自閉性スペクトラムの診断価値は患者さんの年齢により変わる | kyupinの日記 気が向けば更新

自閉性スペクトラムの診断価値は患者さんの年齢により変わる

精神科での自閉性スペクトラムの診断価値はその患者さんの年齢により変わる。例えば、ある年齢以下で正確に診断されると、治療の選択肢が増えるなどのメリットがあることを言っている。わからないよりはわかるほうが良い。

自閉性スペクトラムは、3歳以下で診断されると、成人では実際的ではない治療を選択できる。それと、これは極めて重要だが、幼い患者は誤診が生じるリスクがかなり低い上、本人への告知の問題がかなり薄れることも挙げたい。

成人患者では、自閉性スペクトラムの表現型がさまざまなこともあり、そのように診断された方が良い人とそうでない人にわかれる。

成人では、自閉性スペクトラムを広く診断する医師と、一般の精神科医で意見が分かれることも多々ある。そのため病院やクリニックにより診断が異なることで、本人が精神医療に不信感を抱くことも重大である。

このブログの過去ログを読んでいくとわかるが、僕は広汎性発達障害、アスペルガー症候群などは過剰診断という考え方をしている。一方、双極性障害も過剰診断であると指摘している。

なんとなく、この2つは相反していると思う人もいるかもしれない。その理由は、自閉性スペクトラムの最も生じやすい2次障害(つまり表現型)は感情障害が多いためである。つまり、彼らは、うつ状態や双極性障害に振る舞いやすい。

厳密に言うと、成人まで顕在化しないような自閉性スペクトラムなんて、それっぽくないのである。そう思わせる一部の所見や、過去のエピソードがあったとしても、自閉性スペクトラム専門家しか自閉性スペクトラムの診断をしないケースがある。(つまりたいていの精神科医はそう診断しない。表現型を考慮し単に「表現型」の診断をするか、全く別の診断をする。)

そのような人は、果たして「自閉性スペクトラム」の診断で良いのか?と言う疑問はある。

だいたい、自閉性スペクトラムと正常はなだらかに連続していると言う話であるし、どこに線を引くかは、医師によって変わるのが普通だ。デジタルにはいかない。

このブログでは、明確に自閉性スペクトラムの診断は出来ないが、微細な器質性背景があるために、色々な病像を呈しうるといった考え方をしている。

だから、自閉性スペクトラムにも厳密には分類されず、また双極性障害の表現型であるものの、そうともいえない人たちがいると言う理解である。これらは古典的内因性精神病とは言えず、むしろ治療しにくいタイプの神経症に近い。なお、このブログ的には神経症は器質性疾患である。

しかし、この器質性疾患と言う理解は、単に表現型を診て治療するより、治療者には遥かに薬物治療の想像性を刺激する。それは過去ログに度々出てくるのでわかるであろう。

自閉性スペクトラムと診断しなくても、例えば、薬に脆弱かもしれないので、薬物治療のスタートラインをかなり低く開始するなど方針に影響するので、その診断的理解はないよりはあった方が良い。

結論を言えば、成人になるとやれることも制限されるので、特に自閉性スペクトラムでは、誰でもそう診断できる人はそれで良いが、曖昧な人は幼児より「正確さ」という視点で診断価値下がるのである。しかし、その診断的理解は治療方針や内容に影響するので、無価値では決してない。

つまりだ。
そういう方針の下で治療が受けられるのであれば、精神科の治療は対症療法でしかも薬も相対的なものなので、診断名は皆が考えているほど重要ではない。成人の患者さんから見ればいっそうそういうものなのである。また、告知の価値も相対的に薄れる。

児童精神科の専門医に予約を取って受診し、かえって誤診されると言う笑えない事態になる。(種々の所見をそういう視点でみるため。基本的に医師に限らず専門家は専門バカに陥りやすい)

また、高齢者になると、仮に自閉性スペクトラムだったとしても、そう診断する価値がほとんどなくなる。

それは、高齢になると老化により脳の制御の機能が落ちる上、脳血管障害、てんかん、前頭側頭型認知症など雑多な診断的ノイズが増えることも関係している。

参考
精神科の診断の偏向について
器質性うつ状態と広汎性発達障害
アキスカルの言う薬物性躁転は本当に双極性障害なのか?
躁うつ病は減っているのか?
統合失調症は減少しているのか?
広汎性発達障害は診断してくれる病院より治療してくれる病院の方がありがたい