【閑話休題 その3】
(株)トータルヘルスデザイン
元気な暮らし2011年11月号
バンクシアの響き 第26回より
<<トルコ航空による日本人の救出>>
1985年、イラン・イラク戦争が激しさを増す中、
「イラン上空を航行する航空機はすべて、攻撃の対象となる」
というイラク政府のメッセージが全世界に発信されました・・・
イランに滞在していた日本人は、あと48時間以内に脱出しなければ、どうしようもない危機にさらされることになったのです。
当時イランにいた日本人は約300人だったそうです。
イランを脱出しようとする人は日本人だけではありません。
各国の航空会社は、ぎりぎりの極限状態のなかで、まず自国民を乗せて本国へ向けて出発することになります。
当時日本の航空会社はイランへの定期便はなく、ぎりぎりの交渉が重ねられたのですが、日本の航空機がイランに向けて飛び立つことはできず、イランにいる日本人は絶体絶命の危機に立たされたのでした。
そんな時奇跡とも言える出来事が起こりました。
イランの首都テヘランの空港に2機のトルコ航空機が降りてきたのです。
この2機の航空機に日本人全員が乗り込み、タイムリミットぎりぎりの緊張状態のなかで、航空機はトルコに向けてイランを飛び立ち、日本人全員の命が救われたのでした。
どうしてトルコの航空機が・・・・・?
何故日本人を乗せて・・・・・?
びっくりですね。
当時イランには6000人のトルコ人がいて、救助されるのを待っていたはずなのに、何故日本人が優先的に救助されることになったのでしょうか?
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<<エルトゥールル号の沈没をめぐって>>
1890年(明治23年)9月16日、和歌山県串本町大島の沖合で、トルコの軍艦『エルトゥールル号』が台風のため座礁し、沈没するという事件がありました。
このとき、50戸、400人の大島村の人々が総出で救助にあたりました。
656人いたと伝えられる乗組員がどんどん死んでいくなか、助かった人々も寒さのため体が冷えて、生きる力もなえてきました。
村人たちは、裸になって乗組員たちに自らの体温を伝え、生きる力を与えたのでした。
そして69人の人が生き残ったと伝えられています。
400人しかいない村で、69人もの人々の食糧を提供するのは、実に大変なことでした。
交通手段も情報網も現代社会とは比べ物にならないくらい、何にもない“ないないづくし”の明治時代のことです。
ましてやこの村の人々は、漁に出て魚をとり、それを隣の町で米に変えて生活するという貧しい生活を送っていました。
そのようなわけで食糧はすぐに底をついたのですが、村の人たちは、非常時のために飼っていた鶏を料理することで命をつないだと伝えられています。
エルトゥールル号は、明治天皇に謁見することを目的として、オスマントルコ皇帝が派遣したもので、トルコに帰国する途中で遭難したのです。
遭難の報はすぐに明治天皇に伝わり、直ちに医者と看護婦が派遣されました。
そして生存者は軍艦「比叡」と「金剛」で丁重にトルコに送り届けられました。
あわせて日本全国から義援金が集められ、遭難者のご家族に送り届けられたと伝えられています。
この遭難事件はトルコの小学校の教科書に載り、授業で教えられているのだそうです。
串本町の人々の献身的な救助活動、日本国民の温かい義援行動、明治天皇と日本政府の的確な配慮が多くのトルコ人の胸に刻み込まれ、120年経った今もその気持ちが消えていないことを物語っているのだと思います。
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<<世のため人のために生きる>>
「あと数時間でイラクの無差別攻撃が始まる」
という土壇場で、待機していた日本人が絶望感に打ちひしがれたその時、2機のトルコ航空機がやってきて日本人全員を救出してくれたのです。
このような非常事態のさなかに、救援機を飛ばすというのは命がけのことで、通常ならばありえないことではないでしょうか?
しかしトルコ航空で開かれた会議で、機長はじめスタッフが志願して乗り込んでくれたと伝えられています。
イランで救出されるのを待っていた6000人のトルコ人は、陸路を何日もかけて歩いて脱出したと伝えられています。
日本人を優先的に救出することに対して、何の非難もなかったというのです。
トルコは世界一の親日国といわれています。
串本町の人々が命がけでトルコの乗組員を救助したことに対する恩義が120年経った今でも心の中に残っているのです。
さらに最近明らかになったことがあります。
このとき、遭難者の治療にあたった3人の医師たちに、トルコ政府から「治療費を支払いたい」という申し出がありました。
これに対し、医師は
「自分たちは負傷者を助けたいというただそれだけの気持ちで行ったことなので、治療費を請求する気持ちはありません。
そのお金は遭難者の義援金として使ってください」
と回答したということです。
このエルトゥールル号事件で日本人の本質が見えてきたのではないでしょうか?
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<<日本人のアイデンティティ>>
日本人の本質「大和の心」は、ある日突然、偶然に表面化したものではなく、有史以来日本人の心の奥底で、静かに出番を待っていたのではないでしょうか?
古事記、日本書紀に登場する私たちの大先輩・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が船に乗って遠征する途中、暴風雨に遭って危険な状態になりました。
そのとき、妃のオトタチバナヒメが
「その昔あなたが焼津で火攻めに遭ったとき、あなたはその火の中で私を気遣って、声をおかけいただきました・・・・・
いま私が海に入って海神を鎮めましょう」
と言って海に身を投げられた、と伝えられています。
さて、時はいま、東日本大震災という未曽有の危機に直面したとき、被災された人々が、お互いを思いやり、整然と非常事態に立ち向かったというニュースが世界を駆け巡り、多くの人の胸に深く焼きついたのではないでしょうか?
かつての日本人が何よりも大切にしてきた「大和の心・日本人の精神」は誰の心の中にも宿っていて、未来永劫、引き継がれていき、必要なときに表面化するのだと思います。
戦後、日本人の特性をマイナスの方向からのみ見つめて「日本人はダメな民族だ」という教育が行われてきたことがつとに指摘されています。
誰もが人の役に立ちたいと思っているのではないでしょうか?
良いところだけを見る習慣を身につけたいものですね。
株式会社トータルヘルスデザイン
取締役会長 近藤洋一
参考文献:河内正臣監修「地球丸ごと洗たくするぜよ!」いっきゅう会
森永尭「トルコ世界一の親日国」明成社
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現在、弱者救済プロジェクトでは、かねてから予告していた通り・・・【第二ステージ】に移行しております。
しかし、活動するのはあくまでも「第一のビジネス」だけです。
希望者は【第二ステージ】推進チームが順次、案内・登録作業を進めております。
【第二ステージ】への参加は原則として、「第一のビジネス」登録者が対象です。
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最後までお読み下さって、ありがとうございました。
このプロジェクトにご興味のある方はmiraclechance2012@gmail.comまでお問い合わせ下さい、順次メールにて概要をお知らせ致します。
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(株)トータルヘルスデザイン
元気な暮らし2011年11月号
バンクシアの響き 第26回より
<<トルコ航空による日本人の救出>>
1985年、イラン・イラク戦争が激しさを増す中、
「イラン上空を航行する航空機はすべて、攻撃の対象となる」
というイラク政府のメッセージが全世界に発信されました・・・
イランに滞在していた日本人は、あと48時間以内に脱出しなければ、どうしようもない危機にさらされることになったのです。
当時イランにいた日本人は約300人だったそうです。
イランを脱出しようとする人は日本人だけではありません。
各国の航空会社は、ぎりぎりの極限状態のなかで、まず自国民を乗せて本国へ向けて出発することになります。
当時日本の航空会社はイランへの定期便はなく、ぎりぎりの交渉が重ねられたのですが、日本の航空機がイランに向けて飛び立つことはできず、イランにいる日本人は絶体絶命の危機に立たされたのでした。
そんな時奇跡とも言える出来事が起こりました。
イランの首都テヘランの空港に2機のトルコ航空機が降りてきたのです。
この2機の航空機に日本人全員が乗り込み、タイムリミットぎりぎりの緊張状態のなかで、航空機はトルコに向けてイランを飛び立ち、日本人全員の命が救われたのでした。
どうしてトルコの航空機が・・・・・?
何故日本人を乗せて・・・・・?
びっくりですね。
当時イランには6000人のトルコ人がいて、救助されるのを待っていたはずなのに、何故日本人が優先的に救助されることになったのでしょうか?
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<<エルトゥールル号の沈没をめぐって>>
1890年(明治23年)9月16日、和歌山県串本町大島の沖合で、トルコの軍艦『エルトゥールル号』が台風のため座礁し、沈没するという事件がありました。
このとき、50戸、400人の大島村の人々が総出で救助にあたりました。
656人いたと伝えられる乗組員がどんどん死んでいくなか、助かった人々も寒さのため体が冷えて、生きる力もなえてきました。
村人たちは、裸になって乗組員たちに自らの体温を伝え、生きる力を与えたのでした。
そして69人の人が生き残ったと伝えられています。
400人しかいない村で、69人もの人々の食糧を提供するのは、実に大変なことでした。
交通手段も情報網も現代社会とは比べ物にならないくらい、何にもない“ないないづくし”の明治時代のことです。
ましてやこの村の人々は、漁に出て魚をとり、それを隣の町で米に変えて生活するという貧しい生活を送っていました。
そのようなわけで食糧はすぐに底をついたのですが、村の人たちは、非常時のために飼っていた鶏を料理することで命をつないだと伝えられています。
エルトゥールル号は、明治天皇に謁見することを目的として、オスマントルコ皇帝が派遣したもので、トルコに帰国する途中で遭難したのです。
遭難の報はすぐに明治天皇に伝わり、直ちに医者と看護婦が派遣されました。
そして生存者は軍艦「比叡」と「金剛」で丁重にトルコに送り届けられました。
あわせて日本全国から義援金が集められ、遭難者のご家族に送り届けられたと伝えられています。
この遭難事件はトルコの小学校の教科書に載り、授業で教えられているのだそうです。
串本町の人々の献身的な救助活動、日本国民の温かい義援行動、明治天皇と日本政府の的確な配慮が多くのトルコ人の胸に刻み込まれ、120年経った今もその気持ちが消えていないことを物語っているのだと思います。
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<<世のため人のために生きる>>
「あと数時間でイラクの無差別攻撃が始まる」
という土壇場で、待機していた日本人が絶望感に打ちひしがれたその時、2機のトルコ航空機がやってきて日本人全員を救出してくれたのです。
このような非常事態のさなかに、救援機を飛ばすというのは命がけのことで、通常ならばありえないことではないでしょうか?
しかしトルコ航空で開かれた会議で、機長はじめスタッフが志願して乗り込んでくれたと伝えられています。
イランで救出されるのを待っていた6000人のトルコ人は、陸路を何日もかけて歩いて脱出したと伝えられています。
日本人を優先的に救出することに対して、何の非難もなかったというのです。
トルコは世界一の親日国といわれています。
串本町の人々が命がけでトルコの乗組員を救助したことに対する恩義が120年経った今でも心の中に残っているのです。
さらに最近明らかになったことがあります。
このとき、遭難者の治療にあたった3人の医師たちに、トルコ政府から「治療費を支払いたい」という申し出がありました。
これに対し、医師は
「自分たちは負傷者を助けたいというただそれだけの気持ちで行ったことなので、治療費を請求する気持ちはありません。
そのお金は遭難者の義援金として使ってください」
と回答したということです。
このエルトゥールル号事件で日本人の本質が見えてきたのではないでしょうか?
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<<日本人のアイデンティティ>>
日本人の本質「大和の心」は、ある日突然、偶然に表面化したものではなく、有史以来日本人の心の奥底で、静かに出番を待っていたのではないでしょうか?
古事記、日本書紀に登場する私たちの大先輩・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が船に乗って遠征する途中、暴風雨に遭って危険な状態になりました。
そのとき、妃のオトタチバナヒメが
「その昔あなたが焼津で火攻めに遭ったとき、あなたはその火の中で私を気遣って、声をおかけいただきました・・・・・
いま私が海に入って海神を鎮めましょう」
と言って海に身を投げられた、と伝えられています。
さて、時はいま、東日本大震災という未曽有の危機に直面したとき、被災された人々が、お互いを思いやり、整然と非常事態に立ち向かったというニュースが世界を駆け巡り、多くの人の胸に深く焼きついたのではないでしょうか?
かつての日本人が何よりも大切にしてきた「大和の心・日本人の精神」は誰の心の中にも宿っていて、未来永劫、引き継がれていき、必要なときに表面化するのだと思います。
戦後、日本人の特性をマイナスの方向からのみ見つめて「日本人はダメな民族だ」という教育が行われてきたことがつとに指摘されています。
誰もが人の役に立ちたいと思っているのではないでしょうか?
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取締役会長 近藤洋一
参考文献:河内正臣監修「地球丸ごと洗たくするぜよ!」いっきゅう会
森永尭「トルコ世界一の親日国」明成社
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現在、弱者救済プロジェクトでは、かねてから予告していた通り・・・【第二ステージ】に移行しております。
しかし、活動するのはあくまでも「第一のビジネス」だけです。
希望者は【第二ステージ】推進チームが順次、案内・登録作業を進めております。
【第二ステージ】への参加は原則として、「第一のビジネス」登録者が対象です。
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最後までお読み下さって、ありがとうございました。
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