第九十七話 ひかる桑畑 その1(31歳 女 カメラマン) | ねこバナ。

第九十七話 ひかる桑畑 その1(31歳 女 カメラマン)

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本土の港から小さな定期船に揺られて約一時間、私は小さな沖合の島に着いた。
S市の観光パンフレットに使う写真を撮ってくれと、依頼を受けたのだ。
漁業と釣り人向けの観光が主な産業のこの小さな島は、周囲約八キロ余り。
平家の落武者伝説と、奇岩の立ち並ぶ西側の岸壁の景観が有名なのだという。

港に降り立ち、すぐに地図を開いた。
観光協会の人から指定された五つの名所を巡るのだ。神社、落武者の塚、ふたつの岬、そして港と釣り船。
さっさと漁協に挨拶に行き、港に接岸した釣り船を幾つか撮影し、宿泊予定の民宿で荷物を預けた。
さあここからは、ちょっとしたハイキングだ。
何しろ車で通れる道は少ない。そして坂が多い。こんな島は何処でもそうだが。

「うし」

私は気合いを入れると、島の奥にある神社を目指した。

  *   *   *   *   *

なだらかな坂道を、私はゆっくり上っていった。
周りの景色を楽しみながら、途中で数回シャッターを切った。
これは依頼されていないが、私の愉しみでもある。こういう鄙びた漁村の雰囲気が好きなのだ。
家の軒が迫った狭い坂を、えっちらおっちら上っていると、

「こら! こんの泥棒猫め!」

私はびくっとして振り向いた。
ランニングシャツ姿のおじいさんが、竹の棒を持って何かを追いかけている。
と、私の脇を、物凄い速さで何かが駆け抜けていった。
敏捷でしなやかな身体。あれは。

その何かは、道の途中で止まり、くるりとこちらを向いた。

猫だ。

サバトラ模様に白が入った、細身の猫だ。
口には魚を咥えている。

「こんの野郎!」

おじいさんは、私のすぐ近くまで来て、棒を振り上げた。
猫はすぐさま逃げ出し、別の家の垣根の下に潜り込んだ。
そして、裏手の山の方へ走り去ってしまった。

「逃げ足の速い奴め」

おじいさんは顔を真っ赤にして怒っている。

「あ、あの」
「ん? なんだ、あんた」
「どうなさったんですか?」
「どうもこうもあんめえ。おら家で魚を盗みやがった、あの猫」
「はあ」
「こんど見つけたら、ただじゃおかねえ」

ぶつぶつと恨み言を呟きながら、おじいさんは家に戻って行った。
わりと可愛い猫だったのに、写真が撮れなくて残念だ。
そんなことを思いながら辺りを見回すと、道端の貼り紙が眼に付いた。

「猫に餌を与えないでください
           自治会長」

野良猫が多いのだろうか。
あまり多そうには見えないのだけれど。だいいち、野良猫に会ったのはこれが最初だ。
小さな島に行くと、港に何匹も猫がたむろしている光景を、よく眼にする。
しかしこの島では、まだそういう平和な光景を見ていない。

私は違和感を感じながらも、また坂をゆっくりと上り始めた。

  *   *   *   *   *

この島唯一の神社、といっても大きめの祠があるだけだった。
その手前には、コンクリートで出来た鳥居とくたびれた幟が立っている。あまり格好のいいものではない。
とりあえず、周りの緑も取り込みながら、私は神社の写真を撮った。
しかしどうも面白くない。何がいけないのだろう。とってつけたようなこのコンクリの鳥居か。
私は恨めしく思って、鳥居をなんとか入れずに済むアングルを探し、また数枚を撮った。だがどうしても面白くない。

「うーん」

島の観光案内を改めて見てみる。この神社は、島の西側にある小高い丘にあったものだが、昭和になってから場所をここに移したのだそうだ。
どうりで違和感があると思った。周りの景色になじんでいない。何百年もそこに在った神社のような一体感がない。

「しょうがないかあ」

私は自分に向かって言った。そうして、来た道を引き返そうとした。

「...サチコ! おめぇ、何度言ったらわがんだ」

少し離れたところで、子供を叱る男の声がした。

「あんだけ餌やっちゃなんねぇって、ゆったでねが。ああ?」

太く響く男の声のほうに、私はつられて行った。

「おめぇのおかげで、こっちが言われんだど、わがってんのが」

藪を過ぎると、小さな空き地で、大きな男が子供を見下ろしているのが見えた。
小さな女の子だ。
肩をすくめ、下を向いたまま動かない。

「なんとか言ってみれごらあ」

男が女の子の襟首を掴んだ。

「ちょ」

私は思わず飛び出した。
男はびくっとして、私を振り返った。

「な、なんだあんた」
「いえ、あの」

どんな理由があるにせよ、暴力はいけない。

「そんな小さな子、どうしようっていうんです」
「あんたに関係ねえべ。悪いことしたら怒られるのは当然でねが」
「どんな、悪いことを、したとしても、暴力は、いけません」

私は、言葉を句切ってゆっくりと、しかし強く言った。
私のなかで、この男を止めなければいけないと、何かが騒いでいる。

「なんだ、あんだ何様のつもりだあ」
「暴力は、いけないんです」

男が女の子から手を離し、私を睨む。
私は視線を外さずに、女の子の方へと向かう。そして男と女の子の間に割り込む。

「駄目です絶対に」

恐怖で足がすくんだ。しかし私は。

「けっ、何でえ」

男は舌打ちして、立ち去ろうとした。しかしまた振り返って、

「おいサチコ、ばさまが何ゆってもな、おら達は承知しねど、わがったが」

そう言って、早足で何処かへ行ってしまった。

私はゆっくり振り向いた。
おかっぱ頭の、見たところ小学校にあがる少し前くらいの、女の子だ。
白い長袖のシャツに、赤いオーバーオール、そして赤い靴。どれもあちこちにシミが付いている。

「さあ、もう大丈夫、ねえ、何悪戯したの?」

私はかがんで、女の子にそう尋ねてみた。
女の子はじっと私を見た。片手に白いビニール袋を、しっかり握りしめている。

「ねえ」

もう一度訊こうとしたその時。
女の子は、私の脇を駆け抜け、一目散に走り去ってしまった。
そりゃそうか。見ず知らずの人に声を掛けられて。
それに、あんな怖いめに遭った直後で。
ふう、と溜息をつくと、

ぐう。

おなかが鳴った。
もうお昼が近いみたいだ。

  *   *   *   *   *

島の東端にある岬の写真を撮った後、港に近い居酒屋兼食堂で、私は蕎麦を啜っていた。
私以外に客はいないらしく、主人は椅子に腰掛けて、写りの悪いテレビのニュースをぼんやりと見ている。
なんとものどかな昼時だ。

がらがらがら。

「おう、ラーメンくれや」

と入って来たのは。
先程女の子を叱っていた、あの男だった。
男は私に気付くと、

「ちっ」

と舌打ちし、踵を返して帰ろうとした。
店の主人はそれを呆然と見送っていたが、奥からおかみさんが現れて、

「タケ、ラーメンでねえのか、帰るんだか」

と尋ねた。
タケと呼ばれたその男は、

「こんだ女がいるとごで、胸糞悪くで物なんぞ食えねえべ」

と、私のほうへ顎をしゃくった。
主人が立ち上がって嗜めた。

「おい、お客さんになんてこどゆうだ」
「そうだよ。役所から頼まれて、島の写真撮りに来てくれた人だよ」

おかみさんは、何故私のことを知っているのだろう。
いや、こんな小さな島だから、闖入者の情報はすぐ行き渡るのだろう。

「この女、シノばあさんとこのサチコさ庇いやがってよ」
「まあ」
「そんだったって、そんだ風に言わんでも」
「もうええ、気分悪いわ」

男はそう言い捨てると、店を後にした。

「ふう」

店主は息を洩らすと、そのまま椅子に座り込んだ。
おかみさんが私に寄って来た。

「すいませんねえ、ああいう気性の男が多くて、こん島は」
「はあ、あの」

少し訊いてみようか。

「サチコっていうんですか、あの、叱られていた女の子」
「ああ、サチコはねえ」

おかみさんは私の向かいに腰を下ろして、話し出した。

「かわいそうな子なんだよ。小さい時に両親をなぐして、身寄りはこん島の一番奥さ住んでるばさま一人なんだで。一昨年から二人で住んでるんだが、ばさまは身体が弱くてねえ。何とかしてやりてえけんど、島を離れたぐねえって言うもんで」

そして、深く溜息をついた。

「サチコは寂しいからか知らねえけんど、猫を可愛がるようになってねえ。村じゃ猫に餌あげちゃなんねえって決めごとがあるで、私らも見つけた時には言い聞かせるようにしてんだども、なかなかねえ」
「はあ」

このおかみさんは、どうやら島の事情通らしい。もう少し聞いてみようか。

「あの、どうして猫に餌あげちゃいけないんですか」
「どうしてって、そら増えてしまうからでしょうよ」
「でも、そんなに多くは感じないんですけどね、野良猫」
「ああ、下の方にはあんまし下りてこんからねえ、最近は」
「何か被害があるんですか、その、野良猫の」
「そりゃあんた、畑で糞はたれるし、魚は盗むし、網はかっちゃいて破くし、いいことなんかなんもねえだよ」
「はあ」
「みんな猫には困ってんだ、ほんとに。そいで、三十年くらい前から、猫には餌あげちゃなんねえって、自治会で決めたんだけんど、一匹も居なくなるって訳にはいかねえようだねえ」

どうも、野良猫はかなり厄介者扱いされているようだ。
もう少し可愛がってやっても罰は当たらないと思うが。
それは、猫好きの勝手な望みなんだろうか。

「ごちそうさま」

私は食堂を後にした。日が沈んでしまわないうちに、残りのポイントを撮影してしまわなければ。

  *   *   *   *   *

平家の落武者を埋葬したといわれる塚を撮影し、その足で、島の西側にある岬へと向かった。
島の南を走る道路から小径へと進み、雑木林の中をしばし歩いた。すると、その先に小さな家が見えた。
丸太を組んだログハウスのような造りだ。こんな島には珍しい。
ふらふらとその家に近付くと、その脇の畑に、あの女の子がいた。
しゃがんで畑の隅っこをほじっているようだ。
私は、この女の子に興味を持った。話がしたくなったのだ。

「こんにちは」

私が声を掛けると、女の子はびくっと身体を震わせて、振り向いた。
私をくりくりした目で見つめていたかと思うと、走って家の陰に消えてしまった。

「あらら」

どうやら嫌われているらしい。
私は酷く残念に思い、家の陰に隠れた女の子が見えないかどうか、低い塀の外から首を伸ばしてみた。
すると。

「サッちゃん、おやつたべよ」

と、家の中から声が聞こえて、がちゃりと玄関の扉が開いた。
腰の曲がった、しかし上品そうなおばあさんが出てきた。
私を見ると、にこりと笑って会釈する。
私もつられて、ぺこりと頭を下げた。

「どちらからいらしたの? ご旅行ですか?」


つづく





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