昔、道頓堀の南には堀に沿って


芝居茶屋が立ち並び、通りをはさんで


大小の芝居小屋が幾つも立ち並んでいました芝居


それらを代表するのが「道頓堀五座」と呼ばれる


5軒の劇場です歌舞伎2


江戸末期には既に「五座」の呼び名が


定着していたようですが、


明治、大正を経て劇場の入れ替えもありましたリサイクル



劇場の表の通りは、ひっきりなしに人が歩いていました着物


下駄の音が年中、やかましいぐらいに


聞こえていたといわれています下駄


本当に賑やかで、華やかで、


風情があったのでしょうね橋


できた頃の道頓堀は大阪の、いわば町外れ落葉・道


中心から外れていたからこそ、


庶民には親しみやすかったのではないかと思いますサムライ


江戸の浅草も同じです雷門


芸能というのは本来、


そういうところで発展するものかもしれませんアゲ




歌舞伎や人形浄瑠璃は、


江戸時代に庶民の中から生まれたものです人


また、町外れだからこそ


盛り上げなければという気概も


あったのではないでしょうかがんばる


芝居小屋が官許された時に、


やはりじっとしていては人は来ません来ない


皆で、できるだけ賑やかな町にしようじゃないかと


いうことになったのでしょうキラキラ


道頓堀の周辺の町も、芝居とともに発展しました↑



伝統芸能に代表される古くから続く文化は、


それぞれの地域にとっても非常に大事です歌舞伎・隈取り


土地に対する愛着にも結び付きますハッピー



上方に残る芸能や文化に大勢の方が親しみ、


支えるような動きが出てくると、


さらに奥行きのある活気と賑わいが、


道頓堀に生まれるかもしれませんたいしくん





ペタしてね    読者登録してね