こんにちは!開運言魂アーティスト☆紫水です。
毎年、新暦の歳が明けてから立春までは、
個人的に行なっている古神道の神事や神社仏閣参拝で、
慌ただしい毎日が続きますが、いよいよクライマックスの
節分と立春がやって参ります。。。
週末の2/3は節分ですね。そして翌日は立春です。
先日旧暦の新年も迎えたので、
いよいよ本当に新たな歳のエネルギーへと切り替わりますね☆
いつもご案内してる内容と重なる部分もあるかと想いますが、
今回は節分に付いてお話しさせて頂きますね。
「節分」といえば立春前の日という認識が強いですが、
本来は「せち分かれ」とも言って、
季節の変わり目の立春・立夏・立秋・立冬の
前日を指す言葉なのだそうです。
現在では立春の前日を「節分」と言って、
豆をまいて悪疫退散や招福の行事が行われていますね。
季節の変わり目の(節分)には
邪氣(鬼)が生じやすいといわれていますから、
今年も忘れずに是非豆まきをしましょうね。
できれば、
神社仏閣で浄められたお豆を頂くと宜しいかと思いますよ☆
こちらは、いつもご紹介しております、
浅草寺さまの福豆です。
節分の行事は中国から伝わった、
平安の悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う
『追儺(ついな)』の儀式が元になってるそうです。
なぜ豆をまくと言えば、故事伝説からきて
色々な解釈があるようですが、
豆は穀物の種で生命力と魔除けの呪力が備わっていると
考えられていたので、
それを、鬼に投げつけて鬼を滅する「魔滅(まめ)」に通じる
という意味合いからきてるそうです。
また、
鬼は"陰〔おに〕"と言われ、
姿の見えない災いなどを総合的に指す言葉だったのだそうです。
また、なぜ煎った豆なのかというと
豆は上記のような良い意味もあるのですが、
厄災を負って払い捨てた豆は「魔目(まめ)」とも重なり
生の豆だと、「魔目」から目が出ては良くないので、
煎った豆を使うようですよ。
また、和菓子の甘春堂様によりますと、
”「炒る」は「射る」にも通じ、また、
鬼や大豆は陰陽五行説(「木」「火」「土」「金」「水」の五行)の
「金」にあたり、
この「金」の作用を滅するといわれる「火」で
大豆を炒ることで、鬼を封じ込めるという意味がある。
そして最後は、豆を人間が食べてしまうことにより、
鬼を退治した、ということになる。”
とのことで、
なるほど!ですね。
豆まきで邪氣や目に見えない災いを追い払い、
一年の無病息災を願う、
という意味合いがあるのですね。
ただ”鬼”は本来”神の使い”だから
『福は内、鬼も内』という地方があったり、
また、鬼門とは本当は貴門で
世の中が乱れていた方が都合の良い邪神たちが、
正神たちを鬼門に封じ込め、
芽が出て来ないように炒り豆を投げつけることで
封じ込める意味がある、、、
などなど、色々な説があります。
なので、毎年申し上げておりますように、
私は、鬼は外はやめて、
『ありがとうございます!福は外!福は内!』
と
『内にも外にも福が一杯!』
闇も本質は光で愛だから、
常に愛で包まれている!
という感謝と願いを込めて、
豆を撒くようにしています。
お豆も鬼にぶつけるというのではなく、
豆のもつ浄化と生命力のパワーを
空間に巡らす為に撒き、
そのパワーを歳の數だけ頂く
と思っております。
毎年この話をお聞き下さった方が、
同じように”福は外!福は内!”にされたという、
ご報告を、頂き嬉しく思います。
もともとこの世にはいいも悪いもないといいますので、
良い神様、悪い神様(鬼)などもなくて、
後から人間の価値観で色々エピソードが
加わったのではないかと思います。
なので、いつも申し上げますように、
よく言われる様な、
あの神様とこの神様が仲が悪い、、、とかも、
人間の価値観が生み出した解釈で、
本来そんな事はないのではないかと想っております。
いつも申しているようですが、
そういった良い悪いとかの分離の意識や2極の思想が、
争いを生み出していってしまうのではないかとも思います。
先に申しましたように、
本来はどこもかしこも福(愛)で一杯なのに、
自分の意識がそれを狭めていないか自問自答し、
自分が活かされている事、
そして、全ての存在に感謝して、
『ありがとうございます!福は外!福は内!』
と、今年もお豆をまかせて頂こうとおもいます。
外も内も福なのに邪氣を祓うってどういうことか?と
昨年記事にさせて頂いておりますので、
宜しければ、下記記事をご参考になさって下さいましね☆
☆【開運☆節分】季節の変わり目に邪氣を祓って生まれ変わって開運しましょう
☆【開運メソッド】”邪氣”を祓うの”邪氣”とは?