(キングレコード HIT-1189、1965)
ウィルマ・ゴイクという
イタリアのポップス歌手に
たどり着くまでには
紆余曲折というものがありました。
「アイドル・ソング・ベスト100」掲載の
「アイドル・ソング100選 1959−1969」を見て
1960年代の和製ポップスに興味を抱いたのが
まずひとつ。
ジューシィ・フルーツが歌う
「夢みるシェルター人形」がきっかけで
フランス・ギャルの
「夢みるシャンソン人形」に出会い
イエ・イエ時代のフレンチ・ポップスに
興味を抱くようになったのが
ふたつめ。
シルヴィ・バルタンや
フランス・ギャルなどについて
いろいろと分かってくるうちに
外国語曲に日本語詞を乗せて歌う
和製カバー・ポップスにたどり着く
というのが、みっつめで
「←今ココ」という感じ(笑)
その流れで
関心のおもむくままに買った
伊東ゆかりやザ・ピーナッツの
アルバムを復刻したCDの中に
収録されていて
聴き覚えのあったのが
後にアグネス・チャンもカバーすることになる
イタリアのウィルマ・ゴイクが歌う
カンツォーネだったわけです。
「花咲く丘に涙して」は
伊東ゆかりであれば
先にご紹介した
『サン・レモのゆかり』(1965)に
イタリア語での歌唱が収められています。
ザ・ピーナッツであれば
「ピーナッツのヒット・パレード第6集」
というサブタイトルの付いた
(実際は第7集だそうですけど)
『アモーレ・スクーザミ』(1965)に
収録されています。
そしてアグネスのアルバムでは
『私の恋人』(1977.8)に収録されており
長年(買ったときから?)
原曲は誰だろうと
気になっていた1曲なのでした。
伊東ゆかりや
ザ・ピーナッツの
アルバムに関しては
『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』(2015)を
ぱらぱらと流し読みしていた際
収録楽曲の中に
アグネスの曲として
見覚えがあるものがあり
気になって仕方がないので
中古で見つけて即行で購入した
という経緯もあります。
『私の恋人』は
まあ、中学生の頃になりますが
すり切れるほど聴いており
楽曲名が記憶に残っていたわけですね。
その『私の恋人』は
以前、当ブログでも
紹介したことがありますが
アグネスが日本の芸能界をいったん引退して
カナダのトロント大学に入学し
卒業するまでの間に日本でリリースされた
3枚のアルバムの内の1枚です。
カナダ留学時代の1枚目
『お元気ですか』(1977.3)は
シングル・カットされている
「心に翼を下さい」を含め
フル・オリジナル・アルバムでしたが
『私の恋人』の場合
12曲中4曲がカバーでした。
その内の1曲「初恋(中国民謡)」は
今回、ちゃんと調べてみたところ
原題を「初恋女」といい
1937年に公開された映画
『初恋』の挿入歌(ないし主題歌)で
以来、多くの歌手によって
歌われてきている曲だと
当たりがつきました。
残りの3曲は洋楽のカバーで
ゴイク以外の2曲も
ついこの間、確定できましたが
それについては、またの機会に。
で、ゴイクのレコードですが
第15回サンレモ音楽祭の
入賞曲を収録したシングルのA面に
収められています。
B面はゴイクの曲ではなく
やはりサンレモの入賞曲である
オルネラ・ヴァノーニという人の
「強く抱きしめて」が
収録されています。
ちなみに優勝曲は
やはりイタリアの歌手である
ボビー・ソロが歌う
「君に涙とほほえみを」でした。
そのボビー・ソロにせよ
オルネラ・ヴァノーニにせよ
今日、少なくとも日本においては
まったく記憶されていないかと思っていたら
日本語版 Wikipedia に項目があって
(上にリンクを張った通り)
近年の受容のされ方を
知ることができます。
ゴイクとヴァノーニでは
年齢が一回り違いますけど
それだけに
ジャケットに2人が並ぶと
ゴイクのフレッシュさが
際立つ感じですね。
ゴイクは同じキングレコードから
『愛のめざめ』というシングルが
すでにリリースされており
(キングレコード HIT-1172、1965)
洋楽界の若手新人歌手として
期待されていた頃でもありました。
ザ・ピーナッツや
アグネスが歌った
日本語詞の作詞者は
新井恭裕という人です。
ザ・ピーナッツ版の編曲は
伊東ゆかり版の「夢みるシャンソン人形」で
素晴しいアレンジを聴かせてくれた
東海林 修。
アグネス・バージョンの編曲は
バックバンドを務めていた
ラスト・ショウになっていて
メンバーの誰なのかは分かりません。
東海林修にせよラスト・ショウにせよ
比較的、オリジナルに近い感じの編曲です。
それにしても
ザ・ピーナッツのカバーから12年後に
日本では、ほとんど忘れ去られていた
(といっていいかと思いますけど)
ゴイクの曲を
アグネスに歌わせようと
決めたのは誰なのか
気になるところですね。
アグネスのアルバムが出た当時
自分は中学生でしたし
ゴイクの名前が知られていた頃といえば
3〜4歳ですから
その名前や曲を知らなくても
しょうがないと思いますけど
当時のアグネスのファンで
ゴイクのカバーだと気づいた人が
どれくらいいたのか
それも気になるところです。
ところでゴイクは
翌年の第16回サンレモ音楽祭でも
「花のささやき」(1966)を歌って
入賞しています。
こちらの曲も日本語でカバーされ
愛聴されました。
アグネスがカバーした
もうひとつのカンツォーネが
その「花のささやき」なんですけど
それについてはまた改めて。