メドックの変遷4 1級シャトー 2 | ろくでなしチャンのブログ

メドックの変遷4 1級シャトー 2

          メドックの変遷4 1級シャトー 2

 

メドックの変遷

 

第1話  オランダ人の干拓による葡萄畑の生成 こちらへ  

第2話  シャトー取得者、法服貴族について  こちらへ  

第3話  1級シャトー所有者の変遷 こちらへ  

第4話  1級シャトー所有者の変遷 

第5話  2級3級シャトーの現行オーナーの取得年一覧 こちらへ  

第6話  4級5級シャトーの現行オーナーの取得年一覧 こちらへ  

第7話  ナポレオン法典(民法)による所有権の影響 こちらへ
第8話  相続税法改正による所有権の影響 こちらへ  

第9話  1級シャトーに於ける買収劇 こちらへ  

第10話  完結 近年のシャトー買収 こちらへ  

 

第4話 1級シャトーの所有者の変遷

 

シャトー・ラフィット・ロートシルト

 

 1670年代から1680年代にかけて、ジャック・ド・セギュールが葡萄畑を広げ、ワインの生産を本格化させます。

 ジャック・セギュールの相続人アレキサンドル・セギュールは1695年にシャトー・ラトゥールの女性相続人と結婚し、息子のセギュール侯爵ニコラ・アレキサンドルをもうけます。

 1716年ニコラ・アレキサンドル・セギュール侯爵(葡萄園の王子)は、シャトー・ラフィット、シャトー・ラトゥール、シャトー・カロン・セギュールなどの広大な農園を相続しました。

 「葡萄園の王子」セギュール侯爵の死によって、相続問題が発生しますが、彼には男子がいなかったため、数々のシャトーは4人の娘に分与され、ラフィットとラトゥールは再度分離します。


 その後、ラフィットを相続したニコラ・マリー・アレキサンドル・ド・セギュールは莫大な借金を抱え、ラフィットは親戚のニコラ・ピエール・ド・ピシャールの手に移りますが、ピシャール自身はギロチン台に登ることとなったようです。


 1797年9月12日競売により落札したのは、オランダ籍のジャン・ド・ウィットですが、1800年に、同じオランダ籍の3人の商人ジャン・アレンド・ド・フォス・ファン・スティーンヴウィック、オトン・ギョーム・ジャン・ベルグ、ジャン・ゴル・ド・フランケンシュタインに売却します。

 1818年、ラフィットの新しい所有者になったのは、バルブ・ロザリー・ルメール夫人は、大手穀物卸売商でナポレオンに武器を供給していたイニャス・ジョセフ・ヴィンテーンベルグの妻でしたが、夫の死を受け、ルメール夫人が1821年、ラフィットをイギリス籍のサー・サミュエル・スコットに売却されます。

 その後、シャトー・ラフィットは競売に掛けられます。1868年8月8日、ジェームズ・ド・ロートシルトがシャトー・ラフィットとシャトー・カリュアド(後にラフィットと統合される)を444万フラン(450万フラン説もあり)で落札し、新たな所有者となりました。ジャームズはこのわずか3ヵ月後に亡くなり、以後ロスチャイルド家が所有していますが、所有形態は会社組織ドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト(DBR社)となっている様です。


  貴族やじるし商人やじるし貴族

 

注 ロートシルト家は、初代マイヤー・アムシェルの息子5人が1822年にオーストリアから貴族に任ぜられ、称号の世襲を認められているためヨーロッパ各国における貴族制度に基づく貴族であり、フランスの法服貴族とは異なります

 

シャトー・ムートン・ロートシルト

 

 シャトー・ムートン・ロートシルト(1853年シャトー名改名~従前はシャトー・フラン・ムートンだったとか。)の歴史は、ナサニエル・ロートシルトが取得以前のものはあまりはっきりとはしていないようです。

 1718年、ニコラ・アレクサンドル・ド・セギュールがシャトー・ムートンとシャトー・カロンセギュールを取得した様です。

 シャトーは少なくとも1725年には、セギュール公の手を離れジョセフ・ド・ブラーヌ男爵の所有となっていました。男爵はこの地に本格的に葡萄栽培を始めました。ブラーヌ男爵はブラーヌ・カントナックを所有したことでも有名ですね。男爵の後を継いだのはエクトール・ド・ブラーヌでした。エクトールはボルドーの地に初めてカベルネ・ソーヴィニオンを植栽したとされています。それまでは、マルベック、プティ・ヴェルドーが主体だったとされいます。

 

 エクトールは様々な改革を行ったようですが、他にもシャトーを保有していたためムートンに掛かりっきりとはいかなかったようです。ちなみにエクトールは「ワインのナポレオン」と呼ばれていた様です。

 時は流れ、1830年にはパリの銀行家イサク・トゥレに120万フランで売却されています。イサクも大したやる気もなかったようであり、その後1851年にはウドン粉病の発生による被害を受けるなどの事態となり1853年にナサニエル・ロスチャイルド男爵が取得します。続きはムートン伝説の通りとなっています。

 

 貴族やじるし銀行家やじるし貴族

 

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