第百六話 俺の爪と牙 その5(35歳 男 拝み屋) | ねこバナ。

第百六話 俺の爪と牙 その5(35歳 男 拝み屋)

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※これまでのおはなし 俺の爪と牙 その1その2その3その4

※第四十三話 猫の目を見よ(42歳 女)
もどうぞ。

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「はじめまして、拝み屋のカンナヅキと申します」

俺は恭しく頭を下げた。
俺に相対しているのは、マサキ織物の社長と、その夫人、そして秘書のサカグチという男。
社長夫人の依頼通り、俺はこの会社の何かを、祓いにやって来たというわけだ。
勿論、そんなものはオマケのようなものに決まっているのだが。さて、どんな筋書きを奴らが用意しているものやら。

「お待ちしておりました。さあ、どうぞどうぞ、こちらへ」

禿げ上がった頭に髪の毛を丁寧に撫でつけた小太りの男。こいつが社長か。
人の好さそうな男だ。この一件に深く関わっているようには思えないが。
俺は、キャリーバッグを二つ抱えたナターシャに小声で訊いてみた。

「おい、どうだ社長の方は」
「大事にされてきた...普通の...ぼっちゃんですねえ」

やはりな。ナターシャの見立てるところによれば、奴の過去に後ろ暗いものはないようだ。
となれば...。矢張りこの女か。悠然と歩く社長夫人の背中を見ながら、俺は気合いを入れ直した。
何が俺達を待っているのか。

「ここです」

社長達が足を止めたのは、大きな倉庫の前だった。

「数ヶ月前から、この倉庫に大きなネズミが大量に発生しましてね。せっかく作った製品を食い荒らしたり、糞尿で汚したりしますもので。我が社の信用に関わりますから、極秘にネズミ退治を業者に依頼してみましたが効果が無く...。誰かの悪戯か同業者の陰謀かと色々考えまして、警察にも捜査を依頼してみたのですけど、全く進展がありませんでねえ...」

社長は頭をかきながら、俺に説明をする。ネズミ退治か。こいつは丁度いい。

「何かの呪いとか、憑き物とか、そんな類のものがもし存在するなら、それを祓っていただきたいと、こういうわけで」
「なるほど、判りました。この倉庫だけでよろしいので」
「あ、はい、そうだなサラ」
「はい、あなた」

社長はわざわざ夫人に確認をした。

「あとは結構よ。あなたは事務所で待ってらして」
「あ、そうだな、じゃ任せたよ」

と、社長と秘書はすごすごと去っていく。完全に尻に敷かれて...いや、支配されているな。

「では、お願いします」

社長夫人は、俺に向かって軽く頭を下げた。

「はい、お任せください」

慇懃無礼には慇懃無礼で、というやつだな。

「ナターシャ、準備を」
「は、はい」

俺は早速、仕事に取りかかった。

  *   *   *   *   *

この織物倉庫は立方体に近い不思議な造りで、入り口は北東、それぞれの角は東西南北を向いている。俺はそれぞれの角に、猫と猫の置物を配置するよう、ナターシャに言いつけた。
北の角には黒猫のゲンタを、東の角にはロシアン・ブルーのナターシャを、キャリーバッグごと置く。こいつらを家に置いて来ても良かったのだが、どうせ事が済んだら、奴らは俺を、この世に居た痕跡ごと消そうとするだろう。ならば、連れて来た方が助かる途があるだろうと考えたのだ。
それに、もう二匹だけになってしまったが、こいつらは俺の相棒だ。もったいぶった仕掛けには必要なのだ。
倉庫の南と西の角には、それぞれ赤と白の招き猫を置いた。死んでしまった二匹の猫、ボーボとシロの代わりだ。こんなものでも、まあ気分は出るだろう。

「何故猫なのですか」

社長夫人が俺に尋ねた。見ると、わずかに顔が引きつっている。

「猫はお嫌いですか」
「いえ別に」
「倉庫の四方を固めてもらうのです。悪い気が入って来ぬように」
「そんなものが...効果があるのですか」
「もちろんです。特に今回はね」

俺はにやりと笑ってみせた。社長夫人は俺の顔を見るなり、口元を曲げて倉庫の入り口へと向かった。
さて、いよいよだな。

「ナターシャ、お前は此処で待て」
「はい先生」

社長夫人が扉の横のスイッチを押すと、

がらがらがらがらがらがら

大きな音を立てて、鉄の扉が開き始めた。
その中にはもう一つ扉がある。黒っぽい木の扉だ。

「随分と厳重ですな」

そう俺が感想を言うと、

「織物は温湿度の変化に敏感ですので、我が社では全て神代檜で内装を作っております。巨大な和箪笥と思っていただければ」
「なるほど」

えらく金がかかってやがる。
これもまた、奴らにすれば、ほんのお遊びなんだろうが。
俺は大きな木の扉に付けられた小扉から、倉庫の中へと、足を踏み入れた。

青ざめたような蛍光灯の明かりが、ぼんやりと倉庫内を照らす。いやに薄暗く、寒々しい。薄気味悪い処だ。

「どうぞ奥へ」

何時の間にか、社長夫人は俺の真後ろに立っていた。
背筋に冷たいものが走る。しかし。

「はい」

ここでビビる訳にはいかない。
俺はゆっくりと、歩を進めた。

「ちちちちっ」
「ちゅーっ、ちゅっ」

かりかりかり
かりかりかりかりかり
かりかりかりかりかりかりかり

ネズミの鳴き声が聞こえる。
何かを囓るような耳障りな音が倉庫にこだまする。
奴ら一体何者だ。人間なのか。

かりかりかり
かりかりかりかりかり
かりかりかりかりかりかりかり

それとも。

「お連れしました」

俺の真後ろにいた社長夫人が、そう声を上げて、俺の脇に跪いた。

正面を見ると。

「大儀であった」

僧形の男が、闇の中に立っていた。

「待っていたぞ、お主がリュウゲンの孫か」

  *   *   *   *   *

「あなたは何方で」
「儂はマハカラ。一族の血を統べる者」

ぼっ、と男の両脇にに光が灯った。見ると、二人の女が松明を掲げている。
その顔は。
俺は驚いて社長夫人を見遣った。
社長夫人は、こちらを見てにやりと笑う。
同じ顔なのだ。あの女二人と、社長夫人は、生き写しのようにそっくりだ。

「リュウゲンの血を、よくぞこの代まで守ったものよ。その褒美として、お主には、千載一遇の好機をくれてやろう」

男は低い声で、呟くように話す。
その顔は、異様なものだった。

耳は小さく、頭の後ろのほうに付いている。
目はぎょろりと丸くらんらんと光り、鼻と口は細く伸びて、尖った前歯が日本突き出ている。
そして細い髭が、ゆらゆらと揺れている。
これはまるで。
巨大な、ネズミだ。

「ちちちっ、ちゅう、ちゅう」

そして俺達の周りは、夥しい数のネズミに、囲まれていた。
黒々とした絨毯が蠢くように、俺達を取り囲む。

「仰る意味がよく判りませんな」

俺は精一杯虚勢を張った。俺はこんな化け物と勝負するのか。

「そちの血統は下賤の輩と交わってしまった。理解出来ぬのも無理はない。ではいま少し判りやすく教えて進ぜよう」

男はずい、と前に出た。両脇の女達もそれに合わせて動く。

「我等の血族が西よりこの地に移り住んで二千年。儂等は思うがままにこの地を蹂躙し、操ってきた。多くの子を成し、遍くこの国に散らせてきたのじゃ。我等の血を絶やしてはならぬ。しかし多くの子を成す力を保つためには、下賤の輩と交わることは出来ぬ。そこで我等はこの世の秘術を究めんとする者を重用し、我等の血を遺すことに意を尽くして来たのじゃ。そして」

男の指先が、俺を指した。

「お主の血族もまた、我等血族に仕える者。焔の秘術により、儂等の血を運ぶ者よ」

ひ、ひ、ひ、と、男は嗤う。

「下らぬ衆生と世を共にすることを選んだお主の祖父リュウゲンは、愚か者よ。我等と共に無為に生きておれば、この世のあらゆる悦楽を愉しむことが出来たであろうに。下賤の輩を救うとぬかして、遠い祖先から受け継がれてきた己の役目を棄て、儂等の永らえる途を閉ざそうとしおった」

そして、ぎょろりと俺を見据える。

「だが、お主はリュウゲンとは違うであろう。欲望がお主の中に渦巻いておる。そうでなくてはならぬ。その尽きぬ欲望を、我等と共に愉しもうではないか」

節くれ立った手が、俺の方に差し伸べられる。

「さあ、お主の持つ焔の波動で、霊薬を焼け。そしてその気を我に吹きかけよ。さすれば、お主は我等の一員となり、この国のあらゆる人間、あらゆる物を意のままに操ることが出来るのだ」

女達が薄笑いを浮かべている。

「この上ない安寧の日々が、お主を待っておる。さあ」

ずい、と男が進み出る。
この世の全てを。
俺が。このイカサマ師の俺が。
この手に。

くっ。

くふふふふふふ。


「あははははははははは」

俺は笑った。こいつは可笑しい。笑わずにいられるか。

「いいね、そいつぁいい。本当かい。俺がこの国のすべてを、ね」
「そうだとも。お主に出来ぬことは何もない」

俺は、ダンノウさんの猫を取り出した。

「しかしあんたも酔狂だな。こんなものを奪って焼くだけなら、俺にこんなに関わることはねえだろうにな」
「お主、判っておらぬな。その霊薬を焼く焔は、お主の波動でなければならんのだ。お主ほどの年頃でなければ出せぬ波動というものがある。それでなければ効き目が無い」
「ほう、だからじいさんを殺しても惜しくはなかったわけか」
「リュウゲンはその事までは知らなんだようじゃな。愚かな男よ」
「ふん、そうかい」
「それにな、物を単に奪うなど、興が冷めるわ。物事にはそれに見合った方法があるものだ」
「見合ったやり方、ねえ、なるほどねえ」
「お主に此処まで運んできて貰うのが、一番良い方法なのよ。そしてお主は、我等血族の守り主となるのだ」
「ふふふ、判ったよ。ようく判った」

社長夫人が俺の肩にしなだれかかる。
男の両脇に立った女二人が、俺に近付く。
俺は猫の首を回し、中からあの紙切れのような物体を取り出した。

「ようく判ったよ」

俺は紙切れを、目の前に掲げた。そして。

「俺は」

俺は凶悪な笑みを浮かべた。

「俺はな、拝み屋なんだ。この倉庫に巣くうネズミを退治するのが、俺の仕事だ。だから」

「なぬ」

「こんなものはいらねえ」


どん、と社長夫人を突き飛ばす。
女二人は驚いて俺を見る。

しゅぼっ。

俺は紙切れを、焼いた。
手にした、ジッポーのライターで。

「な」

めら、めら、めら

紙切れは奇妙な臭いを放って、燃えさかった。

「ひゃああああああああああああああああ」

奴が妙な声で叫んでやがる。
まさか、俺がこうするとは、微塵も思っていなかったに違いない。
そうさ、これが俺のやり方さ。

「うわああああああああああああああああ」

めら、めら、めら

俺は燃え盛った紙切れを宙に放り投げた。
はらはらと火の粉が落ちる。

「おわああああああああああああああああ」

奴の叫び声がこだまする。
俺は地に落ちた紙切れを、じゃり、と踏みつけた。

「どうだ。貴様等の二千年の伝統とやらも、このとおり俺の足の下だ。ざまあみやがれ」

「ななな何故じゃあ」

「俺はな、貴様の言うとおり欲深い男よ。女も好きだし酒も好きだ。世の中の不幸はメシの種だしな。だから」

俺は、奴のぎょろりとした目玉を、睨みつけた。

「貴様等のように、手を汚さずに、高みの見物を決め込んで、ちゃらちゃら喜んでる奴らを見ると、虫唾が走るのよ」

「こ、このお」

「俺はイカサマ尽くしの拝み屋だ。それ以上でも以下でもねえ。俺の爪と牙はな、イカサマなのよ。貴様等が期待するような能力はねえな」

「なああああ」

「恨むなら、てめえの運の無さと、徳の無さを恨むんだな」


奴は滝のように汗を流している。息がぜいぜいと喉を鳴らしている。

「こ、この下賤の輩を、ややや八つ裂きにしてしまええッ」

奴が叫んだ。
ガラス玉のような目をした女共が、俺に襲いかかって来る。

俺は印を結び、腹の底で呪文を唱えながら、臭いが洩れないよう蝋で栓をした瓶を懐から取り出し、その蓋を一気に開けた。
その中に入ったガソリンを、奴らに、ネズミ共に向かってばらまく。
奴らがひるんだ一瞬、俺は瓶を男に投げつけ、出口に向かって走った。
背後で瓶の割れる音がする。
女共が怖ろしい形相で、俺の後を追ってくる。

そして俺は振り向きざまに、ちいさな、蛍のような焔を、指先から飛ばした。
煙草に火を点けることくらいしか出来ない、あの焔を。
蒼白い焔は勢いよく、あのネズミ顔の男の目の前まで飛んだ。
そして、

めらめらめら

蒼白く燃えさかった。

ぼうっ。

どん。


空気が膨張する。
灼熱が俺を包む。
俺は一気に、出口の脇まで飛ばされ、激しく扉に叩き付けられた。

どおおおおおおおおおおおおおおお

倉庫内の織物が、内装の木が、激しく燃えだした。
夥しい数のネズミ共が、炎の中で暴れている。
俺は立ち上がろうとして、蹌踉めいた。脇腹から全身に激痛が走る。
アバラをやられたらしい。けっ、ざまぁねえ。
こんなところで、死んで、たまるかよ。
熱風に吹かれながら、俺は扉を開けようとした。

俺の足が、がくん、と止まった。俺はバランスを失って倒れちまった。
見ると、全身炎に包まれたあの女が、倒れたまま俺の足首を掴んでやがる。
必死にふりほどこうにも、身体が動かねえ。

ぞわ、ぞわ、ぞわ

周りには火だるまになったネズミ共が集まってくる。
畜生、これまでか。

「先生!」

扉を開けて、ナターシャが飛び込んで来た。

「先生、大丈夫ですか、うわ」

熱風がナターシャを襲う。しかしナターシャは俺に手を差し伸べる。
俺は、細くて小さいナターシャの手を、しっかりと握った。

「かあっ!」

そこへ、もう一人の女が、身体中から火をまき散らしながら飛びついてきた。
長い前歯を剥き出しにして。ネズミ共を背中に貼り付かせて。
化け物め。
俺は、動けねえ。

「ぎゃうっ」

ナターシャの背後から、黒い影が飛び出した。
そして、女の首に、囓りついた。

「かあああっ」

「ゲンちゃん!」

ナターシャが叫ぶ。
黒猫ゲンタは、女の首根っこに囓りついたまま離れない。
女は声にならない悲鳴をあげながら、燃えさかる炎の中へと消えた。

ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

炎が一層強くなる。
ナターシャは必死に俺を引きずって、外に出そうとする。

「先生、がんばって」
「ぐっ、うううう」

俺は踏ん張って、立ち上がろうとした。
その時。

どおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん

「きゃっ」

激しい爆発が起きた。
ナターシャは扉の外に吹き飛ばされてしまった。

ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

炎は激しく、扉の外に届く勢いで吹き出す。

「せ、先生ええ」

扉の向こうに、飛ばされてへたり込んだナターシャが見える。
あの小娘、顔中煤だらけだ。
俺は足下を見た。脛まで炎が回ってきてやがる。
万事休すか。
俺は怒鳴った。

「ナターシャ、走って逃げろ、出来るだけ遠くにな」
「だ、だって」
「ナターシャを連れて、さっさと走れ」
「でもおおお」
「走れってんだよ!」

俺は猫を投げつけた。
ダンノウさんの猫だ。
黒い猫の人形は、ナターシャの足下で、からからと音を立てて転がった。

「ユル・サン・ユル・・・サン」

振り返ると、あのネズミの化け物が、燃えさかる炎の中、俺に近付いて来る。
野郎、まだやるのか。
俺はその場に胡座をかいた。俺の周りを、炎を吹き出すネズミ共が囲む。

「ユルサンゾオオオオオ」

じいさん、すまねえな。
イカサマばっかりだったがよ、最後に、俺にもいい格好させてくれや。
俺は、印を結んだ。そして

「ノウマク・サラバ・タタギャテイビャク」

呪文を唱えた。

「サラバ・ボッケイビャク・サラバタ・タラタ」

じいさんが俺に教えた、たったひとつの呪文。

「センダ・マカロシャダ・ケン・ギャキギャキ・サラバ」

この世の一切の魔を灼き尽くす。

「ビキンナン・ウンタラタ」

「ガアアアアアア」

火界咒。

「カンマン」

俺の視界は、白く弾け飛んだ。

  *   *   *   *   *

上町の親分さんが、私を病院に迎えに来てくれたのは、あの事件の二日後だった。
私は、猫のナターシャをキャリーバッグごと抱えて逃げる途中、あの倉庫の爆風に吹き飛ばされてしまった。
私は軽い怪我で済んだけれど、織物工場の倉庫は全壊、工場も大きな被害を受けたようだ。
あんなに大きな爆発で、死人も出たというのに、新聞の報道はごくごく小さいものだった。
先生も、ゲンちゃんも、帰ってこなかった。
中で何が起きたのか、私にはほとんど判らなかった。ただ、何かとんでもないものと先生が闘ったことだけは、判ったのだけど。

先生が死んでしまって、あの家と遺品は、先生の借金の返済やら何やらで売り飛ばされることになった。
私には、帰る家が無くなってしまった。

上町の親分さんは、私にこう言った。

「お前はよ、あの男みたいなヤクザな商売じゃなくてよ、もっと真っ当な仕事を見つけろや。いくらでも紹介してやるぞ」

でも私には、今更真っ当な、と言われる仕事は出来ない気がした。
先生が当てにしてくれた、この力を、もう少し役立てたい気がしていた。
私は、占い師になろうと決めたのだ。お世話になった御礼を親分さんに告げて、私はこの街をあとにした。

「行こう、ナターシャ」
「にゃーん」

私は、先生のくれたダンノウさんの猫を握りしめて、猫ナターシャと共に、旅立った。



おしまい






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