真義 「日本国の美称と美徳」

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現在、国会で問題、報道番組・情報番組で話題になっている
”騒動”.で日本の美称と美徳が汚されること、損なわれない
ことを願い、その真義を記述します。


とよあしはらの....ちいおあきの.....みずほのくに..
豊葦原.千五百秋.瑞穂国
国生み神話.「古事記」、最古の国史書.「日本書紀」.に記されている日本国土
の古称
.葦原中國.(下記).とともに、「日本書紀」(巻第二神代下).に記され
ている日本国の美称です。


「豊かな葦」.(あし・よし).が生い茂った大地.「原」.が広がり、永遠に亘って
瑞々しい
(みずみずしい)稲穂が実る国の意味です。
豊葦原■..豊かに葦(あし・よし)が生い茂った大地
千五百秋..長い歳月・永遠
瑞穂国■..瑞々しい(みずみずしい)稲穂が実る国


民族祭祀.(神道).の根源
原始時代から山岳部などで狩猟・採取生活、平野部で稲作をして暮らしてい
た人々が太陽・自然・水源など生命の恵みに感謝し、おそれ敬う感情から太
陽・山岳・自然などを神格化し、崇拝の対象とした信仰が日本古来の「
神道
(しんとう、かんながらのみち)
の元となる民族祭祀の根源になりました。


葦原中國(あしはらのなかつくに)
国生み神話.「古事記」、最古の国史書.「日本書紀」に記されている日本国土
の古称です。

天津神(あまつかみ)が住まわれるとされる天上の世界「高天原」(たかまが
はら)と、地の底にあるとされる死後の世界「黄泉國」(よみのくに)、海の底
にあるとされる素戔男尊(すなのおのみこと)が治める
.「底根之國」.(そこね
のくに)の中間
.「中津」.にあるとされる、葦(あし)が生い茂る大地.「葦原」
広がった国土、縄文時代の日本を指しました。

日本国土を表す名称になりましたが、元々の領域については諸説あり、天孫
降臨
.(下記).以前に大国主(大己貴命:おおなむちのみこと)が治めていた
出雲国
.(山陰道・古代出雲..西出雲:島根・東出雲:鳥取)を指す説、山陽
道(岡山・広島・山口)・古代吉備国を含めた現在の中国地方を指す説があり
ます。
天孫降臨(てんそんこうりん)
国生みの神、伊奘諾(いざなぎ)・伊奘冉(いざなみ)の御子、天照坐皇
大御神
(あまてらします.すめおおみかみ).の命を受けた子孫の邇邇藝
命(ににぎのみこと)が、葦原中国を治めるために高天原から日向国の
高千穂峰へ天降(あまくだ)ったとされる神代のお話です。


大国主(大己貴命:おおなむちのみこと)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の六世の孫。出雲大社の御祭神。
美保岬沖、波の彼方から現れた少彦名(すくなびこな)が大国主の命
を受け、日本古来の呪術である禁厭(まじない)・祓い(はらい)、病の
治療法、医薬、古来薬の一つとされた酒造りの技術などの道を教え広
め、葦原中国の国造りを完成させました。(大国主の国造り)

天孫降臨
.(前述).で天津神.(高天原の神々、葦原中国を治めるために
高天原から天降った神々)に国土を献上したことから
.「国譲りの神」とも
称されます。

教育に関する勅語
道徳国家の再生
民族どうし骨肉を争った戦国時代、他国との国交を断絶した鎖国時代を経た
江戸幕府の廃絶、天皇親政の御宣言(明治維新)に際し、日本古来の伝統文
化を重んじながら西洋文化を取り入れた
民主的・道徳的な近代国家建設を
目指された第122代
明治天皇は、「民族が一つになった、一つの家のような
国家を築く」
.という建国・政祭の理念.(下記).を根源とした.五箇条の御誓文
(民主主義の原理)
.とともに、総理大臣・文部大臣に対する道徳教育の規範
教育に関する勅語.を発せられました。

(ちん)=.天皇陛下が詔(みことのり:御言宣・命)、公式な文書で使用
■■■■■=.されていた自称(一人称)表記。


明治天皇が道徳国家再生のため、総理大臣・文部大臣に対する道徳教育の
規範として発せられた.【教育に関する勅語】.は、建国神話・理念等とともに
後々の政府・軍部により、建国以来
.「和・徳」.を重んじた,日本国・日本人の
美徳である本来の理念、真義を押し曲げられた思想普及・国威高揚・戦意高
揚と、年少者まで至る軍国教育に利用されました。
(下記リンク.建国理念、屈折の歴史」)

そのため終戦後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領領政策に
より、建国の歴史教育等とともに公的文書・書籍への
.【教育に関する勅語】
記載が禁止され、併せて
.「思想・言論の自由」.などが保障された中、日本の
共産主義国化を目標としていた国際的な共産主義組織「コミンテルン」(1919
年設立~1943年廃止)の日本支部が、左翼・左派組織・過激派(後に左翼組
織から分裂)の中核となって活動を強め、戦前・戦中の政府・軍部と同じく本
来の理念を押し曲げ、第一の目標としていた御皇室制度「打倒」の思想普及
に利用しました。

建国以来.「和・徳」.を重んじた日本国・日本人の美徳を教育の規範として発
せられた
.【教育に関する勅語】.の真義が理解されないまま、この度の”騒動”
において報道・情報番組で流される映像・実態、”騒動の主役”
.により汚され
損なわれ、軍国主義等と称される誤った認識が生まれないことを願い、その
意味(現代語訳)を記述します。

教育に関する勅語(読み)
(ちん)(おも)うに、我が皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)国を肇(はじ)むる
こと宏遠に、徳を樹
(た)つること深厚なり。
我が臣民、克
(よ)く忠に、克(よ)く孝に、億兆心を一にして世々厥(そ)の美
を濟
(な)せるは、此れ我が國體(国体.=.国家体制・国柄)の精華にして教育
の淵源
(えんげん)(また)(じつ)に此(ここ)に存す。

(なんじ)臣民、父母に孝に、兄弟(けいてい)に友(ゆう)に、夫婦相和し、
朋友相信じ、恭倹
(きょうけん)己を持し、博愛衆に及ぼし、學を修め業を習
ひ、以
(もっ)て知能を啓發し、徳器を成就し、進んで公益を廣め、世務を開
き、常に國憲を重んじ、国法に遵
(したが)い、一旦緩急あれば義勇公に奉
じ、以
(もっ)て天壤無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし。

(かく)の如きは、獨り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以(もっ)て爾
(なんじ)祖先の遺風を顕彰(けんしょ う)するに足らん。

(こ)の道は、実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵
(じゅんしゅ)すべき所、之(これ)を古今(ここん)に通じて謬(あやま)らず、
(これ)を中外(ちゅうがい)に施して悖(もと)らず、朕、爾臣民(なんじしん
みん)
と倶(とも)に拳々(けんけん)服庸(ふくよう)して、咸(みな)(そ)
徳を一にせんことを庶
(こい)(ねが)う。
教育に関する勅語(意味)
私は、私達の祖先(皇祖)・御歴代の天皇(皇宗)が、(海原に囲まれた太古
の日本に政(まつりごと)を広く行き渡らせ、「民族が一つになった一つの家
のような国家を築く」という)
.遠大な理想(深厚)のもとに、道徳国家の実現
(徳を樹つる)をめざして国をおはじめ(建国)になったものと信じます。

そして、忠孝両全の道を全う
(克く忠に克く孝に)して、全国民が心を合わせ
(億兆心を一にして)努力した結果、今日に至るまで(世々)、見事な成果
をあげて参りましたことは
(厥の美を濟せるは)、もとより日本の優れた国柄
の賜物
(國體の精華)であり、教育の根本(淵源)もまた、この道徳立国の達
成にあると信じます。 

国民の皆さん(爾臣民)は、子は親に孝養を尽くし(父母に孝に)
兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合い(兄弟に友に)
夫婦は仲睦まじく解け合い(夫婦相和し)
友人は胸襟(心)を開いて信じ合い(朋友相信じ)
人に対しては慎み深く、自分の言動を慎み(恭倹己を持し)
全ての人々に愛の手を差し伸べ(博愛衆に及ぼし)
学問を怠らず(學を修め)、職業に専念し(業を習ひ)
知識を養い(知能を啓發し)、人格を磨き(徳器を成就し)
さらに進んで人々や社会のためになる仕事に励んで公共のために
貢献し(公益を廣め世務を開き)
法律や秩序を守り(常に國憲を重んじ、国法に遵したがい)
非常時は
誠意と勇気をもって公共に奉仕し(一旦緩急あれば義勇公に奉じ)

天地の自然・神々
(天壤)から授かり、私達の祖先が築かれた道徳国家の
永遠(無窮)の歩み・運命(皇運)を相互に扶助(扶翼)することを願います。

これらのことは善良な国民皆さんだけのことではなく
(忠良の臣民たるのみ
ならず)
、私達の祖先が今日まで示し残された伝統的美風(祖先の遺風)
さらに明らかに広く知らせること
(顕彰)でもあります。

このような国民の歩むべき道は、私達の祖先
(皇祖)・御歴代の天皇(皇宗)
が示し遺された教訓
(遺訓)として私達子孫の守らなければならないことで
あると共に、昔も今も変わらない正しい道であり
(古今に通じて謬らず)、国
内外において道理に反せず
(中外に施して悖らず)、私も国民の皆さんと共
(朕、爾臣民と倶に)、慎んで心に留め(拳々服庸し)、その徳(私達の祖先
が示し遺された道徳)で一つになることを心から念願します
(庶幾う)

日本建国の理念
海原に囲まれた国土の中で、いくつにも分かれた部族・豪族間の争いが絶え
なかった太古(縄文時代)の日本の平定をめざされ、現在の橿原神宮(奈良
県橿原市)で御即位された初代 神武天皇が発せられた詔(みことのり)
掩八紘而爲宇 (八紘を掩ひて宇と為さむ)
葦原中國(日本)に政(まつりごと)を広く行き渡らせ、民族が
一つになった、一つの家のような国家を築く。
八紘(はっこう)を掩(おお)いて = 広く行き渡らせ
宇(いえ)と為(な)さむ = 一つの家のようにする
(記述:日本書紀巻第三神日本磐余彦天皇神武天皇)


建国神話「掩八紘而為宇科学的立証
「縄文時代の日本は、争いが少なく平穏だった」
岡山大学大学院教授ら、全国の縄文遺跡で出土した人骨を分析。
わが国の縄文時代(約14000年前~紀元前501年)における暴力による死亡
率は、石器時代(狩猟採集民時代)の大量虐殺を示唆する人骨が発掘された
欧米など他国のデータと比べ、
5分の1以下の約1.8%であると算出、英国の
科学雑誌に発表。(2016年 3月30日)


元々(日本列島誕生前)は、同じアジア大陸の旧石器人であった日本の先住
民族と、日本列島誕生(大陸から分離)後に大陸から渡来した民族が、海原に
囲まれた国土の中で幾多の部族に分かれていた太古の日本。


縄文時代、九州の高千穂宮から畿内までの海上交通・交易航路の拠点作り、
稲作などの殖産を奨励、国家の地盤づくりを行いながら到達された大和国の
橿原宮にて「
掩八紘而為宇」の詔を発せられた神武天皇の建国理念に基づ
いた
仁政と武力によらない教化で部族を統治、その教義に感化・帰化した部
族とともに古代国家を形成した建国史の考古学的・科学的な立証です


日本建国の歴史・理念
建国理念、屈折の歴史
現代に息づく建国理念


愛国心とは
日本に生まれてきてよかったと思う心に
自ずと芽ばえるもの。
日本に生まれてきてよかったと思う心に
自ずと芽ばえてこそ、
美しく咲き誇るもの。

稲穂も無理やり植えつければ枯れ果て朽ち果て
瑞々しく
(みずみずしく)実らない。


常に国民を案じて頂き、国民に寄り添い頂いている今上陛下、
御皇族が時代に即した御皇室を築かれておられる現代・・・
過度な
.「愛国」・「尊皇」.は、今上陛下、御皇族の御心に反し、
御皇室と国民を再び遠ざけるもの。
細川英明 


20歳代前半から個人的に修学していました.「天皇」・「建国」.等より取りまと
めた個人的な記述です。いかなる政治・思想・宗教団体にも属していません。

明治天皇の御誕生日、11月
03日(現、文化の日)に投稿しようと思い続けな
がら、書きまとまりきっていなかった
.【教育に関する勅語】.を取り急ぎとりま
とめましたが、ページデータ(HTML)満杯で記載不能になりました。
本年の文化の日(
明治天皇御誕生日)までに、あらためて記述・投稿させて
頂く予定です。

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