Jam Tun!  Jam Tun! -2ページ目

Jam Tun!  Jam Tun!

Jam Tun! (ジャム タン)とは、プル族の言葉で「平和だけ」ってこと。
あらゆる挨拶をされてもこの「Jam Tun!」って答えればオッケー!
セネガルの大地で青年海外協力隊員として、どっぷりプル族と向き合いながら生きた日々の記録。

私がこの2年間で活動してきたのが現在は10村で、それプラス短期間だけ関わった村も合わせると合計15の村の野菜栽培グループと関わって働いてきた。

様々な要因があって、うまくいったりいかなかったりする。そんな状況を立て直そうと試行錯誤してみる。こんなことを繰り返しながら村人と向き合い活動してきた。

そして私なりに、至った一つの結論、「リーダーの存在はめちゃくちゃ重要。」

日本でも同じことが言われるが本当にそのとおりです。


私が向き合って来た15のグループでいいリーダーだなと思える人が3人いた。
Jam Tun!  Jam Tun!

まず1人目が、シンチューガニャ村のアダマ・ジャロ。

俺の活動してきた中で最も成長してくれた人です。彼女を中心に作る畑をみんなに見てもらいたいくらい。

取材に来たRTS(セネガル国営放送)によってテレビデビューまでしました。
Jam Tun!  Jam Tun!

そして2人目がサーレニャンバ村のママドゥーアリ・バ。彼は私が関わった唯一の男性リーダー。野菜栽培は女性の仕事と決められがちなプル族の村において、彼が女性16人をまとめています。1度教えたことはすぐに吸収する。

Jam Tun!  Jam Tun!
そして3人目が、サーレデラル村のビンタ・ジャロ。女性グループ長が、口ばっかりで全然動かない状況の中で彼女が別に野菜栽培グループを作りようやくスタートさせた。


彼ら(彼女ら)に共通するリーダーの資質ってなんなんだろうって考えてみた。

まず自分がよく働く事。体はること。約束まもること。やると言ったことをやること。人の話をちゃんと聞く事。きちんと周囲に支持を出せること。明るいこと。将来のことを考えられる人。文句言わないこと。謙虚なこと。そしていろいろ指導する俺に敬意を払いながら受け入れてくれること。他にもいっぱいある。


もちろんこの3人は三者三様だし、他の村でも各村のリーダーなりに頑張っている。

逆に言うとあんまりリーダーがしっかりしてない村ほど、なんとかしてあげなきゃらなないのだが。。。

まあでもやっぱり5年後とか10年後を考えた時、しっかり野菜栽培を続けている村はこういうリーダーがしっかりしてる村なのかなと思う。

各村のリーダーとはケンカもしたし、くだらない話で盛り上がったこともあるし、共に何度も働き汗を流したし、あれこれと話し合いながら関係を積み上げて来たので、思い出は多いし、思い入れも強い。


こんな水道も電気も学校もない村でも、やっぱり人と人とは深く関わりあい、グループで同じ方向を向くためには、リーダーの存在はとても大切なんだということを、こうして2年関わりながら身をもって感じれたことはとてもいい経験だったな。

いろんなセネガル人が、我が家にやってくる。

いきなり玄関の扉をガンガンと叩くセネ人。そこらへんのガキんちょだったり、知らない人の場合は適当にかわすが、仲良い友人だったり、お世話になってる家族だったりすると、ひとまず我が家へどうぞって感じになる。
Jam Tun!  Jam Tun!
いきなりやってきた大家の奥さん2人。マリエムとマイッサ。

「葉っぱくれ!」と言って、庭へ一直線。我が家の庭に育てたマレンガ(ニェベダイ)という木の葉っぱを豪快にむしっていく。夕食のクスクスのソースに使います。おんぶされた子供たちがほんまかわいい。
Jam Tun!  Jam Tun!

俺の活動村の村人。村から町まで15キロ離れた道のりをマルシェ(市場)のためにやってきたらしく、我が家訪問。こういう頭にグルグルまいた「カーラ」つけてる本気のプル族とぐだぐだおしゃべり。

Jam Tun!  Jam Tun!

またまた登場大家の奥さんマリエムは「家がきたない!」とおもむろに掃除を始める。ちなみに彼女は3人の子供を持つ23歳。我が家なのに手伝わされる同居人。

Jam Tun!  Jam Tun!

その横でかわいいバーバ少年と記念撮影

Jam Tun!  Jam Tun!

ノックが聞こえたので家の門の扉を開けたらこの光景。

Jam Tun!  Jam Tun!

活動村の村人が「ヨースケと育てたスイカが収穫できた」とわざわざ我が家まで持ってきてくれた。嬉しい限り。おいしく頂きました。
Jam Tun!  Jam Tun!

その間、約1時間。こんな感じで門の前で待ち続ける荷車を引くロバたち。。。

Jam Tun!  Jam Tun!

クサナールで最も仕事ができる男パティ・バ。

「熱くて疲れた時に飲む薬が欲しい」と久しぶりの訪問。

キンキンに冷えたビールを美味そうに飲んでた。

お酒は禁じられてるイスラムの国だから「絶対にセネガル人には内緒にしてくれ」と言ってくるあたり憎めない男です。

とは言いつつ、5分くらいで1缶開けた彼。

セネガル人もお酒は好きだし強いんだと知りました。


やっぱりここはJamTunです。

ここイスラムの国セネガルでは、クリスマスは大したイベントもない。

でもセネガルで迎える最後のクリスマスやしみんなでおもいっきり贅沢しようぜーってことで、隊員仲間とサリーというリゾート地に行ってきた。
Jam Tun!  Jam Tun!

プールでおもいっきり遊び、
Jam Tun!  Jam Tun!

こんな形で沈んでいく夕陽
Jam Tun!  Jam Tun!

大西洋に沈む夕日を眺める。

Jam Tun!  Jam Tun!

学芸会的な感じが抜けきれないセネガルらしい飾り付けの中で、

Jam Tun!  Jam Tun!

セネガルダンスショーを見ながら、
特大のイセエビや豪華な料理を堪能し、ワインをたらふく飲み、ディスコ的なところで踊り、贅沢な夜は過ぎて行ったのでした。
Jam Tun!  Jam Tun!

同期とその仲間たち総勢12人での最後の楽しい旅行も終わり、あとは任地で過ごします。

帰国間際ということで、セネガルに来た当初の現地語学訓練のときにお世話になった人たちに会いにティエスに行ってきた。


まずは、去年の1月~2月の5週間ホームステイさせてもらった家。

当時の様子は当時のブログで。

http://ameblo.jp/okuoku-okuoku/theme-10013051146.html

Jam Tun!  Jam Tun!

語学訓練の終了式の写真(09年02月)。ホームステイ先のお母さんと。

まだ何もセネガルを知らない時にいろいろと文化や風習を教えてもらった
Jam Tun!  Jam Tun!
そして今回、再会。俺変わった??
家に到着した時は、子供たちやお母さんが抱きついて来てくれて嬉しい限り。

Jam Tun!  Jam Tun!

1年10カ月ぶりということで、家には知らない人がいっぱいいるし、何故かアメリカ人がいるし、子供たちの成長っぷりにも驚かされた。当時から困った問題なのだが、この家でプラール語が話せるのはお父さんお母さんだけということで、大勢いるメンバーとは相変わらず会話は弾まず。。。

来た頃は貧乏な家だと思っていたが、クサナールの村々で活動してきた今となっては、かなり裕福な家に見える。


そしてその後、語学訓練のプラール語の先生の家に。ダカール大学の学生だがちょうど年末休みでティエスに戻ってるとのことで会いに行った。

Jam Tun!  Jam Tun!

5週間マンツーマンでプラール語の授業を受けた頃が懐かしい。

当時はムカツク事も多かったが、今プラール語のみで活動できるほどになれたのは彼女のおかげ。

久しぶりに会ってとても喜んでくれたし、約2時間くらい友達のようにプラール語でいろんな話をして、とても盛り上がって楽しかった。

会いに行く前は、行こうかどうか迷ったけど、やっぱりお世話になった人たちとはこうやって再会できるのは楽しいもんだなと思ったし行ってよかった。

気がつけば、、、12月22日。

帰国まで3週間を切り、

クサナールを離れるまで2週間を切り、

最後の活動村訪問まで10日を切った。


ほぼ毎週通ってきた自分の活動村10村も残すところ、あと1回ずつの訪問になりました。

乾季野菜栽培は今が一番がんばりどころだけど、積み上げた人間関係は深いけれど、いっぱいの思い出があるけれど、ここに来て何故かうまくいってない村もあるけれど、まだまだやれることもやるべきこともやりたいこともあるけれど、自分ではどうすることもできない、ここでの生活の終わりに向けて、ベルトコンベアに乗せられてるような気分です。


前職のF社を辞める時に、担当してたお客様に言われたことが印象深くて、自分にとっては次への励みになった。やっぱり終わり方って大事。これまでどおり、楽しく、笑って、褒めまくって、素直に感情表現して、俺らしくやって、さよならしてこようと思います。


もちろんまたここに戻ってこようと思ってるけれど、例えセネガルに来たとしても、例えクサナールに来たとしても、そこから各村に行けるかは非常に微妙。そう考えるとほとんどの人とはこれが最後になるだろう。

この2年間大切に関わって来た人全員と、あと1回でお別れ。ハカナイなと思います。

考えても仕方ないんやけどね。いろんな感情があるし、いろんなこと考えるし、それも自然なのかなとも思う。

こんな気持ちで2年間を終わろうとしてるってことは、それなりに充実した2年間だったのかなとも思う。

Jam Tun!  Jam Tun!

最後しっかりやりきろう。

そして、やっぱり本音。日本に帰国できること、本当に楽しみです。嬉しいです。
その後のことは、また帰ってから考えます。

クリスマスは隊員仲間と最後のセネガル贅沢。楽しむぞ。

この2年間セネガルの様々なところへ行ったけど、もっとも印象深くまた行きたいと思ってたサンルイへ行ってきました。同期2人の任地。

初訪問は1年半前。その時の様子は下記ブログにて。

http://ameblo.jp/okuoku-okuoku/entry-10266606281.html


世界遺産でもあるサンルイ島をさっそうと自転車で駆け抜け活動に向かう同期M。
Jam Tun!  Jam Tun!

おしゃれで華やかな街並みから橋を一つ渡るとそこはゲンダール。

セネガルで一番で人口密集しているところ。漁民の町で学校に通っている人も少なく衛生面も悪い。

Jam Tun!  Jam Tun!

いろんな意味でセネガルを象徴する場所だと思う。

1年半前にここに来て同期村落隊員Yといろんな話をした。活動に行き詰まりながら、それぞれの場所で模索しようって会話したのが懐かしい。
様々な苦労を乗り越えて、衛生教育の活動を中心にいろんな活動をしている彼女をすげえなと思った。

いろんな任地を見て来たけど、どのセネガル隊員よりもここで活動していく隊員が一番大変だと思うから。

町を通るだけで凄い多くの子供たちから名前を呼ばれる彼女の様子は、いかに多くの人に愛されてるのかが伝わってきたような。
Jam Tun!  Jam Tun!

女性と子供の家で行われたアクティビティ。この日は染色教室。

そこらじゅうでケンカは始まるし、大変だなってのが正直な感想。

Jam Tun!  Jam Tun!

それでも終始笑顔で盛り上げ、子供たちの心はしっかりつかんでいた様子。

この場所で2年間活動をやりきった2人は本当にお疲れ様。
Jam Tun!  Jam Tun!

同期仲間とワイワイ楽しいラストサンルイでした。


そういえば、先日のダカールで隊員全員が集まる会議があって、そこで初めての全員写真。

Jam Tun!  Jam Tun!

80人くらいいる。多い。

多くの隊員によりセネガル全土で普及が進むカンクン(空芯菜)。

以前このブログでも紹介したとおり、私の活動村にも持ち込んだところ、グングン育ち、村で毎日の夕食で食べられる程になった。

これまではハーコウーロと呼ばれる雑草を食材として調理していた料理をカンクンに変えて調理したもの。

カンクンは健康に良いと決めつけて普及していた私にとって、毎日、食される程に普及できたことを当初は喜んだ。


ただ、よーく考えてみると、ここセネガルにある現生種を否定し、我々が持ち込んだ外来種に置き換えただけ。

しかも栄養士隊員に聞いたところ「食べないよりは食べた方がいいことは間違いないが、他の葉物をカンクンに変えたところで、それがいいとは言い切れない」とのこと。確かにこれまで食していたハーコウーロの栄養分析もしてないのに、カンクンに変えればOKというものではない。

 

これでいいのかな???と思っていた時、「戦後日本の生活改良普及員の活動」の資料を見た。それには「ばっかり食を改善する過程で新しい食べ物を普及させた」とのこと。これまで問題だったことはハーコウーロを食べていたことではなく、毎日同じ食材で調理された同じものを食べていたこと。その意味では、カンクンに変えたところで、何も栄養改善されていない可能性があることに気付いた。

日本の発展の歴史には、途上国援助に必要なヒントがたくさんあります。
Jam Tun!  Jam Tun!
どうせ同じ調理法なんだから、毎日違う葉物を使ったり、複数の葉物を混ぜて調理するように指導してみた。パタス(さつまいも)の葉。バンタラ(マニョック)の葉。フォッレレ(ビサップ)の葉。ニェベダイ(マレンガ)の葉。ハーコウーロ。カンクン(空芯菜)。そして今育てているキャベツ。結構使える葉物はある。

「全て栄養があるが、栄養成分が違うから、同じものを食べ続けるのがよくない。だから毎日違う種類を食べるか、複数の葉物を混ぜて調理しよう」というアプローチに変えてみた。

Jam Tun!  Jam Tun!

彼らがこれまで食べて来たものを尊重し、これまでやって来た調理法も尊重しつつ、新たな食材を普及させつつ、毎日少しずつ味が変わって、しかもそれが体にもいいですよ!って感じの提案を、日本の戦後の生改さんに学びながら村人に伝えること試みてます。

最後の最後にとても嬉しいことがありました。少し長いです。


クサナールには、様々な国の援助機関やNGOの支援プロジェクトが入っている。給水塔を建てたり、学校を建設したり、衛生指導したり、農村開発だったり。。。

ただ、プロジェクトの対象村選定は、地元の公共機関に任されている。それが私の配属先。

私の上司である公務員D氏(写真中央)と常駐NGO技官の2名で仕事を回している。かなり仕事はできるが、他地域出身者のため大半の村人が話すプラール語が話せず、村へ行く移動手段共有バイク1台のみ。そんな2人が半径40キロにある50以上の村の支援割り振りや、支援組織の受け入れを行っている。手が回るわけがない。

Jam Tun!  Jam Tun!

現実的に支援対象に選ばれる村には偏りが生じる。現状では、何故か複数の特定村に大半の援助が集中している。ウォロフ族の村が優先されてたり、フランス語を話せる人が多い村だったり、よく配属先にいろんな貢物を持ってくる村だったり、公務員の通訳をかってでてる人の出身村だったり、観光客向け村見学の対象村だったり。何が選定理由になるのか不透明なままいつもその複数村の中から援助対象村が選定される。そして配属先スタッフの業務はこの支援対象村ばかりに興味が行き、他の村は名前を聞いてもどこにあるのかも認識できないような状況もある。

プラール語が話せて、自由にバイクに乗れるボランティアという今のポジションを最大限に生かして、当初30村以上の村を回って会話して感じたこと。

「対象村選定には不公平が生じているし、それによって村人が抱えるストレスはでかい」ということだった。

超現場視点で知った国際協力の一面。


こんな思いから俺は、「援助非対象村でやる気のある村を支援する活動をしたい」との思いで、結果的に女性グループを対象にした野菜栽培の立ち上げを活動のメインとして合計10村で活動してきた。

Jam Tun!  Jam Tun!

自分の中で好き嫌いや居心地ではない明確な活動村選定基準を作って活動してきたつもり。

少なくとも俺は平等に接しようと思って。

そして定期的に私の活動や活動村の状況についてはD氏に説明してきた。そしてこの半年くらいで、D氏が私の活動村を見に行ってくれるようになり、その様子によって私を評価してくれるようになってきた。


そして今回、フランスの援助機関の支援で、新たな井戸掘りのプロジェクトが実施されることになり様々な検討が行われた結果、私の活動村の1つがそれに選ばれることになった。理由の1つが、野菜栽培を頑張っているから。まあ他にもいろんな理由があるんだろうけど。約50メートルの井戸が新たに掘られる。約300人で1つの井戸だったがそれが2つになる。


私にとってはめちゃくちゃ嬉しいことでした。援助が来ないことへの文句を言う村人をなだめ、やる気のある村人の背中を押す活動をやってきた結果、それが根付き、成果が評価されて、村に援助が来ることになった。援助を引っ張ってくることが目的ではないが、「自分たちで頑張ってきてよかった」と思ってもらえる結果に導けてよかったなと思う。

そして何よりも、我が配属先に、村人の頑張りを評価したうえでの新たな援助対象村選定を促せたことは、とても意味があることだったように思う。

Jam Tun!  Jam Tun!

そして先日、フランス人支援者も来て、村でそのプロジェクトの初めての会議が行われた。

それに私も招かれて参加してきた。

そしてその最後に女性リーダーから「ヨースケが毎週通って教えてくれたから、ここまで野菜栽培を続けることができた。そしてその成果のおかげで今回、新たな井戸を掘る支援を受けられることになった。ヨースケには本当に感謝している。ありがとう。」と言ってもらえてみんなに拍手もらえた。まさかその会議で私の名前が出てくるなんて思ってもみなかったから、最初は驚いたけど本当に嬉しかった。


きれいごとで物事が進まないのは百も承知。それでも自分なりの「思い」は変えずにやってきた結果、素敵な村人に恵まれ、いろんなチャンスが重なって、任期終了間際にこういう場面に立ち会うことができて、本当にラッキーです。

ちなみにこの村、以前にはこんなこともあった。

http://ameblo.jp/okuoku-okuoku/entry-10647945686.html

村人一人一人と向き合う中でいろんなことがあったから、余計に感慨深い。

同期隊員が活動するガンビア国境近くのプロハンに行ってきた。これで同期12人の任地全て訪問。

ここには同期の野菜隊員と村落隊員の女性2人が活動している。
Jam Tun!  Jam Tun!

停電にも関わらずロウソクがいい感じの雰囲気を作り出してくれるおしゃれな家で近隣のニオロ隊員も集まって歓迎してありがたいかぎり。
Jam Tun!  Jam Tun!

ここはセネガルの聖地と呼ばれていて立派なモスケがある。

Jam Tun!  Jam Tun!

同期の活動の様子も見学。とにかく彼女は、隊員全体のウォロフ語スピーチを任される程、ウォロフ語が堪能。しかもセネガル人、ひとりひとりと凄いテンションで丁寧に挨拶してる姿はとても印象的で、彼女が多くの人といい関係を築いている様子が凄く伝わってきた。


日本の援助によりプロジェクトが既に行われた村のフォロー隊員ということもあり、それなりに知識のあるアニメーターと村人をつなげる仕事が多いのかなという印象。そして結構現金収入がある村人が多いようで、野菜栽培の目的が「お金」になっている面は、俺の活動村と違う特徴だなと思った。

そいういう環境の中で、人と人のあいだに入り、一人一人と丁寧に会話して問題解決を図りながら、少しずつ前に進めようとする姿勢が、彼女らしくて見れてよかったなと思った。

Jam Tun!  Jam Tun!

サイババの娘もいた。

Jam Tun!  Jam Tun!

駒ケ根の事前研修でも同じ語学クラスで、いろんな苦労を共有してきた彼女。
泣いても笑っても残り3週間。悔いないようにやりきりましょ!!