風の谷のナウシカ | kyupinの日記 気が向けば更新

風の谷のナウシカ


風の谷のナウシカのオープニングに流れている曲

風の谷のナウシカは1984年に劇場公開されている。僕はこの年、映画館では観ていない。それどころか、このアニメさえ知らなかった。数年後、正月に帰郷し「聖書」に出てくる友人の実家に遊びに行った際、この「風の谷のナウシカ」について初めて知ったのである。どのような内容なのか尋ねたところ、彼はごく簡単に、

核戦争後、生き残った人たちがどのような生活を送るようになるのかよくわかる映画。

と言った。生き残った人々は、かつての文明を取り戻すだけの叡智や人口はなく、過去の文明の遺産で細々と生活しているような世界であった。

核戦争や大隕石が地球に衝突するなどの天災で、世界人口が突然、数十万人になると、たぶんあのような状況になる。(参考

風の谷のナウシカは宮崎駿作品の底流にある自然と科学文明の対立、自然破壊や戦争への批判がよくあらわれている作品だと思う。また内容は深いが、子供でもそれなりに楽しめるようなわかりやすさも持ち合わせている。

実は、風の谷のナウシカは元となる漫画作品がある。これはアニメージュに1982年から1994年まで休載をはさみ連載されている。宮崎駿氏はこの作品を終えるにあたり、ユーゴスラビア紛争(1991~2000年)の影響について言及している。

「戦争というのは、正義みたいなものがあっても、ひとたび始めると、どんな戦争でも腐ってゆく」

このタイミングで、アメリカの軍事作戦によりパキスタンに潜伏していたビン・ラーディンが殺害されたのは不吉だ。あのような作戦は成功したとしても本当は公開しない方が良いと思う。イスラム世界ではビン・ラーディンは英雄視する人々が多いので、大喜びするアメリカ国民の映像を観て不愉快に思う人も多いであろうから。しかしオバマ大統領からすると、10年来の復讐を果たしたこともあり、また次の大統領選にも有利に働くので、公開した方がメリットが大きいと判断したのかもしれない。

ユーゴスラビア紛争は多民族国家ユーゴスラビアが東欧民主化の波に飲まれ、次第に解体する経緯に生じた戦争である。多くの内戦が含まれている。当時、1995年の夏頃、ブライアン・イーノ氏が設立した内戦で被災した子供たちを援助するウォー・チャイルドという団体が、レディオヘッドにチャリティ・アルバムの参加を打診してきた。

レディオヘッドは、その際にLuckyという楽曲を製作している。彼らはこの曲をたった5時間で作ったといわれている。LuckyはOKコンピューターの11曲目に収録されており、アルバムを代表する1曲である。品が良い豊かな広がりを持ち、ピンクフロイドを彷彿させる浮遊感を味わえる。実は、レディオヘッドにはピンクフロイドの影響を受けていると思われる楽曲がいくつもある。


lucky(Radiohead)

このluckyという楽曲、そういう背景があるのなら、ずいぶん矛盾している曲名ではないか?と思う人もいるかもしれない。これは、この困難な時代に、ほんのひとときだけでも、思い悩まない人生の瞬間があっても良いんじゃないか?と言うささやかな希望、それをluckyと呼んでいるのである。たぶん。そういう風に考えるとトム・ヨークらしいと思う。そうであれば曲調にも調和しているし、チャリティらしくもある。

風の谷のナウシカは「風の谷」という小国が舞台である。人口はわずか500人ほど。時代背景は「火の7日間」と呼ばれる最終戦争により文明が滅亡した1000年後である。主人公ナウシカはこの国の族長の娘であり、小国ながら王女という設定であった。

最終戦争の後、陸地の多くには腐海という菌類の森が広がっていた。その毒は少しずつ流れ込み、地上に生きる人たちの健康を蝕んでいたのである。実際、このアニメでは、大風車により地中奥深くから地下水を汲み上げ、それを寝かせて更に沸かし、やっとその水を飲料水や農業の使えるという話が出てくる。

今回、福島第一原発事故は非常に難しい状況になっているが、あれは日本にとって戦争が起こっているのとあまり変わらない事態だと思う。戦争と放射能汚染事故との相違は、前者は講和あるいは無条件降伏をすれば終わりだが、後者はその方法では終わらせられないこと。結局は事故に対峙し、自らがなんとかしなければならない。

今回の原発事故とりわけ放射能汚染は、風の谷のナウシカのあの「腐海」を思い出してしまうのである。

参考
レディオヘッド
There there (Radiohead)
Let Down(Radiohead )
Fall On Me(R.E.M.)
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