MySilence

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140文字じゃ足りないこととか。

 
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約10年間、通ったリハスタが9/2一杯で閉店することになりました。
この場所にも沢山の思い出があります。

ベースを買ってから初めて音を出したのがここでした。ベースを背負って汗だくになりながら自転車をこいでたどり着いて。
耳が肥えた今からするとちょっとショボいアンプではあったけれど、当時の俺を興奮させるには十分過ぎる爆音でした。
ライヴ前には毎日通って何度も何度も練習しました。
年月が経つにつれて、段々と機材が老朽化してきてシンバルが割れたりアンプが鳴らなかったりしても、部屋を変えたり他の部屋と勝手に機材を入れ変えたりしてでも通い続けました。

店員さんも個性的だったなあ。毎回夜中にいる店員さんとはある種、通じ合っていた部分もあります。
頼んでないのに延長コードを出してくれたり、いつも4番の部屋に入ってたせいか何も言わずとも4番に通されたり。

ほんっっっと、色んなことがあったな…書き切れないくらいの沢山のことが。

この場所はなくなってしまうけれど、心の中には思い出が沢山残ってる。
これからは違う場所に通うことになるけれど、きっといつまでも忘れない。
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嫌なことがあるとこの地に訪れていました。
ここは俺が2歳?3歳くらいから6歳までを過ごした思い出の場所。右手に見えるブランコの後ろには、かつて住んでいたボロくてショボいアパートがありました。今はぶち壊されて立派な豪邸になっておりますが。

小学校に上がると同時にこの地を離れ、17歳で再び訪れるまで10年ちょっと。
17歳の俺は些細なことで悩んだり考えたり、今以上に気持ちが不安定でした。そんな時にふと思い出してプチ冒険のように訪れたこの地。僅かな記憶だけを頼りに、それでも足があの頃に歩いた道を覚えている。そんな不思議な感覚を味わいました。
それからは嫌なことがある度、わざわざ電車を乗り継ぎこのブランコに乗っては帰るということを繰り返しました。

最後にここを訪れたのは23歳の秋頃。
住んでいたアパートも無くなって、あの日一緒に遊んだ友達もいない。通ってた保育園を見に行けば不審者と間違われる。もうあの日には帰れないんだなとふと気付きました。それからは電車で駅を通過することはあっても降りてません。

何もかも変わらずにいるなんて出来なくて、建物だって老朽化すれば壊されるし空き地には新しい店が出来る。
変わらないのではなくて変われていないのは自分だけなんだと気付いたら、急に寂しい気持ちにもなりましたが。

思い出は思い出のまま、時折引っ張り出しては眺めるだけが一番なのかもしれませんね。
ふとiPhoneに入ってたこの写真を見つけたので久々に思い出を引っ張り出してみました。

…保育園を懐かしんでて不審者に間違われたのだけはやはり未だに納得出来ませんがwこんなご時世だし仕方のないことかもしれませんね。やはり時間は流れてるんだな。
なんだか面白そうなサービスを見つけました。

$MySilence-フリパン
フリパン


会員登録すると、無料で毎月最大7枚のパンツが届く…という変わったサービスです。
何故無料かと言いますと、
「パンツに色々な企業のサービス広告が入っているため、ユーザーは全く費用がかからずに、毎月最大7枚、新品のボクサーパンツがGET出来ちゃいます!」(フリパンより引用)だそうで。
顔面広告もそうですが、こうした「そこに広告入れるの?」といったサービスがこれからも増えてきそうですね。
例えば今若者に流行りのタトゥーを広告にするなんてどうでしょうか。
腕にカッコいい模様と共に企業のURLが刻まれるとか。俺は嫌だけど、面白がって入れる人もいるのではないだろうか…奇異の目で見られること間違いなしですが、広告効果としては最高ではないかなと。勿論、冬でもノースリーブ必須。

話をフリパンに戻すと、正直広告入りのパンツを恋人に見られたら恥ずかしいとは思いますが、仲間内で「見ろよ!俺のパンツ広告入りだぜ!」というネタくらいにはなるんじゃないでしょうか。
…いや、男同士でパンツを見せ合うのもなんだか嫌だな。

とりあえず会員登録してみたので、現物が届いたら写真をアップします。実は楽しみw
長らく放置しておりました。最後に書いたのが5月下旬で、今はもう8月下旬ですか。月日が経つのはあっという間ですね。
3ヶ月の間にITソルジャーに転身しました。詰まるところ就職しました。
正確にはまだ入社しておらず、下準備として勉強中ですが。

これまでの音楽馬鹿な人生も楽しかったです。今思えば沢山のことがありました。
ベース小僧だったのにひょんなことでギタリストになったこともありました。
ギターとベースの二足の草鞋になって、どっちも上手くなれない時期もありました。
初めてレコーディングをした時に、よく分からないけどカッコいいと思って一発録りしかしませんと宣言してエンジニアさん達を困らせたこともありました。結局説得されて別録りしましたが。
そうして出来上がり、プレスしたCDが売れず部屋を占領して寝る場所に困ったこともありました。
ライヴでの動員が2人だった時もありました。
それからワンマンさえやれるようになったのは当時は奇跡だと思ってましたけど、今なら当時の俺達の努力が実を結んだ結果なんだと胸を張って言えます。
そうして悔しくて泣いた日も、嬉しくて笑った日も、きっとかけがえのない大切な思い出として俺の心に刻まれ、死ぬまで残ることでしょう…

とこんな書き方をしたら音楽を辞めるのだと思われそうですがwもちろん音楽を辞める気なんて毛頭ありません。

きっとこれからは稼いだ金で憧れのTom Andersonのギターなんかを買っちゃうことでしょう。
とにかく身体に気をつけて、仕事も頑張りつつ音楽もマイペースで作品を発表したりして行きたいなあと思っております。
そんな訳で暫くは資格の取得なんかで忙しいのでギターに触れる時間も減るでしょうが、音楽だけは死ぬまで続けて行きたいものです。もう以前のように髪は伸ばせませんがw
$MySilence


昨年の暮れ頃、母親から相談を受けました。
「気付いたらぷららってところから毎月クレジットカードに請求が来てるんだけど…これなんだろう?」
俺も父もぷららと契約したことはなく、ぷららにコンタクトを取っても折り返し電話しますと言われ結局何も分からず。

が、先日やっと理由が分かりました。

時は遡って1996年。
PC-9821を買ってきた父が時代はインターネットだ!と豪語した話はいつだかどこかに書きましたが、その際に契約したプロバイダがThe Microsoft Network…今のMSNでした。
Windows 95のデスクトップにMSNのアイコンが鎮座していたのは95使いの方には懐かしく思えるのではないでしょうか。

ふとそのことを思い出し、WikipediaのMSNの項目を開くとこんな一文が。

2000年12月1日 - 日本国内のインターネットプロバイダ事業を終了、全顧客をぷららに移管。コンテンツプロバイダ事業に完全に移行する。この頃を境に "The Microsoft Network" の名称は使われなくなり、"MSN" にほぼ一本化される。

確か1999年頃には我が家ではポストペットに釣られプロバイダをSo-netに変えたはず。

ということは…MSNがThe Microsoft Networkと呼ばれていた頃から今までの13年間、使ってもいないプロバイダ代を毎月払っていたということですね。
そういえばうちの父は自分が詳しくないことは適当に済ませる悪い癖があったっけ。きっと解約したつもりで出来てなかったのでしょう(笑)何はともあれぷららにその旨を伝え、無事解約に至りました。

それにしても初めてインターネットというものに触れてから今年で16年か。人生の半分以上経ったのが信じられません。