第四十三話 猫の目を見よ(42歳 女)
もう駄目だ。
もう耐えきれない。
何が良くないのか判らない。
なんでこうなるのか判らない。
ただ、私は不幸だ。
心療内科で薬を貰っても。
霊験あらたかな神社のお札を家に貼っても。
風水の本のとおりに家具を配置しても。
○○の会の本を熟読しても。
どうにも駄目だ。
私は、不幸から抜け出せない。
見かねた夫が、会社の人に色々相談してくれた。
そうして紹介されたのが、拝み屋だ。
憑き物落としとか呪い除けとか、そういう下らないことをやっているらしい。
私はそんないかがわしい処に行きたくないと言い張ったが、夫はどうしても其処に行けと言う。
私は鞄に札束をねじ込み、その拝み屋の許を訪れた。
* * * * *
それらしく荘厳な門構えかと思ったが、全く普通の家だ。
呼び鈴を押すと、眼鏡をかけた高校生くらいの女の子が出てきて、私を客間に案内した。
客間も、特別どうということはない。普通の家と変わらない。
女の子は一旦奥に下がったが、すぐにまた現れ、私に茶を勧めた。
邪気を払う霊薬が処方されているそうだ。全くいかがわしい。
ひと口飲むと、強い生姜の香がした。
「みゃう~ん」
「なお~ん」」
猫の鳴き声がする。
女の子は、私に色々質問した。
家族構成、職業、年収、親戚縁者とその関係、誕生日、血液型、趣味、果ては好きな食べ物まで。
何の意味があるのだろう。私は余計不信感を増した。
見ると、女の子は革張りのノートに、私の読めない不思議な文字で何かを書き付けている。
よく判らない線をたくさん引っ張り、その先に奇妙な記号を書き添えている。
それは何かと訪ねると、
「ああ、これはですね、カルマの位置を知るための計算式ですよ」
と、訳の判らないことを言う。
そんなものはどうでもいいのだ。
ただ。私は。
「それで、あなたのご依頼というのは?」
単刀直入に訊かれた。
判っているだろうに。私がここに来たのは。
「不幸を取り除いてほしいということですが、具体的には?」
私は言葉に詰まった。
具体的にって。
そんな単純なものじゃない。そんなに簡単に示せるものじゃない。
ただ、とにかく私は。私は。
「...なるほど。不幸なんですね。判りました」
ほんとうに判ったのか。
全く信じられない。信じられないが。
すんなりと私の言うことを受け容れた。
不思議な感覚に陥った。
「では、先生の許へご案内します。どうぞこちらへ」
女の子の後に付いて、私は家の奥へと進んだ。
廊下の先に、障子が開け放たれている。
その先に、畳敷きの部屋がある。その奥に。
鼠色の和服を着て、髪をぼさぼさに振り乱した、
髭面の、怖そうな男が座っていた。
* * * * *
女の子は、一旦私を廊下に留め置いて、先に部屋に入り、革張りのノートをその「先生」に渡し、何やら小声で囁いている。
男は、うんうん、と頷き、ノートをちらりとめくり、すぐにぱたん、と閉じた。
女の子が、
「どうぞお入りください」
と、私に声をかけた。
男は、大きな目でじっと私を見ている。
私は、部屋の真ん中に置かれた座椅子に、恐る恐る腰掛けた。
「初めまして。拝み屋のカンナヅキと申します」
私を見据えたまま、男は軽く頭を下げた。
怖い。
男の背後には床の間があり、絵だか文字だか判らない奇妙な形が、朱色で描かれた掛け軸が下がっている。
他には何もない、がらんとした部屋だ。
その中で、男は私を正面から見つめている。
いや、睨んでいるようにも思える。
「何か大層な不幸をお抱えのようで」
眼を私からそらさずに、男は話しかけてきた。
私は男と眼を合わせることが出来ない。
それでも、私は、震える声で訴えた。
私の、この不幸を、どうにかしてくれと。
「そうですか...。では、繰り返しになって恐縮ですが、幾つか質問させてください」
男はまたノートに目を遣り、ゆっくりと私に訊いた。
「ご主人との関係は、うまくいっていますか?」
「会社でのご主人の立場は? お給料は十分ですか?」
「息子さんの受験は? 気懸かりな事はありますか?」
「ご近所に苦手な住人は?」
「親戚付き合いで困ったことはありますか?」
「今熱心に信じている宗教や信仰はありますか?」
私は答えた。どれも問題はない。
何も悪くはないのだ。
そんな事ではないのだ。
ただ、ただ私は。
「なるほど」
ぱたん、と勢いよく、男はノートを閉じた。
「深刻ですなあ」
意外な言葉が返ってきた。
今までなら、じゃあ何が問題なのですか、と呆れたように訊かれるのが常だった。
それをこの男は。
深刻だと。
「私の力をもってしても、この不幸は取り除けないかもしれません」
急に不安な事を言う。
そんなに大変な状態なのか、私は。
何がいけないのだ。
「いえ、あなた自身には何の問題もありませんよ。それはあなたが今仰ったとおりです」
そうか。そうなのだ。その通りだ。
ならば何だ。私の。
私の不幸の元凶は。
「それは、あなたの中に巣くう蟲ですな」
虫?
「陰陽道では、人間の体内には三尸という蟲が居るとされています。上尸、中尸、下尸の三つの蟲は」
男はすっと立ち上がり、私のほうに近づいて来る。私は硬直した。
男の胸元から、錆び付いた銀のような色の棒が現れた。男はそれを手にし、私の頭に当てた。
「それぞれ身体の中に分かれて住んでいます。まず上尸。頭に棲み着き」
棒の先が私の目元に当たる。
「視力を奪い、顔に皺を生じさせます。最近目が疲れませんか? 目尻の皺が気になりませんか?」
気になる。
その通りだ。
棒はすすっと下に移り、私の脇腹の辺りを指した。
「次に中尸。腹の中に棲み、暴飲暴食を促し、内蔵を弱らせます。悪しき夢を生ずることもある」
私は男の顔を見た。目を細めて、棒の先を見つめている。
怖い。
「最近お酒が欲しくなりませんか? 胃が弱っていませんか? 怖い夢を見ることはありませんか?」
当たっている。
なんということだ。
私の身体は。
棒はまたすすっと進み、私の太腿のあたりを指した。
「そして下尸」
とんとん、と棒の先が腿を軽く叩いた。
びくん、と足が痙攣した。
「おや、下尸は大層元気のようですな」
男は口の端を吊り上げた。
「下尸は足に棲み、徐々に精力を奪います。最近疲れやすくありませんか? 足が痺れたり、立っているのが辛くなったりしていませんか?」
まさに。
私は頷くしかなかった。
なんと怖ろしい。
私の身体に、そんな。虫が。
男は棒を懐に仕舞いながら、ゆっくりと、先程まで座っていた場所に戻り、立て膝をついた。
「三尸は庚申の日に天へと上り、天の帝に人間の罪を告げるのです。何もかも」
何もかも?
「そうです。どんな小さな悪事でも。家族や親戚、友人に隠している事、自分自身でさえ無かった事と割り切っている秘密でもです。通常、庚申の日は年に六回あります。その度毎に」
その度毎に?
「人は、寿命を縮めることになるのですよ」
呆然とした。
私の寿命が。
いやしかし、そんな秘密は。悪事は。
「今日は丁度庚申の日です。あなたは、秘密を明らかにしなければいけませんな。その上で、三尸を封じる術を使わなければ」
だからそんな事は。
「そうですか。ならば」
どん。
男は勢いよく立ち上がった。
そして、錆びた銀色の棒の先を、ぴたりと私の鼻先に向けた。
「あなたの秘密を、暴かなければなりますまい」
* * * * *
「...さあ、もう結構です。目を開いてください」
私はゆっくりと目を開けた。
驚いた。
部屋の中は、何時の間にか、ほとんど真っ暗になっていた。
正面の男の両脇には、時代劇に出てきそうな灯明が点っている。
そして、部屋の四隅には燭台が置かれ、その脇には。
猫が。
猫が一匹ずつ、座っている。
行儀良く座って、私をじっと、見据えている。
私は息を呑んだ。
「それでは、これからあなたの心の奥底に沈んだ秘密を、浮かび上がらせる事にいたしましょう」
男が厳かに言った。
すっと、私の後ろに人の気配がした。
「あなたは、その座椅子に座ったままで結構です。これから私の弟子が、あなたを座椅子ごと、ゆっくりと時計回りに回転させます」
後ろから手が伸び、私のこめかみの辺りを押さえた。
何か堅い感触がある。
「私はあなたから見て北東、即ち艮の方角に居ます。私はここで、あなたの心に邪鬼が忍び込まないよう、結界を張ります。そして部屋の四隅、即ち東西南北には、猫が居ます」
そう。猫だ。
何故猫なのだ。
「猫の目は人の心を映し出す鏡なのです。私では引き出せないあなたの秘密を、猫が引きずり出してくれるでしょう」
嘘だ。猫ごときに私の。
秘密が。
「ですから」
男がずいっと、私に顔を近づけた。
怖い。
「猫の目をじっと見るのです」
男の目は、私を射抜くように光った。
「決して目を逸らしてはなりません。いいですね」
身体が震えた。
小さく頷くしか出来ない。
「よろしい。では」
男は私に背を向け、
「ナターシャ、始めなさい」
と言うと、訳の判らない言葉を発し始めた。
これは呪文か。
と、
ずず、ずず、ずず
ゆっくりと座椅子が回る。
こめかみに当てられた、堅いものが痛い。
と、正面に見えたのは、灰色のベルベットのような毛をした美しい猫だ。
私の目をじっと見ている。
何もかも見透かされるような。冷徹な目だ。
「どうですか?」
背後で女の子の声がした。
冷たい。怖い。
「そうですか。では次」
ずず、ずずず、ずず
次は赤っぽい茶色の猫だ。
細目で私の顔を舐めるように見ている。
と、不意に猫が視線を逸らした。
「え?」
女の子は思わず声を上げた。
「そんな」
何なのだ。
何かまずい事でもあるのか。
「...まあ、仕方ありませんね。次」
気になる。怖い。怖い。
ずずず、ずず、ずず
次は、ほとんど真っ白な猫だ。
うっすらと虎模様がついている。
またしても猫の目が私を捉える。
何か、悲しそうな目をしている。
哀れむように、私を見ている。
「どうですか?」
女の子が訊いた。
私はそんなに哀れなのか。
「大丈夫、気を確かに持ってください。では最後」
ずず、ずず、ずずずず
最後は、真っ黒な猫だ。
目を伏せている。
怖い。怖い怖い怖い。
「ゲンちゃん、こっち見て」
女の子が声を掛けた。
猫が、ゆっくりと。
ゆっくりと顔を上げる。
そして、私の顔を。
こめかみの辺りで、何か音がした。
熱いものを感じた。
そのとき。
ぎらっ。
猫の目の光が、私の目を射抜いた。
「うみゃーーーう」
* * * * *
「...だからさ、それじゃ困るんだよ」
「そんな事言ったって、じゃあ私はどうすればいいのよ」
「金だよ。金が要るんだよ。もっと用立ててくれよ」
「だからもう駄目って言ってるじゃない」
「ああそうか...ふうん、ならいいよ俺は。旦那がこの事を知ったら、あんたどうなる」
「な」
「高校に上がりたての息子がいるんだって? 下手な噂流されたら、肩身が狭いだろうねえ」
「何、ちょっとどうするっていうの!?」
「つべこべ言うんじゃねえよ。金さえ用意すればどうってことねえんだからよ」
しゅぼっ。
「ふーう、まあ、これからもしばらくは、せびり取らせて貰うからな」
「この...あ、悪魔っ!」
どすん。
「うわっ!!」
じゃぼーーーーーん
「...ぐっぷ、が、はあ、た、助けてくれ、お、俺泳げ、およげね」
「ひっ」
「がばば、ひぶ、だずげ、ぐぶぶ、ぶぶぶ」
「ひいいいいいい」
がさがさ、じゃりじゃり
ばたばたばたばた
「はあ、はあ、はあ」
ずざざざ
ばたむ。
「はあ、はあ、はあ」
...。
「はあ、はあ、んぐ、はあ、はあ、はあ」
...。
みゃーう
「ひ」
みゃーうん。
「ひいっ!」
うみゃーうん。
「ひいいいい」
きゅるるるるん
ぶるん、ぶるん。
うみゃーん。
「ひいいいいいいいいい」
じゃりじゃりじゃりじゃり
ぶおおおおおおおおおおおおん
* * * * *
「うみゃーーーうん」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいい」
私は取り乱した。
猫が。あの猫がまさか。
「大丈夫ですか、大丈夫ですか奥さん」
「違うの、あ、あたしはただ、ただ、ああああああああ」
「ご安心なさい、あなたの秘密は、もう抜き取られましたよ」
「あああああああああああああああ」
男が私の肩を叩いた。
しかし私は、ただ泣き崩れるしかなかった。
* * * * *
「ナターシャ、部屋を明るくしなさい」
「はい先生」
がたたたたた
ずるずるずる
しゅとん。しゅとん。
「さあもう結構です。落ち着きましたか?」
まだ息が乱れている。
苦しい。しかし。
喉の奥のつかえが、のしかかっていた重い何かが、何処かへ消えた。
息を大きく吐き出した。
どさり、と胸の中で音がした。
「北の方角。そして水に関係する事ですね」
その通りだ。この男には何もかもお見通しなのだ。
「何も言わなくて結構。さあ、もう大丈夫です。ほら涙をお拭きなさい」
私は礼を言って、鼠色の手拭いを受け取った。まだ身体が震えている。
「これであなたの秘密については、良しとしましょう。しかしまだ仕上げが残っています」
仕上げ?
それは何だろう。それは。
男は、懐から三枚の紙を取り出した。
朱色で、漢字に似た奇妙な文字が大きく描かれている。掛け軸に描いてあるものと似ている。
「これは、三尸を封じる呪符です。今晩は眠ってはいけません。眠ると、三尸は天に上ってしまいます。一晩中起きて、この呪符をそれぞれ頭、腹、そして足に貼り付けていてください。足は具合の悪いほうに貼ると良いでしょう」
こんな紙切れが。私を救うというのか。
こんなものが。
「そして、今年の庚申は、あと三回あります。その度毎に、この呪符を取りに来てください」
私は救われるのか。
こんなもので。
男は、また口の端を吊り上げ、言った。
「一枚十万円で、お作りしますよ」
* * * * *
「うまくいきましたね先生」
「ふん、当たり前だ。いい金蔓になってくれそうだな、あの女」
「ゲンちゃんの眼力も、大したもんです」
「おう、あれは良かったな。お前が考えたのか」
「ええまあ。自分の目の真横から光が出ているなんて、ふつう考えませんからね」
「小型のマグライトか。いい具合に猫の目に映り込んだな。本気でビビってたぜ。へへへ」
「それにしても先生、あの女性が不倫してたなんて、どうして知ったんですか?」
「そりゃあお前、俺の人脈ってやつよ。あのおばはんを強請ってた馬鹿な男はな、上町のヤクザが抱えてるチンピラだ。いい儲け話が転がり込んできやがったと、あちこちで吹いててな。そうしたらある日、ずぶ濡れで親分のところに戻ってきた」
「え? じゃあその不倫相手って、溺れ死んだんじゃなかったんですか!」
「なんだ誰が死んだと言った?」
「いえあの」
「まあいいや。あのチンピラ、いきり立ってあの女殺すとか何とかぬかしやがったからな。親分と相談してな。警察にタレ込んで、二十年ばかりムショ暮らしをして貰うことにした」
「あらら」
「その前に、親分に頼んで、その強請り相手ってのを聞き出してな。うちのお得意様になって貰おうってことになった訳よ」
「なーんだ」
「なーんだじゃねえよこの小娘が。いいか、この商売はな。情報が物を言うんだよ。どんな人間にだって弱みはあるんだ。それを調べ上げ、うまくコントロールして、こっちのペェスに持って来るのが、一番肝心なところなんだぞ」
「まあそうなんでしょうけど...もっと、なんかこう、人の役に立つこととか...」
「だから役に立ってるじゃねえか。あの女は、自分が人を殺したと思い込んで、それを誰にも言えずに苦しんでたんだろうが。そういう心の泥沼を掻き乱してやることで、正気に戻れるって奴が多いんだ。この世の中は」
「うーん。そうでしょうけど。私はもう少し、可愛げのあるのがいいな」
「なんだそりゃ。まあお前が一人前になったら、勝手にするがいいさ。だが、それまではここで小間使いしてろ」
「はい先生」
「うし! じゃあ俺は女の処に行ってくるからな。お前は猫どもと留守番だ」
「えーまたですかあ」
「文句言うんじゃねえよ。俺にだって息抜きは必要なんだよ」
「もう...最近猫にばっか頼ってるくせに、自分で世話とか全然しないんだから」
「何か言ったか?」
「いえ何も」
「ふん...じゃあ、留守を頼んだぞ」
「はーい」
ぴしゃり。
「ふう、拝み屋稼業も楽じゃないわ」
「みゃ~う」
「ささ、ナターシャにゲンちゃんにシロにボーボ、ごはんだよ~~」
おしまい
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