メドックの変遷1 地勢と干拓 | ろくでなしチャンのブログ

メドックの変遷1 地勢と干拓

           メドックの変遷 1 地勢と干拓

 

 

メドックの変遷

 

第1話  オランダ人の干拓による葡萄畑の生成。

第2話  シャトー取得者、法服貴族について  こちらへ

第3話  1級シャトー所有者の変遷 こちらへ

第4話  1級シャトー所有者の変遷 こちらへ

第5話  2級3級シャトーの現行オーナーの取得年一覧 こちらへ

第6話  4級5級シャトーの現行オーナーの取得年一覧 こちらへ

第7話  ナポレオン法典(民法)による所有権の影響 こちらへ
第8話  相続税法改正による所有権の影響 こちらへ

第9話  1級シャトーに於ける買収劇 こちらへ

第10話  完結 近年のシャトー買収 こちらへ

 

第1話 オランダ人の干拓による葡萄畑の生成。

 

地   勢

 

 メドック地区(オー・メドック及びバー・メドック)は、北はほぼジロンド河口に接し、南はボルドー市に、東はジロンド河左岸に位置し、西側は世界でもっとも高地にある砂丘と大規模な森林を有する、僅かに小高い丘がある平坦な地区であり、長さ約120㎞、幅平均約8㎞、面積約14,500haとなっています。

 メドックは海に近く(太平洋)大河(ジロンド河)が流れているため気候が穏やかで安定しています。

 冬も穏やかであり、夏の暖かさにも恵まれ、秋は日照時間が長く温暖な気候のようです。

 地区西側には昔、松ヤニを採る為に植えられた松林を含む、ヨーロッパ最大の森林や高い砂丘が塩気を含んだ海風から葡萄を守ってくれますが、反面大気の流れを遮断する働きもある為、霜の原因ともなります。

 ジロンド河は、メドックに大量の石、砂利、砂、土を運び込んでくれました。これらの土砂は河沿いに堆積され、河幅は後退して河はタイトになっていきました。

 メドックは何千年、何万年にも及ぶ時の流れとともにピレネー山脈の岩石、砂利、砂質、粘土を幾度かの氾濫を伴って大地に複雑に組み込んでくれました。グラーヴ(Gravier~砂利)地区は砂利の粒が大きく堆積量も多く、下流のバー・メドックは砂利の粒は小さく堆積量も少なくなっています。 

 いずれにせよ、砂利や砂質土壌等が幾重にも複雑に積み重なり、その組み合わせは絶妙であり世界最高峰の葡萄栽培地となっています。


 

陸の孤島(干拓)

 

 16世紀頃、メドック全域は、仏語で「ソヴァージュ・エ・ソリテール~Sauvage et Solitaire~未開で寂しい地」と呼ばれており、貴族達の狩猟場として使われる位のものであり、森と沼地の荒れ果てた土地で、道路も無く、マルゴー~Margauxサン・ジュリアン~Saint-Julienポイヤック~Pauillacサン・テステフ~Saint-Estèpheの各地区への移動手段は船しかなく、それぞれ小さな港や波止場があった程度でした。

 

 ボルドーに最も近いブランクフォールやル・タイヤンといった村だけが、辛うじて村の体裁を成している程度であったと言われております。

 1599年、ブルボン朝アンリー四世は、オランダのブラバンド地方の土木建築業のハンフリー・ブラッドリーに対し、フランス中の沼地を干拓する許可を与えました。与えられた許可は包括的なものであって、ブラッドリーが資金調達、掘削工事人の確保、計画の策定、進捗管理等干拓事業の全てを行いました。

 

 土木建築業者(実際は干拓業者)は、全額自己資金をもって干拓することが必要でしたが、干拓が成功した場合には賃借権(地代を払って土地を収益する権利)を取得することが出来ました。

 やがて、沼地の干拓により、従前の飛び地のような小高い丘の周りの沼は全て埋め尽くされ、一帯が平地となり、灌漑設備も充実し、今日の地続きの平坦な葡萄畑が出来あがりました。

 干拓の成果は、サンテステフとポイヤックの境界であるブルユイ川やポイヤックとサンジュリアンの境界である幅50㎝にも満たない直線的なジャル・ド・ジュリアックの小川に見ることが出来ます。

 

 この功績は、オランダ人の大掛かりな土木事業によるものですが、オランダ人は農業分野においても大きな影響を与えました。

 当時のボルドーに於ける葡萄樹の植栽方法はアン・フル(乱雑なの意。)と呼ばれるものであり、とり木(新しい葡萄樹を作る手法の1つで、枝の途中の樹皮を剥き根を出される手法。)により新しい葡萄樹を得ていましたが、植栽方法はいろいろな種類の葡萄が植えられている混栽のようでした。

 

 対してオランダ人は 、川の側の沖積地の黒ぽい土壌の新しいブドウ畑にブドウを植えるとき、きちんとしたポルダー(干拓の意味らしい。)式で植えました。つまリ、葡萄は一種類だけにして、真っ直ぐの列に植え、列の間を牛に鋤を引かせて耕せるようにしました。ボルドーでは、どうも整然とした葡萄畑ではなく踏鍬で耕していたようです。つまり、葡萄畑に合理化を採り入れたということだと思います。

 

 シャトー・パルメでは今でも混栽の畑があり、葡萄の種類ごとに色つきのビニールテープを付けて、ブドウ品種を分けて収穫しているとされます。
 やがてオランダ人はメドックの葡萄産業に大きな地歩を築いていくこととなります。


 

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