【閑話休題 その4】
ねずさんの ひとりごとより
「涙の数だけ大きくなれる!」木下晴弘著:フォレスト出版

ひとつのお話をご紹介します。

とても感動的なお話です・・・

【あるレジ打ちの女性】

その女性は、何をしても続かない人でした。

田舎から東京の大学に来て、部活やサークルに入るのは良いのですが、すぐイヤになって、次々と所属を変えていくような人だったのです。

そんな彼女にも、やがて就職の時期がきました。

最初、彼女はメーカー系の企業に就職します。

ところが、仕事が続きません・・・

勤め始めて三ヶ月もしないうちに上司と衝突し、あっという間に辞めてしまいました。

次に選んだ就職先は、物流の会社です。

しかし、入ってみて自分が予想していた仕事とは違う!という理由で、やはり半年ほどで辞めてしまいました。

次に入った会社は、医療事務の仕事でした。

しかしそれも、

「やはりこの仕事じゃない・・・」

と言って、辞めてしまいました。

そうしたことを繰り返しているうち、いつしか彼女の履歴書には、入社と退社の経歴がズラッと並ぶようになっていました。

すると、そういう内容の履歴書では、正社員に雇ってくれる会社が無くなってきます。

ついに彼女は、どこへ行っても正社員として採用してもらえなくなりました。

だからといって生活のためには、働かないわけにはいきません。

田舎の両親は、早く帰って来いと言ってくれます。

しかし、負け犬のようで帰りたくはありません。

結局、彼女は派遣会社に登録しました。

ところが、派遣も勤まりません。

すぐに派遣先の社員とトラブルを起こし、イヤなことがあればその仕事を辞めてしまうのです。

彼女の履歴書には、辞めた派遣先のリストが長々と追加されていきました。

ある日のことです。

例によって「自分には合わない・・・」などと言って、派遣先を辞めてしまった彼女に、新しい仕事先の紹介が届きました。

スーパーで、レジを打つ仕事でした。

当時のレジスターは、今のように読み取りセンサーに商品をかざせば値段が入力できるレジスターではありません。

値段をいちいちキーボードに打ち込まなくてはならず、多少はタイピングの訓練を必要とする仕事でした。

ところが、勤めて一週間もするうち、彼女はレジ打ちに飽きてきました。

ある程度仕事に慣れてきて、

「私はこんな単純作業のためにいるのではない・・・」

と考え始めたのです。

とはいえ、今までさんざん転職を繰り返し、我慢の続かない自分が、彼女自身も嫌いになっていました。

もっと頑張らなければ、もっと耐えなければダメということは、本人にも分かっていたのです。

しかし、どう頑張ってもなぜか続きません。

この時、彼女はとりあえず辞表だけ作ってみたものの、決心をつけかねていました。

するとそこへ、お母さんから電話がかかってきました。

「帰っておいでよ・・・」

受話器の向こうから、お母さんのやさしい声が聞こえてきました。

これで迷いが吹っ切れました。

彼女はアパートを引き払ったら、その足で辞表を出し、田舎に戻るつもりで部屋を片付け始めたのです。

長い東京生活で、荷物の量はかなりのものです。

あれこれ段ボールに詰めていると、机の引き出しの奥から一冊のノートが出てきました。

小さい頃に書き綴った、大切な日記でした。

なくなって、探していたものでした。

パラパラとめくっているうち彼女は、

「私はピアニストになりたい!」

と書かれているページを発見したのです。

そう、彼女の高校時代の夢です。

「そうだ、あの頃の私はピアニストになりたくて、練習をがんばっていたんだ・・・」

彼女は思い出しました。

なぜかピアノの稽古だけは、長く続いていたのです。

しかし、いつの間にかピアニストになる夢はあきらめていました。

彼女は、心から夢を追いかけていた自分を思い出し、日記を見つめたまま、本当に情けなくなりました。

「あんなに希望に燃えていた自分が、今はどうだろうか?

履歴書には、辞めてきた会社がいくつも並ぶだけ。

自分が悪いのはわかっているけど、なんて情けないんだろう。

そして私は、また今の仕事から逃げようとしている・・・」


そして彼女は日記を閉じ、泣きながらお母さんにこう電話したのです。

「お母さん、私もう少しここで頑張る!」

彼女は用意していた辞表を破り、翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために、スーパーへ出勤して行きました。

ところが、

「二~三日でいいから・・・」

とがんばっていた彼女に、ふとある考えが浮かびます。

「私は昔、ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど、繰り返し弾いているうちに、どのキーがどこにあるかを指が覚えていた。

そうなったら、鍵盤を見ずに楽譜を見るだけで弾けるようになった」


彼女は昔を思い出し、心に決めたのです。

「そうだ、私は私流にレジ打ちを極めてみよう!」

レジは、商品毎に打つボタンがたくさんあります。

彼女はまず、それらの配置をすべて頭に叩込むことにしました。

覚え込んだら、あとは打つ練習です。

彼女はピアノを弾くような気持ちで、レジを打ち始めました。

そして数日のうちに、ものすごいスピードでレジが打てるようになったのです。

すると不思議なことに、これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、今まで見もしなかったところへ目が行くようになりました。

最初に目に映ったのは、お客さんの様子でした。

「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな・・・」

「ちょうどこの時間になったら、子ども連れで来るんだ・・・」


とか、いろいろなことが見えるようになったのです。

それは彼女のひそかな楽しみにもなりました。

相変わらず指は、ピアニストのようにボタンの上を飛び交います。

そうして、いろいろなお客さんを見ているうちに、今度はお客さんの行動パターンや癖に気づいてきたのです。

「この人は、安売りのものを中心に買う・・・」

とか、

「この人は、いつも店が閉まる間際に来る・・・」

とか、

「この人は、高いものしか買わない・・・」

とかがわかるのです。

そんなある日、いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが、5000円もする尾頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジへ持ってきました。

彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。

「今日は何か良いことがあったんですか?」

おばあちゃんは、彼女ににっこりと顔を向けて言いました。

「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。

今日はそのお祝いなんだよ。

いいだろう、このタイ!」


と話すのです。

「いいですね、おめでとうございます!」

嬉しくなった彼女の口から、自然に祝福の言葉が飛び出しました。

お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは、これがきっかけでした。

いつしか彼女は、レジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。

「〇〇さん、今日はこのチョコレートですか?

でも今日は、あちらにもっと安いチョコレートが出てますよ!」

「今日はマグロより、カツオのほうがいいわよ!」


などと言ってあげるようになったのです。

レジに並んでいたお客さんも応えます。

「いいこと言ってくれたわ・・・今から換えてくるわ!」

そう言って、コミュニケーションをとり始めたのです。

彼女は、だんだんこの仕事が楽しくなってきました。

そんなある日のことでした。

「今日はすごく忙しい・・・」

と思いながら、彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。

すると、店内放送が響きました。

「本日は大変混み合いまして、大変申し訳ございません。

どうぞ空いているレジにお回りください!」


ところが、わずかな間をおいて、また放送が入ります。

「本日は混み合いまして、大変申し訳ありません。

重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジのほうへお回りください!」


そして三回目・・・

同じ放送が聞こえてきた時に、初めて彼女はおかしいと気づき、周りを見渡して驚きました。

どうしたことか、五つのレジが全部空いているのに、お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。

店長が、慌てて駆け寄ってきます。

そしてお客さんに、

「どうぞ空いている、あちらのレジへお回りください!」

と言った、その時です・・・

お客さんは、店長に言いました。

「放っておいてちょうだい!

私はここへ、買い物に来てるんじゃない。

あの人としゃべりに来てるんだ。

だから、このレジじゃないとイヤなんだ!」


その瞬間、レジ打ちの女性はワッと泣き崩れました。

お客さんが、店長に言いました。

「そうそう!私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだ。

今日の特売は、ほかのスーパーでもやってるよ。

だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。

だから、このレジに並ばせておくれよ!」


彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。

仕事というのは、これほど素晴らしいものなのだと初めて気付きました。

すでに彼女は、昔の自分ではなくなっていたのです。

それから彼女は、レジの主任になって新人教育に携わりました。

彼女から教えられたスタッフは、仕事の素晴らしさを感じながら、お客さんと楽しく会話していることでしょう。

木下晴弘「涙の数だけ大きくなれる!」フォレスト出版より

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このお話は、Facebookで拾ったお話です。

http://1minute.raindrop.jp/?p=5100

素晴らしいお話ですね。

西欧においては、仕事というのは、に与えられた罰なのだそうです。

エデンを追放された際、は男性には労働の苦しみを、女性には出産の苦しみをお与えたもうた。

けれど日本では、働くことは「傍」「楽」にすること。

「傍楽」ことだと教えられます。

昨今では、仕事をすること=いい給料をもらって稼ぐこと、経済的価値が仕事の価値と教わるけれど、そうじゃなくて、より良い仕事をすることそのものに価値を見いだし、それを人の道としてきたのが、神代の昔からの日本社会の伝統です。

だから、銭金の問題じゃない。

いい仕事をすることが、大切なことなのだと教えられた。

そしてそうした傍楽人々を、社会全体で守っていこうとした。

戦後の日本社会は、なんでもかんでも銭金でコトを図ろうとする傾向があるけれど、それこそが幼稚な発想だと、あえて決めつけさせていただきたいと思います。

いまいるその場所で、勝利する。

いまいるその場所で、自分を成長させる。

まわりのみんなの役に立つ。


もちろん、お金は大切です。

けれどお金以上に大切なものが、この世にはあるのだということを、あらためて思います。

このブログでご紹介している先人たちは、誰もが銭金じゃなく、人として、人の道を追求された方々です。

そういう先人たちに倣っていきたいと思います。

ねずさんの ひとりごとより

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【閑話休題 その3】
(株)トータルヘルスデザイン
元気な暮らし2011年11月号
バンクシアの響き 第26回より

<<トルコ航空による日本人の救出>>

1985年、イラン・イラク戦争が激しさを増す中、

「イラン上空を航行する航空機はすべて、攻撃の対象となる」

というイラク政府のメッセージが全世界に発信されました・・・

イランに滞在していた日本人は、あと48時間以内に脱出しなければ、どうしようもない危機にさらされることになったのです。

当時イランにいた日本人は約300人だったそうです。

イランを脱出しようとする人は日本人だけではありません。

各国の航空会社は、ぎりぎりの極限状態のなかで、まず自国民を乗せて本国へ向けて出発することになります。

当時日本の航空会社はイランへの定期便はなく、ぎりぎりの交渉が重ねられたのですが、日本の航空機がイランに向けて飛び立つことはできず、イランにいる日本人は絶体絶命の危機に立たされたのでした。

そんな時奇跡とも言える出来事が起こりました。

イランの首都テヘランの空港に2機のトルコ航空機が降りてきたのです。

この2機の航空機に日本人全員が乗り込み、タイムリミットぎりぎりの緊張状態のなかで、航空機はトルコに向けてイランを飛び立ち、日本人全員の命が救われたのでした。

どうしてトルコの航空機が・・・・・?

何故日本人を乗せて・・・・・?

びっくりですね。

当時イランには6000人のトルコ人がいて、救助されるのを待っていたはずなのに、何故日本人が優先的に救助されることになったのでしょうか?

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<<エルトゥールル号の沈没をめぐって>>

1890年(明治23年)9月16日、和歌山県串本町大島の沖合で、トルコの軍艦『エルトゥールル号』が台風のため座礁し、沈没するという事件がありました。

このとき、50戸、400人の大島村の人々が総出で救助にあたりました。

656人いたと伝えられる乗組員がどんどん死んでいくなか、助かった人々も寒さのため体が冷えて、生きる力もなえてきました。

村人たちは、裸になって乗組員たちに自らの体温を伝え、生きる力を与えたのでした。

そして69人の人が生き残ったと伝えられています。

400人しかいない村で、69人もの人々の食糧を提供するのは、実に大変なことでした。

交通手段も情報網も現代社会とは比べ物にならないくらい、何にもない“ないないづくし”の明治時代のことです。

ましてやこの村の人々は、漁に出て魚をとり、それを隣の町で米に変えて生活するという貧しい生活を送っていました。

そのようなわけで食糧はすぐに底をついたのですが、村の人たちは、非常時のために飼っていた鶏を料理することで命をつないだと伝えられています。

エルトゥールル号は、明治天皇に謁見することを目的として、オスマントルコ皇帝が派遣したもので、トルコに帰国する途中で遭難したのです。

遭難の報はすぐに明治天皇に伝わり、直ちに医者と看護婦が派遣されました。

そして生存者は軍艦「比叡」「金剛」で丁重にトルコに送り届けられました。

あわせて日本全国から義援金が集められ、遭難者のご家族に送り届けられたと伝えられています。

この遭難事件はトルコの小学校の教科書に載り、授業で教えられているのだそうです。

串本町の人々の献身的な救助活動、日本国民の温かい義援行動、明治天皇と日本政府の的確な配慮が多くのトルコ人の胸に刻み込まれ、120年経った今もその気持ちが消えていないことを物語っているのだと思います。

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<<世のため人のために生きる>>

「あと数時間でイラクの無差別攻撃が始まる」

という土壇場で、待機していた日本人が絶望感に打ちひしがれたその時、2機のトルコ航空機がやってきて日本人全員を救出してくれたのです。

このような非常事態のさなかに、救援機を飛ばすというのは命がけのことで、通常ならばありえないことではないでしょうか?

しかしトルコ航空で開かれた会議で、機長はじめスタッフが志願して乗り込んでくれたと伝えられています。

イランで救出されるのを待っていた6000人のトルコ人は、陸路を何日もかけて歩いて脱出したと伝えられています。

日本人を優先的に救出することに対して、何の非難もなかったというのです。

トルコは世界一の親日国といわれています。

串本町の人々が命がけでトルコの乗組員を救助したことに対する恩義が120年経った今でも心の中に残っているのです。

さらに最近明らかになったことがあります。

このとき、遭難者の治療にあたった3人の医師たちに、トルコ政府から「治療費を支払いたい」という申し出がありました。

これに対し、医師は

「自分たちは負傷者を助けたいというただそれだけの気持ちで行ったことなので、治療費を請求する気持ちはありません。

そのお金は遭難者の義援金として使ってください」


と回答したということです。

このエルトゥールル号事件で日本人の本質が見えてきたのではないでしょうか?

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<<日本人のアイデンティティ>>

日本人の本質「大和の心」は、ある日突然、偶然に表面化したものではなく、有史以来日本人の心の奥底で、静かに出番を待っていたのではないでしょうか?

古事記、日本書紀に登場する私たちの大先輩・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が船に乗って遠征する途中、暴風雨に遭って危険な状態になりました。

そのとき、妃のオトタチバナヒメが

「その昔あなたが焼津で火攻めに遭ったとき、あなたはその火の中で私を気遣って、声をおかけいただきました・・・・・

いま私が海に入って海神を鎮めましょう」


と言って海に身を投げられた、と伝えられています。

さて、時はいま、東日本大震災という未曽有の危機に直面したとき、被災された人々が、お互いを思いやり、整然と非常事態に立ち向かったというニュースが世界を駆け巡り、多くの人の胸に深く焼きついたのではないでしょうか?

かつての日本人が何よりも大切にしてきた「大和の心・日本人の精神」は誰の心の中にも宿っていて、未来永劫、引き継がれていき、必要なときに表面化するのだと思います。

戦後、日本人の特性をマイナスの方向からのみ見つめて「日本人はダメな民族だ」という教育が行われてきたことがつとに指摘されています。

誰もが人の役に立ちたいと思っているのではないでしょうか?

良いところだけを見る習慣を身につけたいものですね。

株式会社トータルヘルスデザイン
取締役会長 近藤洋一


参考文献:河内正臣監修「地球丸ごと洗たくするぜよ!」いっきゅう会
森永尭「トルコ世界一の親日国」明成社


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【閑話休題 その2】
Fecebook投稿記事より

「日本人のイメージは、良くなかった・・・」

朴 智星(パク・チソン)

若くて右も左もわからなくて、とんがっている時に日本に来て、最初は学校で習ったように、日本人に対してのイメージは良くありませんでした。

でも、日々暮らしているうちに、全然違うと気づきました・・・

特に日本のクラブに来た日から、毎日必ず声を掛けてくれて、悩んでいる時に相談に乗ってくれたカズさんは、僕の人生の師です。

カズさんのようになりたいです!

そう言った時に、カズさんが急に真顔になり、話してくれた言葉は、僕の人生を変えるものでした。

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いいかい智星

自国以外で、サッカー選手として生き残るのは本当に困難だ、最後までサバイバルする選手に、一番必要なものは何かわかるかい?

技術じゃない、そのクラスの選手の技術は、みんな同じくらい高いからね・・・

一番大切な事は、サッカーへの情熱、一途の献身、毎試合今日死んでも悔いはない!という想いで試合に望む、サッカーに人生を賭ける気持ちだ。

ブラジルでは貧しくて、ブラジル人なのに一生スタジアムに来れない人が、沢山いるんだ・・・ブラジル人にとっては悲劇だよ。

智星わかるかい?

ブラジルで俺は、試合前に必ずスタジアム全体を見る、この中でいったい何人の人たちが、一生に一回だけの試合を見にきたんだろう?と思うんだ。

すると、全身にアドレナリンが溢れてきて、喧嘩した直後みたいに身体が震えてきて、鼻の奥がツーンとしてくる・・・

俺は、そのまま試合開始のホイッスルが鳴るのを待つんだ。

うまくは言えないけれど、これが俺のサッカー人生だ。

智星が本当にサッカーを愛しているなら、とことんまで愛してやれ!

智星のプレーで、全然違う国の人々を熱狂させてあげるんだよ。

それは、本当に素晴らしい経験なんだよ。



King Kazu





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『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』
─成功者が導く超簡単な成功法─より
<第2074回>2013年1月24日発行

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皆さん、こんばんは。

近代世界の歴史は、石油や天然ガスなどのエネルギーをめぐる、紛争や戦争の歴史とも言えます。

今回のアルジェリアのテロ事件も、天然ガスのエネルギー利権が根本にあるようです。

犠牲になられた方々には、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

太平洋戦争も、日本に対しての連合国の石油輸出の全面禁止という、厳しい経済制裁が発端で起こり、アジア全体では何千万人もの犠牲者を出しました。

産油国である中東では、これまで何度も戦争が勃発しています。

いくら平和な世界を望んでも、エネルギー問題が解決しない限り・・・これからも、人類のエネルギー争奪の紛争や戦争に終止符は打てないのかもしれません。

けれども、僅か100分の1ミリの微生物が、世界の情勢を変えるかもしれないという可能性が高まっています。

それは、石油に関するエネルギー問題が解決できる、藻類の研究が日本でも進められており、あと10年程度で実用化できる見通しが立った!というニュースによります。

その、石油を作り出せる微生物の名は・・・

「オーランチオキトリウム」

この発見によってエネルギー問題が解決し、平和で戦争のない世界が訪れることが夢では無くなったのです。

これまで見つかっている「ボトリオコッカス」より10倍以上も高い効率で、石油とほぼ同じ成分の油を作り出せる藻類を、筑波大学の渡辺信教授らが発見しました。

渡辺教授チームでは、数十年に渡って「ボトリオコッカス」など、何百もの藻類を採集・分析し研究してきました。

そして、2009年に沖縄の海から採集してきた藻類200株のうちの一つが、「オーランチオキトリウム」と呼ばれる奇跡だったのです。

「ボトリオコッカス」はオイル生成能力が高く、オイル含量は乾燥重量の75%に達するほどであり、また産生するオイルは重油に相当する炭化水素で、幅広い用途で利用できます。

しかしながら、「ボトリオコッカス」は培養に時間がかかり、コストが1リットルあたり800円にもなってしまい、1リットルあたり50円程度の重油とは、比べ物にならないほど高価だったのです。

その点、「オーランチオキトリウム」のオイル生産効率は・・・単純計算で「ボトリオコッカス」12倍となり、重油と同等程度のコストで、石油の代替燃料を生産できます。

生産効率を一桁上げることが現実的になり・・・これで長年の人類の夢でもあった、戦争のない平和な世界が訪れるのも夢ではなくなりました。

「オーランチオキトリウム」が作りだすのは、スクワランというオイルです。

そして「ボトリオコッカス」が作りだすのは、ボトリオコッセンというオイルです。

いずれもトリテルペノイドに属するオイルであり、容易に燃料化することが可能だそうです。

また、既存の石油会社が持っている技術を利用すれば、バイオポリマーをはじめとする化学製品の原料にすることもできます。

さらに現在、化粧品や健康食品とて使われているスクワランは深海鮫から採っていますが、深海鮫は絶滅危惧種になっているものも多く、いずれ採ることが難しくなると言われております。

「オーランチオキトリウム」は、そのスクワランの供給源としても使えるのです。

考えてみれば、地球の大気を作ったのはですし、原油の原料も藻類説が有力になっています。

地球に大気が無かったら、人類は生息できなかったのですから、藻類の働きには敬服します。

そして21世紀になっても、藻類が人類の救世主になろうとしているのですから、壮大なロマンを感じますね。

腸内細菌もそうですが、微生物の貢献度は計り知れません。

現在日本が輸入している石油量は、年間約2億トン

「オーランチオキトリウム」は、2万haあれば2億トンの石油生産が可能となります。

平成20年度農林水産省の「耕作放棄地に関する現地調査」によれば、全国で28.4万haの耕作放棄地が存在しています。

そのうちの10%を「オーランチオキトリウム」の生産用地として利用すれば、日本の石油必要量は賄われる計算となり、石油輸入国家から石油輸出国家に転換することも可能となるのです。

量産法や最適な抽出法などの開発が必要なため、本格的な商業生産には10年程度かかるそうですが、民・官・学が一体になって、最優先で取り組むべきです。

日本が石油輸入国家から脱出できれば、それだけで250兆円の見返りが期待できるので、エネルギー問題も、電力不足も、経済問題も、少子化も、医療も、老後の年金も、その他あらゆる問題が解決できるはずです。
 
失われた20年も挽回できます。
 
アメリカは藻類エネルギープロジェクトに軍も関与しているため、わかっているだけで1500億円相当を投資しているそうです。

一方、日本では藻類エネルギープロジェクトに投資している金額は、わずか数10億円に過ぎません。

もしもこれが実現できたら、化石燃料の石油ではなく、再生可能な石油になるのです。
 
本来の日本を取り戻す、絶好のチャンスだと思います。

世界有数と言われる海洋資源と併せて考えれば、日本には世界を救う「無限の可能性」が秘められているのです!

ありがとうございました。

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【閑話休題 その1】

1992年6月 ブラジル リオ・デ・ジャネイロ

第一回「環境と開発に関する国連会議」に集まった世界の指導者たちを前に、12歳の少女セヴァン・スズキは語り始めました・・・

こんにちは、セヴァン・スズキです。

ECOを代表してお話しします。

ECOというのは、子供環境運動カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばって活動しています。

あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方を変えていただくようお願いするために・・・自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

今日の私の話には、ウラもオモテもありません。

なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のためだから。

自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけが違うんですから。

私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子供たちのためです。

世界中の、飢えに苦しむ子供たちのためです。

そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている、無数の動物たちのためです。

太陽のもとに出るのが、私はこわい・・・オゾン層に穴があいたから。

呼吸をすることさえこわい・・・空気にどんな毒が入っているか、わからないから。

父とよくバンクーバーで、釣りをしたものです・・・数年前に、体中ガンで侵された魚に出会うまで。

そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。

それらは、もう永遠に戻ってはこないんです。

私には、夢があります。

いつか野生動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。

でも、私の子供たちの世代は、もうそんな夢を持つこともできなくなるのではないか?

あなたがたは、私ぐらいの歳の時に、そんなことを心配したことがありますか?

こんな大変なことが、ものすごい勢いで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。

まだ子供の私には、この危機を救うのに何をしたらいいのか、はっきりはわかりません。

でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです・・・あなたがたも、よい解決法なんて持っていないっていうことを。

オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう?

死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう?

絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう?

そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう?

どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。

ここでは、あなたがたは政府とか、企業とか、団体とかの代表でしょう?

あるいは、報道関係者か、政治家かもしれない・・・

でも真実は、あなたがたも誰かの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、叔母であり、叔父なんです。

そして、あなたがたの誰もが、誰かの子供なんです。

私はまだ子供ですが、ここにいる私たちみんなが、同じ大きな家族の一員であることを知っています。

そうです、50億以上の人間からなる大家族。

いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。

国境や各国の政府が、どんなに私たちを分け隔てようとしても、このことは変えようがありません。

私は子供ですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして、行動しなければならないことを知っています。

私は今、怒っています。

でも、自分を見失ってはいません。

私は恐い・・・

でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。

私の国での無駄遣いは、大変なものです。

買っては捨て、また買っては捨てています。

それでも物を浪費しつづける北アメリカの国々は、南アメリカの国々と富を分かち合おうとはしません。

物があり余っているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手放すのが怖いんです。

カナダに住む私たちは、十分な食物と水と住まいを持つ、恵まれた生活をしています。

時計・自転車・コンピューター・テレビ・・・私たちの持っているものを数えあげたら、何日もかかることでしょう。

二日前ここブラジルで、家の無いストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。

一人の子供が、私たちにこう言いました。

「ぼくが金持ちだったらなぁ・・・もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと、愛情をあげるのに」

家もなにも無い一人の子供が、分かち合うことを考えているというのに・・・全てを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう?

これらの恵まれない子供たちが、私と同じぐらいの歳だということが、私の頭を離れません。

どこに生れついたかによって、こんなにも人生が違ってしまう。

もしかしたら、私がリオの貧民窟に住む子供の一人だったかもしれないんです。

ソマリアの飢えた子供だったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしていたかもしれないんです。

もし戦争のために使われているお金を全部、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。

私はまだ子供だけど、このことを知っています。

学校で、いや幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどう振る舞うかを教えてくれます。

たとえば・・・
 
争いをしないこと。

話し合いで解決すること。

他人を尊重すること。

ちらかしたら自分でかたずけること。

ほかの生き物をむやみに傷つけないこと。

分かち合うこと。

そして、欲ばらないこと。


ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか?

なぜあなたがたが、このような会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。

そして、いったい誰のためにやっているのか。

それは、あなたがたの子供、つまり私たちのためです。

あなたがたは、こうした会議で、私たちがどんな世界に育ち、生きていくのかを決めているんです。

親たちはよく、

「だいじょうぶ、すべてうまくいくよ!」

といって子供たちをなぐさめるものです。

あるいは、

「できるだけのことはしているから」

とか、

「この世の終わりじゃあるまいし」

とか。

しかし、大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ、使うことができなくなっているようです。

お聞きしますが、私たち子供の未来を真剣に考えたことがありますか?

父はいつも私に「不言実行」・・・つまり、何を言うかではなく何をするかで、その人の価値が決まると言います。

しかし、あなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いているのです。

あなたがたは、いつも私たちを愛していると言います。

しかし、私は言わせてもらいたい・・・

もしその言葉が本当なら、どうか本当だということを、行動で示してください!

最後まで私の話を聞いてくださって、ありがとうございました。

http://www.youtube.com/watch?v=lSZD6pGXsaM&sns=em

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これは約20年前のスピーチです。

「伝説」と言われるくらいですから、多くの人の心に響いたのだと思います。

真理は常にシンプルです。

セヴァンが訴え掛け、多くの大人たちが共感したスピーチから20年が経ち・・・大人たちはどんな行動を示したのでしょうか?

そして、世界はどう変わったのでしょうか?

今や世界の人口は70億人を超え、食糧危機が叫ばれる一方で、我が国が世界一の食糧廃棄国であるということをご存知でしょうか?

地球上では、飢餓が原因で一日に4~5万人(一年間に1500万人以上)の人が亡くなっており、そのうちの7割以上が子供たちです。

日本の食糧廃棄量は、世界一の消費大国アメリカを上回り、3000万人分(途上国の5000万人分)の年間食料に匹敵するそうです。

>どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。

そして未だ終息どころか、甚大な被害を拡大し続けている「原発」を、なし崩し的に推進するという日本政府・・・

大人になったセヴァンの目に、この世界はどう映っているのでしょうか?

現在、母になったセヴァン・・・彼女は今も闘っていました。

http://www.uplink.co.jp/severn/

私たち一人一人が、自分ごととして立ち上がり、行動で示す時は「今」なのかもしれません。

それぞれが、できることを、少しづつ、一歩一歩・・・

ありがとうございました。

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現在、弱者救済プロジェクトでは、かねてから予告していた通り・・・【第二ステージ】に移行しております。

しかし、活動するのはあくまでも「第一のビジネス」だけです。

希望者は【第二ステージ】推進チームが順次、案内・登録作業を進めております。

【第二ステージ】への参加は原則として、「第一のビジネス」登録者が対象です。

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最後までお読み下さって、ありがとうございました。
このプロジェクトにご興味のある方はmiraclechance2012@gmail.comまでお問い合わせ下さい、順次メールにて概要をお知らせ致します。
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