長束正家 | ナツレのツレヅレなる何か

長束正家

『のぼうの城』より~主役の成田長親・ヒロイン甲斐姫につづけて
キャラが際立っていた『長束正家(なつかまさいえ)』さんをご紹介

映画の中では弱い相手には強く出て、強い相手には卑屈になるという、イヤな悪役として描かれてましたがキャラがたっていてナツレ的には好感がもてましたひねくれてる

石田三成 ・ 淺野長吉 ・ 増田長盛 ・ 前田玄以といった五奉行につらなり、教科書などでも名前だけは聴いたことある人も多いと思われますが
石田三成以外はな~んか目立たずぞんざいな扱いうけてる気がする五奉行連中・・・
そんな中、悪役としてですが今回、目立てて良かったなぁとナツレ的には思っちょります

映画『のぼうの城』では『江~姫たちの戦国~』で江の最初の夫である佐治一成をやられた平岳大(ひらたけひろ)さんが演じられていました。
佐治一成とは全然違ったキャラを演じられてたので映画中は気付かず、終わってから長束正家役誰だろうとしらべてビックリやっぱり役者さんって全く別人になれるんだなぁスゴイなぁ

イメージとしては平さん踏襲しようと頑張ったけどう~ん画力が追いつかず
でも今後しばらく長束正家演じられる方もあまりでなさそうなんで
長束正家さん=平岳大さんで定着かな


長束正家(なつかまさいえ) 新三郎、大藏少輔(おおくらのしょうゆう)、大藏大輔(おおくらのたいふ)、從四位下、侍從、
長束大藏(なつかおおくら)の呼び名が有名。

丹羽長秀・長重親子に仕える。早くから理財の才がある事が広く知られ、強く請われて天正13年(1585)より豐臣秀吉直臣となり、翌14年(1586)九州の役から兵糧奉行として名がみられる。

天正17年(1585)11月、小田原遠征に備えて兵糧の買い付けを秀吉に命じられると、25万石の兵糧を買い付け、翌18年の侵攻に際しては遺漏無く前線に物資を輸送し能力の高さをみせつけた。また、石田三成の軍に付せられ、成田長親甲斐姫の拠る武藏 忍城の攻略にも参加した。
天正19年(1591)閏正月、増田長盛とともに近江を検知する。
文禄元年(1592)、文禄の役に際しては肥前名護屋城に駐屯。兵糧輸送の奉行を勤めた。

秀吉没後は徳川家康の台頭を認め、慶長5年(1600)の関ヶ原の役でも当初は家康支持であった。
しかし石田三成大谷吉繼をして毛利輝元を抱きかかえ、全国の大名掌握するのを目の当たりにするとこれに与した。
関ヶ原にも出軍し南宮山に陣したが、吉川廣家に阻まれ本戦には参戦できないまま敗走。居城水口城(みなくちじょう)へ籠った。
10月3日、包囲軍の池田長吉から所領安堵を約され開城したが、欺かれ自害に追い込まれた。
享年は一説に39歳。



この方は、官僚として超一級の才能を有し、算術理財に優れた人物でした
『常山紀談』にこんな逸話があります
豊臣秀吉北条氏政を攻めた小田原征伐の折、徳川家康の臣伊奈熊蔵が、不思議なことに箱根山中の穀物の値が、江尻・沼津などと同じであると報告しました
その為、兵糧は後方から船で運び込むより現地で買い求める方が良いと進言したのですが
これに対して家康は、それは長束大蔵大輔(なつかおおくらのたいふ)の計らいであるのを知らないのかと不思議なことと報告した伊奈熊蔵の不明を批判し、正家の才能を賞しています

関ヶ原では当初家康を支持していたと伝わっていますので
そのまま家康支持を貫いていたら、これだけの才がある人物ですから、その後の江戸幕府の様相すら変えていたかもしれないとナツレ的には思っちょります

その家康を支持していたはずの関ヶ原で石田方に取込まれ本戦に参加も出来ず逃げ戻ったところをだまし討ちにあうという締らない最期を迎え評価を一気に下げたのが惜しまれます

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