第百三話 俺の爪と牙 その2(35歳 男 拝み屋) | ねこバナ。

第百三話 俺の爪と牙 その2(35歳 男 拝み屋)

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※前回 第百二話 俺の爪と牙 その1

※第四十三話 猫の目を見よ(42歳 女)
もどうぞ。

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俺達は、社長夫人と秘書を見送り、呆けた顔を見合わせた。

「何なんですか一体」
「俺が訊きてぇよ」

俺も、ナターシャ、もといミドリも、判らないことだらけだ。俺は頭を掻き毟り、奥の間の座布団の上にあぐらをかいた。

「何だって? サンノウだがゲンノウだかと言ってたなあの女」
「ダンノウですよたぶん」

ミドリは、社長夫人の言動を、逐一メモにとっていた。

「ダンノウ サン ノ ネコガ ナイテ ハリ マスェ と言ってました。これ何語ですか?」
「日本語に決まってんだろ! どんな耳してんだ」
「ひどいなあ先生」
「京ことばだよ。京都弁だ。お前は知らんのか」
「だって京都なんて行ったことないですもん」
「ああもうちょっと、そのノート貸せ」
「あ、はいはい」

俺はミドリのノートをひったくって、開いていたところを見た。あの社長夫人の経歴がメモしてある。
京都生まれ。幼稚園から中学校まで京都の某私立、高校から大学は東京の御嬢様学校、か。その後は家事手伝いで...結婚したのは二十二年前。
社長との間に子供がふたり。ひとりは早くに病死、ひとりは現在大学生。
趣味は海外旅行と観劇。ペットは飼っていない。食べ物の好き嫌いはなし...。と。こんなところか。
絵に描いたようなお嬢さん育ちというわけか。そして生まれは京都。

「だんのうさんの、ねこ。猫か...」

俺は顎の無精髭をざりざりと撫でた。猫がどうしたってんだ。それと俺に何の関係が。
しかも、あの女の実父と言ってたな。なんでそんな男が俺のことを知っているのか。
あの女の父親なら、俺の親父より年上だろう。いや、じいさんのほうが年は近いかもしれないな。

じいさん?

俺はふと思い出した。
昔じいさんが、京都の土産にくれた、あの。

「猫だ」

俺は勢いよく立ち上がり、自室に走った。

「ちょ、先生、どうしたんですか」

ミドリは慌てて俺の後についてきた。
ばん、と襖を勢いよく開ける。猫達は何事かとこちらを見る。ボーボなどは吃驚して威嚇のポーズをとる。しかし俺はそんなことにお構い無しだ。
部屋の隅に積み上げられている段ボールを漁る。確か此処にあったはずだ。
家を飛び出る時に持って来た、じいさんの帳面と、あの、猫が。

「あった!」

和綴じの帳面が三冊。そして、黒に緑が混じったような色の、小さな古びた猫の人形。
右手を挙げて、招き猫のようなポーズをとっている。

「おいミドリよ」
「は、はい」
「お前、ネットでな、この猫を配ってる京都の神社か寺を探せ」
「この猫ですか?」
「そうだ。ダンノウとかいう言葉がヒントになるかも知れん。急げよ」
「は、はい」

ミドリは猫の人形を持って、自分の部屋へ走った。
俺はじいさんが日記代わりにしていた帳面を繰った。何か手掛かりがあるに違い無い。
あれは確か、俺がまだ小学生の頃だから、もう二十年以上前だ。
必死に紙を捲る。時々頁がくっついていて、まどろっこしい。
三冊目の半ばを過ぎた頃。

「これか」

俺は見つけた。
じいさんの、京都での数日の記録を。

  *   *   *   *   *

一九八五年七月
京都三日目

祇園サンノ宵山ヲ楽シム
途中数人ノ男ニ取囲マレルモ フナビキ君ノ御陰デ事無キヲ得
我平穏ヲ保ツ能ハザル也


京都四日目

フナビキ君ト逢フ 例ノ件ニ就テ話ス
我ノ無力ニ失望スル 其感雲或ハ霞ヲ掴ムガ如シ
之我生涯ノ最大ニシテ最悪ノ難所タル事疑無シ


京都五日目

檀王法林寺ニテ黒猫ヲ求ム
境内ヨリ出ル際 或男ニ肩ヲ叩カレル
彼男ハ黒猫ヲ取出シ 彼方ト一緒デスネト云テ笑フ
彼方ニハ無理デスカラ止メナサレトモ云フ
彼ノ立去リシ後 我ノ黒猫ニハ小サキ朱ノ点が付テヰルノヲ認ム
突如猫ノ鳴声聞ヘル
我命短シト悟ル

  *   *   *   *   *

何だこれは。
命短しって、どういうことだ。
そしてこれは。だんのうさんの、ねこ、なのか。
あの黒い猫が、やはり。

「先生! 出てきましたよ」

ミドリが部屋に飛び込んで来た。

「京都にある、檀王法林寺っていうお寺で、この黒い猫を配ってます」
「そうか...おいちょっと」
「はい?」
「その猫こっちに寄越せ」
「はあ」

俺は、じいさんから貰った黒猫を掴み、じっと見た。
ちょうど猫の左胸のあたり。もうほとんど剥げ落ちてしまっているが、確かに。
小さな朱色の、点が。

  *   *   *   *   *

「ほうらケンゴや、お前にお土産だ」
「へえ、これなあに、猫」
「ああそうだ。黒猫の人形だ。お守り代わりになるだろ」
「ええー、お守りかあ」
「何だ不満か」
「俺ファミコンのほうがいいなあ」
「わははは、そんなものよりな、面白いものは世の中に山ほどあるぞ」
「そうなの?」
「そうさ。いいかい、人間の営みというのはな、ゲームなんぞよりもっと刺激があって、怖くてな、そりゃあ面白いよ」
「ドラクエよりも?」
「あたりまえだ。次に何が起こるか判らんからな」
「ふうん、そうなんだ」

「そうともさ。そう、何が起こるか判らん。判らんのだ」

「...おじいちゃん」
「...今に見ておれ...」

「...おじいちゃん、どうしたの?」
「ん? ああ、何でもない。少し考え事をしとった」
「へんなの」
「すまんな。しかし、その黒猫、効き目は保証付きだ。何があっても、失くすんじゃないぞ、いいな」
「ぜったい?」
「そうだ、絶対にだ」
「うん、わかったよ」
「よしよし、いい子だ」

「...ケンゴー! 塾の時間よ!」

「お、ほれ、母さんが呼んどるぞ」
「ああ、やだなあ」
「そんなこと言わんで、ほれ、行ってこい」
「うん、じゃあ、行って来ます」
「うんうん、気を付けてな」
「また後でねー」

「気を付けてな...」

  *   *   *   *   *

「...せい、先生、どうしたんですか」
「あ?」

ミドリが俺の顔を覗き込んでいる。
突然、俺の頭に浮かんで来た、あれは子供の頃の情景だ。

じいさんは、俺にこの猫をくれた。
そしてそれから数日経って、じいさんは、チンピラに刺し殺されたのだ。
ちょうどこの、朱の点のある、胸の辺りを刺されて。

これは、一体何だ。
じいさんの死と、この猫と、どういう関係があるってんだ。
そして俺は。
あの女、一体何者だ。

頭の中を、ぐるぐると黒猫が駆け巡る。

「畜生め」

俺は頭を抱えた。

「先生...」

ミドリがまた覗き込んで来る。
こいつは、ヤバイ。途轍もなくヤバイ。こんな小娘を巻き込む訳にはいかない。

「だあっ! もう訳判んねえ。今日はもう仕事はやめだ」
「はあ」
「おい、俺は女の処に行って来るからな。猫の世話と、後片付け頼むぞ」
「えーまたですかあ」
「つべこべ言うんじゃねえよ。気分転換だよ」
「お帰りはいつ頃ですかあ」
「判らねえ」
「はあ...」
「何だそのふてくされた面は」
「だって、たまに私もどっか連れてってくれてもいいじゃないですか」
「お前みたいなガキんちょには百年はええよ! せいぜい女を磨いてな」
「こんなとこで?」
「ああもう、うだうだぬかすな! じゃ行ってくるぞ」
「はいはい...」

不満顔のミドリを家に残し、俺は外に出た。
じいさんの真意を知るために、そして俺のするべきことを見つけるために。
俺は、じいさんの古い知り合いを訪ねることにした。
日が暮れて、蒼白い星ばかりがぎらぎらと光る、気色悪い夜が始まった。

  *   *   *   *   *

「久し振りだのう、ケンゴよ」
「ああ、あんたもな」

俺が訪ねたのは、この街で一番でかい寺の住職、通称ゲンポウ爺のところだ。
政財界に顔が利き、細かい商売でやたらと稼いでいる。大酒飲みのうえ女を何人も囲ってやがる、とんでもない生臭坊主だ。
このゲンポウ爺は、俺のじいさんの数少ない友人だった。お互いいかがわしい商売で稼いでいるのだから、蛇の道は蛇、といったところか。

「ところで何用だ。俺ももう年だからな、最近は早く休まんと、明日に差し支える」
「よく言うぜ。今更健康に気ぃ遣ってんじゃねえよ」
「冗談じゃねえんだ。すっかり足腰が弱くなってのう。女の処へも行けやしねえ」
「ほう、そりゃ一大事だ」
「そんなことはええ。さっさと用件を話さんかい」
「ああ」

茶をひと口啜って、俺は話を始めた。

「今日な、俺のところに来た客が、妙なことを言いやがってな。会社が業績不振だから祓ってくれとぬかす。ただ気になることがあるんだ」
「ふん、そんな金蔓如きにお前が慎重になるか」
「その業績不振とやらの引き金になった事件については何も話さねえ。ただ来てくれれば判ると言いやがる。その上、俺でなければ駄目なんだそうだ、その祓は」
「ますます結構じゃないか。お前、そんなに有名になったのか」
「そうじゃねえよ。俺も儲けにならなそうな話は御免だからな。上手く行きそうもないんで断ろうと思ったんだが」
「ふむ」
「だんのうさんのねこが、どうしたとか、突然ぬかしやがった」
「なに?」
「色々調べて考えたんだが、どうもじいさんと関係があるらしいんだ、この話」

俺は懐から、あの黒い猫の人形を出し、爺の目の前に置いた。

「何だこの薄汚い猫は」
「俺のじいさんが、昔俺にくれたのさ。確か死ぬ間際だと憶えているんだが」
「...」
「あんた、これについて何か知らねえか? じいさんは何で死ななきゃならなかったんだ?」

ゲンポウ爺は、黒猫を手に取ってしげしげと眺めていたが、だんだんと顔色が変わってきた。
手が震え、禿げ上がった頭から、脂汗が流れ出した。

「お、お前、これをまだ持っていたのか」
「じいさんが失くすなと言ったもんでな。どうなんだい。それがどうかしたのか」
「お、俺は知らんぞ。こんなもん」

どうしたことか、ヤクザも頭を下げるゲンポウ爺が、怯えている。

「知らねえ訳ねえだろが、何だその脂汗は。おい、何とか言ったらどうだ」

がたん、と爺は席を立った。そして摺り足で応接間を後にする。

「おいこら、ちょ、待ちやがれ!」

俺は急いで爺の後を追う。爺は長い廊下を抜け、寺の本堂に入っていった。
朱塗りの柱に金ピカの仏像。俗っぽいにも程がある。

「座れ」

爺は俺にそう言うと、阿弥陀如来を背にして、本堂の床に座った。

「何だよ、生臭坊主の説教なんぞ聞きたかねえや」
「いいから座れ。あそこでは話せん。用心に越したことはないからな」

俺は仕方なく、爺に相対して、あぐらをかいた。

「ええか、俺もな、このことについては深くは知らん。ただ、お前のじいさんが、何か大きな...そう、力というのかな。そういうものに抗って、事を構えようとしていたことは確かだ」
「力ってのは何だ。暴力か。権力か」
「うむむ...そうしたもの全てよ」
「よく判らねえな」
「無理もない。俺にもその正体が何なのか判らん。ただ、この国を牛耳って、己の思うままに動かすような力だということだけは、間違い無い」
「へえ、それはどんなやつだい。政治家か? 財閥か? それともヤクザか?」
「は! あんな道化どもなんぞ及びもつかんわ。あ奴らは苦しみもするし、悩みもする。傷付け傷付けられもする。しかしな」

金色の如来を背にしたゲンポウ爺が、この時怖ろしく見えた。

「この世の中にはな、どんな時代、どんな場所にあっても、少しも傷付かずに嘲笑っていられる奴らが居るのよ」
「何だそりゃ」
「お前には判るまい。しかしこれは憶えておけ。そ奴らはな、俺達庶民なんぞ虫けら以下にしか思っておらん。気に入らなければ何の躊躇いも無く相手の命を奪う。しかも自分は手を下さずに、高みの見物を決め込むことが出来るのだ」

なるほど、そういうお高く留まった奴らに、俺のじいさんは、殺されたのか。

「気に入らねえな」
「しかし、お前ごときでは太刀打ち出来ん。関わるのはよせ」
「そうはいっても、向こうさんは俺の居場所を知ってるしな。向こうから乗り込んで来たってことは...」

そうだ、そういうことだろう。

「俺を...始末しようってんじゃねえのか。理由は知らねえけど」
「むむ...しかし、それなら何時でも出来ただろうにな。何故その猫なんぞを持ち出して、お前を呼びつけなければいけないのかが、判らん」
「そうだよな。ん?」

そうか、猫か。

「この黒い猫に...何か秘密があるってのか」
「むう」
「じいさん...一体何をやらかしたんだ...」

俺はしばし、ゲンポウ爺とふたりで、黒い猫を見つめた。
右手を挙げた黒猫は、本堂の灯りに照らされ、鈍く光った。



つづく






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