彫刻家 高田洋一さん 第1回 | みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

生命礼賛をテーマに彫刻を創作。得意な素材は石、亜鉛版。
クライアントに寄り添ったオーダー制作多数。主なクライアントは医療者・経営者。
育児休暇中の2011年よりブログで作家紹介を開始。それを出版するのが夢。指針は「自分の人生で試みる!」

みなさん、おはようございます。


毎週木曜日、「みんなの学び場美術館」担当の
「彫刻工房くさか」日下育子です。


本日は素敵な作家をご紹介いたします。


彫刻家の高田洋一さんです。


前回の杉本晋一さんからのリレーでご登場頂きます。

 前編⇒http://ameblo.jp/mnbb-art/entry-11220024851.html
 中編⇒http://ameblo.jp/mnbb-art/entry-11226118580.html
 後編⇒http://ameblo.jp/mnbb-art/entry-11233091536.html


第1回の今日は、高田洋一さんの「作品のテーマ」についてイ

ンタビュ―をもとにご紹介させて頂きます。


 お楽しみ頂けましたら、とても嬉しいです。 


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アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館
水生翼(すいせいよく)
1985(2006再制作)
W/4000×D/4000×H/2500(㎜)
単体:L/2150㎜
水盤直径φ4000
和紙、竹、鉄、真鍮、鉛




アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館

月のしずく(照明彫刻)
2004
草庵 秋桜 大分県 湯布院
W/1000×D/1000×H/500(㎜)
和紙、竹、真鍮




日下
高田洋一さんの制作テーマについてお聴かせ頂けますでしょうか。



高田洋一さん
『制作のテーマ』ですか・・・。

ずっと作り続けている作品は「風で運動する彫刻(立体)」ですね。
これは学生時代から、研究し始めて何度も挫折しましたが、

気が付けば30年以上続けてきた仕事です。
 大学の卒業制作も、やはり屋外の風で運動する立体作品でした。


改めて『制作のテーマ』という事で言うなら、

『自然の秩序の可視化』ということになるでしょうか。
最近は、作品の『動き』だけではなくて、

風に代表されるエネルギーの伝播、影響の可視化と

人との関係になってきていると言えるでしょうか。
あえて、言葉にすると、むしろ判りにくいですね(苦笑)。


後述するきっかけがあって、

大学に入った直後から、風で運動する作品の研究を始めました。


当時『風で運動する作品』と言えば、

海外の作品も、国内の作家の仕事も、

多くは屋外の風で運動する金属で作られた作品ばかりでした。


しかし『自然の風』を表現するための作品が、

まるで『金属の機械』のようであることに

漠然とした違和感を感じてはいたんですね。


『風』は屋外でだけ吹くのではなく、

私達が多くの時間を過ごす建物の中、

そこには『空気』が存在するわけです。
私達が呼吸をしている以上『空気の流れ』は存在しますよね。


今、申し上げたことは、実に素朴なことですよね。
でも、風の研究を続けるなかで、アタマで考える『風』とは違う、

現実の『風』(空気の流れ)というものに気がつき始めたのです。


私達が部屋の歩くだけで

無意識に空気をかき回し、背後に風を巻き起こします。


それは言い換えれば、眼に見えない『空気の海』の中に、

我々は暮しているようなものだと言えますね。
我々は『空気の海』の秩序の中に、共に生きているということです。

そのビジョンに気づくことで、

それまで自分達が見ていた世界とは違う景色が

見えてくるように思っています。


『地球の秩序の連続性の中に生きる存在としての人間』

その事への気づき、共感がひとつのテーマです。

私の作品は、卒業制作を機に作風が大きく変化します。




アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館


翼“双”
1979
W/650×D/200×H500(㎜)
和紙、竹、黒御影石、真鍮、鉛




私が作家として制作した初めての作品『翼Ⅰ』(1979)は、

簡素な和紙、竹、石で作られた作品です。
室内に置かれ、人がその傍らを何気なく歩くだけで、羽がフワリと動き出す。
そんな、派手さの無い作品。
作品の『動き』に気づくことが出来るか、できないか、

そんな静かに人に問い掛けるような作品でした。


私が大学を卒業した当時(70年代後半)は、

コンセプチュアル・アートと屋外彫刻が主流の時代。
そこにある意味では『日本的』な素材で、

『工藝』的な作品を作ることは、他に例のないことでした。

 

当時の現代美術は『観念的』になり、

人の手わざ(作家の個性)を消すことで、

芸術家の特権性を否定しようと試みていた時代です。
 

一方、日本の工業化に伴い、

新しい技術によってモノを作る可能性が広がってもいました。
その反面、未熟な芸術家達が『技術』に支配されて

作品をを作るようになっていた時代でもありました。

 

過去の芸術家像が否定される流れと、

工業技術の普及による物づくり(作品制作)の没個性化が、

特徴的な時代だったわけです。
当時、全く人の手の痕跡が見つけられない

『純粋なステンレスの箱』のような作品がありました。
 
そういう作品を見るとき、むしろ私は、

逆説的に職人の手わざの

極限的な存在感を証明していると感じてしまうんですね。
人の観念としての物づくりと、

本当の物づくりとの間に、奇妙な乖離を感じていました。


『物を作る』葛藤こそが『人間」と『物質』との関係を考える上で

重要であることを教えてくれたのは『もの派』だったのです。
そこに加えて、私は物づくりの『喜び』『自分達の伝統伝統的』や

『素朴で身近な素材や技術』ということを私は意識し始めていました。




アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館



玉 翼
1985
W/700×D/300×H/200(㎜)
和紙、竹、河原石、真鍮、鉛




処女作にあたる『翼Ⅰ』(1979年)では

『クラフトマンシップの復権』ということを強く意識していましたね。

 

その正体がわからない最先端の工業材料ではなく、

人の経験、伝統、直感によってその素材が理解できるもので、

素朴な技術で制作される『彫刻』。
そのビジョンの実現が、一連の翼作品(和紙、竹、石による)のシリーズです。


見えない『地球秩序の可視化』『空気の海』というビジョンの共有。
『物づくり』『クラフトマンシップの復権』『自国の伝統』『経験を背景にした材質、制作技術』。
これらが、高田作品の初期のテーマであり、それを支えるものですね。


その後、世間では発注芸術と呼ばれて揶揄される

工業技術を用いた作品制作が増えて行くようになりました。
私自身は自分自身で工業社会や技術をコントロールできるかどうか未知数だったので、

そこへの参加には随分慎重でした。
それでも80年代の後半、屋外での作品制作のお話を頂くことがあって、

公共空間での仕事にも着手するようになりました。


ここでは、工業化によって各素材、技術ごとに専門分化してしまった

日本の物づくりへの意識がありました。
それをもう一度総合的に関わらせることを、

新たな『クラフトマンシップの復権』のテーマと捉えて取組むようになりました。


作品を成立させる素材、技術を、

扱いやすい金属(鉄)でだけ考えませんでした。
ステンレス、アルミニウム、チタンといった新たな金属、

石や膜素材(ヨットのセイル)、カーボンなどに取組むようになりました。

異分野の素材、技術の境界線を開拓することをテーマに制作を続けました。


更に、その後、観客との関係で作品を単に外側から鑑賞するだけではなく、

作品の内部に観客が入り込むようなものの制作にも向かうようになりました。
観客の自然な振る舞いが起こす風が、

作品のエネルギー源になるようなもの、

言わば環境の装置のような方向にも展開しました。



日下
高田さんが「風で運動する彫刻」を制作し始めたきっかけについて

お聴かせいただけますでしょうか。



高田洋一さん
前回の杉本晋一さんは70年代コンセプチュアルアートの洗礼を受けた

というお話をしていらっしゃいましたね。
私も同い年なのでそうだと言えます。

そして私の場合は特に『もの派』の影響を強く受けました。
 
「彫刻」というのは日下さんも書いていらっしゃいましたが、

一般的には素材を削ったり、粘土を盛り上げて人体を写し取るもの。
或は人の心の中にあるもの「思い」を可視化する行為であると言えますね。


僕は若い時にもの派と出会って影響を受けて、

何に魅力を感じていたかというと

彫刻とはカタチを作る行為では無いという事です。

結果として、カタチを生み出すことではありながら

『物』の性質、正体、或は人間が抱いている物質のイメージを明らかにする、

覆すとところでした。

例えば、石というものには、その性質とか、

石が生まれてくる背景、地球全体が持っている秩序、

メカニズムの産物という側面がありますね。


そういった「秩序」への視点、意識をカタチにする作業に

魅力を感じるようになったんですね。
勿論、作家としては高田洋一という作家の造形力、

借り物ではない視点というものが、最終的には重要です。
しかしながら、モノにカタチを与える、

カタチを掘り起こす手続きに対する

全く違う価値観にであったことは大きかったと思います。


我々の環境、世界への意識が強くなりました。
例えば「風が吹く」という現象。
その当たり前の出来事も、地球のメカニズムとして考えてみると

なかなか一筋縄ではないことが解ってきます。

太陽に照らされて空気が温まって、

赤道付近で空気が温まったものが上昇し、

涼しい方に流れていく。するとそこに風が起こる。

更にそこに地球が自転しているものだから、

急に空気の流れに捩れる力が加わって、

地球を覆って、地上に複雑な天候や気候を生み出してゆく。

地球の中心には、見たことはないけれどもマグマというものがあって、

絶対動かないと思われる大地ですら、

簡単にいえば鍋の中のスープみたいに対流している。
そういった大きな秩序の連続性の中に、

目の前の石もあるし、一枚の紙もあるし、

そういう秩序のつながりの中に、私個人もあるわけですよね。


/石は手で叩いたって割れないけど、

ハンマーで叩けば表面が傷がつき、

そしてノミで叩けば彫れて、

ある特定のところを叩けばアッサリと割れたりもする。
よく石にも目があると言いますよね。

そういうモノが持っている『性質』そのものが語りかけることに

関心が向かったんですね。
ひとつの石ころからでも、一枚の紙からでも

大いなる地球の秩序を想像させる道が繋がっている。
そういう意識が私の中に生まれたわけです。


 ◆


 僕たちが、当然の常識と思っていることを、

いま一度作家の目で掬いあげ直して提示すること。
ただそれだけで、世界の見え方が変わるというんでしょうか。

そういうものの性質について考えるということが、

とっても魅力的なアプローチだと思ったんです。


それは芸術家が作家のエゴイズムで物質にカタチを与える

という行為とは全く異なることと感じました。
むしろ、作家意識を横に置いて、

虚心坦懐に自然秩序の観察をしようとすることから

浮かびあがることを作品化するという態度です。
やはり、少し科学に近いとも言えるでしょうか。 


ひとつの例で言うなら、油絵のキャンバス上では、

重力の無い風景、あるいは重力が複数に存在するの絵を想像することが出来るわけです。
そういうものは描こうとしたら画けるわけですよね。
だから杉本晋一氏の絵は上下逆さにしても成り立ってしまう。
絵画的には、我々の世界に対するイメージを逆手に取ることで、

アタマの中で裏切られる意識の問題を

問いただすことが可能になるわけです。


私は、現実の物質界の中に働く物理法則に正対することで

、自分達が当然と思い描いている『現実』への『問い』を

作り出したいと考えているんですね。 


日下さんや、僕が携わっている『彫刻』という仕事は、

石をアタマで考えた形に加工しようとしても

なかなか言うことを聞いてくれないです。

今は、さまざまな工具や機械が普及したので、

石に向かい合う困難さをあまり感じることなく加工が出来る時代になりました。
でも、石は工業製品じゃないから、均質じゃないし、

ある瞬間バカっと割れてしまったりする。

石にカタチを与えることではなくて、

その石の性質、構造が際だってくる在りよう、

佇まいと言うものがあるのではないか。
そういう意識でカタチを考えるという姿勢が自分にはあります。

素朴に目の前の石の外観ひとつを取ってみても、

じ形の意識は二つとありませんね。
日下さんも使っていらっしゃる『伊達冠石』などは、

特にそういう石の素性が強く表れた石ですよね。





アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館





鳥に憧れて
1992
Terry’s House ロサンゼルス
H/2750(㎜)
アルミニウム、ステンレス、鉛、伊達冠石



アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館

石に咲く花
1992
アライブ美竹ビル 渋谷区
H/5700(㎜)
アルミニウム、ステンレス、鉛、伊達冠石




日下
伊達冠石は高田さんも何点かの作品で、

金属の造形と組み合せて使っていらっしゃいますよね。



高田洋一さん
はい、宮城県の山田石販でお世話になって使わせて頂いてます。
現実の作品制作では、出会った石の大きさや、そのカタチから、

作ることが可能な作品が限定されますね。
勿論、長さ10mの石は普通存在しないし、

そういう石を運ぶ技術もない、更に道路交通法の制限で運搬も難しい。
石を置く場所の地耐力も考慮されないといけない・・・。
現実の空間に作品を成立させることは、

さまざまに絡む困難さとの闘いでもありますね。


だから彫刻は本質的にリアリズムですよね。

出来ないことは出来ないですね。
出来ることの中で、僕らが思っている常識を

どう逸脱出来るかということをやる仕事だと思いますね。


話が少々脱線したので、

どうして動く作品を作るようになったのかというお話に戻しましょう。
 

僕は大学進学を考えるずっと以前の子供時代、

模型飛行機が大変好きで、紙飛行機をはじめ、

小型のエンジンがついている飛行機をバカみたいに作っていました。
小学生の頃、折り紙の飛行機をたくさん作って、

お正月に自分の小学校の運動場

で一人で飛行機の飛ばし初めをするような子供でした(笑)。

飛行機好きが高じて、玄関先にもたくさん飾ってあったので、

近所の人が模型屋さんと間違って買いに来るくらいでしたよ。


高校生になって、いよいよ大学進学を考える時期になりました。
それまでの子供時代の自分の存在や発言が、

学校や両親、世間との間で小競り合いを繰り返していたことに

鬱屈した思いがあったんです。
そういう状況へから開放されたいという思いが強くなっていたんです。


実に幼くて未熟な話でお恥ずかしい限りですが、

そういった『開放への衝動』のようなものがあったのでしょうね。
就職のために大学進学するような常識的な考え方がイヤで、

最も就職から遠い大学に行こうと思って芸術大学に進むことを選択しました。


最初は漠然と絵を描くつもりでいました。
いざ大学入学後、自宅でキャンバスに向かって絵を描こうとした時に、

何も描くものが無いことに気がつきました。
授業で課題が出されれば描けるのですが、

自分の内面に絵を描く動機が無いということに初めて気がついたんです。
困りましたね、情けない話ですが・・・。


そんな時、受験の研究所時代に

立体構成が好きだったことを思い出しました。
立体で作品を作ることが突破口にならないかと思って、

改めて資料漁りで図書館通いを始めました。
作家の資料を調べるなかでアレキサンダー・カルダ―に出会いました。


カルダーはモビールの創始者で1930年代ごろから

モビールの制作を始めて、70年代に掛けて世界的に活躍した作家です。
他にも優れた立体の作家や作例は勿論あるのですが、

バランスを取って、風で運動する作品に出合ってしまったんですね。
『そうか、こういうことをしてもいいんだ』ということに気づかされたわけです。
そして、その影響でモビールの真似事を始めました。


先にもお話したとおり、子供の頃から飛行機好きだった頃の血が、

モビール作りの精神と重なるところがあったのでしょうね。
模型飛行機でも、飛ぶ摂理にかなっていないと飛ばないわけです。

そこには、ささやかに空力に基づく理屈もありますし、

揚力に対する感覚、重心や軽量化の意識、

そのための材料の選択などの配慮が必要です。
そういう意味で、モビール作りに必要な基礎知識や精神が

準備されていたのかもしれませんね。
 
極端なことを言えば、例えば自動車なら、

とりあえずタイヤが四つあれば走りますが、

飛行機はそうはいかない。
飛行機は、厳密に飛ぶ理に適っていなければ飛ぶことは出来ません。

人間が自然に対して謙虚に学ぶ姿勢から、

飛ぶカタチを得ることが出来るものです。
飛行機を設計する際、人間のエゴイズムは通用しません。
飛ぶ摂理にかなったカタチに従ってくことで

飛行機の姿は決定されていくんですよね。


その精神が自分の中にあったことも、

モビールに惹かれた理由でしょうか。
そう言えば、カルダー自身もバックグラウンドには

エンジニアとしての勉強をしていた時代があることも、合点の行く話ですよね。


これで『なぜ、動く彫刻を作るようになったのか?』

というご質問へのお答になっているでしょうか。

ところで、日下さんは彫刻科のご出身ですか。



日下
私の行った学校は東北生活文化大学という私立の学校で、

生活美術学科の出身です。

この学校の創始者の人は、ドイツのバウハウスにならって

いろんな素材に触れられる学校にしたようです。



高田洋一さん
なるほど。必ずしも純粋に彫刻家としての背景をお持ちではないのですね。

私もそういう意味では、本来の彫刻とは違う背景で彫刻(立体)に入った人間です。


私は、大学では美術学科に入りましたが、

所謂絵画とか彫刻に分かれるのは2年生からでした。
それまではどこに分かれるか解らない状態で基礎トレーニングを受けます。


私がそういった基礎演習に臨むとき、

気が付けば自分の手掛かり、根拠としている技術、経験が、

概ね子供の時に身につけた『模型飛行機』制作から得たものだったんです。
 
材料に対する知識や加工技術、重心に対する意識など、

他の学生とは異なった経験のもので、

そういう意味では特異なところから授業に参加することができた

と言えるかもしれません。


ただ、そうやって授業の課題作り、作品作りを

自分の方へ引き寄せて考える手掛かりを見つけることができたのは幸いでしたが、

まだまだモノの見方は未熟だったんですね。

「風で動く作品を作ろう!」と、勇んで立体を作って、

それの重心を探し、バランスをとって動く作品を作ろうとしましたが、

なかなかうまく行かない。

カタチは作れるのですが、

実際の風で、思うように滑らかに動くものにならない。
動くための重心探しは、飛行機を作るのと同じような理屈なので、

当然自分には出来るはずと思っていました。
それはどこかアタマで考えたものでしかなかったのですね。


端的に言えば『重心』だけではなくて、

加わるエネルギーの大きさと、

ジョイント部の抵抗値との関係も考慮しなければ、

運動を制御することは出来ないという事です。


つまりそこには、真面目な自然観察が伴っていなかったんです。
本当に風で動く作品を成立させるための姿勢が出来ていなかったんです。

大学の一、二年生の頃は、そんな作品を作っていました。

ところで日下さんは、日本人の作家で、新宮晋さんという作家さんご存知ですか?



日下
はい、宮城県美術館に新宮さんの作品があります。

また私のいる仙台市は彫刻のあるまちづくりをしていて、

七北田公園という所にも、もう一つあります。

 

高田洋一さん
そうですね、多分日本中いたるところに作品があると思います。

新宮さんは1937年生まれなので僕よりさらに20歳上の世代です。
新宮さんはローマに留学されていて、

1970年に大阪の万博で風の彫刻を発表されました。
新宮さんの仕事は、当時の日本のコンセプチュアルな作品群とは全く性質が違っていて、

一言でいうと明るくて楽しいんです。


カラフルですし、アクロバティックによく動きますし。

それで一躍人気の作家になりました。

それまで僕らが見ていた作品とは全く違うものでした。

僕も美術雑誌で新宮さんの仕事を知って、非常に影響を受けました。

改めて風で動く彫刻を原理的な面から捉える姿勢を持つようになりました。
そういう「運動の原理」を意識して形を考えることを、

ようやく大学の後半ぐらいから始めることが出来ました。


風で動く彫刻に取り組む面白さというのは、

作家の内側にある『思い』『テーマ』を造形するのではないところです。
自分の作りたいものを作るのではなくて、

その場所に流れている風のかたちを

リアリズムとして可視化する装置を作るという発想です。


『私はこういうふうに動く作品を作りたい』と言ったところで、

そういう作品は絶対に出来ないわけですよ。
例えばそこが非常に風が強い場所なら最大風速は何メ―トルだから、

それに耐える形状を前提に考え無ければ成立しない。
逆に風が障害物によって大変弱い場所の場合、

そこに流れる風の力で、充分に動く形状、仕組みを考える。
雪がたくさん降る所なら、雪が積もらないフォルムで作るなどですね。
それは言わば、プロダクトデザインに近いような発想で、

自然というものに対して向かい合うという態度です。


僕は事前に日下さんにお送りした取材メモの中で

『設計条件』という言葉を何度か書いたと思います。
大切なキーワードは『設計条件』の分析と

その条件に対する技術的、造形的克服です。

自然の与えてくれる基本条件には『重力』があります。
作品を置く場所の地面の地耐力はどの程度なのか。
あるいは、そこは大地ではなく、時に建築の屋上だったり、

ペデストリアンデッキだったりする。
そういうところに置く時の重量制限制限を配慮する必要がある。

風に対する強度という点でも、海沿いに設置する時の風の強さと、

ビルの谷間に置く時は全く条件が異なりますね。
ビルの谷間では、風が意外に吹かないとか、

突然ビルの上から吹き下ろしてくる風があるなど、極めて不規則です。
僕らがいわゆる自然だと思っているものと、

都市環境の中にある条件も含め非常に複雑なわけです。


そういうものを作家として全部受け容れて作品を作る。
結果として、当たり前のようにそこに作品がある風景をつくるということです。
それは自分が作品を作っているというよりは、

その場所に成立し得るある種の『装置』を作るという性質を持っています。

『動く彫刻』というのは、特に『風で動く彫刻』という分野は、

そういうものなのですね。
自然エネルギーと関わるアートというものが、

飛行機少年としての自分のものの考えかた、見方、姿勢とフィットしたんですね。


 ◆
 
事前に日下さんの作品資料を拝見しました。
日下さんのように、自分の思いを石に込めて彫っているお仕事を見ると、

失礼な物言いですが、自分と異なるものを強く感じます。
作品を成立させる姿勢が、微妙に違うアプローチだなと感じます。
良し悪しの議論で無いことも十分承知していますが、やはり戸惑も感じます。


どうしてその石にそのカタチを与えるという判断をしたのか、

そういう手続きの違いを感じます。
形態が生まれてくる背景に、

何か文学的な思いがあるのか・・・そこはまだ分からないところです。
 
実は僕の制作態度の中には、文学性というのもは全くないんですよね。
結果として、作品が作る運動の様子、状態、経過する時間を体験した観客の方々が、

自然の風景を連想して下さることはあります。
そういう見る側の想像、連想から連動して良い感情をもって下さっている

ということが有ることは、それはとても喜ばしいことです。
 
でも僕自身、作品を作る過程に於いては、

自然を描写しようというような、文学的な思いは一切ないんです。
単純にどうやったら合理的に形が作れるかとか、

軽くするにはどうしようとか。
弱い風で動くシステムはどう作るか。

強い風で壊れない形状はどうするか。
なるべく簡素で、安価で、軽量な材料で作るにはどうしようとか、

そういうことしか考えないんです。
紙や竹、石であってもそうですが、

その素材が、その素材らしい性質を表す状態にするには、

どう扱えばケレンミが出ないか。
そういうことだけを考えているんですよね。


僕は大変おしゃべりな人間ですが、

饒舌さゆえに作品には、語る言葉を制御させたいという意識は強いかもしれません。


やれやれ、私は話が長いですね・・・(笑)


改めて、風の力で運動する彫刻の分野の先達には、

新宮さんや、カルダ―やジョージ・リッキ―という先人がいらっしゃるわけです。
彼ら代表的な作家を学生時代に知って、

彼らにある種共通した姿勢を発見しました。
彼らが作家の内面にあるものを表現しようとする

文学的な作家ではないことに、私は共感したんですね。

私は自然のエネルギーの力を可視化するための装置をつくるというモノ作りの在り方に

自分の居場所を見つけて研究を始めたのですね。
それが今日まで、自分がこういう仕事を続けてくることができた精神かもしれませんね。」



日下
私と高田洋一さんの作品の傾向は全く違いますが、

今のお話はとても共感するというか、

感じるところがありました。ありがとうございました。



*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*・・*



高田洋一さんには、前回登場の杉本晋一さんリレーでご登場頂きました、


今回、初めて高田洋一さんの制作への思いをお聴かせ頂きました。


高田洋一さんは、模型飛行機少年という背景をお持ちで、

自然や設計条件というものに真摯に向き合い制作をされています。

作り手個人と、素材やものに対する向き合い方、

作り手として美術が社会に対して担う役割ということを

幅広い視点から、問題意識をもって自問されています。

また、物づくりの環境、見る側の状況も含め、

より良い方向に向かうための具体的な実践もしていらっしゃる、

素晴らしい作家さんだと感じました。


皆さんもぜひ高田洋一さんの作品をご覧になってみてはいかがでしょうか。 

今日もここまでお読み下さってありがとうございました。
 
次回は、高田洋一さんの「作品制作と素材」への思いについてのインタビューをお届します。

どうぞお楽

しみに。


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■高田洋一さんの展覧会の予定です。

 展覧会名:「白い一日」でいちごいちえ(仮称)
 期  間:2012年8月20日~12月24日(未定)(芸術祭は7月14日から)
 「水と土の芸術祭2012」⇒http://www.mizu-tsuchi.jp/


◆高田洋一さんのブログ ⇒http://winglab.blog.fc2.com/


◆高田洋一さんのYou Tube チャンネル ⇒ http://www.youtube.com/user/pengin1956?feature=mhsn#p/u


◆紙の話 紙とアーティスト ⇒ http://www.newcolor.jp/column/library5/0901a.html


◆水琴屈について ⇒ http://www2.tokai.or.jp/hikaru/index01.html


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