民族どうし骨肉を争った戦国時代、他国との国交を断絶した鎖国時代を経た
江戸幕府の廃絶、天皇親政の御宣言(明治維新)に際し、日本古来の伝統文
化を重んじながら西洋文化を取り入れた、民主的・道徳的な近代国家建設を
目指された第122代、明治天皇は、「民族が一つになった、一つの家のような
国家を築く」.という建国・政祭の理念.(下記).を根源とした.五箇条の御誓文
(民主主義の原理).とともに、総理大臣・文部大臣に対する道徳教育の規範
【教育に関する勅語】.を発せられました。
■朕(ちん)=.天皇陛下が詔(みことのり:御言宣・命)、公式な文書で使用
■■■■■=.されていた自称(一人称)表記。
明治天皇が道徳国家再生のため、総理大臣・文部大臣に対する道徳教育の
規範として発せられた.【教育に関する勅語】.は、建国神話・理念等とともに
後々の政府・軍部により、建国以来.「和・徳」.を重んじた,日本国・日本人の
美徳である本来の理念、真義を押し曲げられた思想普及・国威高揚・戦意高
揚と、年少者まで至る軍国教育に利用されました。
■(下記リンク.「建国理念、屈折の歴史」)
そのため終戦後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領領政策に
より、建国の歴史教育等とともに公的文書・書籍への.【教育に関する勅語】
記載が禁止され、併せて.「思想・言論の自由」.などが保障された中、日本の
共産主義国化を目標としていた国際的な共産主義組織「コミンテルン」(1919
年設立~1943年廃止)の日本支部が、左翼・左派組織・過激派(後に左翼組
織から分裂)の中核となって活動を強め、戦前・戦中の政府・軍部と同じく本
来の理念を押し曲げ、第一の目標としていた御皇室制度「打倒」の思想普及
に利用しました。
建国以来.「和・徳」.を重んじた日本国・日本人の美徳を教育の規範として発
せられた.【教育に関する勅語】.の真義が理解されないまま、この度の”騒動”
において報道・情報番組で流される映像・実態、”騒動の主役”.により汚され
損なわれ、軍国主義等と称される誤った認識が生まれないことを願い、その
意味(現代語訳)を記述します。 |