浅井長政 | ナツレのツレヅレなる何か

浅井長政

ラブラブ!真田太平記に嵌ってるナツレですが~

ナツレのお気に入りへは浅井長政公でその関連の本をよく読みます。

ところがココヘきて”浅井(淺井)”のよみ仮名すら分からない状態になり夜も眠れなく~~ぐぅぐぅ って、うそですが。

 

昔は普通に「あさい」と読まれていましたが、浅井居城近辺の地名が「あざい」となっており、近世の書物では「あざい」と表記されていることから、最近はこの読み名で定着していました。

ところが最近の研究で、やっぱ「あさい」でいんじゃね?って主張が~。叫び

 

さてこの浅井長政公は来年のNHK大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」の主役:江姫のお父さんですが、「浅井」をどのような読み名にするのでしょう。原作が無いだけに気になります。

右矢印『江~姫たちの戦国』キャスト発表 音譜アップ

 

その他も浅井氏は、信長との同盟時期や小谷殿(市姫) の輿入れの時期が、研究者によって全く違う主張が繰り広げられており、それにより姫達の年齢等にも影響してきています。さて~ドラマではどのような説が採られるのか楽しみです。
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ナツレの浅井長政イメージ

 

淺井長政(あざい/あさいながまさ)

近江小谷城主:淺井久政嫡男。母は井口越前守娘。

長政の父久政(ひさまさ)の頃の淺井氏は南近江の大名六角(ろっかく)氏の風下に立っていたが

永禄2年(1559)4月、六角義賢 の重臣 平井定武(ひらいさだたけ)の娘と離別し六角氏と断行。

翌3年8月中旬の野良田表(のらたおもて)の戦いにおいて淺井軍を率いて勝利を収めると、10月には弱冠16歳で久政より家督を相続した。

六角氏が美濃の齋藤義龍 と接近すると尾張の織田信長 と同盟しその妹 (いち) を娶る

(輿入れの時期については諸説あり)。

その後も六角氏と抗争を繰り返し永禄11年(1568)犬上・愛知・高島の三郡を加えるまで勢力を拡大した。

 

支城在番制、同名被官層への直恩給与・与力化、撰銭令の公布、

流通経済の発達に対応した商業政策を採り戦国大名化をはたしていった。

 

元亀元年(1570)、信長の越前朝倉氏討伐を機に信長から離反するも後の野村の戦い(姉川合戦)にて敗北。

以降急激に勢力を減退させた。

 

天正元年(1574)8月、同盟者の越前朝倉義景 が滅亡すると抗しきれず8月29日(異説あり)自刃。

享年29歳。

 

 

 

 


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