある。例えば、目下ポムロールノ3つのスーパー・スター、ラフルール、クロ・レグリーズ、レグリーズ・クリネの畑は本当に小さい。これらのシャトーは、その気になれば、ボルドー市内だけで全生産量を売ってしまう事も出来るだろう。3つとも6ha以上の広さはないからである。 

 

             
  シャトー・ラフルール 4.5ha 詳 解      シャトー・クロ・レグリーズ 5.7ha 詳 解

      

   

レグリーズ・クリネ 5.5ha 詳 解 ばいちゃん

 

 

 

Pomerol 評 価 その2 こちらへ

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Pomerol 評 価 その6 こちらへ   

Pomerol 評 価 その7 こちらへ

 

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